兜太の「造型」論

https://kaigen.art/kaigen_terrace/essay-on-the-way-of-tohta-atsushi-komatsu/ 【金子兜太 試論 ~ Reality of the world ~   小松敦】より

Essay on the way of Tohta

◆はじめに

 金子兜太はいつも言う。俳句は「生きもの感覚」を以って「日常からつくれ」と。約一世紀を生きてきた俳人の揺るぎない確信であり核心。これは時代と共に言葉が変わってゆこうとも、俳句がますますグローバル化しようとも変わらない俳句の本質である。本稿では、兜太のこの核心を「生きもの」の「本能」に根差した俳句の本質として再確認することで、抽象的な俳句論から解放されて、俳句を、日常を、よりいっそう豊かに楽しめるようにすることが目的である。なお、本稿の中で参照する論考や仮説の出典は末尾に参考文献として纏めて記す。

◆「最短定型詩形」=俳句のとりこ

 兜太は俳句の形式上の本質を、五七五の十七音からなる最短定型詩形と規定する。季語・俳諧はその属性と位置付ける(季語は世界に冠たる詩語だが必須とはしない)。気候や文化の地域性を鑑みて「俳句を世界的視野で語る場合には、季語というルールを強制することは無理があるかもしれない。」と「松山宣言」にもある通り、俳句をグローバルにとらえる時にはなおさら、その本質は最短定型詩に集約される。

 俳句という形式が数百年にわたって詠まれ、読まれ続けてきた背景には、この最短定型詩形ゆえの理由がある。それは親近性と新奇性、反復と差異に対する人間の本能的な選好だ。短くなじみ易いたった十七音の定型(親近性・反復)の中に、新たなイメージ(新奇性・差異)を創り出すことが、人間の情動を喚起する。

 動物が生き延びるために、安全な環境や獲物を獲得しやすい場所は反復的に選ばれ、なじみ深い環境として記憶される。一方で、なじみ深い反復的な環境の中に発生する差異=変化は命を脅かす危険かもしれない。あるいは新たな獲物かもしれない。敵につかまる前に、獲物を逃がす前に反応しなくてはならない。親近性と新奇性が好まれる起源は進化の過程に備わった生存と繁殖のための選好、行動パターンだと言われる(下條信輔2008)。もちろんこれは俳句に限った話ではない。短歌しかり、音楽におけるフーガやカノンの反復形式など、例を挙げれば枚挙にいとまがない。このように、俳句のとりこになってしまうのは、生命の誕生から約40億年の時の中に醸成されてきた人間の性である。なお、なぜ例えば十八音ではなく十七音か、という議論はまた別の論点だ。一字一音、等時的拍音形式の言語である日本語に四拍子七五調の奇数音組合わせのリズムがフィットしてきた歴史は千年以上昔の記紀万葉の時代、あるいはもっと前、文字以前の歌謡から反復されてきたものとも言われ定かでないが、日本語に生きる上で快をもたらす様式であるからこそ続いてきたと考えられる。

◆「生きもの感覚」=つながりあう世界

〈人間は世界の中にいる(in the world)のではなく、人間は世界の一部(of the world)である。〉(A.Clark 2011)

 これは自然擁護団体の宣伝文句ではない。最近の認知科学(※)における人間と世界の捉え方である。

 デカルトの「我思う故に我あり」はやはり間違っていた。そもそも自己意識は錯覚なのである。人間の「意識」とは、無意識のうちに脳機能の情報処理結果を追認し、あたかも自分の意志でやったことであるかのような勘違いをするシステムであった。「意識」とは脳のプロセスの重要な極一部分をダイジェストにモニタリングする、ただの傍観者である、この見解は、様々な実験結果から現在の神経科学や認知科学の常識となっている。

 生理学者ベンジャミン・リベットは、人間が指を動かそうと意図し指が動くまでの過程を電気的に測定した。脳に電極を取り付けた被験者に「指を動かしたい」という気持ちになった時に動かしてもらい「意識」が「動かそう」と「意図」する指令と、「無意識」に指の筋肉を動かそうとする電気信号「運動準備電位」発生のタイミングを比べたのである。その結果、「無意識」下の「運動準備電位」が生じた時刻は、「意図」した時刻よりも約0・35秒早く、実際に指が動いたのは、「意図」した時刻の約0・2秒後だった。すなわち、「動かそう」と「意図」するよりも前に「無意識」のスイッチが入り、脳内の活動が始まっているということが証明されたのだ。その後多くの追試が世界中で行われ同様の結果が出ている。あるいは、衝突の危険をはっきりと認識する前に、足は車のブレーキを踏んでいる。このように、脳はたいてい自動操縦で動いており、意識はその傍観者である(D.Eagleman 2011)。「からだが裏切る」、「習うより慣れろ」と言うのも脳の自動操縦の一端である。

 人間だけの自由意志などは幻想であり、人間もほかの動物と同様に、自然法則に則って生かされているにすぎない。一方で、人間は世界の一部である、との考え方も古くからある。デカルトに対してスピノザやライプニッツの思想、それより太古から各地の神話で語り継がれてきた世界観であり、兜太の俳句の世界観でもある。

  花げしのふはつくやうな前歯かな 一茶

 一茶の俳句から感受してわかったという兜太の「生きもの感覚」(アニミズム)は、人間も自然の一部であり、人間の社会も花や蝶で構成されている自然と一緒だという感覚である。

  谷に鯉もみ合う夜の歓喜かな 兜太

 日常の一挙手一投足は、脳の自動操縦によってほぼ無意識的に実行されている。脳は身体の感覚器官を通じて世界を知覚し、複雑で膨大な情報処理を行い、環境に最も適した活動を出力して人間を生かしている。そんな脳にとって世界とは、脳を包む身体や身体を囲む自然や社会、更に身体が摑む道具にまで拡張して、相互につながりあう世界だ。つまり、兜太の「生きもの感覚」は、いわば「脳」感覚だ。つながりあう、生きもの本来の世界観だ。

