総集編】世界八大文明の中で明らかに異質!独自で高度すぎる「日本文明」の真実とは【衝撃】
世界文明の中で日本だけがおかしい!
唯一の「日本文明」はどうのように生まれたのか?
00:00~ 世界八大文明の中で日本文明だけが異常!?完全に孤立した独自性とは!?
24:00~ 英BBCが報じた日本語の凄さ!奥ゆかしい日本語のルーツは古代文化にあった!?
53:20~ 古代から続く日本人の文化昇華術がスゴすぎた
1:23:25~ 【ものづくり大国の起源】古代日本が世界的にも技術先進国だった件
1:49:04~ 【世界最古】3万8000年前から存在していた日本文明の謎と真実がヤバい
2:13:47~ 【四大文明を超えた?】縄文時代の日本の文化レベルが異常すぎる
2:37:40~ 世界古代文明の起源は縄文人!?各地に残る古代日本人の痕跡がヤバい
3:06:23~ 【閲覧注意】教科書には載っていない古代日本からのトイレの歴史がヤバい
https://scienceportal.jst.go.jp/explore/highlight/20100103_01/ 【「日本文明」はあり得るか(村上陽一郎 氏 / 東京理科大学大学院 教授、東京大学 名誉教授)】より
村上陽一郎 氏 / 東京理科大学大学院 教授、東京大学 名誉教授
公開シンポジウム「科学技術と知の精神文化-新しい科学技術文明の構築に向けて」(2009年12月11日、日本学術会議など主催)特別講演から
東京理科大学大学院 教授、東京大学 名誉教授 村上陽一郎 氏
村上陽一郎 氏
メソポタミア文明やエジプト文明、古代中国文明という言葉があるが、ミャンマー文明とか日本文明というのは通常、国際的には使われない。それが日本文化の特性とどこか通底するところがあるのではないかというのが私の基本的な仮説だ。
農耕社会であれば文化と呼んでいい。今はさらに拡張されて狩猟文化、場合によっては狩猟採集文化のようにも文化という言葉が十分使える。しかし、文明と呼ばれるには文化に何かプラスアルファがなければならないのではないか。そのプラスアルファが工業化や民主化のようなヨーロッパ近代の社会組織であるとすれば、古代エジプト文明も古代ローマ文明も古代中国文明もメソポタミア文明も文明とは呼べないはずだ。18世紀に英語でcivilizationという言葉ができたとき、ローマ文明とか中国文明とかと言えたのはなぜだったのか。
civilizeという動詞つまり市民化するとか、都市化するというのは、明らかにヨーロッパ近代社会のイデオロギーを背景にした概念だと考えている。では、市民化の「化」、都市化の「化」、化けさせる対象になるものは一体何なのかというと、これは実は自然だったと理解することができる。自然というのは、ヨーロッパの伝統的な社会の中では明らかに神のつくった世界だから、最終的には神の手によって管理され、支配されている。だとすれば、それを人間の手で勝手に変えるというのは何事なのか。それは、やはり18世紀に文明、civilizationという言葉ができたことと密接に関係していると思う。まさに神の手によって行われてきたものを一つ一つすべて人間の手によって置きかえるという大実験をやったのが18世紀のヨーロッパの啓蒙主義の時代だったと考えてよいのではないか。
では、人間の手で都市化されたり市民化されたりするべき自然というのはどういうものかと言うと、2つあると考えられる。1つは、通常の意味での自然、しかも、人間の手をかけられていないようなワイルドな自然だ。こうした自然は悪だという価値観が文明という概念に伴って生まれてきたのではないか。フランス人の友人に言われ初めて気がついたのだが、フランス語の「自然な」という形容詞「naturel」は常に「野蛮な」(sauvage)という形容詞とほとんど同義的に使われている。つまり「自然な」ということは「野蛮な」という対象を見下ろしている言葉と同じである。
要するに、自然であることは野蛮であることに等しいという考え方が一方にあって、ヨーロッパはすべて自然が人間の手によって見事に整えられた形になっていく。既に中世に自然林は一度なくなっているが、例えばドイツ語圏のシュヴァルツヴァルトと呼ばれる森のような人工林に、あるいはルイ王朝の庭園などのように。
