夏に涼風あり

Facebook関守 研悟さん投稿記事

【暑中お見舞い申し上げます】

酷暑が続いています。毎日大変です。皆様同じだけ暑いので、みんなで乗り切っていきたいですね。玄関に「納涼のれん」をかけました。「夏に涼風あり」。心に涼風を吹かせたいところです。みなさま、どうかご自愛下さい。


Facebook近藤裕子さん投稿記事 🍀🍀こころ🍀🍀

 「心中有心」 しんちゅうこころあり

心の中にまた心が有る という意味でしょうか。

人生に於ける様々な場面で 人の心は揺れ動ぎます。人生は心との葛藤です。

シェークスピアは「人間は感情の動物だ」との名言を残しました。

「感情的になる」。「感情を抑える」。との表現があります。が、人間関係で必要なのは

「感情のコントロール」です。

自分の心が乱れたり傾いたりしそうな時、心の中にもう一つの冷静な心があって、正しくコントロール出来たらと思います。


Facebook石川 眞樹夫さん投稿記事  ◎光と闇の瞑想(マントラ瞑想) 

息を吸う時「ソー アハム」吐く時「アハム サ」

 私はブラフマン ブラフマンは私   ソー アハム アハム サ 

・息を吸う時「ソー アハム」  ・吐く時に「アハム サ」

呼吸は人間にとって自然なことであり、普通の人は呼吸を止めて保持することはしません。ヨガ行者や密教僧は例外で、彼らは呼吸を止める事を含む呼吸法を用いて自らを清め、宇宙との一体を回復します。

ホオポノポノ のHAの呼吸法も、このような呼吸法の一つです。

ヴェーダーンタの教えのエッセンスである、「ブラフマンは私」(ソー アハム)

「私はブラフマン」(アハム サ)が人間の肉体にとって最も自然な行為である呼吸とともに、一日を通じて自然に行われるようになる完全な瞑想への道がここに示されています。

私の平和


一指李承憲@ILCHIjp

怒りが込みあげるときは散歩してみましょう。寂しさに襲われるときは楽しい音楽をかけながら掃除したりダンスしてみましょう。悲しいときはおもしろい映画を見て新しい情報で脳に刺激を与えたり、好きな人に会ったり、自分にご褒美をあげてみましょう。


Facebookいと きょうさん投稿記事  ミヤビ(慈悲)の祈りと瞑想

とかく、怒りがわき上がりやすい世の中です。怒りが頂点に達すると人はハタレとなります。

ハタレにならない為に、ミヤビ(慈悲)の祈りと瞑想が必要です。

これはそのお話です。

アマテルカミ(天照大神)は、死後、インドの地でお釈迦様として生まれ変わりました。

争いの多かったインドの地で、人々にミヤビな心を持つための瞑想法を教えました。

ミヤビとは、漢字で慈悲と表現します。

ミヤビ(慈悲)は、いつくしむ心(慈)となさけの心(悲)のことを言います。

お釈迦様は、人々に次のように話されました。いつくしむ心(慈)の瞑想を深めなさい。

というのも、いつくしむ心(慈)の瞑想を深めれば、どんな瞋恚(しんい)(心の中の怒り)も消えてしまうからです。

まず「私が幸せでありますように」と念じ祈ります。

次に、「私の親しい人々も幸せでありますように」と念じ祈ります。

それから「生きとし生けるものが幸せでありますように」と念じ祈ります。

次に、「私の嫌いな人も幸せでありますように」と念じ祈ります。

次に「私を嫌っている人も幸せでありますように」と念じ祈ります。

するとどんな瞋恚(心の中の怒り)も消えてしまいます。

次に、なさけの心(悲)の瞑想を深めてください。

というのも、なさけの心(悲)の瞑想を深めれば、どんな残虐性も消えてしまうからです。

まず「私の悩み苦しみがなくなりますように」と念じ祈ります。

次に「私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように」と念じ祈ります。

それから「生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように」と念じ祈ります。

次に、「私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように」と念じ祈ります。

次に「私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように」と念じ祈ります。

するとどんな残虐性も消えてしまうのです。

このようにミヤビ(慈悲)の瞑想をすることにより、本当の幸福(しあわせ)の道が開かれるのです。

こころの中の瞋恚(怒り)や残虐性が消えることにより、思いやりのこころが生じます。

この状態がミヤビ(慈悲)のこころであり、幸せを願うこころです。

以下FBのお友達Yuko Washino Brewsterさんが英訳してくれました。

Miyabi prayer and meditation

Anyway, it's a world where anger is natural to rise.

