古代ハス

Facebook近藤裕子さん投稿記事🍀🍀蓮の花のように🍀🍀

 「蓮開水上紅」

 蓮は水上に開いて紅し

蓮は 泥中にあって茎をまっすぐ伸ばして清らかな花を咲かせます。

また葉は水を弾く為に 上に乗った水滴が玉のように美しく見えます。

蓮は一億四千万年前から地球上に存在していたと言われる奇跡の花です。

花言葉は 太陽、創造、神秘。

お盆の奇跡に咲く蓮の花の清らかな美しさを 自分の心に重ねて見たいと思います。


Facebook松井 みどりさん投稿記事

古河公方公園にて大賀ハス(古代ハス)

蓮は最盛期を過ぎていましたが、光を浴びたような神聖な花が美しい。

サルスベリのお花も綺麗、アゲハチョウもたくさん、この時期の開運動植物です。

【七十二候】

小暑次候「蓮始開(はすはじめてひらく)」  7/12~7/17

ハスは仏教とともに日本に伝わってきた。

泥水から出ても泥をはじいて、清らかで美しい姿は、心が浄化されるようです。

葉は撥水性がある(ロータス効果)地下茎はレンコン(蓮根)  大賀ハスは、なんと2000年前、弥生時代後期のもの。

1951年に千葉市で発掘、大賀一郎博士が発芽に成功。

花は4日目には散ってしまう。

花言葉: 清らかな心、神聖、雄弁、離れゆく愛

百日紅(さるすべり)花が100日以上咲くことから。サルも滑る幹をもつ。 花言葉: 愛嬌、雄弁


Facebook清水 友邦さん投稿記事

古代の日本は統一国家ではありませんでした。

日本列島には熊襲(くまそ)、隼人(はやと)、土蜘蛛(つちぐも)、国樔(くず)蝦夷(えみし)と呼ばれる風俗も言語も習慣も異なる多くの人々が居住していました。

教科書で習う歴史は主に西日本の歴史で、東北の歴史は東北の人でさえ習わないのでよく知らないのです。

最後まで独立を保ち大和朝廷に服従せずに1000年以上抵抗を続けたのは、東北の蝦夷(えみし)でした。

「日本書紀」で蝦夷は獣以下であるかのように書かれています。

「性格が荒く、悪いことばかりしている。村には長も首長もいない。男女が交って住み、子供の父親が誰だか分からない。冬は穴に住み、夏は樹上の巣に住んでいる。毛皮を衣にして血を飲んで、動物と区別がつかない。山に登るときは飛ぶ鳥のように速く、草原を走るときは逃げる獣のように速い。」

東北の人々は竪穴式住居に住み、母系で支配階級がいない平等な社会を築いていた縄文の民だったということがわかります。

独立を保っていた蝦夷の国が滅びたのは1189年(文治五年)と言われています。

奥州藤原氏討伐のために出陣した源頼朝は、28万4千騎の兵を引き連れて、岩手県紫波町陣が丘に陣を敷きました。

そこで奥州藤原氏最後の当主藤原泰衡(ふじわら やすひら)の首実検が行われ泰衡の首は父秀衡の眠る中尊寺金色堂の金棺に納められました。

その時、紫波町の五郎沼に咲いていたハスの種を泰衡と親戚関係にある領主樋爪(ひづめ)氏が、泰衡公の首桶に供え菩提を弔ったと言われています。

紫波地方では、葬儀の時に死者を弔う意味でハスの花を入れる風習が残っていました。

平泉が滅亡した800年後の昭和25年(1950)に、中尊寺で学術調査が行われました。

そのときに、100個あまりのハスの種子が泰衡公の首桶から発見されました。

約2000年前のハスの発芽に成功した大賀博士(1883 - 1965)に、ハスの実が託されましたが、大賀博士の他界により発芽させることができませんでした。種子は中尊寺に返還され宝物殿で眠っていました。

数十年後に中尊寺は大賀一郎博士の門下である恵泉女学園短大の長島時子教授に、ハスの種子を託した所、平成5年(1993年)に発芽に成功、それから4年後の平成10年(1998年)に、ようやく美しい花を開花させることができたのでした。種子の発見から50年近く経っていました。

中尊寺の泰衡公の首桶から発見された古代ハスは、中尊寺蓮と命名されました。

中尊寺蓮は大賀蓮などの古代ハスと違い、葉は真ん中がつるつるして端がざらざらしているのが特徴です。

中尊寺蓮は株分けされて、故郷の五郎沼に植えられて800年ぶりに再び美しく咲きました。

蝦夷は悪い鬼にされてしまい東北の民は大和朝廷の文化に同化してしまいました。

けれども縄文の魂は今も日本人の心の中で眠っています。

中尊寺蓮は800年の時を超えて再び咲きました。

眠っていた縄文の魂も再び目覚めて来ることでしょう。


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