もう1つの自然というのは、実は人間の中に取り残された自然、普通は生物学的な本能といわれたりする食欲、性欲、殺りく欲、睡眠欲などだ。哺乳動物でも性行為が成立するのは、メスの側にきちんとしたシーズンが訪れているときだけであって、それ以外のときはいわば抑制されている。しかし、人間の場合はそういうわけにいかない。チンパンジーやその他ある種の昆虫たちも、時々同種間殺りくをやるが人間ほど大規模にそれをやる生物はほかに見当たらない。人間のこうした第2の自然をとにかく何らかの形で、人間的な手段でコントロールしなければならないというのが人間の宿命になった。特に、いわゆる文明の時代というのは、これらを人間の理性と悟性によって、あるいは感性によって周到に管理すべきである。それが管理されていないのは文明化されていない野蛮人である、という理解が広がっていく。
こうした人間を矯正する、教化するということの広がりとして、自分たちのような人間管理体制を備えていない他文化、例えば典型的にいえば非文明的な人たちは文明化されなければならない。自分たちと同じような管理体制の中に入らならなければならない、という他文化に対する矯正、あるいは教化というような攻撃性を持つものが文明という言葉にふさわしいのではないか。かつ、それを実行できる社会制度、例えば軍隊・教育制度などを備えた文化こそ文明という名で呼ぶべきではないのだろうか、というのが私の仮説である。つまり、2つの攻撃性を備えているものが文明と呼ばれると考えてみてはどうかということだ。
さて、そこで日本文化は文明なのかという問いを立ててみる。日本文化の中に2つの攻撃性は備えられているのだろうか。日本の長い歴史を振り返ると、どちらもそういうことを非常に徹底的にやったという形跡はどうも見当たらない。恐らく秀吉の時代か、さもなければ太平洋戦争の一時期ということになるのではなかろうか。
和魂洋才という言葉がある。和魂洋才とか和魂漢才というのは、自分の核になるものを売り渡したわけではないという言い訳の言葉であって、実をいうとある程度は売り渡している。これが日本が西欧の科学技術文明を受けとめて、ヨーロッパ文化の中になかった国々としてはただ1つだけ非常に科学技術文明を受け入れることのできた国となっていることの1つの根拠になっているのではないか。
一体、日本文化は文明になり得るのだろうか。日本の製品が世界に広がっていくのは、やや文明的振る舞いであるかのように見えるが、その広がり方をみると、それは利便性だとか、低廉性だとか、安全性だとかといった、1つの文化が持っている決定的な核になるような価値観である何物かではなく、徹底さにおいては比較的表面的な価値観であるように思われる。
そうだとすれば、なお国際社会の中で日本文化が果たす役割があるとすれば何か。日本文化のもつ非文明性を前提にし、文明的文化の持っている負の効果を薄めながら、文明の恩恵をできるだけ広げていくことができることではないだろうか。国際的な社会の中で何がわれわれの貢献できることなのか、という問いを常に自己に問いかけながら。
そういう役割が日本文化に託されているのではないだろうか。
東京理科大学大学院 教授、東京大学 名誉教授 村上陽一郎 氏
村上陽一郎 氏
(むらかみ よういちろう)
村上陽一郎(むらかみ よういちろう)氏のプロフィール
1936年東京生まれ、62年東京大学教養学部教養学科(科学史科学哲学分科)卒業、68年東京大学大学院人文科学研究科比較文学・比較文化専攻博士課程単位取得満期退学、71年上智大学理工学部助教授、73年東京大学教養学部助教授、86年東京大学教養学部教授、93年東京大学先端科学技術研究センター長、95年国際基督教大学教授、2005年東京大学科学技術インタープリター養成プログラム特任教授、08年国際基督教大学客員教授、09年から現職。社会技術研究開発センター研究開発領域「科学技術と人間」領域総括。専門は科学史、科学哲学、科学技術社会学。「歴史としての科学」、「文化としての科学/技術」など著書多数。
五島神楽
「五島神楽」に神圖舞には、「峰は八つ門は九つ戸は一つ我が行く先はあららぎが里あららぎが里」という件があり、旧事本紀の天隠山と関係がありそう。
「高千穂岩戸神樂」昭和13年高千穂岩戸神樂保存會編
http://www.komisen.net>...
