OSHO Japanese
政治家たちとすべての宗教の聖職者たち、政府と官僚たち――彼らはみな、うんざりするほどの泥を生み出している。今となっては、私たちはハスを育てなければならない。あなたがたは彼らの泥に埋もれてはいけない。あなたがたはハスの種をまかなければならない。
Osho, The Razor’s Edge, #11 より抜粋
https://www.osho.com/ja/highlights-of-oshos-world/osho-on-priests-and-politicians 【Osho - 聖職者たちと政治家たち 魂のマフィア】より
組織宗教は平和には興味がない
組織宗教は戦争を起こしてきた――まさに政治家たちがやったように。それらの名目は様々だろう……政治家たちは社会主義のために、共産主義のために、ファシズムのために、ナチズムのために戦い、組織宗教は神のために、愛のために、真理とは何かという彼らの概念のために戦ってきている。そして何百万もの人びとが、キリスト教徒とイスラム教徒、キリスト教徒とユダヤ教徒、イスラム教徒とヒンドゥー教徒、ヒンドゥー教徒と仏教徒との衝突で殺されてきた。宗教は戦争とはなんのかかわりもない。それは平和を探し求めることだ。だが、組織宗教は平和には興味がない――彼らはもっともっと強くなり、支配力をもつことに興味がある。
私は政治家たちを非難するのと同じように、組織宗教を非難する――それらは政治以外のなにものでもない。だから、宗教的な人びとは尊敬され、礼遇されなければならない――政治家たちは彼らのもとに行って助言を得なければならない――と私があなたに言ったとき、私は組織宗教のことを話していたのではない。私が話していたのは、宗教的な個人についてだけだ。そして、宗教的な一個人は、ヒンドゥー教徒でも、キリスト教徒でも、イスラム教徒でもない。彼がどうしてそうあり得るかね? 神自身がヒンドゥー教徒ではない、イスラム教徒ではない、キリスト教徒ではないのだ。そして、神性をいくらかでも知っている人は、彼の神性で彩られ、神々しさでかぐわしくなる。
Osho, The Hidden Splendor, #8 より抜粋
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聖職者たちと政治家たちはつねに人類に対して共謀してきた
組織宗教は政治の別の形態だ。私が政治を、人間の最低の活動だといつも非難しているように、組織宗教への私の態度もまさに同じだ。あなたにもそれがわかるだろう、聖職者たちと政治家たちはつねに人類に対して共謀してきた――彼らは互いを支え合ってきている。彼らは自分たちのあいだでものごとを分けてきた。あなたがたの世俗生活は政治家のもので、彼がそこの支配者だ。そして、精神生活は聖職者たちのもので、彼がそこの支配者だ。
Osho, The Hidden Splendor, #8 より抜粋
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存在の言語を理解することを学ぶ
宗教を代表する聖職者たちは、その宗教の友人ではない。彼らはその最大の敵だ。というのも、宗教には仲介者は必要ないからだ。あなたと存在との間には直接のつながりがある。あなたが学ばなければならないすべては、どうやって存在の言語を理解するかだ。あなたは人間の言語は知っている、だが、それらは存在の言語ではない。
存在はひとつの言語しか知らない――そしてそれは、沈黙の言語だ。
Osho, Zarathustra: A God That Can Dance, #22 より抜粋
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あなたがたはハスの種をまかなければならない
政治家たちとすべての宗教の聖職者たち、政府と官僚たち――彼らはみな、うんざりするほどの泥を生み出している。今となっては、私たちはハスを育てなければならない。あなたがたは彼らの泥に埋もれてはいけない。あなたがたはハスの種をまかなければならない。
Osho, The Razor’s Edge, #11 より抜粋
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あなたの生の源を知ることができるのは、あなただけだ
つい数日前、ローマ法王が新しい罪を宣言した。人は神に直接告白してはいけないというのだ――聖職者を介して告白しなければならない。神に直接告白するのは、神と直接通じるのは、新しい罪。不思議だ……これが宗教ではないのは、はっきりわかる、これは商売だ――というのも、もし人びとが直接神に告白しはじめたら、いったい誰が聖職者に告白して罰金を払うかね? 聖職者は用なしになる、ローマ法王は用なしになる。
聖職者たちはみな、あなたと生の究極の源との間の仲介者は自分たちだというふりをしている。彼らは生の究極の源など何も知らない。あなたの生の源を知ることができるのは、あなただけだ。
Osho, The Rebellious Spirit, #11 より抜粋
