追悼・金子兜太
よく眠る夢の枯野が青むまで 金子兜太
芭蕉が最晩年に詠んだ〈旅に病で夢は枯野をかけ廻る〉を彷彿させる。しかし、掲句が出来たとき、芭蕉の句が念頭にあった訳ではなかったと兜太は述べている。つまり、芭蕉五二歳、兜太八〇歳にして、無意識の内に互いに近い詩境に達したというべきであろう。もっとも、「軽み」の真髄へと鬼気迫る芭蕉の求道心とは違って、兜太の句には、大いなる万物流転に随順する安心立命が感じられる。
それは、「死んでも命は残る」という兜太の確信に拠るところが大きい。そうした死生観は、『二度生きる』という著書に詳しいが、前の大戦で多くの「死」を目の当たりにして辛うじて生還したという体験に根ざしている。「二度生きる」ためには、一度死ななければならない。他者の死を自らの死と捉えたとき、生死をはじめとする二項対立的観念を超えた「真実」が見えてくる。〈水脈の果炎天の墓碑を置きて去る〉における墓碑は自らのそれでもあったのである。
朝、兜太は亡くなった大切な人々の名を唱えるという「唱名」を欠かさない。それをしないと「その日は眠れないぐらい」だと言う。睡眠が日常生活における疑似死体験だとすると、「よく眠る」とは、死者との篤い交感とも深く関わる。それは、枯野が青むように、邂逅した「命」が再び輝く瞬間であり、「命」が滅びない所以でもある。「夢」こそが「真実」の世界なのかもしれない。そして、それは人を超えて産土の風土へも敷衍される。〈おおかみに螢が一つ付いていた〉〈狼生きく無時間を生きて咆哮〉〈言霊の脊梁山脈のさくら〉
初出 : 「俳句四季」2017年11月号
https://kanekotohta3.livedoor.blog/archives/14199823.html 【エッセー「秩父のオオカミ」】より
金子兜太と言えば一連の「オオカミ」の句がある。
皆野町の生家の庭に甥の桃刀氏が建てました。
おおかみを龍神と呼ぶ山の民
故郷の秩父三峯神社は狼が守護神、狛犬の代わりに神社各所に狼の像が鎮座している。江戸時代には、秩父の山中に棲息する狼を、猪などから農作物を守る眷族・神使とし「お犬さま」として崇めるようになったそうです。小倉美惠子著「オオカミの護符」にも書かれています。金子先生は「生きもの同士の共感、」相手の生きものに「原郷」というものを感じていた。その原郷はアニミズムの世界であると述べています。
狼をりゅう神と呼びしわが祖
暁闇を猪(しし)やおおかみが通る
おおかみが蚕飼(こがい)の村を歩いていた
おおかみに目合(まぐわい)の家の人声
おおかみに蛍が一つ付いていた
狼生く無時間を生きて咆哮
山鳴りに唸りを合わせ狼生く
山鳴りときに狼そのものであった
狼や緑泥片岩に亡骸(なきがら)
山陰に狼の群れ明くある (やまかげに おおかみのむれ あかくある)
狼の往き来檀の木のあたり
狼墜つ落下速度は測り知れず
狼に転がり墜ちた岩の音
狼を龍神と呼ぶ山河かな
「おおかみに螢が一つ付いていた」は、まさに自分の今言った考え方が熟してきた、自分の体のものになった、そのころにできた句です。秩父には、オオカミがたくさんいたという伝承が残っています。
そして、秩父谷――われわれは、秩父の山じゃなくて、秩父谷とよく言ってるんですが、秩父谷はオオカミがたくさんいたところだ、今でもいるに違いないと、退職した後、オオカミを探して歩いている読売新聞の記者の人がいたんですよ。その写真をときどき読売が出してくれた。それがわれわれの目に入ったということもあって、秩父の土というと、すぐにオオカミというのが私なんかには反射的に出てくるわけね。そのときに、オオカミは孤独なこともあったんだろうな、と、こう思うわけです。
秩父に両神山(りょうがみさん)という、台状のいい山があるんですよ。秩父出身の詩人の金子直一という人がいたんですが、その人が、両神山は「オオカミ山」から来ているんじゃないかと詩に書いていて、俺はそれに感動を受けて、もとはオオカミがたくさんいたのでオオカミ山と言ったんだけど、オオカミが全滅させられて名前だけ残ったと、そういうふうに取っていたわけです。そこから、今の句ができた。
