俳句をやる意義

https://ameblo.jp/197001301co/entry-12433456667.html 【俳句をやる意義①創作意欲・表現意欲の具現化】より

 菅原鬨也前主宰が「滝」創刊当時「俳句をやる意義」として掲げた五つの項目。

一「創作意欲・表現意欲の具現化」

二「自己肯定感の育成」

三「世界観・人生観の確立」

四「自己の再発見」

五「表現者としての誇りの醸成」

についてこの連載の始めに順を追って考えて行きたいと思います。

 初回はひとつめの「創作意欲・表現意欲の具現化」について。

人間はこの世に生まれ落ちた瞬間から、人間としての生を生きることになります。

人間が動物と大きく違う点は「文化を生み出す」というところにあるのだと思います。

小さな子供はよく自分のオリジナルの歌をうたい、即興でダンスをしたりして大人を楽しませます。

クレヨンを握って懸命に絵を描いたり、泥でなにかをこしらえたりする。それは小さな自己表現のあらわれとも言えますが、大人になり日々の暮らしに忙殺されていく中でどんどんそういった自由な表現を奪われていくのが現代人の宿命であると言えるのではないでしょうか。

人間には生理的欲求(食欲、睡眠、性など)、安全欲求(危険、脅威からの回避)、所属と愛の欲求(集団への帰属、友情や愛情)、自尊欲求(人から認められたい)、自己実現欲求(限りなき成長)の五つの基本的な欲求があるとしたマズローの論理をご存知の方も多いと思います。

俳句をやるということは、

この自尊欲求、自己実現欲求を存分に満たすことであり、

また現代社会で奪われた自由な自己表現の機会を取り戻す行為でもあり、

ご自身ひとりひとりが文化的な存在であると認識できるごく簡単な方法のひとつ、と言い換えることもできるように思います。

人間ひとりひとりには平等に一日二十四時間という時間が与えられています。

その中で仕事や雑事を終え眠る前に一枚の良い絵が見られた、

一曲良い曲が聴けた、

それだけでほんの少し幸せになれる。

人間はそんな生き物なのではないでしょうか。

もしそれが会心の一句を賜る、という瞬間であったら…。

その日は「創作意欲・表現意欲」の存分に満たされた真の意味で充実した一日になるのではないか、そんな風に思うのです。

(「滝」平成29年5月号)

https://ameblo.jp/197001301co/entry-12433459617.html 【俳句をやる意義②自己肯定感の育成】より

「俳句をやる意義」として鬨也前主宰が掲げた二つ目の項目「自己肯定感の育成」について今回は触れたいと思います。

「一句を成したという充足感を積み重ねていくことは、いい意味での自己肯定感につながり、人間形成にも大いに役立つ」

というこのことばをかみしめる時、私はこの文章の書かれた平成四年前後の事を自ずと思い出し、少々胸が苦しくなります。

若い頃は比較的元気だった父が、少しずつ身心のバランスを崩し始め、職場で倒れて入院を余儀なくされてしまったのは、平成二年の頃、私がちょうど二十歳の成人式を迎えた頃でした。

成人式当日、ひととおりの着付けの業務が終わり、閑散とする昼間の美容院に私はいました。

そこで自分で選んだレンタル衣装の青色の晴れ着を着付けてもらい、きりきりと結い上げられた日本髪の窮屈さを頭皮に感じながら、小雪のちらつく中、向かった先は成人式の会場ではなく父の入院先の病院でした。