 ところで、そんなおめでたい「傍観者」なる「意識」は一体何のためにできてしまったのだろうか。

 「意識」は「エピソード記憶」をするためにできたという(受動意識仮説・前野隆司2004)。人間の生存を支える記憶は感覚記憶、短期記憶、長期記憶の三つに大きく分類されるが、「エピソード記憶」とは長期記憶のひとつで「経験した出来事に関する記憶」であり、時間的・空間的な情報を伴う。判断や予測など人間の高度な認知活動を支える機能である。脳内の千数百億個という神経細胞が毎秒数十兆のパルスで繋がりあって計算し自動操縦している超並列情報処理機構の膨大な情報の中から、生存に有用な活動を「エピソード記憶」として記銘または想起するために、「意識」という機能が発達したという。「意識」は無意識な脳の自動操縦の結果をまとめた受動的経験をあたかも主体的な経験であるかのように錯覚するシステムとして、進化的に生じた。さらに、その「エピソード記憶」の中でも特に大切な経験にマークを付け強調し、その経験を未来の判断や予測に活用しやすくするための索引機能として、感情を伴う「質感」(直観、クオリア、リアリティ、も本稿では同義とする)が生まれたと言われる。

 生存本能として環境適応のために進化的に生じた「意識」、感情を伴ういきいきとした「質感」は、生存に必要な時局をより鮮明に記憶しておくために生じた進化の産物である。その詳細仕様の全容は未だ解明されていないが、システムのデザイン・コンセプトは合理的だ。これまでの哲学で議論されてきた事柄と照らし合わせてみると視界が開けて面白いが、そのいちいちをここで解説することが目的ではない。主題は、兜太である。兜太の「生きもの感覚」の鋭さは、哲学や心理学の文脈に照らしても説得力を持つが、最新の認知科学の文脈においてもその本能的な洞察力に驚かされる。

「創る自分」=「意識」と言語

 兜太の「造型俳句論」に登場する「創る自分」とはこの傍観者たる「意識」のことである、と言えばわかりやすいだろう。「意識」は脳がせっせと活動する脇でその活動を眺めてエピソードをまとめ質感をマークする係りだが、外部記憶装置に書き出してもよいことになっている。この外部記憶装置の一つが「言語」である。兜太は、言語を使ってエピソード記憶から「質感」をアウトプットする時の「意識」に対して「創る自分」と名付けたのである。

 兜太が『今日の俳句』で解説する〈存在感の純粋衝動〉つまり〈肉体そのままの、うぶな衝動〉とは、身体が経験するエピソード記憶の堆積の中の「質感」だ。この「質感」を「創る自分」と名付けられた「意識」が〈詩の核〉として捉え、〈その上に理知の構築〉=言語表現への変換が可能となる。〈詩は肉体である〉は単なる比喩ではなく、認知プロセスのアナロジーになっている。

 ところで理知を構築し詩を作り出すこの言語とは何か。動物から人間への進化の過程に言語が発生したことは想像に難くないだろう。認知科学の世界的第一人者であるアンディ・クラークによれば言語とは、ほかの動物たちと同様に生存に必要な脳内プロセス(ほとんどが自動操縦)を、「補足」するためにデザインされた「外的人工物」、いわば操作可能な外部装置である。指で切れない紙を切るために「はさみ」があるのと同じだ。その起源は、リズム・韻律を兼ね備えた音楽と同根であり、動物が繁殖してゆくための求愛・連帯・子育ての機能を持ったしぐさと発声(コミュニケーション)から発達したという(下條信輔2008)。

 言語の機能は、伝える・聞く・問うといったコミュニケーション機能だけではなく、外部記憶装置としてもはたらく。例えば日記や予定表、買い物のメモ、などだ。また、感じたことや考えたことを、言語形式にコード化することで、コンパクトで伝達容易なシグナル(記号・文字・音声)にフォーマット(構成・書式化・外部出力)できる。フォーマットされた内容は、自分自身で再度脳内に取り込み、内言し、修正して書き出したり、書き出した記号を操作して新たな構成を発見したりできる。さらに違う人同士で交換し合い、相互に共有・改良・活用ができる。詩や小説といったフォーマットでは、知らない世界を見たり、未経験の美しさや新たな驚きの「質感」に涙を流すこともできる。

 こうして、言語を使うことで世界を拡張するという人間独自のメカニズムが構成される。「言語はわれわれの直観的知識の単なる不完全な鏡映ではない。むしろ、言語は理性そのもののメカニズムにとって必要不可欠なのだ。」(A.Clark)

 正に俳句は超コンパクトなシグナルにフォーマットされた「言語チップ」のようなものだ。

 あなたは俳句と呼ばれる十七音の「言語チップ」に視覚または聴覚を通じて接続する。脳内にそのシグナルが瞬時にインストールされる。そのシグナルに刺激された神経回路網の興奮パターンや結合強度の変化に伴い、あなたの身体と世界の記憶が呼び覚まされ、繋がりあい、時に「質感」が発生し、情動が発動する。

  鶏頭の十四五本もありぬべし 子規

 鶏頭が十四五本ほど咲いているにちがいない、との句意。鶏頭の鮮烈な映像が頭に浮かぶ。と同時に「ありぬべし」と言い切る人の身体環境を思い浮かべる。競い合うようにして背を伸ばし咲いているたくさんの鶏頭の美しさ、力強い生命力をその人は知っている。しかし、確述と推量の助動詞を下五に構成したその人は、今、それを見て確認することができない。でも信じる、そうあってほしい、という強い思いの「質感」が発生し、胸を打つ。

 筆者の目の前に実際の鶏頭はない。この「言語チップ」に接続して筆者の世界が拡張したのである。俳句は、世界と身体を疎結合で繋ぐ世界拡張「言語チップ」だ。

 この「言語チップ」は、できるだけ人間の「エピソード記憶」を刺激・想起しやすいシグナルでフォーマットすることが理想的だが、使えるリソースはたったの十七音という超コンパクト設計のため、「季語(歳時記)」と言われる外部データベースとのインタフェースや「切れ」などのコーディング・テクニックが研究されてきた。本稿ではその詳細には立ち入らないが、「造型俳句論」のキーワードについては諸所で触れる。

