私は、私という人間であることが幸せ

Facebook中 ルミさんさん投稿記事

愛と絆に満ちた思い出─Sさんの3回忌を迎えて─

こんにちは、ルミナスの和訪問看護ステーションから、先日行われたSさんの3回忌についてお伝えしたいと思います。

Sさんは長い間ご利用者としてルミナスをご利用いただいていた方です。私たちは10年間にわたり、ご夫婦揃って訪問させていただきました。当時のヘルパーさんも一緒に参加し、昔話に花が咲き懐かしい思い出がよみがえり、心温まるひとときとなりました。

Sさんは最期はがんを患いましたが、私たちが訪問しアロマやヒーリングの緩和ケアを受けていました。ご家族も大変お驚かれていらっしゃりましたが、痛み止めを内服することもなく、痛みや不快感の訴えはほとんどありませんでした。最期の日々まで、ご自宅でお風呂に入り、歌を歌いながら過ごされていました。ご家族もこれまでの癌に対するイメージが変わった瞬間だったのかもしれません。

そして、3回忌の日、私たちはSさんのご家族と共にお墓参りに行きました。お墓の前で、讃美歌を歌い、Sさんが奥様のために歌われた様子をビデオで拝見させていただきました。娘さんや息子さん、ご親戚の方々から伝わる温かい思いに、私たちは感慨深さを覚えました。このような穏やかで和やかな雰囲気の中で迎えられる死は、「健康な死」とも言われます。死というものは、私たち誰にでも訪れる過程のひとつです。

生と死をどのように受け入れ、どのように受け止めていくか。それは病気や障害に限らず、私たちにとっても同じです。たとえ病気や障害があっても、心穏やかに満たされているなら、幸せに過ごすことができるのです。

Sさんの死もまた、多くの人々の愛に包まれ、穏やかに迎えられました。それを目の当たりにすることで、私たちにとっても死が忌み嫌われるものではなく、むしろ命の尊さを感じる機会となりました。

私たちはSさんのケアに関わることで、実は彼自身が私たちにケアをしてくれていたのだと振り返ることができました。Sさんから受け取った愛と思い出が、今でも私たちの心を温かく照らしてくれます。

また、お参りの際には久しぶりにお会いした息子さんご夫妻に、新しい命の誕生がサプライズとして用意されていました。まさにSさんの瞳にそっくりで、しっかりとその命を受け継いでいました。初孫が誕生したことに、Sさんもきっと天国で喜んでいらっしゃることでしょう。私たちは命の循環と継承の美しさを改めて感じることができました。新たな生命の誕生は、希望と喜びをもたらしSさんとの再会は、私たちにとって喜びと感謝に満ちた時間でした。

「本当に大切なものは目には見えない」と言われますが、Sさんの人生から学んだ最も重要なことは、人々との絆を大切にし、愛情を持って接することが本当の幸せであり喜びだということでした。彼の存在は私たちにとって永遠であり、彼の教えは私たちの心に永久に刻まれます。私たちはSさんの思い出を胸に抱きながら、これからも患者さんや利用者の方々に寄り添い、心からのケアを提供し続けていきます。

Sさんへの別れは悲しい瞬間でしたが、彼の人生を祝福し、彼の思い出を大切にしていくことで、私たちは彼への感謝と尊敬を届けていきたいと思います。そして、Sさんから受け取った愛と思いやりを、他の利用者の方々にも届けることができるのです。

Sさん、長い間本当にありがとうございました。あなたの思い出と共に、私たちは成長し、より良い看護を提供していけることを心から感謝いたします。あなたが私たちに教えてくれた愛と思いやりは、私たちの仕事や人生において大きな指針となっています。

Sさんとの出会いや思い出は、私たちの人生に深い意味を与えてくれました。

この出来事を通じて、私は本当に大切なことを学びました。それは、生と死の間にあるつながりと、愛によって結ばれていることです。Sさんが私たちに与えてくれた愛と思い出は、今でも私たちの心にしっかりと残っています。

私たち看護ステーションのスタッフは、ただ医療やケアを提供するだけではありません。それよりも、利用者の方々との絆を築き、共に人生の喜びや悲しみを分かち合い、支え合う存在でありたいと思っています。

Sさん、長い間本当にありがとうございました。あなたの思い出と共に、私たちは成長し、より良い看護を提供していけることを誓います。安らかに眠ってください。心からお礼を申し上げます。

