https://suzukankou.exblog.jp/16717362/ 【能登は優しや土までも】より
歴史を紐解いていただく方のお話を伺うと、なるほどなあといろいろ勉強になるのですが、例えば「能登」。能登という国の名前は、霊亀二年の「石動山縁起」から来ているそうです。
垂仁天皇第一皇子が話せなかったのをそこにいた方道仙人が直して空に登ったということから、能く登ると言われ、その名前が、718年にその国の名前を能登国にすればよいということでそうなったそうです。
そして、「能登は優しや土までも」という言葉。
元禄9年加賀藩侍「浅加久敬(あさかひさのり)」が初めて能登へやってきたそうです。
その紀行文が「三ヶ月日記」というのがそれで、ここに「能登は優しや土までも」の由来があるそうです。
御山と呼ばれていた石動山へ詣でた際、七曲りという険しい山道で、馬子に難所はここだけかと聞いたら、シャクシ峠というところがあると答えたので
「ここよりもいくすくいほど多からん。シャクシ峠の道の悪さは」と独り言のように歌を詠むと、馬子がすぐ「ここよりふたすくい分ほど多いでしょう」と返答したそうです。
こんなところの馬子は文学的素養がないと思い込んでいた久敬が馬子が歌を解し、
しかもこの難所で疲れた様子も見せずに笑顔で的確な答えを返したので杵歌にもうたわれている「能登はやさしやつちまでも」とはこのことだろうと感傷にふけったという話です。
つまり、能登の文化の高さや能登びとの素晴らしさがこの歌になったといういわれですね。
素晴らしいですね。
https://www.youtube.com/watch?v=Yt0pPlYigO8
https://toyokeizai.net/articles/-/70361 【「逆さ地図」で見る、中国にとって邪魔な日本】より
強引に海を渡ろうとする中国の真意
松本 利秋 : ジャーナリスト
われわれ日本人が地図を見るときの常識は、上が北で南は下。東は右で西は左である。このことは小学校の社会科で誰もが習ったことだ。
海を渡って東に突き進めばアメリカ大陸があり、太平洋には進路を遮る障害はない。また、北を向けば中国大陸があり、朝鮮半島、ロシアの沿海州がある。ここでも日本との間にあるのは海だけである。それさえ渡れば日本からはどこへでも行ける……と思うのは自然なことだろう。
しかし、中国を中心にして、逆さに地図を見てみると、とんでもない現実が見えてくる。
地図を逆さにしてみると……
中国にすると、大陸から見える海は狭く、すぐ近くに日本列島がある。さらに南に下ると九州から奄美諸島、沖縄、八重山と南西諸島が連なっており、台湾につながっている。台湾からはバシー海峡を挟んでフィリピンへと続き、その端はベトナムに連結している。
こうして見ると、中国にとって自由に動ける海はごく限られており、広い海へ出て行こうとしても、先に挙げた島々の間を縫って行かざるをえない。しかも、中国の船の動向は、それらの島を領有している日本などから絶えず監視されざるをえない。場合によっては海上封鎖で封じ込められてしまう可能性もある。
日本は経済的にも巨大で、最先端のハイテク兵器を大量に所有し、数は少ないながらも高度な訓練が行き届いた自衛隊が存在する。海洋に進出しようとする中国にとっては実にうっとうしく、邪魔な存在に見えるに違いない。
日本人からすれば自由で世界に連なる海だが、中国からすれば日本があるために周辺の海が自由に使えないのだ。このように地図の見方を逆にすると、まるで違った現実が映し出される。
「大陸国家」中国の変貌
実はこの「逆さ地図」から見えてくる現実に、中国が気づいたのは比較的最近のことである。
『「逆さ地図」で読み解く世界情勢の本質』 (SB新書)
中国の西の端はヒマラヤ山脈を挟んでインドと国境を接し、北に向かってアフガニスタン、タジキスタン、キルギス、カザフスタン、ここから東に向かってはロシア、モンゴル、北朝鮮との間に国境線が走っている。
中国では、秦の始皇帝が漢民族の国家を創設して以来、北方の騎馬民族の侵入をいかに防ぐかが民族存亡の要であった。中国の歴史は大陸内部の土地争奪戦が主要な要素であり、三国志をはじめ中国の歴史記述には、海のことがほとんど出てこない。
このように大陸内部でのせめぎ合いを繰り返している国を、地政学では「大陸国家=ランドパワー」と呼ぶ。中国は歴史的に北方との闘いに関心を集中させており、海への関心はほとんどなかったと言って過言でない。
これが劇的に変化したのが、1840年から2年間続いた「アヘン戦争」だ。アジア各地のほとんどを植民地にしてしまったイギリスが、広大な中国大陸に目をつけ、支配しようとした。その手始めに植民地のインドで採れたアヘンを、当時の清国に売りつけようとして「アヘン戦争」になった。その結果、清国は香港島をイギリスに奪われ、次いでその対岸にある九龍半島もイギリスの植民地として割譲させられた。