 さて、鶏頭句に戻る。兜太はこの句について、「海程」創刊500号の記念座談会で次のように述べている。〈鶏頭の存在感をとらえている。鶏頭と正岡子規との取り組み。―中略― 子規の中に生まれている鶏頭の映像。その中には命ということも含めて、鶏頭の映像というものが書かれているという、そういう意味の映像だと言いたい。〉そしてさらに〈客観も主観もない、自分という主体のなかにできあがってくる映像世界というものを書けばいい。〉と言っている。映像世界とは何か。どうやって書けばいいのか。

◆映像と言語

 サヴァン症候群のナディアは三歳の時、ほとんど言葉を発することができなかったが、驚くほど美しく正確な絵を描いた。ところが言語力の発達とともに、十歳になるころにはその天才的な描画能力は消えてしまったという。また、健常者を対象にした人間の顔を記憶する実験においては、特徴を言葉にして記憶すると、記憶成績が下がってしまうという事例がある。進化学者のニコラス・K・ハンフリーは、優れた映像記憶の背後には言語の欠如があると主張している。我々の映像記憶が貧弱なのは言語を獲得したせいだというものだ。言語能力が発達することで、非言語的な映像認知能力が抑制されてしまう。言語は視覚イメージを言葉に置き換え、分析や外部記録を可能にする反面、現実世界の豊かな差異を抽象化し、忘却させてしまう。同様の現象は映像認識だけでなく、味覚や嗅覚における他の実験でも認められ、「言語隠蔽効果」と言われる。犯罪捜査における目撃証言に関連して研究が盛んだ。

 さて、俳人は十七音の言葉を紡ぎ出す生きものだというのに、しかも兜太は「映像」を書けというのに、言葉が映像を消すという「言語隠蔽効果」とはなんという障壁であろうか、と一瞬思う。しかし、思い出してほしい。俳人は、犯人を特定するために書くのではない。見たものを忠実に言葉に描き出すことを求めているわけでもない。何を言葉にするのか。〈存在感の純粋衝動〉を、感情を揺さぶる「質感」をこそ言葉にするのだ。

 兜太は「映像」を書けとは言うが、「目で見る」ことには固執していない。兜太が「映像」という時、それは「視覚」イメージだけではないのだ。「造型俳句論」発表当時に「イメージを暗喩せよ」と言っていたように、兜太の「映像」とは「質感」を伴ったマルチモダールな(全感覚的)イメージのことを指している。人間は日常生活で一つのモダリティ(感覚タイプ)だけによる経験はしていない(できない)。視覚、嗅覚、聴覚、触覚、味覚、等同時に複数の感覚に基づくマルチモダールな経験をしている。赤ちゃんはお母さんのおっぱいを飲むとき、肉体を通じて感じとるすべての感覚を動員してお母さんを知る。この「お母さん」を書けというのだ。

◆ほとんど見ていない

 では、そもそも「見る」とはどういうことなのか。生来目が見えている人にとって「視覚が解釈である」ということを理解するのは難しい。脳は目に流れ込んでくる膨大な光情報を無意識下で処理している。結果我々は目に入るもののほとんどを認識していない。知る必要があることだけを認識し、必要に応じて注目すればよいその他の情報は通常無視している。要するにほとんど「見ていない」。「間違い探し」に時間がかかったり、錯覚画像やマジシャンに騙されたりするのはそのせいだ。一方、三歳の時に事故で視力を失ったマイク・メイが四十三年後に視力を取り戻した事例がある。彼にとって手術直後の世界は混沌を極めた。彼の脳は目に入ってくる大量の情報を処理できず、息子の顔は解釈できない輪郭と色と光だったし、頭を左に動かすと場面が右に動く、という事態も予想できなかった。目は機能しても「視覚」がなかったのだ。その後数週間の生活を経てようやく彼は視覚を得たのだった。あるいは十六歳まで地下牢に幽閉されて育ったカスパー・ハウザー。彼は外を見たことがなかった。初めて見た窓の外は、彼にとっては壁の上にごちゃごちゃした色を塗り込めた四角い枠だった。彼の脳は未だ遠近感を学習できていなかったのだ。「視覚」は人間が安全に生存するために脳が学習した解釈の世界なのである。一端学習したら最後、二度とマイクやカスパーのように見ることはできない。

 言語隠蔽効果の前に、そもそも「視覚」は世界を「ほとんど見ていない」のである。だから巷の俳句入門書には「よく見ろ」と書いてある。俳句で「写生」を重んじる人たちは、経験的にこの脳の解釈の困難に気づいている。脳の解釈を経て繰り出される言葉は更に「認知バイアス」にまみれている。ろくに見もせずその代わり対象に対するステロタイプや、先入観、思い込み、誰もが偏る視点などを被せて、オリジナルだと差出してしまう。それらをまとめて「主観」と称し、これを排除せよと教える。対象に対して自覚的にいつもと違う視点を向けることで新たな発見を期待し、けっして下手に喩えるなと教える。俳句入門書にある「よく見ること」と「写生」とは、この認知バイアスの「克服」を説くものである。よく見てそのままに書きなさい、と言われると簡単そうに聞こえるが、俳句の「写生」とは認知科学的には極めて難しいチャレンジだ。本能的な認知バイアスを克服しろと言うのだから。

 それに対して「造型俳句論」は、本能的な認知バイアスを「克服」しようとはしない、むしろ本能に従う。兜太は経験的に、認知バイアスを「避けて通ることなどほぼ不可能」だと気づいているのだ。だからそもそも「見ること」にも固執しない。大切なのは肉体全身が日常の中で感じとる感覚=「質感」の方なのだ。そしてこの気づきは「生きもの感覚」に通底している。兜太が一茶の「荒凡夫」、愚直に本能に従う姿を美しいとして憧れるのも然り。身体と世界に抗うのではなく、人間も世界の一部であるとする「生きもの感覚」は認知科学的にも合理的な態度なのである。

