https://www.gef.or.jp/globalnet201902/globalnet201902-6/ 【人の営みから自然感、宇宙観へ ”正木ワールド”の俳句エッセイ集を味わう】より
乳井 昌史(にゅうい まさし)
九十五歳で昇天した母の翼を思わせる第五句集の「羽羽」(はは)で蛇笏賞を受賞した正木ゆう子氏の最新エッセイ集。毎回、自作の一句を添えた五十篇の文章を読んでいると、自分の見聞と重なるところもあり、おこがましいが、この一書を取り上げて書評のようなエッセイのようなものを綴りたくなった。
正木さんと言えば、〈水の地球すこしはなれて春の月〉と始まり、〈春の月水の音して上りけり〉と結ぶ第三句集『静かな水』などで詠んだ宇宙空間にも通じる大きく鮮やかな句で定評ある俳人だが、このエッセイ集の表題は『猫のためいき鵜の寝言 十七音の内と外』。〈よきものに猫のためいき雪催(もよい)〉〈聞こゆるは川の音はた鵜の寝言〉の二句に拠る。自分と周辺の関わりから採った意表を衝くタイトルは、「あとがき」によると、「拙文もため息や寝言の類である」ゆえという。正木俳句の創作の機微を明かしているようでもあり、ファンとしては見逃せない一冊である。
なんと、冒頭のエッセイは「集団就職」。かつて中学を卒業すると東北や九州などの地方から上京した少年少女たちが、労働力として日本の高度成長を支え、“金の卵”と呼ばれた時期があった。青森に育った僕の友にも集団就職組がいたので、引き込まれるように読んだ。
熊本出身の正木さんは、両親が長崎から熊本に向かう途中、列車の中で目にした光景を後々まで何度となく語ったのをよく覚えている。前の座席のまだ子供子供した少年は家族と別れ、就職のために郷里を離れるところだった。列車が出ると、泣き始めた。「声を出さず、静かに、ずっとずっと泣き続ける少年に母は声をかけられなかったという。あの子はどうしてるだろう」――。そういう気持ち、わかる気がする。
1968年、新聞社に就職が内定した僕は春休みに帰省、東京へ戻る前に青森支局に立ち寄った。ほんの挨拶のつもりが、支局長は「ちょっと手伝っていけ」という。ちょうどシーズン最初の集団就職専用列車が出発する日であり、その取材だった。連絡船の乗降客も利用した青森駅の長いホームを先輩記者とカメラマンの後につき、脚立を担いで走った。「蛍の光」が流れ、汽車の窓の内と外で握り合った手が涙のうちに離れてゆく。僕の級友も、十五歳でこうして旅立ったのだろう。あれほど胸に迫る別れに立ち会ったことはない。人使いの荒そうな支局長は、これからスタートする記者の卵に見せておきたかったのかもしれない。
いつか「集団就職」の意味を問い直す企画を実現しよう。思いが叶ったのは十六年後、社会部の遊軍記者の頃だった。「少年たちは汽車に乗った――集団就職から30年」。連載の表題も固まり、相棒の記者仲間と準備を始めたが、間が悪いというか、ロサンゼルスの日本人社会で起きた事件の取材へ急に派遣された。一週間のはずが、事件は生きもの、ずるずる滞在が長引き、「集団就職」取材チームに戻ったら、すでに連載は始まっていた。僕の不在をカバーしてくれた仲間のお陰で滞りなく完結したが、企画を発案した者としては燃焼し切れなかった苦さも残った。「青森駅を立った、あの少年たちはどうしてるだろう」――。
一昨年秋、福岡の弦書房の出版案内で澤宮優著『集団就職』が出されたのを知り、すぐ読んだ。熊本出身のノンフィクション作家の労作。中途半端に終わった自分を省み、一つのテーマを追って一巻にまとめた力業に頭が下がる。正木さんもやはり、同じ出版案内の「集団就職」出発風景のカット写真を見て母の述懐を思い出し、冒頭の一文を綴ったのだという。
