http://8w1hflkm.jp/katakamuna3.html 【カタカムナと超三段階論 (カタ●・カム■・ナ▲) Ken Chijimatsu】より
☆皆様にご紹介したい人がいます。カタカムナ研究家の吉野信子さんです。
吉野さんは「カタカムナ48声音の思念表」を独自に考案され、その言霊と数霊でもって世界を解釈しようとされています。
2012年秋からのお付き合いですが、私の21世紀マンダラモデルの金剛界曼荼羅に当たる「神聖方陣」を「フィボナッチ数列ひふみ九九算表」と名付けて、広めてくださり、その中に秘められた意味を次々に発見され、全国を回って講演されています。
『カタカムナ48音の響きが、物質・生命体(カタ)の、その見えないチカラの広がり(カム)の、核(ナ)から出ています。』と彼女はいいます。それは、私の超三段階論では「●(物質・生命体の現象=カタ)は、その見えないチカラの二次元的広がり(カム)の■実体を通して、核(ナ)という▲本質から出ています。」更に云えば、「●トーラスは、フィボナッチ数列^2■を通して、黄金比▲から出来ている」と一致するのです。
☆ギリシャ語のロゴスの語源は「三つの数の関係ないしは比」を意味しているというから、それは神聖比例の「φ:1:Φ」に違いありません。
また、レゲインはロゴスの動詞形で、本来は、自他を集約しながら下に、そして前に置くことを意味するとハイデッカーは推測し、「まずそれは『置くこと』であり、現前するものを集約し、保存し、管理し、支配する」と説明しています。
(ヘラクレイトスの断片50について、ハイデッガーが「一即全という仕方でロゴスが現れる」と解説している箇所にて)
☆このことから類推すれば、フィボナッチ数列のアルゴリズムすなわちフトマニの「二つを足して次の間に置く」と「レゲイン」が同義であることは明らかです。
フトマニ数列から神聖比例(黄金比Φ)が生じるのですから、ロゴスの三数関係とそれを生じさせる動詞形のレゲインがまさに対応するということになります。
藤原肇博士はよく「意味論」について述べられていますが、行間を読むとか、書かれていない事を読み取るとか、更には、不完全な翻訳に惑わされずに原文に帰るとか、語源を辿るかして、その文脈が語ろうとしている本当の意味を読み取ることが大切であり、言葉をそのモノだけで解釈する無意味さを嘆いておられたのだと思います。
今般、哲学の巨人のヘラクレイトスとハイデッカーの短い言葉に接して、「ロゴスとレゲインの関係」を「黄金比とフィボナッチ数列の関係」に置き換えるという試みは、その「意味論」の一つの成果かもしれません。
『三数』の関係は『算数』の基本にもなる訳です。(サンサンの語呂もよろしいようで)
そして、●▲■の超三段階論において、▲黄金比、■フィボナッチ数列^2、●トーラス という関係が、論理(本質)、原因(実体)、結果(現象)の関係にカサネられるということが明白になって来るのです。
更に、三位一体の父と子と聖霊の関係は父:神:ロゴス(論理):神聖比例▲、子:キリスト:人間:現象●、聖霊:レゲイン:フィボナッチ数列:実体■となります。
般若心経に述べられる「色不異空 空不異色」は現象●の色から、縁起としての実体■を通して空▲に帰納することと、その逆での演繹を意味しています。「色即是空 空即是色」は●から▲へ、逆に▲から●へと直観する関係を表わしているのです。
「万物は流転する」という有名な言葉を残しているヘラクレイトスは「万物は1である 1から万物が生まれる」と述べていますが、そこにはフラクタルな関係が存在します。
そして、▲の黄金比の位置に1があることについては多少の説明が必要です。
1と黄金比の関係については、Φは全て1を使用した連分数あるいは1の連平方根で表わせるという事実で充分納得が行くでしょう。
【黄金比Φは1のみで表わされる究極の自己相似系である】:左図に示します。
ここまで 2015.5.10
*2015年8月2日放映のNHKの日曜美術館を観ました。そのパウル・クレー「来るべき者」から直観しました。これぞ「サムライ」を意味しているのではないでしょうか。
1933年の作品ですから、ナチスのカギ十字に対して反対向きの卍が先ず読み取れます。更にカタカムナの五文字が隠されているように見えませんか?