◆「造型俳句論」=「創る自分」の見る「現実」

 兜太「造型俳句論」はいったい、本能的な認知バイアスを「克服」しないで、どうしようと言うのか。再び兜太曰く、〈今のように鶏頭を見て一つのことを考えるでしょう。何か考える。その一つのことだけを鶏頭に託して書くというのが、いわば客観写生の段階〉〈鶏頭を見ていろいろなことを思うわけでしょう。いろいろなことを感じている。その思ったり感じたりしていることが全部ひとまとめになって、書けたと思う瞬間があると思うんだ。それが映像で書けたということだと思います。〉つまり、先ず「感覚」は大事なのだが、最初に「感覚」したものだけで書くな、というのだ。初めの「感覚」はきっかけにすぎない。その「感覚」から様々に連想される「エピソード記憶」を掘り起こすのだ。

 例えば兜太は、尾道の水族館で見た青白く発光する烏賊の印象的な「感覚」に刺激されて「日常」の記憶を発掘する。出勤先の銀行の風景、薄暗い朝の店内、机に背を丸める行員達、高い天井、デスクの蛍光灯、深海魚、そこに居る人々の生態、群れる銀行員、等々。そうした記憶のアマルガムを精錬して得た結果の「質感」とは、魚族特有の生々した肢体で薄暗い朝の店内に一人ひとりわびしく蛍光灯を抱く人達と蛍光する烏賊のイメージ、だったという。

  銀行員ら朝より蛍光す烏賊のごとく 兜太

 その「質感」を「創る自分」が「映像」化した。そうして造型される表現こそが「現実」であると言う。もはやこの時、視覚的に「見ること」は必須ではない。「創る自分」の見る「現実」こそが必須なのだ。〈造型とは、まさしく「現実」の表現のための方法である。〉と「造型俳句論」で言っているのは、人間の意識が本能的に感得するこの「質感」こそが「現実」=「リアリティ」であるとの表明だ。本稿の冒頭で、「質感」を「直観」「クオリア」「リアリティ」と同義と述べたのはこのことである。これも「生きもの感覚」に通底している。

◆「詩は肉体」=「日常」からつくれ

 いとうせいこうとの共著『他流試合』文庫本収録の最近の対談で兜太は、〈俳句は練らなくていい、修行などいらない、ラップみたいにどんどんつくれ〉と言って、いとうせいこうを驚かしている。誤解を恐れずに言えば、テクニックは必要ないと言っている。その代わりに兜太は一貫して「日常」からつくれという。

 〈詩の核〉となるいきいきした「質感」は「日常」からしか生まれないからである。前述の通り、情動を喚起する「質感」は「エピソード記憶」と共にあり、「エピソード記憶」とはすなわち「日常」の出来事の記憶、マルチモダールな経験の堆積である。神経科学において記憶の想起とは、当初経験した際にスパークした神経細胞群の化学的・物理的変化の痕跡(エングラム細胞)をもとに、再び同じ神経回路が活性する現象である(利根川進2012)。しかも記憶表象は一塊の実体としてあるのではなく、各モダリティ(感覚)ごとに分散した神経状態のパターンとして存在し、ある感覚の刺激によって、再びそのエピソードにかかわる神経細胞が繫がり合い「思い出した」と認識される「プロセス」である(Barsalou1999)。こうして、紅茶に浸したマドレーヌの匂いから幼い記憶が呼び起こされる(プルースト効果)のだが、これらの記憶は身体内外状況の変化によって、置き換えられ、組替えられ、新たな記憶が常に創り出される(鈴木宏昭2016)。時に忘れ得ず、時に儚い、思い込み、朧で、勘違いもする記憶。さらに、様々な「エピソード記憶」を連続して思い出すことによって、個々の記憶同士が相互作用し合い、記憶間で新たな連合が生まれ、新たなエピソードと「質感」の創出につながる。(それぞれの記憶に対応するエングラム細胞の間のシナプス強化が起こり記憶痕跡を部分的に共有するため・井ノ口馨2017)

 だから、初めの感覚、きっかけを得たら、そこから連想する自分のエピソードを思い浮かべては、思いつくままに言葉をどんどん吐き出してみればよいのである、囀るように、吼えるように、本能のままに。

 〈おれは紙を持っていて、メモをどんどん書いています。みんなまとまっていないけど、自分の中でワーッと出てきたものを書く。これが大事です。〉(兜太『海程』500号)

 吐き出した言葉を契機にして脳はまた別のエピソードを揺り起こす、脳内装置と外部言語装置との相互作用による創発プロセス「二次的認知ダイナミクス(A.Clark))」も駆動する。身体内外の記憶を連合した(of the world)新たな「質感」(reality)を創り出すのだ。その時「詩」を創るには、書かれた言葉から「言葉」を想起するのではなく、書かれた言葉から「記憶」を想起することが肝要だ。想起とは失語体験である。読む時も書く時も、言葉以前の記憶が手を取り合い立ち騒ぐその「質感」に震える時、既に言葉はそこに無い。兜太が「詩は肉体」と示す通り、詩の言葉の源は言葉ではなく肉体(エピソード記憶、マルチモダールな経験の堆積)にある。

 〈あなたがたは頭で考えるよりもとにかく自分の暮らしの中からどんどん絞り出すようにつくりなさい、それが実は一番新しい俳句なのですよ。〉(兜太)

◆おわりに

 海程多摩では平成二十九年初春より、安西篤『金子兜太』をテキストに読書会形式をとった「金子兜太研究会」を実施している。この研究会が目指す成果について安西篤は、兜太を知るというだけではなく、「現代の視点で兜太をどう見るか」、「兜太に触発された論、接続する論、新たな光を与えること」だと発言している。本稿は同研究会を契機として、兜太に触発され兜太に接続する試論として思うところを述べたものである。この機会を創ってくれた安西篤と研究会メンバー、そして金子兜太に感謝申し上げたい。 了

