https://wood.or.jp/information/wood/sanpomichi/entry-97.html 【高野槙・コウヤマキ】より
樹木から木までの散歩道は広報誌「あたらしい大地」に木、樹木、木製品となどのエッセイを書くように依頼されて始めたものです。木偏百樹にある日本の樹木をより現代に合わせ、もう少し詳しい内容を入れるようにして始まりました。途中、委員会での編集方針がかわり、このコーナがなくなるまで15回連載(4年間)の読み物でした。
昨年明るい話題が少ない中、多くの国民が希望と感じたのが、皇室秋篠宮家の悠仁様のご誕生であった。そしてお印(しるし)には高野槙が選ばれ、多くの報道がされたので、一躍高野槙が有名になった。高野六木として知られているが若い人たちではテレビで初めて知った人も多かったのではないだろうか。 お印とは、天皇や皇族方が、身の回りの食器や調度品を区別するための目印で、天皇陛下のお印は「榮」の文字だが、最近は植物が多く用いられている。
樹木としては皇后さまは白樺、皇太子さまが梓(ヨグソミネバリ)、愛子さまが五葉躑躅(シロヤシオ)、秋篠宮さまが栂、眞子さまが木香茨(もっこうばら)で、木としては低木か中木、あるいは草花であった。私は悠仁様がお生まれになるまでにお印にはどのようなものになるか想像してみた。最初に草花ではなく大きくなる木で、クスではないかと考えた。しかしクスの悠々としているところはいいのだが、無骨すぎる。そこで次にすくすくと伸びる杉ではないかと考えた。社内では予想は杉だと公言していた。外れてしまったが、高野槙も昔はスギ科に入れられていたこともあるから、当たらずも遠からじと自分自身で慰めた
この発表があって、すぐに高野山に遊びがてら、取材に行った。金剛駅から特急こうやに乗ったわけだが、高野下から極楽橋までは、高山鉄道のような感じで、スリルがある。高野山では一の橋付近の供養塔周辺を散策したが、必ずと言っていいほど高野槙の枝を供えている。また、通りにはお供え用の高野槙の枝葉が道路脇のスタンドで売られている。僧坊にある高野槙の樹形はやはり世界三大庭園樹といわれるだけあって、おしゃれである。和洋どちらにでも合うだろう。 その直後林野庁の中島孝雄さんからメールをいただいた。これから訪問される方のご参考に紹介する。コウヤマキ 女人堂の脇から国有林に入る歩道が整備されており、そこから高野槙の植物群落保護林に行くことができる。台風被害も受けているが、ほぼ純林状態の高野槙の森林を見ることができるという。また枝の採取用として、高野龍神スカイライン沿いの人工林の写真もいただいた。) 高野槙は高野山だけでなく福島県から本州、四国、九州などにも断続的ではあるが分布している、岐阜県でも木曽五木として有名で、中津川市のシンボルとなっている。世界的には中生代に出現し、第三紀末までは欧州にも生育していたが、それ以後衰退し、日本だけに残った一属一種しかない珍しい木である。 材は特有の匂いで人によって感じ方は異なるだろう。保存性は中程度で、切削などの加工及び乾燥は容易。建築・器具・土木材として利用されてきて、現在では出節の磨丸太などとして生産されている。 水湿に耐える点では桧2倍以上あり、黒ずみにくい特徴があり、水を含んでも軽い。檜の硬さ、色、艶、気品などの長所と、サワラの軽さ、水湿性の長所を持った木といえる。そんなことから、木の風呂として再度評価されてきた。
樹皮は繊維質が強く、フェルトのように柔らかく温かい。水を含むと膨張し、繊維に樹脂を含むため腐りにくい。この樹皮を砕いて繊維にしたのが「槙皮(まいはだ)」と呼ばれるもの。昔は荒物屋でも売られていた。桶、井戸の壁、和船の舟板の隙間などの水漏れ防止用パッキングとして利用されてきた。
日本書記の中で、須佐之男命が「マキは棺材に」と指定しているが、事実、近畿地方から出土する木棺のほとんどが高野槙である。高貴な人用として使われ、遠く朝鮮半島にまで運ばれていた。また、木簡も高野槙が多く、文字も鮮明に残っている。木は水中や地中などの酸素が供給されないところでは腐りにくいのは理屈ではわかっているが、千年を超えて残っているのだから驚く。国有林 文学では、この木の出現率は少ないが、それでも鴎外の「雁」、藤村の「夜明け前」、龍之介の「老年」、宇野千代さんの「淡墨の桜」、小塩節さんの「木々を渡る風」などに出てくる。夜明け前以外は庭木として登場しているが、夜明け前では木曽五木として、禁木制度のため苦しい生活状況の説明に焦点が当てられている。 高野槙は細長い葉を小さな円状に上に伸ばし、更にこの小枝は多数集まって大きな円状になる。円木(まるき)と言われ程である。また幼木の時の成長が極めて遅く、植林には不適とされている。成木になってから幹はよく伸びるが、その後は樹高が一定している。防火樹として高野山では僧坊の間に多く植えられていた。 高野槙を人に例えれば、大器晩成の努力家で、志はまっすぐ、そして高く、高所大所から物を判断し、人と人とのモメごとのクッション役になる人であろう。 あたらしき大地 「樹から木までの散歩道」掲載2007年01月
https://blog.goo.ne.jp/grenc/e/a4be52ef77d34c03be977e62f38355d2 【弘法市の高野慎】より