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政治家たちはみんなが豊かになるのを望んでいない
これらの宗教はすべて、貧困を食いものにしている。貧しい人たちがそこに行くのは、苦しんでいるからだ。それは耐えがたい、彼らにはなんらかの慰めが必要だ。裕福な人はそこには行かない。彼は苦しんでいないのだ。そして、もし彼らが何らかの苦悩にさいなまれていたら、これらの聖職者たちには彼らを助けることができない。裕福な人たちは、行き詰ると、その苦悩から抜け出すのを助けられる人を探さなければならない。彼らはアヘンは欲しくない。
政治家たちはみんなが豊かになるのを望んでいない。なぜなら、貧しい人たちより裕福な人たちを隷属させるほうがむずかしいからだ。裕福な人たちを説得して自分たちに投票させるより、貧しい人たちの票を買う方が簡単だ。人は裕福になればなるほど、政治家たちの手には負えなくなる。
Osho, Socrates Poisoned Again After 25 Centuries, #12 より抜粋
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誰が犯罪者たちなのか気づいていなければならない
私は外の世界には、政治には関心がない。だが、あなたには大きな関心をもっている。あなたは醜悪で病んだ世界に生きていて、墓に片足を突っ込んでいる。そして私は、あなたがこの病んだ世界にまみれてほしくない。
私が多くのことに反論するのはそのためだ。私の関心はあなたがたに、私のサニヤシンたちにある。私が政治に反論するのは、この世界でのほんとうの犯罪者は誰なのかを、私のサニヤシンたちが知らずにいてほしくないからだ。だからこそ、私は聖職者たちと宗教に反論する。なぜなら、あなたにはひとつの逃げ道もあってほしくないからだ。あなたは誰が犯罪者たちなのかに気づいていなければならない。これらの犯罪者たちは偉大な指導者、賢人、聖者、マハトマだと思われていて、世界中でひじょうに尊敬されていることが問題なのだ。その彼らが犯罪者かもしれないとは、あなたは考えもしないだろう。だから私は絶えず、毎日のように、強く言わなければならない。
Osho, The Last Testament, Vol. 2, #23 より抜粋
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政治家は宗教的にはなれない
これはほんとうだ、政治家は宗教的にはなれない――理由は単純だ、政治、すべての政治、政治そのものが権力政治だからだ。それは権力への意志だ。人は支配したい、人は自分のものにしたい、人は人びとの人生の決め手でありたい。これらはエゴの質だ。
当然、このタイプの人は、宗教的ではあり得ない、というのも、宗教は基本的にエゴのない状態の体験だからだ。宗教には権力への意志が入り込む余地はない。実際には、宗教には意志の入り込む余地すらない。権力への意志などはるか彼方だ、存在しようとする意志すらそこにはない。人は存在の手の内に、深い手放しにある。この手放しこそ、私が宗教性と呼ぶものだ。私が宗教と政治は正反対の次元だと言ったのはそのためだ。
Osho, From Darkness To Light, #21 より抜粋
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聖職者たちと政治家たちは地球から消えなければならない
政治家たちは何千年にもわたって希望を売りつづけている、聖職者たちは希望を売りつづけている。そして不思議なのは、これほど長い時を経ても、彼らがまだ商売をしていることだ。人間は深く眠っているようだ、その策略全体に目を向けることなく。聖職者たちと政治家たちは地球から消えなければならない。そうなって初めて、新しい人間――豊かで、くつろいだ、有能な、創造性に満ちた――新しい人間が出現できる。
Osho, The Last Testament, Vol. 1, #29 より抜粋
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政治家は自分のエゴゆえに病んでいる
政治の心は劣等感という傷で苦しみ、政治家はその傷を引っかきつづける。知的な意味では、彼はアルバート・アインシュタインのような人ではない――彼は自分を巨人たちと比べはするが――精神的にも、彼はジークムント・フロイトのような人ではない……。もしあなたが自分を人類の巨人たちと比べるようなことをしたら、あなたは完全に委縮し、自分には価値がないと感じざるを得ない。
この価値のなさは、ふたつの方法で取り除くことができる。ひとつは宗教、もうひとつは政治。政治は、実際には、それを取り除きはしない、それを覆い隠すだけだ。それは同じ病人、劣等感を感じていたのと同じ人物だ、その人物が大統領の座についている。だが、大統領として椅子に座っているだけで――それがあなたの内面の状況にどんな違いを生みだし得るだろうか?