神樂の紀元抑々高千穂の岩戸神樂は、遠津神代に天照皇大神の天ノ窟戸に神隠まし ... だすものぞかぐつちの神一、谷が八つ峰が九つ戸が一つ 鬼の住家はあららぎの里一
https://omouhana.com/2023/05/25/%E5%87%BA%E9%9B%B2
【古事記・日本書紀ではもう満足できないあなたへ 〜富王家伝承考察への誘い】
https://stone-c.net/log/3521 【須田郡司~聖なる石への旅「五島列島のドルメン・王位石(おえいし)」(長崎県小値賀町)】より
「五島列島の小島に巨大ドルメンがあり、そのドルメンは沖ノ神島神社のご神体である」
そんな話を巨石仲間から聞いて、私は長崎へと向かった。
その島は「野崎島」と呼ばれ、五島列島の東北端にある小値賀島の東方対岸にあった。佐世保港からフェリーに乗り3時間半で小値賀島へ、そこから野崎島行きの町営の小船に乗り換えると10分ほどで目の前に野崎島が現れた。島の中腹に何やら巨石らしき物体が見える(写真1)。まるでロケットのような形をした大きな石柱である。船は、40分ほどで野崎港に到着した。
寛政の時代(1789-1801年)に大村藩領のキリシタンが五島列島へ移住していった。その中に、野崎島に移住した家族が17世帯あり、それがこの地でのカトリック信仰の始まりだ。島民は最盛期には約650人いたが、高度経済成長期になると減少し、1971年に残っていたカトリック信徒6世帯31人が島を去り、2001年以降は無人島となった。
島の中心部に残る旧野首教会は、平成元年(1989)に長崎県指定有形文化財に指定され、ユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストへ掲載が決まった「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を構成する教会の1つでもある(写真2)。教会近くの廃校は、野崎島自然学塾村として、おぢかアイランドツーリズムが管理している。
野崎島は周囲約19キロメートルの地塁山地で、沖ノ神島神社は島の北部山地にある。上陸後、さっそく沖ノ神島神社へと向かった。山道は次第に険しくなっていく(写真3)。それを駆けるように上ってゆくと、どこからか獣の鳴き声が聞こえた。やや物悲しい声の主は、野生の鹿の群れだ。
小道をさらに進んでゆくと森の中の所々に巨石が見えてきた。石段を上ると、沖ノ神島神社が鎮座していた(写真4)。神社をお参りして、背後に回ると、巨大な石柱が天に向かって伸びていた。その巨石を見上げながら、この光景は現実なのかと一瞬疑うほどの衝撃を感じた(写真5)。まるで神話の中にいるような、そんな錯覚に陥ってしまったのだ。神社の正面から海を望むと小値賀島が見えていた(写真6)。
沖ノ神島神社は慶雲元年(704)、小値賀島の地ノ神島(ちのこうじま)神社より奇魂(くしみたま)を分祀し、その沖津宮として創建されたといわれている。神社の後ろに悠々と聳える磐座が「王位石」と呼ばれる石だ。高さ約24メートル、途中から石柱状に2組に分かれて立ち、上にテーブル状の長さ約5メートル、幅約3メートルの平石が乗っている(写真7)。
私は興奮を抑えることができず、裏山に駆け上って王位石を裏から覗いてみた。その何とも絶妙なバランスに驚嘆するばかりだ(写真8)。この石は、王位石と書いて「おえいし」と呼び、年に米一粒ずつ大きくなるため「生石(おえいし)」ともいわれている。また、伝承に寄れば、この石は竜宮から献じた鳥居であるとか、平石の上に沖ノ神島神社大明神が出現したなどと、様々な伝承がある。
王位石は、かつて「野崎参り」とか「お山参り」といわれ、小値賀島の漁師の人々の信仰を集めていたという。参拝船には笹竹に取り付けた日の丸を旗めかせ、かけ声も勇ましく、野崎島に渡り、沖ノ神島神社で盛大なお祭りをした。その時、王位石の平石の上でお神楽を舞ったともいわれる。24メートルもの高さの平石を見上げると、ここでお神楽を舞ったとしたら、まさに命がけの奉納だ。