*色についての考察です。肌の色は白ではなく褐色か黄色系。天子の羽のような白装束は袴か鎧のようにも観えます。頭の部分は赤系統ですが、髪の毛ではなく帽子か兜かもしれません。更にサムライのイメージからすれば、“白地に赤く日の丸染めて”の色合いに近いのかもしれませんね。背景のモスグリーンは草原か森林でしょうか。
*スワスティカの右回りがハーゲンクロイツでナチスの紋章ですが、左回りが仏教やヒンズー教のまんじです。前者の逆まんじには謎をかけるという意味があり、後者のまんじにはその謎(迷い)から解放されるという意味があります。
「来るべき者」は両手の曲げ方向と、向かって左の肩と胴体と右袴のラインでまんじのカタチが浮かび上がってきます。ナチスドイツの脅威が叫ばれる中にあって、それを解くべき者を天使あるいはサムライに期待したのかも知れません。
*「カタカムナ」の五文字をこの絵の中に読むことは、茂木健一郎の「アハ体験」ではないですが、判ってしまえば容易なことでしょう。これは説明するまでも無いと思います。イメージを少し働かせれば良いのです。カタカムナとは何かという質問の方が重要ですね。
イロハ48文字の日本語のルーツです。カタカムナの最初と最後の音で「カナ」となります。仮名は漢字での当て字に過ぎません。
「カタ」はカタチとして現われる現象、「カム」は陰陽が噛み合わさっている実体、「ナ」は中核となる本質を意味しています。
「超三段階論」では、何故かカタ●、カム■、ナ▲に置き換えることができました。
この段階で以前に藤原肇博士が示唆してくださったカタカムナとフィボナッチ数列が関連付けられた訳です。
ここまで 2015.8.10 千々松 健
★「善の研究」で有名な西田幾多郎はプラトンの云う真善美の「善」を中心に研究しました。要するに、哲学者も物理学者も皆■の善を探求して来たのです。現象を生む本質は直観的に理解されたとしても、その実体ないしは原因の仕組みが誰にでも判るように説明しようとしてきたわけなのです。
「21世紀マンダラモデル」(2009年公開ー2016年最新版)はフィボナッチ数列^2から発想して、イメージ化したものですが、FMn≡FLKMchain(mod 9)という「未来を変える方程式」あるいは「黄金比ふとまにアルゴリズム」として、万物理論になる可能性を秘めています。
ここまで 2016.3.25 Ken Chijimatsu
■ハリナガリンボウガイ(学名:Yoka)の9本の歯の延長線上にカタカムナの48音を展開し、5首と6首を繋げて順に番号を付けて手書きしました。螺旋はパソコンでは巧く描けないのが残念です。
ここまで 2016.09.10 千々松 健
参考:吉野信子オフィシャルサイトはこちらから
Facebook根本 泰行さん投稿記事、·
オフ会とはちょっと懐かしい響きがありますが、FBでお友達となった千々松健(ちぢまつ けん)さんが、是非、一度お会いしましょうとのことで、互いの自宅がそこそこに近くであることもあり、鎌倉駅の裏口(西口)で待ち合わせて、一緒にお茶を飲んだ後、夕食をご馳走になりました。
千々松さんは、この宇宙の成り立ちのもっとも根源的なところでの仕組みについて研究されている方であり、西洋的に言えば、聖なる幾何学的な部分とも関連すると思いますが、9を法とするフィボナッチ数列とその関連数列を使って、「21世紀マンダラモデル」という形で、数霊的にこの世界を解析されています。
また同時に、○△□の仕組みも取り入れられています。この3つの対応関係が私としてはとても興味深く、「超三段階論」と千々松さんは名付けられています。
1.本質▲論理
2.実体■原因
3.現象●結果
この3つは実際には正三角形の頂点を占めています。
数理的・幾何学的には、1の「本質」は、黄金比φとその逆数であるスモールφに対応し、2の「実体」は、フィボナッチ数列とその関連数列から構成された、一種の魔方陣(「神聖方陣」と名付けられている)に対応するとのことです。
φはフィボナッチ数列の隣接二項間の比の極限値でもありますので、この対応関係は、無限と有限の関係にも似て、とても興味深いです。
そして3の「現象」は、陰陽図でもあり、トーラスでもある、とのことです。
トーラスの重要性について、私はドランヴァロ・メルキゼデクの著書やワークショップで、初めて知りましたが、最近では、「スライブ」などにも出てきますね。
そして、これら3つの要素に関連して、以下の3つの流れがあります。
1→2→3 演繹(Deduction:デダクション)
3→2→1 帰納(Induction:インダクション)
3→1 逆行列的推論
(Invertible-abduction:アブダクション)