病院の朝の時間は朝食、回診、場合によっては入浴と比較的バタバタしがちであると聞いてたので、ゆっくり面会の出来る午後の時間を選んで父に会いに行ったのです。

大部屋で他の患者さんもおられる中、着物姿で病室に入ってゆくのには少々戸惑いもありました。

私の姿に気づいた父は嬉しそうというより寂しそうなまなざしでこちらを見ました。

同室の方々を気遣ってか父は私を病院一階の喫茶室に誘いました。喫茶室へ向かうエレベーターの中でも父は無言でした。

「一子、プリン食え。あ、プリン・アラドーモふたつね」

父の言い間違えに私は吹き出し、父もこの時やっと笑顔で着物姿を眺めてくれたのですが、話をしている間中も、やはり父の目はどこか寂し気でした。

働き盛りの年齢で、病院というある意味、社会から隔絶された場所で娘の成人した姿を見るのは、やはりやりきれない思いがあったのだと思います。

この時の成人の日を詠んだ句が一句だけ残されています。

恍と病む成人の日の父たるに   鬨也 

病院の喫茶室で向かい合いながら、私と父はごくとりとめのない話をしていたのですが、私は父の目の奥にある「寂しさ」だけでは表現しきれない「何か」を感じとっていました。

それはまさしく「恍と」しか表現しえないような、目の前の着物姿の私に視線はありつつ、心はどこか別の所にある、そんな状態の様な気がしました。

なぜ父がこういった状況にあるのか、何が父をそうさせるのか、考えても二十歳になったばかりの私には到底わかるはずもなく、父の精一杯のお祝いの気持ちであっただろうプリン・アラモードの、季節外れのメロンのひときれの冷たさばかりが悲しく脳内を覚醒させるのでした。

この句の収録された句集『飛沫』には

叫びたし飛雪荒涼たる川に

の激しい感情を吐露した作品が同じページに並んでいます。

ほぼ制作年代順に編集された『飛沫』はこの入院の時期を境に少しずつ作風の拡がりゆく様が見てとれます。

青春の淡い感傷、瑞々しさ、権力に代表される「力」への抵抗、一方で絶対的なものへの微かな憧れ、美しき脆さ儚さ、それらを含有した第一句集『祭前』のいわゆる「前期」の作品

大男斑雪の村に現れし

きそひ咲く谷の紅梅馬病めり

石臼に飼われゐる蟹いなびかり

等の作風を踏襲しつつも、

酢海鼠を嚙みて奈落を宜へり

いちにちの終の水脈見ゆ白絣

涙ぐむ枯蟷螂と憶ひけり

とはやくも晩年を意識したと思われる趣の作品等も登場します。『飛沫』の最終ページ付近には

豹変の寸前の眼や大焚火

といった、自らの内なる変革を予感させる句も登場します。

この入院の時、父は五十歳。角川俳句賞を四十三歳で受賞して七年。

ちょうど私自身も今、この時の父とおよそ同年代にあたり、年代特有の感慨のようなものが少しだけわかる気がします。

仕事も子育ても俳句もひたすらにやってきた。けれど自分は今、病院という場所にいる。

症状が重く、入院が長引くほど自分に自信がなくなり、自分を否定したい気持ちにもかられる。

そんな中、俳句を詠むということは一見無駄ともいえるほんの小さな行動であり、傍から見れば全く無意味なものであるように思われるでしょう。

恍と病む成人の日の父たるに  

自分自身も「恍」としか表現できない状態、その中で俳句を詠む、という行為はともすれば、自分の足元を大きな力で掬おうとする何ものか(­それは「恐怖」と言い換えられるかもしれない­)に対する些細ではあるがそれは大きな抵抗であったといえるかもしれません。

さらに期せずして、その一句を詠む、という事の積み重ねがやがて「自己受容」を生み「自己肯定感」に繋がる、という真理にごく短期間で到達することになったのです。

誰にとっても「自分に自信がない」という事は本当にこたえることだと思います。

一句一句は人様のお役に立てるものではないけれど、その積み重ねが自分の「自信」を生み出し、その「自信」が「他者」を「受容」できる人間的大きさを生む、と考えると「俳句をやる」という「些細な行為」の「大きな可能性」を思わずにはいられません。