ただ、野崎島には、今では集団移住で村はなくなり、野生の鹿が生息するばかりだ。地ノ神島神社がある対岸の小値賀島の海辺には鳥居があり、その正面が沖ノ神島神社の方向を向いている(写真9)。
この島には、「龍燈」(りゅうとう)と呼ばれる不思議な現象があるという。陰暦の大晦日の夜、沖ノ神島神社の先にある海中の竜宮の門より、月光のごとき火が燃え出て、小値賀島にある地ノ神島神社に光が走るというのだ。実際に龍燈を見た、という報告もされているという。五島列島には、神秘なる世界が今も存在している。
※『月刊石材』2014年11月号より転載
◎ 須田 郡司プロフィール
1962年、群馬県生まれ。島根県出雲市在住。巨石ハンター・フォトグラファー。日本国内や世界50カ国以上を訪ね、聖なる石や巨石を撮影。「石の語りべ」として全国を廻り、その魅力を伝えている。写真集『日本の巨石~イワクラの世界』(星雲社)、『日本石巡礼』、『世界石巡礼』(ともに日本経済新聞出版社)、『日本の聖なる石を訪ねて』(祥伝社)など。
https://www.excite.co.jp/news/article/Getnavi_358107/ 【【ムー/カタカムナの謎】――謎の古文書と超古代テクノロジー】より
兵庫県六甲山中に、かつて超古代文明が存在していた。その名をカタカムナという。
【ムー/カタカムナの謎】――謎の古文書と超古代テクノロジー
六甲山中にある金鳥山。楢崎皐月はこの山で平十字と出会い、カタカムナ文明の残滓に触れた。
ことのはじまりは昭和24年(1949)。楢崎皐月という電気技術者が、現在の神戸市東灘区にある金鳥山に入った。目的は植物の生育状態と大地を流れる電気の関係を調べること。
地元の人から「金鳥山には蘆屋道満の墓ともいわれる狐塚という穴があるから、行ってみるといい」と勧められた楢崎は、この穴をベースに、山中に計測装置を置いて調査を開始する。
すると何日かすぎた夜、突然、その穴に鉄砲を手にしたひとりの猟師が訪れてきた。
「変な仕掛けをされて、キツネたちが迷惑しているから取り外してくれ」
猟師は怖い顔をしてそういった。翌日、楢崎が計測装置を外すと再び猟師がやってきて、自分はヒラトウジ(平十字)だと名乗った。楢崎が素直にいうことを聞いたので気をよくしたのか、猟師は父親が宮司をしていた「カタカムナ神社」のご神体だという、謎の古代文字が書かれた巻物を取りだし、楢崎に見せたのである。
たしかに巻物には、渦巻きのような模様がたくさん書かれていた。それを見た瞬間、楢崎の頭にはある言葉が甦ってきた。
「八鏡化美津文字」
それは第2次世界大戦中のことだった。楢崎は製鉄技術者として中国北東部の満州吉林にいた。
ここには娘娘廟という道教寺院があり、楢崎はそこの老師から筆談で、八鏡化美津文字という古代の叡智を伝える文字の存在を聞かされていたのである。
八鏡を見ただけで理を知るアシアの謎
「『噫示八(アィシーパー)』人、ただただ八鏡を観ず。やすやすと万理を弁ず。『八鏡化美津文字』で、理ことわりを弁じ・利便を生じ・名第を利し、命題を明らかにす」
老師は楢崎に、そう伝えた。
「アィシーパー」人は「八鏡」を見てすべての理を知り、「八鏡化美津文字」ですべての理を明らかにする、というのである。
しかも老師は、「アィシーパー」人はかつて日本列島で暮らす古代人だったと説明した。楢崎には、「アィシーパー」が「アーシーヤー」=「アシヤ」と聞こえていたという。
平十字の巻物を見た楢崎は、まさにこれが「八鏡化美津文字」ではないかと直観したのだ。
しかも――。
平十字は、カタカムナの神を祀ったのはアシア族であり、その頭領はトウアンであると語った。アシアトウアンは遠い昔、天皇家を中心とした「天孫族」と戦って敗北したというのだ。