弘法市の出店でよく見かけたのが、高野槙と銘打って、正月の〆飾りの松のような、槙を販売している。
写真はこちらから。
空海が花の代わりに高野槙の枝葉を御仏前に供えたのが始まりだとか、御仏前に他の供花と一緒に、もしくは単独で供えるのが慣わしとなってるとか、知らないことずくし。
お正月、お彼岸、お盆には必ず高野槙を供えるって教わり、どうりで高野槙をよく見かけるわけやと納得。
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槙はマツ科ということもあって、水に強く朽ちにくいので、家作りの梁や水回りに重宝される。それが、高野槙はwikiによれば、「世界三大造園木の1つで、木曽五木の1つ。古代には、棺材として最上級とされた。」とか。知らなかったなぁ。
空海が高野槙をみ仏に供えようと目をつけたのは何故なんだろう。
銘木として珍重された木が高野山で多く育ってるんだから、自然のなり行きかもしれないけど。
https://minnanoohaka.com/blog/2259/ 【弘法大師・空海が供花とした祈りの樹「高野槙】より
関西地区では仏前や墓前、神前にも
村内の可住地面積の割合は全自治体のうち最低の2.1%、人口はわずか343人(2021年8月1日現在)という、離島を除いて日本一人口が少ない自治体——それが奈良県南西部にある野迫川村です。村内に鉄道路線はなく(最寄り駅は南海電鉄の高野山駅=和歌山県高野町)、山々に囲まれているため「天空の村」とも呼ばれています。日本固有の常緑針葉樹「コウヤマキ(高野槙)」は、その群生地である高野山(標高約800mの山上盆地に広がる地域名)に由来した名称で、高野山真言宗の総本山・金剛峯寺からほど近い野迫川村の山中からも出荷されています(当地の高野槙は枝が赤茶色で良質とされる)。水に強く丈夫で朽ちにくいため、古代より木棺や水桶、橋杭などに使われてきました。また関西地区では、真言宗を開いた弘法大師・空海が生花の代わりに高野槙の枝葉を供花(霊木)としたことから、仏前や墓前、神前にも使われています。
高野槙は針葉樹でも花粉症の心配なし
関東の人は、高野槙が仏花になると言っても恐らくピンと来ないでしょう。むしろ、常緑針葉樹=スギ、ヒノキ=花粉症という良からぬ連想が働いてしまうかも知れません。確かに、花粉症を引き起こす植物は60種以上あり、高野槙もその一つとされますが(かつてはスギ科に属したが、今は単独でコウヤマキ科とする)、やはり花粉症の抗原として圧倒的に多いのは、樹齢30年を過ぎると花粉の排出量が急増するスギやヒノキです。高野槙が原因で花粉症になることは滅多になく、あったとしても極めて稀なケースと言えるでしょう。
日々の生活を彩る観葉植物としても最適
高野槙は、かつては世界中に分布していましたが、現在は北米・欧州ともに絶滅し、集団で自生しているのは日本だけです(愛知県新城市の甘泉寺にある高野槙が最高齢とされ、樹齢400年とも600年とも推定されている)。生花と比べると華やかさに欠けますが、世界三大美木の一つになっており、その素朴な見た目には確かな生命力すら感じられます。仏花や「祈り」の樹としてはもちろん、日々の生活を彩る観葉植物としてリビングや玄関先に飾っても良いでしょう。
https://koya-reiboku.com/ 【高野霊木】より
生きとし生けるものが共に扶け合う
弘法大師 空海による開創以来、1200年に渡りその尊厳が護られてきた世界遺産 高野山。そこは雲上の宗教都市であり、静謐で霊的な山林空間が広がります。高野山真言宗 総本山金剛峯寺山林部は、高野山にて先徳が連綿と育成してきた森林を一千年、二千年と後世に引き継ぐことを理念に、弘法大師空海の共生の思想「共利群生」を体言化する森づくりに専念してきました。豊かな森を後世に残すべく、高野山では森林を5つのエリアに分類して、保護と利用を継続しています。
生きとし生けるものが共に扶け合う、共利群生の森を目指して。
空海が魅せられた森には、その教えのすべてがあります。
高野山の森林には「ディープエコロジー」なる世界が広がります。森は、人のみならず、動物や鳥や虫、草木や花、石や土にいたるまでが扶けあい、共に利するものが群と為して生きている曼荼羅の世界そのものと言えます。
弘法大師空海が魅せられた広大で深淵な森には、世界の真理そのものがあり、そこにある無数の循環の連鎖は、必然でありながらも奇跡的に成り立っています。高野山の森林を護り、育むことは、弘法大師空海の御教えを守り継ぐこと他なりません。
高野山の壮大な自然のなか金剛峯寺で育まれた木々は、300年、400年の大径木となり、主に寺院で使用されます。その森林管理の一環で生産される木材を製材・加工した製品を「高野霊木」として、皆さまにご提供させていただきます。
弘法大師空海に護られ共利群生の森で育まれた木と共に暮らし、私たちが、先祖から、地球から生かされていることのように、その新しい「いのち」との繋がりを、日々に感じていただければ幸いです。
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