※ 認知科学とは知的システムの構造、機能、発生における情報の流れを科学的に探る学問(鈴木2016)であり、心理学、言語学、哲学、神経科学、人工知能、ロボティクス等の研究者たちによる諸学横断的な学際領域である。

◎参考文献

『現れる存在』アンディ・クラーク・NTT出版

『あなたの知らない脳』デイヴィッド・イーグルマン・ハヤカワ書房

『教養としての認知科学』鈴木宏昭・東京大学出版会

『マインド―心の哲学』ジョン・R・サール・朝日出版社

『物質と意識』ポール・チャーランド・森北出版

『心はどこにあるのか』ダニエル・C・デネット・ちくま学芸文庫

『脳はなぜ「心」を作ったのか』前野隆司・筑摩書房

『脳の中の「私」はなぜ見つからないのか?』前野隆司・技術評論社

『〈意識〉とはなんだろうか』下條信輔・中公新書

『サブリミナル・インパクト―情動と潜在認知の現代』下條信輔・ちくま新書

『脳はなぜ都合よく記憶するのか』ジュリア・ショウ・講談社

『言葉と脳と心―失語症とは何か』山鳥重・講談社現代新書

『つながる脳科学』理化学研究所脳科学総合センター・講談社BB

『談』2014.No.99「社会脳、脳科学の人間学的転回」・TASC

『談』2013.No.97「〈快〉のモダリティ」・TASC

『早稲田文学』2017年初夏号◎作られゆく現実の先で

『〈こころ〉はどこから来て,どこへ行くのか』中沢新一ほか・岩波書店

『言語を生みだす本能』スティーブン・ピンカー/HNKブックス

『思考する言語』スティーブン・ピンカー/HNKブックス

『行動経済学』友野典男・光文社新書

『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット』川添愛・朝日出版社

『認知言語学』谷口一美・ひつじ書房

『魂と体、脳』西川アサキ・講談社選書メチエ

『七五調の謎をとく―日本語リズム原論』坂野信彦・大修館書店

『日本語のリズム 四拍子文化論』別宮貞徳・講談社現代新書

『森と氷河と鯨』星野道夫・世界文化社

『俳諧史』栗山理一・埴書房

『海程』創刊500号特別記念企画

『金子兜太』安西篤・海程新社

『現代俳句の断想』安西篤・海程社

『小林一茶』金子兜太・講談社現代新書

『今日の俳句』金子兜太・光文社

『金子兜太の俳句入門』金子兜太・角川ソフィア文庫

『感性時代の俳句塾』金子兜太・集英社文庫

『他流試合』金子兜太・いとうせいこう・講談社+α文庫

『存在者』金子兜太・黒田杏子編・藤原書店

『いま、兜太は』金子兜太・青木健編・岩波書店、

『熊猫荘俳話』金子兜太・飯塚書店、ほか


https://weekly-haiku.blogspot.com/2010/09/7.html 【子規の「写生」と兜太の「造型」の相同性についてツァラとレーニンに訊く】より

関 悦史

既に周知のとおり、週刊俳句の編集に当たってくれている山口優夢氏が望月周氏とともに第56回角川俳句賞をめでたく受賞した。「俳句」11月号での作品と選考会の発表が待たれる。

      *

「俳句研究2010年[秋の号]」が出たので、前回少し触れた仁平勝の連載「おとなの文学」のマクガフィン(無意味であるがゆえに機能するもの)論の続きを見る。

いわゆる二物衝撃について、仁平勝は藤田湘子『実作俳句入門』から二物(A=季語、B=それ以外のフレーズ)は意味で響きあうのではないという部分を引き以下のような句を例示する。

 廻されて電球ともる一葉忌 鷹羽狩行

 夏桔梗老女の帯のたしかさよ 草間時彦

これらの句では「一葉忌」「夏桔梗」が季語だが、この季語部分はそれ以外の部分と意味で結びついているわけではない、つまりこれらは暗喩ではなくマクガフィンだというのだが、この言葉は内田樹の『映画の構造分析』から来ているらしく、今回は以下の部分が引用されている(なお物語を起動させるものとしてのマクガフィンについてはウィキペディアの「マクガフィン」の項目に『映画術』からヒッチコック自身の言葉が引かれているのでそちらを参照 ≫Wikipedia)。

《ヒッチコックが看破したとおり、物語を起動させる力はマクガフィンから由来します。マクガフィンが発信するメッセージは「それが意味することの取り消しを求める」ということただ一つであり、それこそすべての人々を終わりなき欲望の運動のうちに巻き込むものなのです。》

意味上二物は離れていなければならず、にもかかわらず、というより、それゆえに二物が「終わりなき欲望の運動」を組織するというのはその限りではいいとして、それが俳句が「座の文学」であることの論拠に据えられてしまうと違和感を禁じえない。

《座とはすなわち、たとえば句会で主宰が「Bに対してAでなければならぬ」といえば、参加者たちがごく自然に納得する場のことだ、つまり「Bに対してAでなければならぬ」という意見が共有される座(句会あるいは結社、広くてもせいぜい俳壇)の内部でしか「二物衝撃」は成立しない。

あらためて強調しておくが、「二物衝撃」とはあくまでも俳句に固有のレトリックである。それは取合せという俳諧の手法が、題材を「曲輪の外」に求めてきたという、座の文学の歴史を抜きにして語ることはできない。ようは新鮮な取合せを求める俳人たちの「終わりなき欲望の運動」がもたらした、俳句だけのお家事情なのです。》

仁平勝「おとなの文学(26) マクガフィン(下の三)」(「俳句研究2010年[秋の号]」 65頁)

私個人は俳句を作り始める以前から、つまりいわゆる「座」の共有とは無縁の地点にいた頃から、詩の一形式として俳句を普通に読んできた。無論そこには二物衝撃の句も含まれる。私はそうした作りの佳句が放射する謎を、詩が開くべき広大な領域への通路の一種と受け取っていたし、また例えば、生前少なくとも座の文学としての俳句を経験したことはおそらくなかったであろうダダの創始者の一人、トリスタン・ツァラがピエール・ルヴェルディの詩作品を論じて、次のような卓抜な二物衝撃論と取れる短文を草したりしてもいるのだ。