病気、入院、は父にとっても家族にとってもマイナスの出来事でしたが、ここでの菅原鬨也前主宰の小さくて大きな「気づき」がのちのち「滝」の発展に繋がったとすればそれは大きな収穫であったといえることでしょう。

https://ameblo.jp/197001301co/entry-12433462288.html 【俳句をやる意義③世界観・人生観の確立】より

俳句をやる意義として鬨也前主宰が掲げた「世界観・人生観の確立」という三番目の項目について今回は触れたいと思います。

この文言は「滝」という結社を紹介する際、「俳句年鑑」を始め様々な所に掲載していますので、会員の皆さんもおなじみかと思います。

「自然をはじめとして、人の生きかたなど森羅万象との接触を深めることによって、やがては、その森羅万象に畏敬と感謝の気持ちが強まってゆく」

その結果として「世界観、人生観の確立」を目指す、

というこの言葉は、まさしく前主宰の生きた軌跡そのものであったと思われます。

亡くなる約一年半前、「童子」の辻桃子先生、安倍元気先生を迎えての「虚子座談会」の席で鬨也主宰、桃子先生の会話の中でこのようなことが語られていました。

「〝ナショナルジオグラフィック〟(National Geographic。ナショナルジオグラフィック協会製作のドキュメンタリー番組)なんてあるでしょう?」「あれは、〝人間の目から自然を見ている〟という世界だよね」

「〝人間対自然〟という視点」

「〝ネイチャー〟という概念だよね」

「我々(俳人)はそうじゃなくて、人間もその自然の一部、ひいては自分たちが自然を見ているんじゃなく、〝自然から見られている〟という意識が大切なんだね」…。

この会話中の「自然を見ているのではなく、自然から見られている」という概念は、鬨也前主宰の掲げた「世界観・人生観の確立」のひとつの到達点として受け止めて良いのではないか、と思うのです。

「我々が自然を見ているのではなく、自然から我々は見られている」。

忙しい現代生活においてはこのような認識に立ち返るのは、相当意識しないと難しい事かもしれません。

鬨也前主宰は実に様々な事に興味、関心があり、読書もさることながら、まめにテレビのドキュメンタリー番組もチェックしていました。

ちょっと思い出した出来事があります。

昭和五十年頃、「すばらしい世界旅行」という番組があったのを覚えていますか。

私は父と毎週この番組を興味深く観ていました。アマゾンの原住民の方々を取材した最後の回でした。

「彼らが一日も早くこの野蛮な生活を捨て、我々現代人に溶け込んでくれる事を願ってやまない」

ラストはこんなナレーションで締めくくられたように思います。

四十年も前の事ですから、まだこのような認識もあったのでしょう。しかし父である鬨也主宰は言うのです。

「〝ブンメイ〟と〝ブンカ〟は違うんだど、一子」。

 「文明」と「文化」は違う。

その事をまだ六歳の私にとうとうと説くのです。

銛や槍で獲物を追う生活が自分たちより低いというのは間違いだ。

いくら色んなものをたくさん持っていたって、この人たちより自分が勝っているというのは違う。

小鳥と一緒に歌うことと、歌手がマイク持って歌うことに実は優劣はない。

アマゾンの人たちが自分たちより劣っている、という考えこそ劣っているのだ、という内容を真剣に語るのです。

まだ幼かった私は、あまりの父の勢いになんだか自分が叱られているようで、苦しくなったのを覚えています。亡くなる一年半前に何気なく語られた「自然に見られている」という言葉から、四十年前の「ブンメイとブンカの違い」を説くあの父の真剣なまなざしが思いがけず蘇ってきました。

生涯を通して、自然、というものに畏敬の念を抱いていた、そうありたいと願った父の、私にとって心に残るエピソードのひとつです

https://ameblo.jp/197001301co/entry-12433463219.html 【俳句をやる意義④自己再発見】より

菅原鬨也前主宰が「俳句をやる意義」として四番目に掲げた「自己再発見」という項目に関して今回は触れたいと思います。

〈俳句を作ろうとこちらの心がはたらけば、それまで見ていた空、花、鳥のすべての様相が違って見え、自分でも意識しなかった自分の「ものの見方」を知ることとなる。それはとりもなおさず「自己再発見」というべきものであり、「自分とは何ものか」という人生の大きな問いへの答えに一歩近づくことになるのだ〉