母の言葉を受け止めたエッセイは続く。「少年はそのとき前に座っていた人が生涯自分を気に掛けていたことを知らない。ましてその娘の胸底にまで自分の姿が棲みついていることなど知るよしもない」。この母にしてこの娘あり、と言うべきか。淡い縁か濃い縁か分からないが、「こんな縁こそ濃いと思って生きていたい」。心を過ぎって深く刻まれた少年像――対象に寄り添う思いが、表現活動へ突き動かすのだろう。
その視線は、人間を含む自然界へと広がる。水を欲しげに隣の藪からノソノソ現れる蝦蟇(ひきがえる)、地面に息絶えた仲間を弔う如くその上を舞う蝶、沼に射す光に微笑む薄氷(うすらい)に目を見張ったり、時には遠く、峠を越える鷹の渡りの観察やホエールウォッチに出かけたりする。自然との一体感を大切にする日々が、深々とした宇宙観を内包する秀句をもたらしてきた。
まなざしは、東日本大震災や自身の故郷を襲った熊本地震の被災地にも注がれる。大震災後、初めて福島に入って以来、土地に結びついた人々との縁を深めてきた。〈駆くるべき野をまなうらに春の馬〉は、そうして生まれた一句。思うさま駆けたフィールドを損なわれた野の馬の姿に痛みと哀しみ覚えるが、次の「疾走犬」という一文は、単なる天災とは違う原発事故が招いた惨状の様相を描写して生々しい。
南相馬の津波跡に車を止めて荒廃した風景を眺めていると、原発へ続く海の方から大型犬がまっしぐらに走って来た。「広大な荒野を、犬は一度もスピードを緩めることなく(略)何処へか消えていった」。立ち入り禁止区域から来たはぐれ犬か。“頭の中の嵐”に追い立てられるような狂おしい疾走。「犬は何かの象徴のように今も私の眼裏を走り続け、どこへも辿り着かない」と想うのだ。結びの〈真炎天(まえんてん)原子炉に火も苦しむか〉の一句と併せ読み、自然界に加えた人為に狂いが生じた時の怖さが惻惻(そくそく)と伝わってくる。
そんな状況に在って正木さんは、「福島からはこれから先、真実の言葉を語る人が出てくるだろう」と述べる。熊本から、詩的な文体の『苦海浄土』を表して水俣病の悲惨を告発した石牟礼道子氏のような。大震災と原発事故による混乱を体験した子供たちの、言葉の使い手としての成長を信じているようだ。
熊本の母校をはじめ、様々な小学校で俳句の授業を続けるのも、そんな未来に期待するからだろう。本書にも「俳句教室」と題した三つのエッセイを載せているが、教室での反応がよほど嬉しいのか、子らとのやりとりを描いた筆は弾んでいる。
ある日の授業。短冊に書いた句を発表する段階になり、一人がまだ書いていないのに気づいた。掃除が始まった教室の隅で、「さあ作ろう」。授業の初め、外で言葉のスケッチをした中から「春の空」を選ぶ。「春の空、どんなだった?」と聞いても話したくない様子。材料が乏しいと思われる時、「心の中を見てみよう」と呼びかけるが、この日もそうしたのに黙っているので「何も浮かばなかったの?」と聞くと頷いた。「じゃあ、そう書くのよ」と促されて生じた六年生の一句。〈春の空心に何もうかばない 佐々木愛里〉。正木先生が「なんていい句だろう」と感心した通り、ホントにいい句。〈何もうかばない〉心は空っぽなのではなく、無限の可能性に満ちているのだ。
「大事にしてね。あなたの言葉よ」と言って詠んだ句は、〈春愁の果てよりこころ呼び戻す ゆう子〉。師弟の応酬が響き合っている。
と、ここまで書いて来て日経文化面に鶴田真由氏が連載する「宇宙をさがして」と題する美術エッセイに惹かれた。昨年夏、晩年のゴッホが過ごした南仏の病院を訪れ、敷地内に立つ多くの絵看板に出会う。一番好きな「星月夜」は玄関前にあった。何でもない場所。そんな空間の先に光とエネルギーが渦巻くゴッホの宇宙が広がっていた。日頃、目の前のものをよく見ていない自分に気づいたという女優は、「宇宙は日常の中にも潜んでいる」と喝破する。卓見に唸りつつこうも思う。正木俳句は、それを楽々とやっている。五七五、わずか十七音の器に森羅万象を容れて。
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