これらの一致は、とても偶然とは思えない。老師がいう世界の理を知る古代人とは、おそらくアシア族の叡智のことだろう。
巻物の文字は、「カタカムナ図象文字」という。基本はどれも丸と十字(○と+)の組み合わせで、丸のふちには最大で8つの小円が並ぶ。
楢崎は、これはきわめて抽象的・合理的な図象であり、理を弁ずるに最適な文字だと悟った。そこで平十字に、巻物を写しとらせてもらえないかと頼み、快諾されたのだ。
これが『カタカムナ文献』である。
書き写した「ウタ」は80首。すべて渦巻き状に記されており、中央から外側に向かって読んでいくものと思われた。解読は苦難をきわめたが、楢崎はついに解読に成功。最初は次のような「ウタ」で始まっていた。
「カタカムナヒビキ マノスベシ アシアトウアン ウツシマツル カタカムナウタヒ」
素直に読めば、アシアトウアンがカタカムナのウタヒを写しとった、となる。
「カタカムナのウタヒ」とは何か? ひとことでいうならばそれは、今日でいう自然農法やフリーエネルギーの技術であり、エコロジー思想にも通じる万能の科学理論だったという。
カタカムナ文明のすぐれた4つの技術
では、カタカムナ文明とは具体的に、どのようなものだったのだろうか。
正直なところ、よくわかっていない。楢崎自身、解読したとはいうものの、難解な注釈をつけるだけで、内容についての解説はほとんどしていないからだ。
だが楢崎は、『カタカムナ文献』をベースにしたと思われる著作『カムナガラノミチ』を残している。そこには、古代カタカムナ文明に通じる叡智の一端らしきものが紹介されているので、それを元に推測してみよう。
【ムー/カタカムナの謎】――謎の古文書と超古代テクノロジー
カタカムナ文字。渦巻き状に書かれた「ウタ」は80首あり、そのすべてが楢崎皐月により解読された。
『カムナガラノミチ』では、以下の代表的な生産技法が取りあげられている。
1:イハカムナ(岩理)
2:タガラモリミチ(農業技法)
3:キメカムナ(木理)
4:カムヒルメ(製鉄法)
1のイハカムナ(岩理)は石の細工技術である。2は農業の技術であり、3は木工建築、4 は製鉄と冶や金きんの技術だ。
ここから見るとカタカムナ人は、すぐれた石工の技術、農業技術、そして建築技法と製鉄技術を持っていたと推測できる。
問題は年代で、「天孫族」と戦ったのが事実なら、少なくとも2000年近く昔ということになる。その時代に4つの技術を手にしていたグループがいたとすれば、まさに超古代文明と呼んで差し支えないだろう。
とくに石工の技術で気になるのが、六甲山中に残されている古代遺跡と思しき巨石群だ。祭祀遺跡とされるこれらの巨石だが、もしかすると祭祀とは違う目的でそこに置かれ、使われていた可能性もある。
一例を挙げるなら、巨石による大地のエネルギーの制御であり、あるいはエネルギーネットワークの構築である。
また、六甲山中には大きな石の祠=石の宝殿が見られるし、同じ兵庫県高砂市の生石神社には、やはり「石の宝殿」と呼ばれるあたかも水面に浮かんでいるような巨石が切り出しの途中で放置されている。
これらもまた、カタカムナ文明の残滓と見ることができるのではないだろうか。
ちなみに金鳥山の隣には、高級住宅地として有名な「芦屋」があり、陰陽師・安倍晴明のライバルとされる「蘆屋道満」の根拠地でもあった。
奇妙なことにこの地域は、なぜか古代から呪術のメッカとされてきた。多くの陰陽師が播磨で呪術を学んだのである。そのルーツもまた、カタカムナの叡智につながる可能性は高い。
古代の土地改良法イヤシロチとケカレチ
最後に、読者は「イヤシロチ(弥代地)、ケカレチ(気枯れ地)」という言葉を聞いたことがあるだろうか。
イヤシロチはいわゆる高エネルギーの癒しの地で、ケカレチはその逆の地を意味する。
この、イヤシロチ・ケカレチの存在を「発見」したのも、楢崎皐月なのである。