というこの見解は俳句にかかわる人々に大きな希望をもたせるものであるように思います。

〈今日はどんな俳句を詠もう、どんな出会いがあるだろうという希望のもとに目覚める朝はどんなに充実していることか〉

―胸に響く言葉です。

かつてヘレン・ケラーはサリバン先生との出会いによって「すべてのものには名前がある」という事を知りました。

散歩の途中にサリバン先生が井戸の水をヘレンの手に注ぎながら「water」と指文字で何度もヘレンの手に書いたことで、彼女は「物」と「言葉」を脳内で結びつけることができ、その日だけで三十もの単語を覚えたといいます。二歳から五年間、暗闇の世界にいたヘレンに光の差し込んだ記念すべき一日です。

「言葉の存在を最初に悟った日の夜。私は嬉しくて嬉しくて、ベッドの中で、この時初めて〝早く明日になればいい〟と思いました」

この日のヘレンの言葉と、この鬨也前主宰の一文はかすかにリンクしているようにも思います。

散歩の途中にサリバン先生から、手に水を注いでもらって「water」という単語を理解したヘレン・ケラー。

私たちが「歳時記」を手にし、今まで目にした事柄に「名称」があって、それがなおかつ「季語」だと知った時のよろこびは、このヘレンの感動に近いものがあると言ったら大げさでしょうか。

学校の周りにいたプンプン鬱陶しい小さな虫のかたまりは「まくなぎ」、

古家の納屋の片隅の謎の小さいツブツブは「優曇華」、

花見の後なんとなく気だるくなるのは「花疲れ」、

春のはじめに空気が鋭利にきらきら感じるのは「風光る」、

冬の不安感を倍増させるようなひゅうひゅうと竹垣に吹き付ける風は「虎落笛」…

それらの季語を知った時、なんとなく「憑きものが落ちた」ようなすっきりした心持になったことが忘れられません。

今でこそ、春の山を見れば「山笑ふ」、

夏秋冬の山を見ればそれぞれ「山滴る」「山粧ふ」「山眠る」と言葉を脳内で自由に変換させられるようになった自分がいますが、

これらの言葉をもし知らなかったら、身心の充実度が明らかに違っていたように思います。

四季、自然、森羅万象との出会い、めぐり逢い、感動をうまく言葉にのせられた時のよろこび。

一句を「賜った」と感じる時のよろこび。

それはまさしく自分がこの生きている世界、そして宇宙全体と「言葉」を通して交感できた証であり、そんな時俳句を詠む人たちは、自分が俳句という詩型に巡り合えた幸福を思いがけず感じるのだと思います。

そして自らが用いた「言葉」によって人はまた、それまで知り得なかった「自己」を「再発見」することにもなるのでしょう。


Facebook清水 友邦さん投稿記事

1950年代にマズローは下位の欲求である生理的欲求がある程度満たされるにしたがい、上の欲求に向かうとされる有名な階層欲求論を発表しました。

・ 生理的欲求……呼吸・水・食物・睡眠など生きるのに最低必要な欲求

・ 安全欲求……依存・保護・安全への欲求

・ 帰属欲求……家族、企業、組織、団体への所属を求める欲求、自分が愛され認められたい
       欲求

・自己評価欲求……他人、社会に評価されることへの欲求

・ 自己実現……自分がなりたいのものへの欲求

・自己超越……自分自身を超えたいという欲求

基本的欲求がなんであるか、きがつかないと代理欲求が次々と発生して、いつまでもその代理欲求が出続けます。

いくら食べても食べても満足できなくて、病的に肥満してしまう人とか、数えきれないほど趣味の雑貨を集めても、決して満足できなかったりします。

基本的欲求が満たされないと、自分に自信が持てなかったり、人に認められることにこだわったり、愛することより愛されることを求めたり、その後の人生で問題が生じてしまいます。