ルミナスの和訪問看護ステーション

https://luminousnowa.com/


Facebook相田 公弘さん投稿記事『 アシュリーの言葉 』

小さいときからよくからかわれたし、いまもからかわれることはあるけど、そういうときは、

「あなたにも同じ血管があるのよ」って説明するの。それでもからかうようなら、もう放っておくの。それはわたしの問題じゃなくて、彼らの問題だから。

プロジェリアじゃなければいいのに、なんて思わないわ。

わたしは、わたしという人間であることが幸せだし、神様がわたしをこうお創りになったのには、きっと理由があるはずだもの。

もしかしたら神様は、「わたしはプロジェリアだけど、こう生きている」ということを人に見せなさいって、その機会をお与えになったのかもしれないって思うの。

この病気をとおして、人を助けなさいということかもしれないって思うの。

わたしのことをかわいそうだって言う人がいるわ。でも、その人たちはわたしじゃない。

だから、そう言うんだと思う。だってわたし、自分のことかわいそうだって、ちっとも思わないもの。わたしは、人の前で悲しい顔はしたくない。

笑顔でいると、みんながハッピーになるでしょ。ハッピーでいられる自分が好き。

悪口を言われたときでも、誰かがわたしに怒ったときでも、相手に対して怒らないで

いられる自分が好き。嫌いなところはひとつもないわ。

たまにはね、イラついちゃうときがあって、ちょっと嫌いになりそうになるけど、

そういうときは、なぜ、わたしは怒っているんだろうって考えて、気持ちを落ち着けるようにしているの。

そうすると、こんなことで怒るなんて意味がない、バカみたいだって思えてくるの。

で、それで終わりにするの。わたしはいつも前向きでいたい。

前向きになれないときがこれまで1回か2回はあったかも。でも、ほとんどないな。

自信を失ったこともないわよ。

だって、自信を失わされるようなことが起こったことなんてないもの。

人はこうなのに、自分はこうだとか、誰かと自分を比べて、どうこう考えたりしない。

誰だって完璧じゃないもの。

ひどいことを言われて相手に怒りを感じたときは、その人に怒り返さないように、自分に待ったをかけるの。

そこにいたらきっと言い返してしまうから、「ちょっと失礼」って別の場所に行って、

一拍置くようにしているの。

一拍置いて、いま起きたことを考えてみると、憤りが相手にそういわせたんだってことが見えてきて、自分の中の怒りや悲しみが消えていくの。

人が怒っているとき、相手に対して、本心から思っているんじゃないようなことまで

勢いで言ってしまったりすることがあると思うの。

言い争いをするとときって、売り言葉に買い言葉になっちゃうでしょ。

そんな怒りのシーソーゲームを続けていても、なんにもならないじゃない?

だから、こうしようって決めたの。

もしも、わたしが誰かからあなたにはあと24時間の命しかありませんよ、と言われたとしても、それで困ったりはしないわ。

死は誰にでも訪れるもの。恐れるなんて、意味がないことだと思う。

なぜ、ここにいるのか、それはわからない。

でも、わたしたちがここにいるのには、何か目的があるはずだと思うの。

わたしはハッピーに生きたい。ほかの人たちを勇気づけられるように生きたい。

生きるチャンスを与えられているんだもの。

わたしは、自分の定められた時間がくるまで、すこやかに生きていきたいと思っているわ。

わたしたちの祈っていることに対して、神様がそうしたいとお思いになったときは、必ずかなえてくださるんだと思っているわ。

いまは、特別な夢ってないの。家族がずっとずっと健康で幸せでいてくれたら、それでいい。

自分がいま得ているもので十分幸せだと思うから、それ以上、ほかに思いつかないわ。

これからどうなりたいかって?

ハッピーで、みんなを勇気づける人になりたい。人の助けになれる人になりたい。

愛情にあふれた人になりたい。

〜 アシュリー・ヘギさん 〜(カナダのプロジェリア症候群患者)

※いい言葉は人生を変えるより


https://www.yaruki-lab.jp/yarukiword20/ 【アシュリー「自分という存在」に揺るぎない自信を【やる気が出てくる世界の言葉】】より

自分の外見や能力、その他もろもろの特徴などを総して「スペック」と言うネット用語を目にしたことはありますか?

時には、自分や他人の顔つきや学歴、職業などを評価して、高学歴で人気のある職業に就いている、おまけに外見もいい人を「スペック高い」、その逆を「スペック低い」などと言ったりもするそう。

なかなか面白いけれど、冗談で言うのは別として自分のことを「スペック低い」なんて卑下する人間にはなりたくないし、お子さんにもそうはなって欲しくないですよね。

そもそも顔や学歴で人間の価値は決まりません。「スペック」なんて関係なく、「自分は自分。自分は素晴らしい人間なんだ」と胸を張れる大人になって欲しいです。

自分をまるごと愛し、人にも愛を与えよう。そんなやる気にさせてくれる、一冊の本と名言を紹介します。

【やる気が出てくる世界の言葉】:「私は、私という人間であることが幸せ」〜I’m happy to be who I am.〜 

「アシュリー 〜All About Ashley〜」/アシュリー・ヘギ 著

テレビのドキュメンタリー番組で、初めて彼女の姿を見たときは衝撃的でした。髪はなく、血管の浮き出た頭皮に窪んだ目。痩せた小さな体躯は子どものようなのに、顔には沢山の皺が刻まれていました。