一匹の「おおかみ」が残っていて、孤独を託(かこ)って、夜ノコノコ歩いていると。ふと見たら、その背中に蛍がパッパツと瞬いていたという。孤独な「おおかみ」。孤独な秩父。
そんなふうな言葉が盛んに出てきた。それでできた句なんです。秩父の土壌から離れて熊谷のようなところに住んで、秩父を思っているということの中には、ある意味、俺にも、オオカミ的孤独というようなものがあるのかなと思うことが、ずいぶんあります。
今でもときどき、そう思いますね。そんなことで、あの句は非常に懐かしい。私の郷里の皆野町に椋(むく)神社というのがありまして、町の人がそこに私の句碑を作ってくれまして、その句が刻んで境内にあります。
Facebook新田 修功さん投稿記事 空を見上げて思い出そう……⁉️🌎✨💕
おはようございます😃 賢者の一言 ゲーリー・スナイダー
「私たちは銀河の回転の中で生きている」
………………………………✨✨✨
時々、空を見上げて思い出しましょう🤗空の向こうに何があるのか❓
私たちはどこにいるのか❓無限の宇宙空間に、無限の星が浮かんでいます。
星々は銀河を作り、銀河は超銀河団を形成しています。
私たちは、今、天の川銀河の中の太陽系の惑星である地球の上にいます🌎
しかも、地球は時速1700kmの早さで自転しながら、太陽の周りを時速10万kmで公転しています🌎💦
そして、太陽系が銀河系を公転する速度は、なんと秒速220㎞だそうです 😱
こんなにすごい宇宙空間を、猛スピードで疾走しながら、私たちは「あっ‼️」と言う間に歳をとり、そして死んでいきます😱
過去の出来事をいつまでも悔やんでいたり、まだ来ない未来の心配ばかりしてみたり……🤣
なんて時間の無駄でしょう‼️
さあ❗️
空を見上げて、彼方の宇宙に想いを寄せて、ちっぽけな世俗の悩みなんて笑い飛ばしながら、愛を胸に悠々と生きていこうではありませんか🤗🏃♀️💕
今日も読んでくれてありがとう🙏😊💕
イラストで人生をふり返る①……⁉️🤗✍️
空色の人生……⁉️🌈💕🤗
小学生の時に習っていた、油絵の先生。
当時は、絵に描いたような、売れない貧乏画家でしたが(失礼🤣)
私が大学生の時に、個展を開かれて大盛況でした。
この先生から、空の色は青だけじゃないことを教えていただきました。
空には虹色のすべてが含まれている……と🌈
歳をとって思うのですが、人生も空と同じだなぁ……🤔、うれしいことや悲しいこと、辛いこと、楽しいこと、いろんな色を経験して、最後は白く輝く光に戻っていくんだなぁ……と🤗🌈✨
今日も読んでくれてありがとう🙏😊💕
https://www.youtube.com/watch?v=61bx-XtgXmU&t=1980s
瞑想と音楽の会【10】禅の死生観・フレディもしくは三教街
南紀白浜・聖福寺チャンネル
何かと慌ただしい日常を離れて、月に一度、静かに坐って体と呼吸と心を調えませんか。清々しい気持ちになり、明日への活力が湧いてくると思います。
ラジオ番組の感覚で視聴して頂ける瞑想・音楽演奏の会(無料・初心者対象)です。ネット上でお会いできるのを楽しみにしています。(毎月第4土・21時~22時)
【内容】
・今月の禅語紹介
・坐禅/動禅
・穏やかな音楽演奏
【趣旨】
どこまで行っても「これでいい」というところが見えない、そんな時代に。少し立ち止まって、ゆっくりと時間を過ごしてみませんか。
ある精神科医の先生は、ゆっくり過ごす、そういう豊かな時間というのが、恐らく一番多くのものを感じるんだと。ゆっくりゆっくり、幅のある時間が流れていくんだと。そう仰られています。
そしてその一番遅いと思う時間の使い方が、実は効率を重視して頭をいろいろ働かせている時よりも、よほど先が見えたり、横の方にも視野が広がったりするんだそうです。
月に一度。ゆっくりと時間を使っていただいて、お一人お一人にとりましてかけがえのないひとときを過ごしましょう。
■■南紀白浜・聖福寺(しょうふくじ)■■
音楽に導かれ、心のふるさとへ参りましょう。
聖福寺(しょうふくじ)公式サイト
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