《詩的イマージュが、ルヴェルディの詩観を曲解したある批評家たちが主張するように、たがいにかけ離れた各要素の必然性も感動も伴わない冷たい偶然の出会いにすぎないのだとすれば、詩は単なる言葉の操作演習に堕してしまうであろう。(中略)イマージュの精製を主宰する出会いが実効あるものとなるためには、生きられたもの、すなわち感じられ、見られ、詩人の生にとって不可欠な意味を持つモメントに置換され表現されたもの、還元すれば、無動機、無根拠なものではなく、未来の発展に役立つ短絡表現(ラクールシ)であり、詩人の世界像全体に結びついた感動の一単位であり、絶えざる生成発展に必須の一環でなければならない。(中略)詩は行動する。詩は思考の働きに連携するものであり、そのことによって、生命初原の基礎に一致するのであり、認識の方法となりうるのである。》

《ルヴェルディは体験した現実をそれぞれ唯一独特な要素に分解した後、新しい詩的現実を創造するため、かれのみが知る構成法に則ってこれらの要素を配置する、そして、詩はひとつの完全な均衡ある霊感の息吹きを保った閉鎖宇宙となるといえよう。》

トリスタン・ツァラ「ピエール・ルヴェルディの作品におけるイマージュの孤独について」(『詩の堰』宮原庸太郎訳 書肆山田 1989年 270~271頁)

「均衡ある閉鎖宇宙」云々は俳句といささかずれを生じる地点かもしれないが、ルヴェルディの詩における「かけ離れた各要素」が「詩人の世界像全体に結びついた感動の一単位」「絶えざる生成発展に必須の一環」と捉えられ、さらにそこから「生命初原の基礎に一致する」という開けを望見するに至る点は、二物衝撃句の読解にあたって大きな示唆をもたらし得る。さらに先走って言ってしまえば「体験した現実をそれぞれ唯一独特な要素に分解した後、新しい詩的現実を創造するため、かれのみが知る構成法に則ってこれらの要素を配置する」という一節からは金子兜太の造型俳句論への親近性も感じないわけにはいかないが、これについては後で触れる。

この仁平勝の二物衝撃論は前号を見返すと、子規の「写生」を論じる中から派生しているらしい。

《たぶん、俳人たちはあまり気づいていないが、近代俳句における写生とは、じつは取合せに新鮮さを求める方法意識から出てきたものだ。芭蕉が「題の中より出づる事は、よき事はたまたまにて皆ふるし」といったために、許六はひたすら取合せの題材を「曲輪の外」に求めたが、やがて時代とともにそれもマンネリになってきた。そこで俳句を近代化しようとした子規は、さらに新たな「曲輪の外」を求めて、写生という方法に行き着いたのである。》

仁平勝「おとなの文学(25) マクガフィン(下の二)」(「俳句研究2010年[夏の号]」 68頁)

取合せ(配合)の陳腐さを脱するために写生という方法が要請され、それが有効であったという一面は確かにあるのかもしれないのだが、こうした手法的な次元で話が終わってしまうのだとすれば子規の「写生」が抱え持っていた潜勢力の大きさを取り逃がすおそれがある。

《子規の「写生」が、手法面に大きく傾いて受けとられてきたことに不満がある》と述べているのが他でもない金子兜太である。先頃出版された『正岡子規の世界』において、子規の「俳諧反故籠」を閲しつつ兜太が言うところは次のようなものだ

《ここでは想像力や思念を排しているのではない。(中略)いたずらに頭を使ってつくり上げた俳句の空疎化を言っているわけで、実際の生きた景をとことん大切にせよ、それによって胸中の想念を伝えよ、それが「写生」なり、と言っているのである。》

《  混沌ガ二ツニ分レ天トナリ土トナルその土ガタワレハ

 われは「土ガタ」なりと明言する子規はだから徒らに虚を凝らした写生には賛成しない。しかし〈維新の子〉の内奥のダイナミズムは虚を実景に込めて、つまり実景によって伝える道を求めていた。〈実に執し実を活かす〉詩法、虚を呑みこんだ実を捕える詩法を「写生」に求めていたのである。したがって、子規が究極で求めていたものは〈実景による暗喩〉ではなかったのか、と私は思っているのだが、その実現を次のような句に見ている。これも死の前々年の作。

  鶏頭の十四五本もありぬべし》

金子兜太「子規の「写生」」(『俳句』編集部編『正岡子規の世界』角川学芸出版 2010年 20~21頁)

「実景による暗喩」の「暗喩」の語に字義通りに捕われる必要はおそらくあまりない。さしあたりここでは兜太が子規の写生論を言表不能な「虚」を「実景実事実情」から掴み取るものとして捉えていることが確認できればよい。

詩、引いてはあらゆる芸術は持続(日常の時間)と永遠という二種類の異質な時間のはざまにあり、それらを重ね合わせようとする。《〈持続〉は〈永遠〉と対立する。永遠には始まりなどないし、この永遠ということばは一定不変の、まったき活動能力を有するものについて言われるからである。永遠は無際限の持続でもなければ、この持続の後に〔死後、来世において〕始まる何かでもない。永遠は、持続と共存しているのである》と言うのは『スピノザ―実践の哲学』(鈴木雅大訳 平凡社 1994年)のジル・ドゥルーズである。この「永遠」と「持続」は、芭蕉の言い方で言えば「不易流行」となり、虚子の言い方では「花鳥諷詠」と「客観写生」へとやや位相をずらしつつ別れる。E・M・シオラン流に『歴史とユートピア』という言い方にも変形できるかもしれない。「不易」「花鳥諷詠」「ユートピア」はそれぞれ皆永遠の側を表し、「流行」「客観写生」「歴史」はそれぞれ皆持続の側を表すとしよう。

