ブルーベリーは眼にいいのか

https://www.kawamotoganka.com/tayori/988/ 【ブルーベリーは眼にいいのか】より

ブルーベリーの効果についてお尋ねをいただくことがしばしばあります。知り合いに勧められたり、子供が買ってくれたりするようです。効果を証明した論文があるとかテレビが取り上げたとか聞くと信じたくもなります。

既に買ってしまった方には申し訳ないですが、ほとんどの方にとっては無効だと思います。

金儲けのネタになっているに過ぎず、いかにも効果がありそうな広告にだまされないように注意して下さい。好きな方がブルーベリージャムを召し上がるのは構いませんが、大金を払ってエキス顆粒や錠剤を買う価値はありません。

ブルーベリー神話の由来

ブルーベリーが一時大ブームになっていました。今はだいぶ下火になりました。2003年当時は患者さんからもブルーベリーについての御質問をたびたびいただきました。

ブルーベリー神話が誕生したきっかけはテレビでした。「みのもんたのおもいっきりテレビ」とか「あるある大事典」とかいった番組がブルーベリーを取り上げました。ちなみに「あるある大事典」は後に納豆ダイエットの実験結果捏造で番組が中止になっています。

さらに健康雑誌が追随してブルーベリーは素晴らしいとはやしたてました。

NHKの「ためしてガッテン」が取り上げたのも大きかったようです。番組の内容自体は必ずしもブルーベリーを無条件に礼賛するような内容ではなかったのですが、NHKが取り上げたということで信じる人が増えた事実は否めません。

アントシアニンが豊富

ブルーベリーが眼に良いと言われるのは、アントシアニンという物質がが豊富に含まれているからです。ただし、クランベリー、カシス、プルーン、ぶどう、ラズベリー、紫イモ、小豆など多くの植物に含まれていて、決してブルーベリーだけの専売特許ではありません。

アントシアニンは、網膜にあるロドプシンという物質の再合成を助けます。ロドプシンには、網膜に映った映像を電気信号に変換して脳に伝えるという大事な役割があります。ロドプシンはものを見る時に光で分解されてしまいますから、つねに再合成する必要があります。その再合成を助けることから、アントシアニンが眼の病気に有効なのではないかと期待されたのです。

暗順応には効果がある

研究の結果、「暗順応が早くなる」という効果は証明されました。

明るい所から暗い所に入るとすぐにはものが見えません。時間が経つと目が慣れてきて、だんだん見えるようになります。このことを「暗順応」と言います。ブルーベリーを食べると、暗順応にかかる時間が短縮され、暗い所でも早く目が見えるようになります。ですから、「夜暗くなると見づらい」という症状には有効かも知れません。

ただし、望めばいくらでも明るい照明をつけることが可能な現代の生活において、暗順応がどれほど重要かは疑問です。

それに、アントシアニンの効果は長続きしません。暗順応が早くなるのは食べたその時だけの話です。毎日ブルーベリーを食べ続けなければ意味がありません。

疲れ目に効く?

アントシアニンが疲れ目に効くという説があります。いい加減な説で、私は信じません。

この説によると、コンピューターの画面を見続けた時などは網膜のロドプシンが大量に消費されるために網膜の感度が悪くなって疲れ目になるので、アントシアニンによってロドプシンの再合成を活発にさせれば疲れ目が改善するのだそうです。

えっ?初耳。普通、疲れ目というのは「ピントを合わせる毛様体筋を使いすぎて筋肉疲労をおこした状態」をさします。ロドプシンの不足が原因というのは新説、というより珍説です。

この説は商売上の必要から無理やり作った理屈だと思います。暗順応に効くだけでは薬としてあまり売れそうにないので、はるかに数が多い眼精疲労に効くと拡大解釈をして、証明もされていないことを宣伝しているのでしょう。

近視・乱視・白内障には無効

近視にも効く、乱視にも効く、老眼にも効く、白内障にも効く、目の病気すべてにブルーベリーが効く???