When anger reaches its peak, people become hated.

You need prayer and meditation for Miyabi (mercy) so that you don't get hurt.

This is the story.

After death, Amaterkami (Amaterasu Okami) was reborn as a Buddha in India.

I taught people how to meditate in mysterious hearts in the conflicted land of India.

Miyabi is expressed in Chinese characters as mercy.

Miyabi refers to a loving heart (heart) and a compassion heart

(soul).

Buddha spoke to the people as follows.

Deepen your meditation on your loving heart.

Because if you deepen your meditation on your loving heart, you will eliminate any stigma (anger in your heart).

First of all, I pray that I may be happy.

Next, I pray, "May my close people be happy."

Then, I pray, "May the living beings be happy."

Next, I pray, "May, my dislike person; be happy."

Next, I pray, "May those who hate me be happy."

Then any stigma (anger in your heart) will disappear.

Next, deepen the meditation of the heart (sadness).

For, if you deepen your meditation on the heart of sadness, any cruelty will disappear.

First, I pray, "I hope my worries will disappear."

Next, I pray, "I hope that the pain and suffering of my close people will be eliminated."

Then, I pray, "I hope that the troubles and sufferings of living things will be eliminated."

Next, I pray, "I hope that the distress and suffering of those I hate will be eliminated."

Next, I pray, "I hope that those who dislike me will be free from the suffering and suffering."

Then any cruelty disappears.

This way of meditating on Miyabi (mercy) opens the way for true happiness.

The disappearance of anger and cruelty in the heart creates compassion.

This is the heart of Miyabi (mercy) and the heart of wishing for happiness.


http://www.sakshin.com/Bornagain/HeartMeditation.html 【アティーシャのハート瞑想 【OSHOの講話より】】より

■ハートは変容する力

 アティーシャは言う。「結びつくことを、送りながらそれと同時に受け取ることを学びなさい。呼吸とともにこれを行いなさい。」

 アティーシャは言う。慈悲深くなることから始めなさい。この技法とは、息を吸う時、……注意深く聴くように、もっとも重要な技法の一つだ……息を吸う時、あなたは世界中のすべての人々の惨めさを全部吸い込んでいるのだと思いなさい。その暗闇すべてを。その否定のすべてを。あらゆるところに存在する地獄のすべてを吸い込んでいるのだと。そしてそれをハートの中に吸収しなさい。

 あなたは西洋のいわゆる肯定的思考主義の人たちについて読んだり聞いたりしたことがあるかもしれない。彼らはまったく反対のことを言っている。実際、彼ら自身何を言っているのかわかっていないのだが……。彼らはこう言っている。「息を吐く時、あなたの惨めさ、否定的なものを吐き出しなさい。そして息を吸う時、喜び、肯定的なもの、幸せ、明るさを吸い込みなさい。」

 アティーシャの技法は、ちょうどその反対だ。あなたが息を吸う時、過去、現在、未来のこの世界の生きとし生けるものの惨めさすべてを、苦しみのすべてを吸い込みなさい。 そして息を吐く時、持てる限りの喜び、至福、祝福すべてを吐き出しなさい。息を吐きながら、自分自身をこの世界の中へと注ぎこみなさい。これは、慈悲の技法だ。すべての苦しみを飲み干し、至福のすべてを注ぎだす。そしてもしあなたがそうしたら、きっと驚くだろう。あなたが自分の内側で、世界の苦しみすべてを引き受ける瞬間、それらはもはや苦しみではなくなる。ハートはまたたくまにそのエネルギーを変容する。ハートには変容する力がある。惨めさを飲み込む、それが至福に変容される。そしてそれを注ぎだすのだ。