彼女の名前はアシュリー・ヘギ。早期老化症(プロジェリア)という難病を持つ少女です。1991年にカナダで生まれ、執筆当時は14歳でした。

プロジェリアは、正式にはハッチンソン・ギルフォード・プロジェリア症候群という病気で、主な症状としては健常者のおよそ10倍もの速度で老化が進むというものがあります。

他にも老化に伴う動脈硬化や白内障、骨粗鬆症など様々な症状が発症するそうです。アシュリーは、多感な思春期の少女でありながら、老いていく自分と向き合っていたのです。

この本は、アシュリーが14歳の時に自分について語ったもので、家族、友人、学校や今後の夢、そして命についての自分の考えが率直な言葉で綴られています。アシュリーは家族の愛情に包まれ、幸せな生活を送っていました。

病気について、幼い頃からからかわれてきたアシュリー。そのことについて彼女は、「彼らはプロジェリアのことを知らないだけ。教えてあげてもからかってくるなら、それは自分ではなく、彼ら自身の問題」だと言います。

病気であることを不幸に思ったことはないというアシュリーは、「人に怒らずにいられる」自分、「面白くてハッピー」な自分、「動物を愛し、その世話が上手」な自分を心から愛しています。

そんな彼女ですが、決して順風満帆な人生を送ってきた訳ではありません。彼女の母、ロリーは17歳という若さでアシュリーを出産し、シングルマザーとしてアシュリーを育ててきました。

アシュリーの父は彼女が1歳の時に家を出てしまい、ロリーは治療法のない病気を抱えた娘と二人で生きていかなければならなかったのです。自分より先に死んでしまう娘。その現実が受け入れれらず苦しむ母の姿は、きっとアシュリーにとっても辛いものだったでしょう。

しかし、ロリーは信仰によって心の救いを得、彼女と共にする時間を大切にしようと思って生きてきました。そんな母の再婚により、弟が生まれ、血は繋がっていませんが理解のある父ができ、アシュリーは4人家族となりました。

そんな幸せも、彼女が前向きに生きていくための基盤であったように思えます。

アシュリーには、ジョンというボーイフレンドもいました。カナダに住むアシュリーと、アメリカ在住のジョンは遠く離れていましたが、同じ病気を抱えるふたりは、小さな頃からの友達で、言葉がなくても分かり合えるような、そんな存在でした。

アシュリーより3歳年上のジョンは、アシュリーに沢山の影響を与えました。言葉でアシュリーを諭すというよりも、「自分の病気をふくめ、今ある状況を嘆くのではなく、少しでも前に進んで人生を楽しく、意味あるものにする」ということを、身をもって示してくれる存在でした。

アシュリーは、そんな彼を心から尊敬し愛していました。しかし、ジョンは16歳という若さでこの世を去ります。アシュリーは心から悲しみますが、生前から遠く離れて暮らしていたふたりは、滅多に会えなくても心は繋がっている感覚を共有していました。

アシュリーは、ジョンが天国にいてもそれは同じなのだということに気がつき、彼の死を乗り越えることができたのでした。

自分自身も死と向き合いながら、アシュリーは懸命に命のあり方について考えていたのでしょう。その心の深さは、自分自身だけではなく他人に向けられる優しさの中に溢れていました。

2009年4月21日、アシュリーは亡くなります。プロジェリア患者の平均寿命である13歳をはるかに越えた17歳。18歳の誕生日を間近に控えていました。

彼女は生前から、自分の命をチャンスと捉えていました。彼女は本の中で、こう繰り返しています。「私はハッピーでありたい」と。

病気を抱えた自分が笑顔でいることで、沢山の人を勇気づけたいと願っていたのです。彼女の生き様は、日本のドキュメンタリー番組で取り上げられ、その死から10年が経った今でも、誰かの心を励まし続けています。

〜子どものやる気にどんな影響が?〜

アシュリーが抱える病気の苦しさは、想像を絶するものがあります。体の痛みだけではなく、同世代の子たちがスポーツや恋愛に夢中になる中、年老いた肉体で出来ないことばかりの人生に耐えなければなりません。

でも、アシュリーは違いました。自分と他の誰かを比べて、どうこう考えたりはしない。完璧な人間はこの世にいないのだから、というのです。

落ち込むことや、傷つくこともたくさんあるけれど、彼女は自分を責めたりしません。それは、自分を愛し、自分という存在に揺るぎない自信を持っているからだと思います。

彼女は、自分が病気を持って生まれてきたのには、必ず何か意味がある。自分の生き様を通して人々に勇気を与えるという使命を、神様から授かったのだと考えていました。

人生とは、何をどれだけ持っているかではないのです。この世に生まれ、自分自身を精一杯に生きる中で、何を見つけるか。

自分の欠点も受け入れ、自信を持って生きていこう。そんな気持ちにさせてくれる一冊です。

参考文献「みじかい命を抱きしめて」/ロリー・ヘギ 著

やる気が出てくる世界の言葉:

「私は、私という人間であることが幸せ」〜I’m happy to be who I am.〜  「アシュリー〜All About Ashley〜」/アシュリー・ヘギ 著

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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