ここまで来ると完全にデタラメです。ロドプシンの再合成と何の関係もありません。だまされてはいけません。

うますぎる話に注意

うますぎる話には注意せよ、と言います。常識で考えれば何にでも効くなどということがあるはずがありません。

口コミは話に尾ひれがつきやすいものです。昔からそういうことはよくありました。お茶が日本に伝わってきた時は万能薬とされていたそうです。ヤツメウナギが目の病気すべてに効くともてはやされたこともありました。もちろんそんな効能があるはずありません。

 

健康食品は薬と違い、科学的に効能効果を証明する必要がありません。それだけいい加減な話が多いので御注意ください。


Facebook加藤隆行さん投稿記事【全部妄想として生きる2】

昨日、ボクこう言いましたよね。「メガネが曇ってるだけやから、まず拭こうよ」って。

でね、あれ、冗談でも比喩でもなく、ほんとにそうなんです。

人って、「目で見たものをそのまま認識してる」って思いがちだけど、実際はちょっと違うんです。人は、目から入った情報をいったん“脳内スクリーン”に映してから、そのスクリーンを見てるんです。

映画館みたいに。で、そのスクリーンには、自動的にフィルターがかかる。

たとえば──「これは怖い映画だよ」って思ってると、スクリーンにはおどろおどろしい暗い色味がのっかって、怖いBGMが流れて、全然たいしたことない出来事も、「キャーーーッ!!」ってなる。笑

逆に、「これは安心できるコメディだよ」って思ってると、同じシーンでもキラキラ光って見えるし、あったかくて、なんならちょっと笑えてきたりする。

同じ現実を見ていても、その“フィルター”で、ぜんっぜん違う体験になるんです。

これってすごいことです。一方の人には「もうムリ、怖い、終わった…」って見える世界が、

別の人には「おぉ、来たね!ここが冒険の始まりだ」って見えたりする。

でも現実は同じなんです。ただ、そこに「あるものが、ある」だけ。

違うのは、自分のスクリーンにかかっているフィルター。でね。このフィルターは、勝手についたわけじゃない。ぜんぶ、自分が過去に“生き延びるために”つけたものなんです。

ボクもそう。アトピーがひどかった子ども時代、見た目のせいで理不尽に虐げられることが多かった。だからボクのスクリーンには、「世界は理不尽で、自分は嫌われる」っていうフィルターが貼られた。それにより、人より警戒心をもつことで身を守ってきたんです。

でも、大人になってからもまだそのフィルター越しに世界を見てしまう。

「また避けられるんじゃないか」「どうせ受け入れられないんじゃないか」って。

でもそれって──幻想なんです。

だって、今ここにある“現実”に、「理不尽さ」も「嫌われる自分」も、ホントはどこにも映ってないんです。自分の中の古いフィルターが、そう“見せてる”だけなんです。

もし、今あなたがつらい世界を見てるなら。その原因は、現実じゃなくて「心のスクリーン」かもしれません。

まずは深呼吸して、自分のメガネ、拭いてみましょう。フィルターを見破る力、ボクらにはちゃんと、あるから。

そしてフィルターに気づいたら「これまで守ってくれてありがとう」と伝えてあげてください。「もう自分ひとりでやっていけるよ」と教えてあげてください。

そしたら脳内フィルターは少しずつ薄れてスクリーンに映る世界は大きく変わっていきます。

いまあなたの見てる映画ホラーサスペンスかもしれないけど実は愛に包まれたあたたかい人情ストーリーなのだと、ボクは思うよ(^ω^)ちなみにこのフィルターは”カルマ”の一つです。

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「自分を制限する信じ込み」についてお話します。

例えば「跡取り息子」というステレオタイプは 日本の社会に未だ残っていますね。

そんな暗黙の価値観がある大家族の中で 子どもが与えられます。

一人目・女の子(女の子は育てやすいとされ、一姫二太郎など言われるわけですから 歓迎です。)

二人目の女の子(そこそこ受け取れるのが一般的です。 

然し3番目が男の子であった時周囲の愛と関心は 男児に傾き ストレスフルな子ども時代を過ごす傾向が強いです。

三人目の男の子(周囲の期待がかけられ 男の子イメージが 自己イメージとして植えこまれることが多いです。)

三人目の女の子(「男の子だったらよかったのに」 という呟きを聞いてしまうことが多いです。

性を否定されることは生を否定されること!