このことが、中国人の心の中に屈辱の歴史として刻み込まれ、海洋から攻め込んで来る勢力に敵愾心を持つようになったのだ。その後、1894年から1895年にかけて起きた朝鮮半島の覇権をめぐる日本との「日清戦争」にも敗れ、台湾を日本に割譲した。
中国側の主張に立てば、尖閣諸島も、このとき日本に奪われたもので、第2次世界大戦で敗戦国となった日本は、尖閣諸島が中国領であることを認め、中国に返還すべきだということになる。ともあれ、中国が海洋に目を向け始めたのは19世紀後半であり、本格的に進出を決めたのは1948年に中華人民共和国が成立してからのことだ。
中国が引いた「第一・第二列島線」
中国は開放経済政策によって経済力をつけると、積極的に海洋進出を試みるようになった。日本列島をはじめ、沖縄、台湾、フィリピン、ベトナムに至る諸島群が中国にとって地理的に実に邪魔な存在であり、これを何とか突破したいとの思いが具体化したのが1980年代からだ。
中国人民解放軍海軍(中国の軍は国家の軍ではなく、中国共産党の軍事部門となっており、正式にはこの名称が使われる)は、地図の上に日本列島から台湾、フィリピン、南シナ海に至る線を引いて「第一列島線」としたのである。
さらには日本から小笠原諸島、グアムを結んだ線を「第二列島線」とした。中国海軍はこの2つの線の内側を勢力圏内とし、海洋からの外国勢力を入れないようにする戦略を採ると決めたのだ。
1992年に中国が制定した国内法「領海法」では、一方的に尖閣諸島、南沙諸島、西沙諸島の領有権を主張するだけでなく、東シナ海において大陸棚の自然延長を理由に沖縄近海の海域までの管轄権を主張している。
日本人にとっては、尖閣諸島をめぐる問題は、2012年9月に日本政府が尖閣諸島を国有化してからにわかに始まったように見えているかもしれない。しかし実は、中国の長い歴史の中で、地図を逆に見るようになってからのことなのだ。
中国が、いかに日本を邪魔と思っても、国は互いに引っ越すことはできない。そこで中国は、発想を変えることでそれを解決しようと行動を起こした。
中国を中心に置いた「逆さ地図」を基礎として、あらためて海を見れば、中国は周囲を囲まれているとしても、それらは小さな島々の連なりでしかない。大陸内部で激しい領土争いを繰り返してきた、中国本来のDNAからすれば、島に上陸して自国領にしてしまえばすべて解決すると思ってもおかしくない。
次々と島を占領して自国領とすれば、包囲されていた海も、自由な海となるのだ。中国が内陸でやってきた領土争いの論理を、そのまま海に持ち込んできたのが、東シナ海、南シナ海における中国の行動原理だ。だからこそ、中国は尖閣でも、スプラトリーでも「核心的利益」を声高に叫び、勝手に埋め立て、島を広げ、領土を広げようとするのである。
波紋を呼ぶAIIB、本当の狙い
こうした側面から見ると、中国が主導することでも取りざたされているAIIB(アジアインフラ投資銀行)も極めて重要な意味を持ってくる。
シルクロード「一帯一路」構想の真意も、地図を逆さにすると浮かび上がってくる
習近平政権は、2013年秋に「シルクロード経済ベルト」と「21世紀海洋シルクロード」からなる「一帯一路」構想を打ち出した。さらに2015年1月には「一帯一路建設耕作指導小組」という組織を組み上げ、その具体化に乗り出した。
AIIBもこの構想の枠組みで見ていくと、おのずとその性格が見て取れる。中国はAIIBに500億ドル、シルクロード基金に400億ドルの出資を表明している。AIIBはアジアのインフラ開発に投資することを目的としたものであるから、「一帯一路」構想とも合致する。
シルクロード一帯に港湾、交通網、商業施設などを建設する構想は、中国の企業が恩恵を得るのみでなく、地域の諸国にとっても経済的なメリットがある。しかし、海洋シルクロードでは、その戦略的側面を人民解放軍がリーダーシップをとって推進していることが明らかとなっている。アメリカのアジア回帰の勢いを失わせ、中国が新しいイメージで影響力を勝ち取る助けにしようとしているのだ。
海洋シルクロードの実態は、見かけ上は平和な戦術を取っている。しかし、主たる目的は互恵的協力ではなく、戦略的優位の獲得であると見て間違いない。
雲南省昆明を起点としたシルクロード経済ベルトも、AIIBなどの資金を利用しながら、高速鉄道、自動車道、パイプライン、光ファイバーケーブルを施設して、古(いにしえ)のシルクロードを再活性化する構想である。