 ハートがこのマジックを、この奇跡を行えるのをいったん学べば、あなたは何度も何度もこれを行いたくなるだろう。これはもっとも実際的な技法のひとつだ。簡単で、結果はすぐに出る。今日やってみて、どうなるか様子をみてごらん。

■あなた自身から始めなさい

 アティーシャは言う。「あなた自身を受け入れるという第一歩を踏み出しなさい。」

アティーシャはこう言っている、あなたが全存在に対してこの技法を行えるようになる前に、まず自分自身から始めなければならない、と。これは人間の内面の成長に関わる、根本的な秘密のひとつだ。何であれ、まず第一に、自分自身に行っていないことを他人に行ってあげることはできない。もしあなたが自分自身を傷つけるなら、他人を傷つける。もしあなた自身が自分にとって悩みの種なら、あなたは他人にとっても悩みの種だ。もしあなた自身が自分にとって祝福だったら、その時初めてあなたは他人にとっても祝福になれる。

 何であれ、あなたが他人に対してできるのは、以前あなたが自分自身に対してできたことのはずだ。なぜなら、それだけが、あなたが分かち合える唯一のことだから……。あなたは自分が持っているものだけを分かち合える。あなたは自分が持っていないものを分かち合うことはできない。アティーシャは言う。「あなた自身を受け入れるという第一歩を踏み出しなさい。」世界中の惨めさをすべて受け入れて、それをハートに吸収させることから始めるよりも、あなた自身の惨めさから始めなさい。いきなり、深い海の中へ向かわないで、浅瀬で泳ぐのを学ぶのだ。そして、もしあなたがいきなり世界中の惨めさを受け入れ始めても、それはただ思索の中での試みにとどまってしまう。本物にはならない。不可能だ。それがただ口先だけのことにとどまるだろう。

 あなたはひとりごとを言う。「そうだ、私は世界中の惨めさを受け入れている。」しかし世界中の惨めさの何を、あなたが知っているだろうか。あなたは自分自身の惨めささえも経験したことがないのに。

 私たちは自分自身の惨めさから逃げ続けている。もし惨めさを感じると、あなたはテレビやラジオをつけて気をまぎらわす。新聞を読み始める。あるいは映画に行く。つき合っている彼や彼女に会いに行く。クラブへ行ったり、マーケットに買い物に行く、ただ何とかして自分自身を自分自身から遠ざけておくために。そうすればあなたは、その傷を見る必要がなくなる。内側がどれだけ痛んでいるかを見る必要はなくなる。

 人々は、自分自身から逃げ続けている。彼らは惨めさについて何を知っているだろう?どうやって存在全体の惨めさについて考えることができるだろう?

 まず、あなたは自分自身から始めなければならない。もし惨めさを感じているなら、それを瞑想にしなさい。ドアを閉め、静かに座りなさい。始めはその惨めさをできる限り強烈に感じなさい。その痛みを感じなさい。例えば、誰かがあなたを侮辱した・・・。さあ、その痛みを避ける最良の方法は、相手の所へ行って侮辱し返すことだ。そうすればあなたは彼にかかりきりになる。それは瞑想ではない。

 もし誰かがあなたを侮辱したら、その人に感謝しなさい。その人はあなたに、深い傷を感じる機会を与えてくれたのだから。あなたの中の傷を開いてくれたのだ。その傷は、あなたが人生でずっと苦しみ続けてきた数多くのひどい中傷によって生じたのかもしれない。その人は、すべての苦しみの原因ではないのだろう、ただその引き金にすぎない。

■苦しみは恍惚感へ、痛みは喜びに変わる。

 ただ自分の部屋に鍵をかけ、静かに座りなさい、その人への怒りを持たずに、あなたの中にわき起こってくる感情に対して、拒絶された、侮辱されたという傷ついた感情に対して、全面的に気づいた状態でいるのだ。そうするとあなたは驚くだろう……その人物だけではなく、あなたを侮辱したすべての男と女、人々があなたの記憶の中で動き始める。 あなたはそれを思い出すだけではなく、それを再び生き始めるだろう。あなたはプライマルセラピーのようなものへ入って行く。

