坂村真民bot@shinminbot
どうか自分独りだと思わないで あなたもまた風に託して やさしい声を送ってください
aribaba@1819aribaba
みんな自分の能力を疑いすぎるのです。自分で自分を疑っていては、最善を尽くすことなんて
できないんです。自分が信じなかったとしたら、誰が信じてくれるのでしょう?
マイケル・ジャクソン
神との対話@kamitonotaiwa_
他者の価値を見抜くためには、まず自分に価値を見いさなければならない。他者を祝福すべき者として見るためには、まず自分を祝福すべき者として見なければいけない。他者の神聖さを認めるためには、まず自分自身が聖なる存在であることを知らなければいけない。
神との対話@kamitonotaiwa_
聞く耳のある者は聞きなさい。わたしは、このことを言っておく。すべての人間関係の決定的な接点において、問題はひとつしかない。「いま、愛なら何をするだろうか?」ほかのどんな疑問も無縁であり、無意味であり、あなたの魂にとって重要ではない。
神との対話@kamitonotaiwa_
金が足りない、時間が足りない、愛が足りない、食べ物が、水が、世界に同情が足りない。良いものはすべて足りない。この「足りない」という集合的な意識がいまのような世界をつくりあげている。
神との対話@kamitonotaiwa_
人間関係では、それぞれが他者について心をわずらわせるのではなく、ただただ自分について心をくだくべきだ。
ケン ウィルバーbot@KenWilber_botJP
聞くことができる音は、今、聞くことができるだけである。あなたは、過去や未来を聞くことはできない。
FacebookNakako Yamamotoさん投稿記事
「人生は見ている方向に進む」の巻
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宇宙はいたってシンプルにできている。愛を放てば愛が還る。山びこのような反響だ。山びこは次第に小さくなるが、宇宙のこだまはそのまま還ってくるのでよりシンプルだ。「引き寄せの法則」「愛の法則」「開運の法則」と法則仕立てにしたがるのは人間の脳だ、宇宙はそんなことにおかまいなく今日もシンプルにただ在るのである・・・。
この宇宙のシンプルさで、私が一番現実生活で役立つと思っているのが
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人生は見ている方向に進む
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である。そう考えると、「明日はどうなるのかなあ」、「今年はどうなるのかしら」、「日本は、地球はどうなってしまうのか」というのは、車のドライバーとしては不思議な発想だと感じる。ハンドルを握っているのに「私の車はどこ行くのかしら?」と言っているのだ。世の中にそんなドライバーがいっぱいいることを思うとかなりのワンダーランド具合である。
まあ、そんなことを思っていたときなので、先日酔った勢いでこれを言ってしまった。「今年はどうなることやら…」と友人が言ったのでつい…。
「そんな意識じゃ、車は蜃気楼の中に突き進むだけじゃー!」(私)
「じゃぁ、そのなんとかいう理論を実践してみせてくださいよぉ!」(友人)
友人も酔っていてからんできた。
「お見せしましょうとも!」(私)
「早いとこお願いしますよ!」(友人)
…ということで早いとこ実践してお見せしなくてはならなくなった。でも、考えてみると、すべての人はすでに「実践して見せている」のである。自分の見ている方向を…。それが、今の自分の現実である。
月夜の帰り道、夜空を見上げながら、「ねぇ(そうでしょ)😉」と言ってみた。宇宙はシンプルに微笑を返してくれるのであった。
Have a wonderful day💕
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この日記の最初に頃に書いたものですが、今朝のあさぼらけのコンタクトタイムに、ガイドさんが「では人生とは?」と。「人生とはあなたの思考です」、そそくさと答えもくれた。「そうかあ、思考だから自由自在、変幻自在、私次第なのね…」、そこからは自分で考えてくださいのようだ😉
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「中ちゃんおばさんのセルフコンタクト人日記」より
Facebook自分の神話の歩き方~天に使ってもらう人生にする。投稿記事·
『あなたを突き動かすものは何か。』
突き動かされる時がある。肚のそこから湧き上がる何かに。目に見えない、とらえどころのない何かに。取り憑かれたかのように、動かされる時がある。
人にどう思われるかとか、それをしたらどうなれるとか、それは自分の主義に反するとか、そんなのかっこ悪いとか、常識的にありえないとか、なりたい自分だとか、うまくいくだろうかとか、そういうちっぽけな思いが、ぜーんぶどっかにふっとんで、大きな大きな・・・
「エネルギー」としかいいようのない何かに動かされる時がある。
その大きなエネルギーこそが、見えざる神の手、聞こえざる神の声であり、あなたが突き動かされる時こそが、神の手があなたを動かし、神の声があなたを導く時だ。
それは、一切のエゴを手放している時。無垢なあなた、無為自然な本当のあなたである時。
そしてそれは、あなたが授かった本来の個性や、喜怒哀楽のエネルギーが純粋に躍動する時。
それがすなわち「天に使われている」瞬間。
純粋な喜怒哀楽の表現はどれも、自我を超えた聖なる場所に咲く、とてつもない強大な愛の花だ。
神の愛と似て非なるのはエゴのパワー。あの人を見返してやりたいとか、一発当ててやろうとか、人より素敵な暮らしがしたいとか、多くの人から賞賛されたい誰かにほめてもらいたい、
うまくとりつくろおう、はみ出さないように、嫌われないように・・・とかとかとか・・・
そういう邪(よこしま)な気持ち、恐れ、不純な動機、優越感、そして卑屈さ・・・
そんなエゴがあるのが人間。
それが生きている証拠でもあり、だからこそ前に進める時だってある。
けれど、エゴの道のさいはてには神の手は伸びない。
そのうつろな空洞には、神の声は響かない。だからこそ、自分を諦めて、明け渡して、突き動かされるように生きていこう。
エゴにまみれた、弱い自分をちゃんと認めてあげた上で、そこに執着せずに、拘泥せずに、そして言い訳せずに、そこを乗り越えて、自我に打ち克って、今ここにただあるだけの、純粋な自分を生きよう。
ただただ目の前を地道にこつこつ大切に、ひたむきに、そしておおらかに楽しんで生きるのみ。そうやっているうちに、ある時、そんな自分が自分を突き動かしていることに気づく。
そう、あなたを突き動かす見えざる神の手も、聞こえざる神の声も、その持ち主は、その正体は、いまここにある、本来の自分なのだから!全文はこちら▼
https://ameblo.jp/soullifelabserendip/entry-12343207411.html
天から与えられた使命を生きる
坂村真民bot@shinminbot
サラリと流れてゆかん 川のごとく サラリと忘れてゆかん 風のごとく サラリと生きてゆかん 雲のごとく
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