関係を物語る二人称

https://www.sakigake.jp/special/2020/haiku/article_14.jsp 【人称が印象を変える】より

「百人一首」に 君がため春の野に出でて若菜つむわが衣手に雪はふりつゝ 光孝天皇

という歌があります。「君」のために若菜を摘むのです。「君」(二人称)と「わが」(一人称)を詠み込み、「君」への思いを込めた作品です。

 緑蔭を出て来る君も君もかな 高浜虚子 

は、虚子が若者たちと行った句会での作。句作を終えた若者たちが緑蔭から次々に出て来ました。もとは〈緑蔭を出て来る彼も彼もかな〉でしたが、「彼」を「君」に直しました。「君も君も」のほうが、句が生き生きとしています。

 さて今回は、「君」「あなた」など、二人称を使った投稿作品を検討します。

恋心を演出する「君」

花ある君まだあげ初めし恋の行方

 阿部彰太さん(本荘東中3年)の作。島崎藤村の〈まだあげ初めし前髪の(中略)花ある君と思ひけり〉(「初恋」)という詩の本歌(詩)取りです。「恋の行方」で俳句の形にまとめました。伝統的な「君」の使い方をした作品です。

「君」か「人」か

花氷改札口で君を待つ   走り出す君の背中や夏の海

 安倍実織さん(秋田北高2年)の作。恋の句だと解しました。「君」という言葉がよく働いています。それを確かめるため、「君」を別の言葉に変えてみましょう。

花氷改札口で人を待つ

 どうでしょう。句の印象がかなり変わります。「君」より「人」のほうがよそよそしい。改札口で待つ「人」は恋人かもしれないし、そうでもないかもしれない。漠然としています。「人」が漠然としているぶんだけ、季語の「花氷」が目立ちます。駅の構内に花氷がしつらえてあるのでしょう。

走り出す人の背中や夏の海

 「君の背中」を「人の背中」に変えると恋の句が叙景に変わります。夏の海で人々が遊んでいる。誰かが海に向かって駆けだした。その背中を作者はただ眺めている。「人」は赤の他人でもかまいません。

 「人」という言葉がずっしり重い場合もあります。鈴木真砂女の句に

 人恋し青き木の実を掌にぬくめ    人もわれもその夜さびしきビールかな

 人と遂に死ねずじまひや木の葉髪

があります。これらを〈君恋し青き木の実を掌にぬくめ〉〈彼もわれもその夜さびしきビールかな〉〈君と遂に死ねずじまひや木の葉髪〉としても句は成り立ちます。しかし真砂女の切実な俳句には、鋭く突き放したような「人」という言葉が似つかわしい。

音を滑らかにする

人混みにあなた佇む日日草

 堀川南さん(秋田北高3年)の作。人混みの中の「あなた」を注視しているのです。「君の佇む」「彼の佇む」でも句は成り立ちますが、人が大勢いて日日草が咲いている情景には「あなた」という明るく柔らかい言葉が似合います。細かいことをいうと、ヒトゴミという音がよろしくないので 人中(ひとなか)にあなた佇む日日草 とされてはいかがでしょうか。

 飯田蛇笏に〈つぶらなる汝(な)が眼吻(す)はなん露の秋〉(お前のつぶらな眼を吸いたい)という、ドキッとするような句があります。「汝」という二人称が効果的です。

 同じ相手を句に詠み込む場合に「君」「あなた」「汝」など二人称を使うか、「彼」「人」のような三人称的な表現を使うか。それによって句の印象が変わります。句を推敲(すいこう)するときに念頭に置いていただければ、と思います。


https://www.sakigake.jp/special/2020/haiku/article_15.jsp 【関係を物語る二人称】より

 前回(10月26日付)に続き、二人称を取り上げます。以下はすべて高浜虚子の俳句です。

虹立ちて忽ち君の在る如し(1)            虹消えて忽ち君の無き如し(2)

不思議やな汝(な)れが踊れば吾が泣く(3)

 「君」「汝れ」と詠まれたのは森田愛子という女弟子です。結核のため29歳で亡くなった愛子と虚子との交情を描いた小説「虹」は小説家としての虚子の代表作です。虚子は鎌倉(神奈川県)、愛子は三国(福井県)に住んでいたため会う機会は乏しく、虚子は病中の愛子に「虹が立つと貴女がいるようだ(1)。虹が消えると貴方がいなくなるようだ(2)」と書き送りました。また、山中温泉での俳句会の席上で愛子は虚子のために踊を披露しました。それを見た70歳の虚子は感極まって涙を流した(3)と伝えられています。

 虚子は、遠くに住む愛子を恋人のように「君」と詠み、眼前で踊る愛子には親しく「汝れ」と呼びかけたのです。〈虹立ちて忽ち汝れの在る如し〉や〈不思議やな君が踊れば吾が泣く〉ではよろしくない。

 二人称には「君」「あなた」などいろいろあり、俳句に使う場合もそれぞれニュアンスが違います。以下、投稿作品に見られる二人称の用例を拾い、他の言葉に置き換えて比べてみます。言葉の対照実験です。

存在を身近に感じる「君」

花の雨見つめる君と傘の中

 岩谷ゆいさん(秋田西高3年)の作。〈花の雨見つめる人と傘の中〉と比べてどうでしょうか。一つの傘の下で「君」は雨の桜を見ている。その「君」の存在を作者は身近に感じている。「人」より「君」のほうが親しい感じがします。

春惜しむ君はなんにも言わず行く

 千葉優翔さん(秋田大1年)の作。作者が男性、「君」は女性と仮定します。〈春惜しむ彼女なんにも言わず行く〉と比べてどうでしょうか。「君はなんにも言わず行く」のほうが、なんにも言わない相手に対する物足らない気持ちがよく表れています。

はかなきは君をば求む桜東風

 茂木槙二さん(湯沢高3年)の作。「あなたを求む桜東風」と比べてどうでしょうか。「君をば求む」のほうに、感情の初々しさが感じられます。

 優しい響きの「あなた」

花林檎あなたの喉を暴きたい

 加藤菜々さん(由利本荘市、会社員23歳)の作。〈花林檎おまえの喉を暴きたい〉だと危ない句になってしまいます。「喉を暴きたい」と言いながらも「あなた」という言葉に相手を思う気持が感じられます。

春の海あなたの星になれますか

 も同じく加藤さんの作。〈春の海あの人の星になれますか〉と比べると、「あなた」の効果がよくわかります。

愛の唄あなたに贈る満月よ

 浦島奈々さん(能代西高3年)の作。〈愛の唄おまえに贈る満月よ〉では上から目線ですね。〈愛の唄君にと贈る満月よ〉では何だかキザっぽい。「あなた」という優しい響きが効果的だと思います。

 「君」や「あなた」を恋人と見立てて検討しました。じっさいに恋をしなくてもフィクションとして恋を詠むことは古来、詩歌のたしなみです。

 君と我うそにほればや秋の暮 虚子 

秋の暮って淋しいから、君とボクとで恋人ごっこでもしようよ、というのです。

明治39年の作。このとき虚子は32歳。「君と我」という口ぶりがちょいワルおやじ風です

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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