# ここにアブダクションが出てきますね
# >迫村先生、北條さん&細谷さん!
興味ある方は是非、千々松さんが描かれた添付の図をご参照ください。
また千々松さんは、さっそくに「第四の水の相」も図の中に取り入れてくださっています。ありがたいことです。
*
こうした世界の根源の仕組みについて、いろいろと語り合うというのは、一種の至福の時間ですね。
このような時と場を与えてくださった千々松健さんに深く感謝申し上げます。
*
数学というのは実に不思議なところがあります。一つ最近私が考えているのは、「数学というのは宇宙にただ一つ存在するものなのかどうか」ということです。私の現在の答えは、「イエス」です。
今私たちは、いわゆる3次元の物理的次元に住んでいると考えることができますが、4次元や5次元の存在たちが使っている数学というのも、恐らく、私たちの3次元の数学と基本的には同じではないかと私は思っています。
なぜなら、数学的には私たちは、例えば2次元平面上で、円を考えることができます。そして勿論、この3次元世界で球を考えることができます。円も球も、それぞれの次元で、ある固定された点から一定の距離を持った点の集合として定義されるはずです。
同じ定義を、4次元座標軸に適用して、4次元世界の球というものを、数学的には明確に定義することができますし、その表面積や体積などを容易に計算することができます。
このことはn次元世界に拡張することができます。
こうした数学を構築するための、もっとも基本的な概念は(大昔に私がブルバキという数学の大系の第1巻の「集合論」を読破した時の記憶に基づけば)、何かモノが一つあるということと、いくつかのほとんど自明の法則だったように思います。
モノについては、記号的には空集合(φ)を使っていたように思いますが、空集合φがいわゆる数字の0に対応し、φを一つ要素として含む集合{φ}を1として考える。そして、φと{φ}を要素として持つ集合{φ、{φ}}を2として考える、というようなことではなかったかと思います(かすかな記憶を元に書いているので、間違っていたら済みません)。
このような操作を続けて行けば、自然数が全部、順番に出てきます。
すなわち私が言いたかったことというのは、まったく空想の世界で、モノを一つ考え、いくつかの法則を仮定すれば、あらゆる数学がすべて構築できるのではないかということであり、その数学はこの3次元世界のみならず、n次元世界でも通用するものである、ということです。すなわち、こうして構成された数学というものは、この宇宙のあらゆる世界で通用するはずである、ということなのです。
とすると数学はこの宇宙の創造において、相当に根源的なところに位置しているはずです。この辺り、本当に不思議なことだと思います。
こういう仕組み、宇宙のあり方はどのようにして設計されたのか。まったく異なる数学が成立する他の宇宙というものはあり得るのか、あり得ないのか。実に不思議なことです。
それと、数学を構築する作業において、時間というものは、何らかの影響を与えるのか、与えないのか。自然数を構築していくプロセスにおいて、時間の存在は必須なのかどうか(必須のように今の私には感じられますが、そうではないのかも知れません。よく分かりません)。時間がない世界においては、すべては一瞬にして無限であって、まったく別の数学が成立するのか。まったく不思議なことだらけです。
根本 泰行
愛感謝とともに
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