幼児のときに必要な欲求が満たされないと、体は立派な大人なのに中身は成長がストップしたままの人が多いのです。

本当の欲求が満たされないかぎり、物質的な代理欲求の行動をいくらとっても本当の満足が得られません。

心が成長しないと、無駄な消費を繰り返し環境を破壊し、感情が制御不能な暴力となって吹き荒れます。

人類の意識の発達段階のターニングポイントが起きたのが、1960年代です。

1960年代は外側の革命と内面の革命が世界で同時多発的に起きた時代でした。

社会変革を求める公民権運動、ベトナム反戦運動などの反体制的な政治運動とともに対抗文化(カウンターカルチャー)ヒッピー運動(フラワームーブメント)はアメリカ人の価値観とライフスタイルの転換を生み出しました。

それまで外側の地位や名誉や経済的な成功にあったアメリカ人の価値観が内面の自己実現、自己成就とする主観的なものに移っていったのです。

物質的なものから精神的な新しいライフスタイルをおくる人々が増え始めたのです。

80年代にアメリカで、膨大な費用をかけて大規模な消費者調査が行われました。

その結果新しいライフスタイル分析の手法として、スタンフォード研究所のアーノルド・ミッチェルによってVALS類型論が著わされました。

「パラダイム・シフト」TBSブリタニカ

それによると、VALS類型論の最初の3段階の生存型、維持型、所属型は、マズローの生理的欲求、安全欲求、 帰属欲求にほぼ対応しています。

「必要に駆られた人々」

生活物質が非常に限られていて、選択する余地がなく、必要に駆られた人生を送ります。

生存、安全、保障、世俗的な因襲に関心があり、それ以外の出来事には関心が薄いのです。

その場しのぎで無計画になりやすく、人生や社会全体に対する成熟した見通しをほとんど持っていません。目先のことに駆られた人生を送ります。

生活が厳しく、あきらめの気持ちで貧困に喘いでいる「生存型」とある程度生活を維持しながらも自分たちを抑圧している体制に怒りや不信もっている「維持型」があります。

VALS類型論ではその後の展開は外部指向型と内部指向型の二重構造になっています。

VALS類型論の外部指向型には「競争型」と「達成者型」があります。

「所属型」は自分の所属する企業、宗教、団体、組織に順応して決められた規則に固執します。必要に駆られた人々よりも満足した人生を送ります。大多数の目立たない所属型の人々によって社会が構成されています。

「競争型」は野心があり成功を求めて強い競争心を持っています。目標は「金持ちになる。」「一流の運動選手になる。」「肉体の快楽の追求」など名誉、社会的地位、財産を求めます。いい車、いい家、高価な宝石、一流ブランドの衣服を身につけ目立つことを好みます。そのため他人と競争して昇進と成功、金と権力、名声を求めようとします。しかし、競争は勝者と敗者を生むため、強い葛藤や欲求不満、ストレスにさらされます。

 「達成者型」は競争に勝った数少ない人々のことです。いわゆる成功した人々です。成功したので自信があり、達成した当初は社会的地位に満足しています。そしてその生活を継続すること望みます。その状態に飽き足らなくなると、この状態を超越して統合型にいきます。

アメリカ人の69パーセントはこの外部指向型だといわれています。貧困や豊かさもたらす目に見える経済的成功や物質的なものに価値を置いています。

内部指向型には「わたしはわたし型」と「体験型」と「社会意識型」があります。

  60年代から伝統的な家族の崩壊が進みアメリカの社会が大きく変化していきました。マズローのモデルでよくあるパターンは長年、一生懸命働いて昇進して社会的に成功した会社の管理職のような人が晩年、真理を好み、宗教的になり、社会貢献をするようになって自己実現にたどり着くことですが、そんなマズローの欲求の階層をとばして突然20代の若者が自己実現の道を歩み始めたのです。