 傷を感じなさい。痛みを感じなさい。それを避けないで……。だから多くのセラピーグループの中で、患者はセラピーが始まる前に、どんなドラッグも摂ってはいけないと言われているのだ。ドラッグがあなたを、内側の惨めさから逃避させてしまうという単純な理由のからだ。それは、あなたに傷を見ることを許さない。それは傷を押さえつける。それは、あなたが苦しみの中へ入って行くことを許さない。だがあなたが自分の苦しみの中へ入って行かない限り、その呪縛から抜け出すことはできない。

 グループは入る前に、すべてのドラッグをやめるのは、まったく科学的なことだ。可能なら、コーヒーやお茶、タバコのようなドラッグでさえ……。なぜなら、そういうものはすべて逃避する手段だからだ。

 気がついたことがあるだろうか?あなたは不安になるといつもすぐにタバコを吸い始める。それは不安から逃避する方法だ。あなたは吸うことで気を紛らわせる。実際、それはひとつの退化だ。タバコによってあなたは、再び自分が子どもであるかのように感じる。心配もなく、責任もなく……。喫煙は、まさに母乳を象徴している。タバコの熱い煙を吸い込むと、それはまさに、母親の胸で乳を与えられ、その温かい乳を吸い込んでいる日々へと呼び戻される。乳首は今ではタバコになっている。タバコは乳首の象徴だ。

退化することで、あなたは責任から、大人であることの痛みから逃避する。それが多くの種類のドラッグによって起こっていることだ。現代人は人類史上一度も例を見ないほど、薬漬けになっている。現代人は深い苦しみの中で生きているからだ。ドラッグなしに、そのような多くの苦しみの中で生きるのはほとんど不可能な状況だ。だがドラッグは障壁を生み出す。ドラッグは、あなたを薬漬けの状態にし、痛みを知覚するだけの繊細さを持てなくする。

 最初に行うことは、部屋のドアを閉めて、何もしないことだ。テレビを観たり、ラジオを聴いたり、本を読んだりという気を紛らわすことを止めなさい。それも微妙なドラッグだから。ただ沈黙し、まったく独りでいてごらん。祈ることさえしないで。なぜならそれさえもまた、ドラッグだからだ。あなたはそれに夢中になる。あなたは神に話しかけ始め、祈り始め、自分自身から逃げてしまう。

 アティーシャは言っている、ただ自分自身でありなさい、その痛みがどんなものであれ、苦しみがどんなものであれ、そのままにしておきなさい、と。まず始めは、それを全面的な強烈さの中で体験しなさい。それはむずかしいに違いない。それはハートを引き裂く。あなたは子どものように泣き始めるだろう。深い痛みで、床の上をころげ回りのたうち回るだろう。そして突然あなたは気づく。痛みがハートの中だけではなく、体全体に広がっていることに。あらゆるところが痛い。すべてが痛みだ。あなたの体全体が痛みそのものだ。

 もしあなたがこれを経験できたら……それは途方もない大切なものだ……そうしたらそれを吸収してごらん。投げ捨ててはいけない。それはとても貴重なエネルギーだから、投げ捨てないように。それを吸収しなさい、飲みなさい、受け入れてごらん。それに感謝を感じてごらん。そして自分自身にこう言いなさい「今回、私はそれを避けないつもりだ。今回は投げ捨てない。今回はそれを飲み干し、客人のように受け入れよう。今回私はそれを消化する。」と。

 それを消化するには数日かかるかもしれない。しかしそれが起こる日、あなたはよろめきながらひとつの扉にたどり着く。そしてその扉は、あなたを本当に遥か彼方へと連れて行ってくれるだろう。新しい旅があなたの人生に始まる。あなたは新しい別の存在になりつつある――なぜならどんな拒絶もなく痛みを受け入れる瞬間、そのエネルギーと質は変化する。それはもはや痛みではなくなる。

 実際人はただ驚く。信じられない。それはとても信じられないようなことだ。信じられないだろう……苦しみは恍惚感へと変容できる、痛みは喜びに変わる。

OSHOサクシン瞑想センター

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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