ではその際、子規の「写生」とは何なのか。それは〈持続〉と〈永遠〉という全く次元の異なる領域を、外部の事物に活き活きと就くことで一挙に一元化してしまおうとする極めて直接的でダイナミックな方法だったのであり、そして兜太の「造型」こそはそのヴァリエーションともいうべき、子規の「写生」の潜勢力を極めて完全に近い形で引き継いだ正統な後継者だったのではないかというのが、現在の私の見通しである。

ここでいささか唐突ながら参照しておきたい示唆的な書物が中沢新一『はじまりのレーニン』である。

子規の3歳下にあたる、つまりほとんど子規と同世代で同時代を体験したレーニンについて、行動を供にしてきたトロツキーがその若き日の姿を活き活きと書き残している。漁師の指導のもとに初めて魚を釣ってみるレーニン、紛糾する合議の最中に紛れ込んできた犬の腹を突然撫で、同時に重大な決断を下すレーニンの姿を引き、中沢新一はレーニンの「客観」についてこう語り直す。

《一九一七年一〇月の決断もふくめて、レーニンの決断はすべて、この意識と無意識の接触面でおこなわれたのだ。ドリン・ドリン! 魚の生命と人間の技術が接触をおこす、釣り針の先。やわらかい犬の腹に触れる、デリケートな手のひらの上。子供の頭をなでる手のひらが毛髪に接触をおこすところ。ある音が別の音に移行していく、音楽が実現する一瞬一瞬の「間」。そこで、人間の意識は、自然と生命と無意識のしめす、思考の外のしなやかな「客観」の運動に触れる。そのとき、「客観」がレーニンに何かを告げる。彼は決断する。》

中沢新一『はじまりのレーニン』(岩波現代文庫 2005年 12~13頁)

《……レーニン的唯物論は、その「物自体」、その「知りえぬもの」の内部にわけいって、思考がその外にあるものに接触していく「実践」の運動の重要性を主張したのだ。実践としての唯物論は、トロツキーの書いているように、「思考の外にあるもの、科学的探究の外にあるもののごく近くにあって」、まるで子供の頭をなでるようにして、あるいはまるで犬のおなかをさするようにして、その「思考の外」や「科学的探究の外」としてあるものの内部を感知しようとする、知性の働きにほかならない。だから、唯物論者であるレーニンは、自分のからだを笑いに波打たせているものの本質を、「知りえぬもの」とは言わない。》

(同書 24頁)

《客観は人間の意識の絶対的な外部にあるのだ。(中略)レーニンの「客観」は記号論も、社会学も、現象学も、心理学も破壊したところに出現する、おそるべき概念なのだ。彼はそれを、「物質」とか「絶対的自然」という言葉をつかって、表現しようとしている。それは、無限の深さと、無限の力能と、無限の階層性と、無限の運動をはらんで、人間の意識の外に、実在している。意識はその物質の運動の中から形成され、自分の中に、物質を反映ないし模写する。(中略)意識と物質は、同一でありながら、たがいに異和的であり、この同一=異和の関係をとおして、意識は客観を「反映」するのだ。》

(同書 53~54頁)

子規の食物や写生画(見るだけではなく病床で自分で筆をとっていた)への関心、無限の作業と自覚した上での俳句分類といった営為、若い頃の哲学志向、病床における異様な活動力などは子規がこうした「物質」の「無限の力能」に極めて近いところにいた、少なくともその近辺を目指していたのではないかと思わせる。その結果できた句群が、陳腐ではないとしても含みに乏しい、無条件に名句と言うにはためらわれる作ばかりと見えるとしても、その見た目の平板さは「無限の力能」を例えば「不易」と「流行」に分けて重層化させることなく一元化してしまおうとする力と意志に貫かれたものであるかもしれないのだ。

「俳句研究」には「読み直す評論」という連載もあり、今回第3回は、筑紫磐井が金子兜太の造型俳句論を《前衛俳句にとどまらない卓抜な思想が展開されている。その意味では、兜太の造型俳句論を現代の目で読み直してみる必要が生じている》として取り上げている。

《兜太は、近代俳句を常に発展段階的に図示した。諷詠的傾向[花鳥諷詠(虚子)と人生諷詠(波郷)]→表現的傾向[象徴的傾向(楸邨・草田男)と主体的傾向(誓子、赤黄男、三鬼)]に歴史的事実を置く表現史論なのだ。(中略)これらを俳句表現の進化の段階に位置づけ、科学的な進化理論を提供したのは兜太一人であったように思う。造型俳句論という背骨があったからこそできた史観なのだ。》

筑紫磐井「造型俳句論の再吟味」(「俳句研究2010年[秋の号]」 268頁)

つまり俳句表現の歴史に、風俗・ゴシップ史的なそれとは全く次元の異なる筋の通った史観を提供する背骨を成したというのが再評価の力点になっているが、ここでは子規の「写生」との関連から造型論を見直してみたい。

いわゆる造型俳句論というのは「俳句の造型について」(「俳句」1957年2~3月)と「造型俳句六章」(「俳句」1961年1~6月)という二つの論文だが、前者の構成を筑紫磐井が整理要約した中に次の部分がある。

《(3)造型俳句の7箇条をあげる。①俳句を作るとき感覚が先行する。②感覚の内容を意識で吟味する(それは「創る自分」が表現のために行なうもの。③「創る自分」の作業過程を「造型」と呼ぶ。④)作業の後「創る自分」がイメージを獲得する。⑤イメージは暗喩を求める。⑥超現実は作業の一部に過ぎない。⑦従って「造型」とは現実の表現のための方法である。》

虚子の「客観写生」がどこかスタティックで、子規の「写生」から重要な何かが失われていると直観している兜太が、虚子の時代を経た後に再び対抗的に組織し直した、これは子規の写生論そのものなのではないか。子規の「俳諧反故籠」を見直してみよう。

《無秩序に排列せられたる美を秩序的に排列し、不規則に配合せられたる玉を規則的に配合するは俳人の手柄なり。故に実景を詠ずる場合にも醜なる処を捨てゝ美なる処のみを取らざるべからず。又時によりては少しづゝ実景実物の位置を変じ、或は主観的に外物を取り来りて実景を修飾することさへあり》

