秩父の「聖神社」は貨幣発祥の地

https://www.travel.co.jp/guide/article/32780/ 【ご利益満点の金運スポット!秩父の「聖神社」は貨幣発祥の地】より

教科書で習ったことがある方も多いでしょうが、この地は日本の貨幣発祥の地なのです。「708年に武蔵国秩父から日本初の天然の銅塊が発見され、時の元明天皇に献上されたことから、これを祝い年号を和銅と改元した」と「続日本記」に記されているのです。

そして聖神社には、この最初に採れた天然銅12個のうち2個が、そして朝廷から賜った銅製の蜈蚣(ムカデ)一対が、ご神宝として今でも和同開珎(わどうかいちん)と一緒に神社すぐ横の宝物庫に大事に保管されています。

蜈蚣には足がたくさんあるので「おあしには困らない」と言われており、そのレプリカが聖神社から小道を10分ほど歩いた露天掘り跡近くの、高さ5mにも及ぶ和同開珎のモニュメントのそばにあります。

日本初の貨幣「和同開珎」は中国の「皆が集まって仲良く暮らす国」と言う意味の「天地和同」と言う言葉から来ており、外側の円は「天」をそして内側の四角は「地」をあらわしています。

採掘跡へ行く途中にある、大きなモニュメントの脇を透き通った水の流れる小川があります。この小川は「銅洗堀(どうせんぼり)」と言われ、その名の通り昔採れた銅をこの小川できれいに洗って都に送ったそうです。

この小川の水で持参して来たお金を洗うとご利益があると伝えられており、多くの人たちがお金を洗っている風景を見かけます。

小川に架かった小さな橋を渡ると、急な階段が続いて山の上にいくことができます。山頂から下を眺めてみて下さい。眼下に採掘跡を見ることができます。

狭い石段を上ると正面に社殿があらわれます。社殿は秩父市有形文化財に指定されており、今までに5回建て直されたことが記録にも残っています。新社殿に並んである小さな社が旧本殿で、「和銅出雲神社」として祀られています。

また、聖神社には「金山彦尊」という神様などが祀られています。鉱山、鍛冶から鋳物までをも司る神として知られている金山彦尊。この神様を祀った岐阜県南宮大社は包丁の守護神として有名で、全国3千の神社の総本社として、包丁製造業者から熱い信仰を得ているほどです。

また金山彦尊は、神武東征の時には金鵄(きんし)を飛ばし、戦勝をもたらす霊威を発揮したと言われています。このことから金運、商売繁盛だけにとどまらず金銀銅山、金属加工業の守護、開運招福、災難除け、厄除けなどにもそのご利益あると言われています。

「聖神社」には、どこの神社にもみられる社務所がありません。しかし御朱印をいただいたり、お守りやお札を受けたりすることはできます。社殿の前にそれらが並べてありますので、備え付けてある箱の中に所定の品代を入れて授かって来るのです。

もちろん絵馬やおみくじなども置いてあります。絵馬は各自願い事を書いて所定の場所に吊り下げて下さい。

隣接する旧社殿である「和銅出雲神社」には、護摩木板が置いてあります。こちらも「聖神社」同様になっていますので、願い事を書きこんで所定の位置に収めておけば、お焚き上げをしていただけます。うれしいのがちゃんとサインペンまで置いてあるのです。

狛犬の周囲も神聖な空気のみなