https://www.sougiya.biz/kiji_detail.php?cid=1675 【葉隠の一節「武士道と云うは死ぬことと見つけたり」は誤解されている】より
「武士道と云うは死ぬことと見つけたり」ーー葉隠の記述の中で特に有名な一節である。これは“武士たるものは主君のために死ぬことも覚悟しなければならない。”という意味である。日本人ならば多くの者がこの言葉を耳にした事があるだろう。江戸時代中期に書かれた”葉隠”という書物。肥前国佐賀藩鍋島藩士・山本常朝が武士の心得を口述し、それを同藩士田代陣基が筆録しまとめた。全十一巻に及ぶ。ただとある目的のために死を厭わないことが美徳だと書いてあるという解釈にされがちであるが、全くの見当違いである。
葉隠・原文と現代語訳
二つ八の場にて、早く死ぬ方に片付ばかり也。
別に子細なし。胸すわつて進也。(中略)二つ八の場にて、図に当たるやうにする事は及ばざる事也。我人、生きる方が好き也。多分すきの方に理が付べし。岩図に迦れて生たらば、腰抜け也。此境危ふき也。図に迦れて死たらば、気違にて恥にならず、是はブドウの丈夫也。毎朝毎夕、改めては死々、常住死身に成て居る時は、武道に自由を得、一生落ち度なく、家職を仕課すべき也。との記載がある。現代語訳では“どちらにしようかと思う場面では、早く死ぬ方を選ぶしかない。何も考えずに腹を据え進み出てみるものだ。(中略)そのような場で、図に当たるように行動することは難しいことだ。私を含めて人間は、生きる方が好きだ。おそらく好きな方に理由がつくだろう。図に外れて生き延びるは腰抜けである。この境界が危ないのだ。図に外れて死んでも、それは気違だというだけで、恥にはならない。これが武道の根幹である。毎朝毎夕、いつも死ぬつもりで行動し、死に身になっていれば、武道に自由を得る。一生落ち度鳴く家職を全うすることができる。”ということである。
武士道は武士としての生と死のあり方を説いている
武士道とは死を強制しているものではなく、武士としての生き方・死に方を説いた道である。この教えに従うことで、人生の軸を作ることができ、人として武士として全うした人生を歩むことができるとした。むやみに死ぬことが美しいではなく、人として“生きる”事。そして、死に際をわきまえ、その時には潔く散る事。桜の花びらを愛した日本人ならではの死生観である。十人十色の人生と生き方がある中で、葉隠れに書かれた“死生観”はとても美しいものだと思う。死という避けようのない現実に向き合う準備、日頃の自身の生活を正すことのできる教科書である。
https://samuraistyle.jp/hagakure/ 【「武士道とは死ぬこと」なんて言ってない!?「葉隠」の伝えたかった心とは】より
武士道とは死ぬ事ではない!?
「武士道とは死ぬことと見つけたり」という言葉をご存じの方も多いでしょう。
武士道のバイブルとも言える「葉隠(はがくれ)」の冒頭の一節です。
こういう言葉のインパクトと、特攻玉砕や自決などのイメージとが重なって、武士道は危険な思想だという印象を与えてしまう事が多々あります。
しかしこのこの言葉自体が「葉隠」の冒頭の一節の中の、ごく一部分だけの切り取りであって、本来的な意味とはズレてしまっています。
まずは本来の意味を正しく知りましょう!
「葉隠」の真意とは
「葉隠」とは、佐賀鍋島藩士、山本常朝(やまもとじょうちょう)が、口述で語った武士の心得を、同藩士の田代陣基(たしろつらもと)が書き留めた全11巻の書物で、武士道のバイブルともいえるものです。
武士道のバイブルと言えば、明治の頃に書かれた新渡戸稲造の『武士道』が最もメジャーですが、「葉隠」はそれよりも前の江戸時代中期に書かれていながら、藩政批判などが内容に含まれたせいか、禁書とされ、広く読まれるまでに時間を要したようです。
しかし内容的には、武士道の全体像と日本人の民族性を世界に向けて発信した新渡戸稲造の『武士道』よりも、武士の心得をそのまま語っている「葉隠」のほうが、圧倒的に分かりやすく、現代では、サラリーマン心得のようなビジネス書にもたくさん活用されています。
新渡戸稲造の『武士道』が、その概論を語った教科書だとしたら、「葉隠」は、細かな心構えやノウハウをまとめたマニュアルとでもいったイメージが分かり易いかと思います。
その「葉隠」の冒頭の一節に「武士道とは死ぬこととみつけたり」が出てくるわけですが、ちゃんとした意味が伝わるよう、もう少し詳しく抜粋して解説したいと思います。
武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。二つ二つの場にて、早く死ぬはうに片付くばかりなり。別に仔細なし。胸すわって進むなり。図に当らぬは犬死などといふ事は、上方(かみがた)風の打ち上がりたる武道なるべし。二つ二つの場にて、図に当ることのわかることは、及ばざることなり。我人、生くる方がすきなり。多分すきの方に理が付くべし。若(も)し図にはづれて生きたらば、腰抜けなり。この境危ふきなり。図にはづれて死にたらば、犬死気違なり。恥にはならず。これが武道に丈夫なり。毎朝毎夕、改めては死に改めては死に、常住死身(しにみ)になりて居る時は、武道に自由を得、一生越度(おちど)なく、家職を仕果すべきなり。
葉隠-Wikipedia
意訳
武士道とは、死ぬことだと悟った。二つに一つの決断を迫られるような場面では、より死に近しいほうを選んでおけば話は早い。細かい事に煩わされず、腹を括って取り組めば良い。目的が果たせなければ犬死だなどというのは、関西風の思い上がった武士道だ。生か死かの決断の場面で、思い通りの結果が得られるかどうかなど分からない。人は生きる方が好きだ。きっと好きな方を選んで後から理屈をつけるだろう。しかし目的を果たせずに生き残っているとしたら腰抜けになる。この境目が難しい。もし目的を果たせずに死ぬことになれば犬死の気違いということになる。でもそれは恥ではない。これこそがれっきとした武士道だと言える。毎朝毎夕、死の覚悟を新たにして、常に死んだつもりでいる時は、武士道から自由の境地を得て、生涯失敗することなく、職務を全うできるだろう。
個人的な意訳ですので、精度に関してはお許しください。
冒頭の一文だけじゃなく、ここまでの一節を読むと印象が変わってくるのではないでしょうか?
更に噛み砕いていきます。
いきなり「死ぬこと」から始まっていますが、「生きる方が好き」だとも言い切っています。
しかし、生きる方を選択すると、本来の目的より生きる方を優先したいという迷いが生まれ、その迷いをごまかすために色んな言い訳を考えるようになる。
その結果目的も果たせずに、ただ生き残ってるだけになってしまったらそれは腰抜けになる。
しかし死を覚悟してしまえば、他に何の迷いもなく目的だけに取り組める、その結果失敗して犬死にでも、それは恥にはならない。
この「腰抜け」と「犬死に」の境目が確かに「難しい」が、「死んだつもり」になることで生きたい!という迷いから解放されれば、全てが上手くいくようになる・・・
簡単に言ってしまえば、「迷いが生まれるから失敗するのであって、死んだつもりになれば迷う事も恐れる事もなくなって、何だって出来るよ!」というイメージでいいと思います。
「葉隠」の言う武士道とは「死ぬこと」ではなく、心の中で先に「死んでおくこと」。
それは「一切の迷いを捨て去る」という事です。
「死に急がせる」かのような意味合いとは大きく違いますよね。
死を意識する生き方
武士道が死を美化しようとしている部分は確かにあると思います。
ただしそれは、命あるものは必ず死ぬという意味からであり、私たちの考える死と全く同じ意味としてです。
ただ、サムライ達にとってそれはとても身近な事でした。
戦場に出ればいつ死んでもおかしくない状況ですから、生き残るという事にこだわり、臆病になってしまうと、却って危険な目に陥る事があります。
そういう意味からも、あらかじめ「死んでおく」ことは必要な覚悟とも言えます。
桜の花を好むのも、仮に短く儚い人生で終わるとしても、美しく花を咲かせたいという思いからです。
つまり「いつ終わるとしても後悔しない人生を生きたい!」という事です。
人生100年時代を生きる私たちにとって、死は身近な物ではなくなりました。
それでも死を美化したい気持ちは同じではないでしょうか?
余命宣告を受けた途端に人生観が変わる人は少なくありません。
死を自覚することは、生を自覚することになります。
死に様とは生き様のことです。
もし、死が残酷で不幸なものでしかないのなら、生は何のためにあるのか分からなくなります。
明日という日がくるかどうか分からないのは、サムライ達も私たちも同じですが、私たちには中々その自覚が持てません。
今、迷っている事、悩んでいる事、不安な事、それはもし余命が分かっていたとしても優先すべきことでしょうか?
もし死ぬ気で取り組んだら!?いっそ、もう死んだ気になったら!?
今とは違う決断で、全く違う行動を起こすかもしれません。
まとめ
「一億玉砕」とまで言われた太平洋戦争時、特攻や玉砕、自決の場面において「武士道とは死ぬことと見つけたり」という言葉が実際に使われた事が、この言葉のイメージを間違って印象付ける事になりました。
軍国主義教育の中で、武士道の思想は洗脳の道具のように使われ、捻じ曲げられて現代に伝わってしまった部分があり、それが残念でなりません。
今もなお、武士道の教えによって躾や家庭内教育が成り立っている事から考えても、武士道はもっと日常的で身近な存在です。
本来の武士道の意味が一人でも多くの人に伝わって欲しいと願っています。
【死後の世界は存在する】
エベン・アレクサンダー氏は脳神経外科の世界的な権威者です。
死に直面した患者さんを沢山助ける中で 患者さんたちから幽体離脱体験、トンネルを抜けた先の光の世界、そこで亡くなった親族、友人と会った話などを聞いてきましたが 単に脳の錯覚、幻覚だと決め付けて、聞き流してきました。
臨死体験者の証言集は色々出版されていますが 科学的な証明が得られないため それらは皆懐疑的な目で見られてきました。
エベン・アレクサンダー医師も 臨死体験、死後の世界の存在を否定してきました。
その彼が5年前、54歳のときに 細菌性髄膜炎、しかも悪性度の高い大腸菌に侵され、昏睡状態に陥りました。その時の臨死体験から死後の世界があることを主張し、脳が生み出す錯覚説・幻覚説を覆すことになったのです。
(脳の錯覚説、幻覚説)
1.脳は死の直前に 痛みを和らげるため 脳内物質(エンドルフィン)を放出します。
このエンドルヒンが覚せい剤を投与したと同じように 幻覚を見せるという説。
2.幻覚を見るのは 脳幹でも可能という説。
3.脳の再起動説。レム睡眠時に夢を見るように 昏睡状態から覚める時 古い記憶が支離滅裂に甦るとする。
大腸菌による髄膜炎はこれまで回復したケースがなかったということです。
彼は1週間の昏睡状態が続き 死のタイムリミット直前に 蘇生することができたのです。
退院した彼は自分の臨死体験を徹底的に調べることになりました。
入院中の自分の脳の状態を調べると 脳は機能停止になっていました。
テレビのスイッチを切ったような、意識はブラックアウトの状態でした。
エベン・アレクサンダー医師は
1の説に関しては 自分の脳の写真を示し 大脳皮質がダメージを受け 機能停止になった状態で 脳内で起きたことを映像で見ることは不可能と主張します。
2の説に関しては 自分の体験の克明な記録を示し 脳幹ではこれほど鮮明で複雑なものを見ることは不可能と主張します。
3の説に関しては昏睡状態の時お見舞いに来たものを覚えていること。
臨死体験時に出会った女性は まだ会ったことのない(脳の記憶に存在しない)彼の実妹であったことから 臨死体験は脳が創りだした幻覚・錯覚でなく、古い記憶が甦った幻覚・錯覚でもないと結論つけます。
更に 「脳が働けない状態の時に起きた出来事を どうして脳が記憶できるのか?」という質問に対し「意識を、そしてその瞬間に立ち会った記憶を形成するものが 脳以外にある。」と答えます。
エデン医師の衝撃的な発言を受けてかのように「人は死なない」という著書をだした 東京大学 大学院医学系研究科 医学部救急医学分野教授 医学部附属病院 救急部集中治療部部長「矢作直樹」氏へのインタビユー、
異次元世界を科学的に証明した 物理学者・ハーバード大学教授「リサ・ランドール」氏を紹介した動画です。
彼女によると 縦・横・高さそれに4次元の時間を加えた世界が通念でしたが それに加えて見えない、すぐ近くにある 別の次元が存在するという主張です。
東大の臨床医矢作医師は「人は死なない」と主張します。
空海も「人は死なない」と言います。
日本人は古来「あま(あの世)」と「うつしよ(この世)」を想定し 二つの世界をつなぐ「ま」を大事にしてきました。
「ま」をつり合わせる「まつり」は神事として祀られてきました。
祀り・祭り・奉り・政りとは、感謝や祈り、慰霊のために神仏および祖先をまつる行為(儀式)であると言われます。
祭のお囃子、太鼓や鈴の音。神輿や踊りや香り。
祭に預かるものは いつしか変性意識になり潜在意識とコンタクトする=神からの啓示=ご神託を受けとることになります。
「ま」つりを行えば「うつしよ」に居ながらにして「天」と交信できるともいえます。
「命」は「人が一を叩く」と私が解釈したことに対し、本来命という字は「令と口に分けられます。この口は祭器を表し、礼服をつけて 跪いて神の啓示を待つもの。ゆえに神の啓示を意味します。」との指摘を受けました。
然し「神の啓示を受け取れるもの」は「ひとつを体験できるもの」だと思うのですが如何でしょう?
「あま」と「うつしよ」の関係は キリスト教の直線的な時間感覚に類似しています。
あの世の中にこの世が内包され(これが五次元、形成磁場の概念なのでしょうか?)
永遠の中に今が内包されているともいえます。
永遠の象徴である「円」は 「直線」の集合であり、直線は 位置を示すことのみができる「点=0」の集合です。
永遠はゼロの集合でありそれは即ちゼロであることになります。
円は永遠の今を表していることなのでしょうか?
私はキリスト教の時間観は直線的と錯覚していたのでしょうか?
ヨベルの年、最後の審判の概念が時を直線に見せていましたが 円=ゼロであり無限であれば時は循環することになります。
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