エゴはひじょうに微妙で、ひじょうにつかみ所がない。そして、政治家は自分のエゴゆえに病んでいる。彼は大統領、首相になることでその傷を覆い隠すことができる……傷を覆うことはできるが、その傷はそこにある。あなたは全世界をだますことはできるが、自分をどうだませるかね? あなたはそれを知っているのだ。それはそこにある、あなたがそれを覆い隠したのだ……。政治家の状況も同じだ――ただの膿、傷、劣等感、無価値感。その通りだ、彼はより高いところ、高いところに行き着いたし、階段を一段上るごとに、次の一段で傷は癒されるだろうという期待があった。
劣等感は野心を生む、というのも、野心とは、自分は優れていることを証明しようとする努力にすぎないからだ。野心とは、自分は優れていることを証明しようとする努力をおいて他にない。だが、劣等感で苦しんでいなければ、自分が優れていることを証明しようとして努力などするだろうか?
Osho, From Ignorance to Innocence, #15 より抜粋
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聖職者たちや政治家たちがあなたのなかに入れたすべてを捨てなさい
失敗したら、すべてが間違っている、成功したら、すべてが正しい。成功は正しく、失敗は間違い。それが、政治家たちがみんなに教え込んできているやり方だ
聖職者たちや政治家たちがあなたのなかに入れたすべてを捨てなさい。そうすれば、自分の重荷を下ろすにつれて、あなたは自分の純粋な存在を垣間見はじめる。
それが、私が瞑想と呼ぶものだ。
一度味わったら、それは永遠に変容していく。
Osho, From Unconsciousness to Consciousness, #15 より抜粋
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聖職者たちと政治家たちは協力して仕事をしている
聖職者と政治家との明らかな共謀がわからないかね? 大衆はばかにされているのだ。聖職者は神からの承認を与える――この人は大統領にふさわしい、この人は副大統領に、首相にふさわしいと認証する。もちろん、政治家にはそれが必要だ、大衆は聖職者の言うことを聞くからだ。聖職者は公平だ、政治とはなんのかかわりもない、彼は政治を超えている。
彼はそうではない! 聖職者は政治家たちの手の内にある……。
私があなたに言っているのは、これらの政治家とこれらの聖職者はたえず共謀し、協力して働き、手を取り合ってきているということだ。政治家には政治的権力がある、聖職者には宗教的権力がある。政治家は聖職者を保護し、聖職者は政治家を祝福する――そして、大衆は搾取され、吸い取られる。彼らの血は両者から吸い取られる。
神を取り除けば、政治家たちを排除し、政治を排除し、聖職者を排除し、聖職者と政治家の共謀を排除することになる。そしてこのふたつが排除されると、あなたの惨めさの50パーセントは消える。
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