心理療法をしていると その人の痛みの源泉が 兄弟の布置にあることが多いのに氣付きます。

幼い時に 周囲の大人たちが言った何氣ない一言を受け取り自己イメージと変え 自分の一生を縛ることがあります。

和多志たちは関係存在ですから 文化の中で、グループの中で色々な評価を受けてしまいます。

その評価が外からのもの(外的抑圧と呼びます)と感じている場合は評価と自分が一つにはなっていませんが 外からの評価の一部が やがて自己イメージになってしまうのです。(内的抑圧と呼びます)

和多志たちは自己イメージのように生きていきます。

自己イメージを検証し 色眼鏡を外していく作業は素敵なことです。

昔、スリーインワンのワークショップで 全身のスタックポイントを見ました。

驚くことに正中線と関節の全てがスタックポイントでした。

それを省みて  和多志の口から出た言葉は「邪魔もの」でした。

母と兄を殺した デビルチャイルドという信じ込みを持っていたと氣づきました。

和多志は終戦直後(昭和20年)に受胎しました。食糧難の極致です。

何度も堕胎の刺激を受けました。それでも命が与えられました。

然し母は  和多志が1歳になる前に、 和多志をおんぶしたまま、栄養失調で倒れてなくなりました。

和多志には同じ母から生まれた光義という名の兄がいました。母が亡くなって この兄が 和多志を愛してくれました。

和多志が2歳の時 よちよち歩きで崖っぷちを歩いてしまったようです。 

三輪車で遊んでいた兄が心配して 三輪車ごと駆けつけ 崖から転落しました。

勿論入院し 院内感染で肺炎になり 亡くなりました。

この悲しい出来事故に「 和多志を愛した人を  和多志が殺した」と 信じ込んでしまったのです。

そんな自己イメージがあれば 愛される資格がないと思いますよね。

生きていて御免なさいの人生を歩むことになりました。小学低学年は生きる屍でした。

新しい母に愛されてはならない子どもであり続けました。

父さえ拒絶することをしました。レイプも引き付けました。女であることをどれだけ呪ったことか!!

それ故に 愛するものに自分の歪を手渡さないよう自分と向き合い、癒し続けました。

勿論多額のお金も使いました。

この痛みを原風景として描くとナイル河に流されるモーゼのイメージでした。

この原風景を箱庭で表現した時 河に流される幼子は 羽の取れた丸々と太った天使でした。

和多志がこの箱庭から得たメッセージは「デビルチャイルドという人生を自分の意志で選んで生まれた。生き切れるように 多くの力を神によって供えられた。」という 内容でした。

振り返ってみると 壁は人一倍(以上かも)ありましたが、「多くの恵みを得、社会からも人々からも信頼を得、生かされて来た」ことへの感謝を捧げずにはおれませんでした。

中学生時代 行きつく先が墓場なので 好きなことをしようと心に決め 満足できることを探し求めましたが 得られず、生きる意味を失ったニヒリストになってしまいました。

お金、地位、快楽 得ても仕方がないものでした。

もしそれを得ることを目的とすれば 得れば得るほど「もっと」を望み まるで「勝ち得たことが次の欲望への誘い水になる」かのように、飢えと渇きは身を焦がすほどになると思わずに

おれなく、それ以上に 求めたい氣力も湧きませんでした。

生きる意味を求め続けた思春期の問いは一旦棚上げすることで和多志は生き残りましたが 今ではそれは「自分が創造するもの」ということができます。

魂と一つになって意味を創造するために 力になるのが「カウンセリング・セラピー・ヒーリング」です。

意味の創造の為には 色眼鏡が拭い去られなければなりません。

心の浄化が必要だとも言えます。

和多志はそのために人生で得た財を注ぎこめる人を 幸せだと思います。

( 和多志は優の字が好きです。人が憂うと書いて優れている、優しいと読みます。)

そして 和多志が創造した意味とは「愛する者の幸せ」でした。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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