正岡子規「俳諧反故籠」 仁平勝「おとなの文学(25) マクガフィン(下の二)」(「俳句研究2010年[夏の号]」 68頁から孫引き)

子規の言う「無秩序に排列せられたる美」とは師匠の手本絵などではないなまの外界に対して「感覚が先行」させられている状態に他ならないし、「不規則に配合せられたる玉を規則的に配合する」とは「感覚の内容を意識で吟味」した上での「造型」に他ならない。

「造型」「創る自分」という語は誤解を呼びやすい。外界・客観・自然の成り立ちを無視した恣意的な構成物といったものを連想させるからだが、筑紫磐井文によると後に書かれた「造型俳句六章」では、これらの語は後退しているらしい。

「造型俳句六章」の末尾の一章が今号の「俳句研究」に再掲されているのだが、そこではまず、「諷詠的傾向」に対立するものとして、「象徴的傾向」(草田男等)、「主体的傾向」の二つが上げられる。後者は明示されてはいないが兜太自身の拠って立つところと取れる。そして「象徴的傾向」は「個我の直接的な結像」を、「主体的傾向」は「主体の構成的な表出」を目指すとする。《西東三鬼が前者を「吐く」もの、後者を「作る」ものといっていますが、直感的にはこれでよいと思います。》

極めて説明しにくいところなので、「構成的な表出」とか「作る」といった語が出てきてしまい、その結果、どうしても恣意性や強引さのイメージが付きまとうことになるのだが、しかし注意すべきなのは、兜太がここで、個我に執着する「象徴的傾向」の安定性に対し、「主体的傾向」における「主体」の不安定さを述べていることなのだ。

《一方、主体的傾向にとっては、人間の存在はそれほど楽天的ではありません。相対的関心が拡大するにつれ、主体は対他的意味にとらわれ、一義的な自己偏執をさまたげられます。自然的・人間的な純性に拘泥することは、一見はなばなしいが、その実、人間の内面を簡単に割り切って、何事も説明していない場合が多いという結果になります。楽天的といわれる所以でしょう。

そのため、主体にとっては、むしろ主体自身の存在感の全容が問題として意識されるわけです。このことは、主体の現実性を、いつも表現において問いただしていることだ、ともいえます》

金子兜太「造型俳句六章」(「俳句研究2010年[秋の号]」に抜粋再掲載 271頁)

つまり兜太のいう「主体」とは境界に位置するものなのである。確固たる主体が先にあってそれが外界をねじ伏せるように表出することが造型論の本義なのではない。この主体を圧迫する「対他的意味」は論が書かれた当時には専ら社会的関係の中での生活・意識といったものに比重が傾いていたのかもしれないが、現在の兜太がアニミストを自称し、生命に関心が移っていることは周知のとおりである。これを単なる肉体的な加齢のゆえなどと思ってはならない。それだけのことであれば現在の兜太の存在感はあり得まい。兜太のいう「主体」とは、そもそもが「意識と無意識の接触面」なのであり、「物質」や「絶対的自然」の「無限の深さ」「無限の力能」へと開け得ることこそを最大の可能性として予め持っているものだったのだ。

ところで今回たまたま同時に触れることになった仁平勝と金子兜太という並びから思い出される一節がある。勝原士郎が昨年刊行した、筋目を通していて教えられるところの多い評論集『拾う木の実は―同時代俳句不審紙』に「『俳句の射程』(仁平勝)を読む」と題する書評が収録されているのだが、その末尾である。

勝原士郎は仁平勝の言う「俳句の本質論の確立」には、詩型、音律の独自性や独特のメカニズムの追尋だけに留まらず、文学としてのありかたもおろそかにはできないと苦言を呈した上でこう述べているのだ。

《桑原武夫の「第二芸術論」にショックを受けた人たちは、「俳句が第一芸術(?)であることを証明しようとして、社会性俳句、前衛俳句、根源俳句といった新商品」を開発したと著者は言う。「○○俳句」といった時代の新商品云々と。○○俳句は戦後のあだ花であったとみなす著者の持論の繰り返しは、これを「戦後レジームからの脱却」の俳句版と言わずしてなんであろう。

 著者が切って捨ててかえりみぬ○○俳句に深くかかわったひとりである金子兜太は、それらの運動の時期を、自らの年輪にきわやかに刻み込んで、著者の安手の評語とは対照的にその存在感を示して重い。》

勝原士郎『拾う木の実は―同時代俳句不審紙』(北宋社・2009年 329頁)

ここから直接敷衍され得る話ではないのだが、ここを読んで私は、兜太の俳句大衆化への熱意、ときに「一千万人」[1]などと口走ってしまったりもする俳句人口の多寡へのこだわりは、「第二芸術論」のトラウマに発しているのではないかとの思いが湧いた。

《俳句は一流性と大衆性の双方を包括する国民文芸なりと、確信する私は、虚子の大衆化のその底に、子規の「写生」を確実に掌握しておきたいと願っているのである》(前出「子規の「写生」」)と、今でも兜太の「国民文芸」への思いは衰えていない。もしその根底に桑原武夫の暴論への抵抗が潜んでいるのだとすれば傷ましいこととも思うが、同じ大衆化とはいっても、写生を上達マニュアルのようなものに変質させてしまった「虚子の大衆化」と「一流性と大衆性の双方を包括する国民文芸」とをきっぱり区別し、その上でユートピアの如き後者を目指すというのは、兜太のうちにあって兜太を突き動かし、「無限の力能」を志向する力の現われの一つであり、その旺盛な作句力と表裏一体を成すものであるのかもしれない。

[1]……金子兜太 その2【全5回】 老若男女が楽しむ俳句、内面を深めると上達も早い | 投資・経済・ビジネスの東洋経済オンライン

http://www.toyokeizai.net/life/column/detail/AC/b30fb92e71cdd4ee5062ef06f1f0816b/

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