「ヨモ(四方)のタカミを結ぶところは、イヤシロチにて、ミソギに良し/ヨモのヒクミを結ぶトコロは、ケカレチにて、ミソギに不良はず」
これは楢崎の言葉だが、四方の高みを結ぶ土地はイヤシロチで、低みを結ぶところがケカレチだというのである。
このことに気づいてから楢崎は、大地の電気の流れを調べるまでもなく、地勢を見るだけで「イヤシロチ、ケカレチ」を判断できるようになったという。
しかもケカレチを改善したりイヤシロチを補強したりすることもできると、楢崎はいう。
具体的には、地面に穴を掘り、底に木炭を入れ、土をかぶせて埋めるのだ。こうすることで、ケカレチはイヤシロチに改良され、イヤシロチはよりよいイヤシロチになるのである。
改良された土地では、生命体は体内の電気活動のバランスがうまくとれるようになる。人間だけでなく、動物植物も微生物も同様で、そのため人は健康になり、作物はよく育つのである。
まさに、カタカムナの叡智であろう。これほどすぐれた文明が、かつて六甲山系に存在していたのである。
【ムー/カタカムナの謎】――謎の古文書と超古代テクノロジー
いまもなお神聖な場所として祀られている越木岩神社の磐座。六甲山には、こうしたパワースポットがあちらこちらに見られる。
(ムー2019年3月号より抜粋)
【「日本」のルーツを考える。カタカムナウタヒが語る世界! 第4首 ~ 8 首。】
【ヲシテ文字とアワのうた。イサナギ・イサナミの国創りで謳われた天地・陰陽の理(ことわり)】
https://note.com/taseyanvoice/n/n7796ab8d2a13 【古事記とカタカムナ】
こんにちは!すっぴすぴです。
本日もカタカムナについて、学んだことをまとめて行きます。
前回は楢崎皐月さんについて書いてきましたが、今回はその後継者である宇野多美恵さんについて、また、カタカムナ文献に登場する神様の名前をお伝えしようと思います。
日本神話に登場する神様
カタカムナ文献には、日本神話に登場する神様が登場します。例えばイザナギ イザナミ タカミムスビ カムミムスビ アマノミナカヌシなどです。
錚々たる神様の名前が登場します。タカミムスビ カムミムスビ アマノミナカヌシは、3柱合わせて 造化三神と呼ばれています。
造化三神が祀られている神社が、サムハラ神社です。総本山は岡山県ですが、大阪にもあります。
2度参拝したことがありますが、都会の中の道路沿いですので、こんなところに?という感じです。大阪の隠れたパワースポットになっています。
⛩さむはら神社|大阪府大阪市西区 - 八百万の神
大阪府大阪市西区にある⛩さむはら神社の情報(投稿写真、催し物、地図と経路、最寄の駅、最寄のバス停)がご覧いただけます。
カタカムナ文献に記載されている神様の名前には、それぞれ意味があります。
楢崎によると、
イザナギ=超微粒子の粒子性
イザナミ=超微粒子の波動性
タカミムスビ=形ある実体の根源
カムミムスビ=目に見えない実体の根源
アマノミナカヌシ=原子核の中の意識体
だそうです。
物体の粒子性と波動性。
これは量子力学にも通じますね。
二重スリット実験によって、人の観察が物体に影響を与えることがわかりました。
量子力学の研究が進めば、カタカムナの信憑性がより高まるかもしれません。
カタカムナは現在の科学を超えた概念ですから。
余談ですが、大阪大学で理系の大学院に進学した友人が
「科学と宗教は繋がっている」と言っていました。
目に見えない世界では、宗教の方が先に行っているのでしょうか。。
話を戻します。
カタカムナに記載されている神様はそれぞれ意味がありますが、
日本神話に出てくる神様は、特に意味はありません。
現在の神道は、カタカムナの神様の名前のみを継承している。
と、「超科学書 カタカムナの謎」 は語っています。(以下略)
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