60年代のネパールでは髪をのばし社会からドロップアウトして内側からチベット密教に入り込む若者がいました。その当時ネパールに滞在して「チベットの死者の書」を訳した川崎博士は専門学者よりもチベット密教に通じた薄汚いよれよれの若者を見て、「ヒッピー恐るべし」と言いました。かれらは従来の社会の価値に左右されず、自らの道を歩もうとした人々でした。

VALS類型論の内部指向型には「わたしはわたし型」と「体験型」と「社会意識型」があります。

「わたしはわたし型」

 社会の価値観や常識よりも自分の価値観を優先させます。激しいロックやけばけばしい服装を好んだりします。外部指向型の両親に反発します。仕事も気に入らないとすぐ止めてしまいます。どこかに帰属することをいやがります。若く自己中心的でフリーターに多い。他人との違いをもとめ飽きっぽい。オカルト、神秘主義に関心を持つ者もいます。「わたしはわたし型」は経済的に短期間しか続かないので20代にわりあいと多いのです。

「体験型」

 「わたしはわたし型」が成熟すれば自分の内面に向って自分自身を体験する方向へ向います。家族生活を大切にしたジョンレノンのようにパンを焼いたり料理を作る事に喜びをおぼえたりします。有機農業の体験、サーフィン、山登り、サイクリングやスピリチュアルなワークショップなど体験的な方向に走ります。瞑想を実践してある程度トラウマを解消して至高体験をしている人たちです。

世界中を旅して精神世界を体験したあげく結婚して今は菜食料理を調理する事に大変な快感をおぼえて喜んで主夫業にいそしむ人もいます。

社会意識型

私のまわりには瞑想、ヨガ、セラピー、ボディワーク、自然菜食、オーガニック、有機農業、ディープ・エコロジー、脱原発や環境問題に関心を持っている人が多いです。

VALS類型論の「わたしはわたし型」から「体験型」を経た人々が増えてきています。

社会意識型は意識が自他を超えて社会全体、地球、宇宙まで広がった経験を持っています。

自分自身を体験して来くると、隠遁しても社会と無関係に生きていく事はできないことに気づきます。そんな人は自己感覚が自己を超えて社会まで拡大しているので責任感が強くなり社会活動に積極的になります。

環境に関心を持ち治癒に繋がる仕事を好み、自己を信頼し簡素な人生を生きようとします。 上意下達のピラミッド型組織に疑問をもち社会変革を進めようとしています。

ここで注意が必要なのは社会活動や市民運動のひとの中にはイデオロギーだけの人もいます。体験型を経ていない頭だけなので内面に心理的な防衛や抑圧があります。内側に強い緊張がありリラックスしていません。強い葛藤を抱えている人は「社会意識型」ではありません。自分のシャドー(影)に無自覚なので、抑圧された影を投影して外側に敵を作ります。そして影は全能感を得ようと他に対して攻撃的になり相手を支配しようしたり、やり込めようと力を誇示するのです。

最後は内部指向型と外部指向型のどちらの道も成熟した「統合型」へ向かいます。

統合型は意識が成熟していて、内面の衝動を自覚することができます。

外部指向と内部指向が統合されているので、物事を多面的に見る事が出来ます。

他人の考え方に寛容さがあります。

自分が何をすれば良いのかわかっているので、必要とあらばリーダーにもサブにも回れる柔軟さがあります。

この世界が関係性の織物で出来ていることを知っているので、高次の判断と決断ができます。

統合型の人々はまだ数が少ないですが、統合型の人間が増え社会が成熟すれば法律、政府、裁判所、警察、軍隊は必要がなくなり、国境線は消えるでしょう。

結局、一人、一人、個人の意識が成熟していくしか道はないのでしょう。

それまで人類が生存できる環境を願います。

清水友邦著「覚醒の真実」より

Facebook野口 嘉則さん投稿記事

心を満たすには順番があった! 【人生の満足度を確実に上げる方法】

https://www.youtube.com/watch?v=4G7scZs13n8

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000