その経路として現在3つのルートが想定されている。ひとつが中央アジアから中東を通るルート、もうひとつが中国沿岸から発する海上ルート、さらには雲南から東南アジアに延びるルートだ。
中央アジア、東南アジアともに、自国産業の発展をどう果たしていくかが重要な課題だが、圧倒的な力を持つ中国を前に、経済的イニシアチブを取ることは難しく、中国の勢力下に取り込まれてしまう可能性が極めて大きい。
「逆さ地図」的発想のススメ
このように地図を逆に見ることをはじめ、自在に地図の見方を変えてみると、現在、目の前で起きていることの本質が見えてくる。
グローバリゼーションの時代に、地政学を持ち出して情勢を分析するのは古色蒼然とした考え方であるという見方もあるが、ランドパワー国家・中国の動きは、共産党一党独裁政権の政治体制とも相まって、地政学が生まれた時代である19世紀的国家のビヘイビアに近似している。
地政学的ファクターを用いてアプローチしていけば、一見、複雑そうに見える中国の動向が明確化してくる。中国に限らず、現在、世界で起きているさまざまな国際間の現象を、地政学の視点で見ると、思いがけない事実が見えることがある。
ぜひ、地図を逆さまに見ることで、発想の逆転をしてみてはいかがだろうか(詳しくは5月15日発売の『「逆さ地図」で読み解く世界情勢の本質』(SB新書)でふれているので、ご一読いただければ幸いである)。
Facebook岡本 よりたかさん投稿記事 「龍動」
話題に上らないが、実は岐阜県も酷く揺れた。特に飛騨高山震度5に迫る。震源地の震度7に比べれば大きな震度ではないが。
今回の地震は「飛騨帯」と呼ばれる地層で起きた。飛騨帯は「飛騨変成岩類」「飛騨花崗岩類」という2億年以上前に形成されたジュラ紀の岩盤であり、極めて強固である。
日本はその岩盤の上に位置し、そこが揺れたのだから、揺れが広範囲になるのは致し方ない。
地元の人たちも、歴史を遡ってもこれほど揺れたことがないと言う。調べてみると、飛騨帯の上での地震はM7〜9の規模で20年〜400年の間隔で起きている。つまりランダム。
一番最近のもので、1946年。そこから約80年が経過している。
問題は飛騨帯に沿って流れる太平洋プレートである「糸魚川-静岡構造線」ではなかろうか。
昔から「龍動」が地震を起こすと言われて来た。龍の頭が動いたことにより、太平洋プレートに沿って、「美濃・丹波帯」から「領家帯」を超えて、龍の尻尾となる「四万十帯」。
つまり太平洋側が揺れる。
別に脅かすつもりは殊更ないのだが、警戒はしておきたい話ではある。
ところで、能登には多くの知り合いがいるが、安否の確認ばかりしても迷惑の可能性がある。無事であればそれでよく、助けに行けるのは近隣の人か自衛隊。任せる以外術がない。
For Goodによる支援クラファンも始まったようだ。『能登半島地震 緊急支援 for Good!』
https://for-good.net/project/1000493
それにしても、まさかの2024年の幕開けである。
能登の大地震と、支援物資を運ぼうとする海上保安庁の飛行機と旅客機の事故による航空機炎上。
もし本当に神がいるなら、その理由を問い正したい。こんな試練は必要ないだろう。
いったいこの国はこの先どうなっていくのか。原発なんか稼働させてる場合じゃなかろうに。地震のたびにヒヤヒヤしなきゃいけない。
自民党の裏金問題はどうなった。洒落にならない不祥事だぞ。いや、こうやって政治は長年腐敗して来た。一党独裁の国は自分たちの都合よく法律を作り上げる。
芸能界は性的な腐敗に満ちている。力と権力を得た者が大きな勘違いをしている。人間として最低な行為である。
超過死亡数の激増を無視するのはなぜだろう。人工的なウイルスと間違った対策は意図的ではないのか。それをまだ続けようとする愚か者。
どう心を整理していけば良いのか。
しつこいようだが、「暮らしの自給農」を実現していくことだろうと僕は思う。
水の確保、食べ物の確保はもちろんだが、生きていくために必要なものを手に入れる知恵と知識と地理を手に入れることだ。
この先どのような変革が起ころうが、自らの手で生きていけるという自信を付けることが必要になるだろう。
2025年以降、日本はどう変わっていくのかは分からないが、少なくともこの情勢がいつまでも続くとは思わない方がいい。
僕は、学べる時に学んでおく必要を強く感じる。2024年は、僕も多くのことを学ぼうと思っている。2023年も学んで来たが、それ以上に。
それが安心と自信に繋がっていく。
https://www.youtube.com/watch?v=XGWloa-reVk
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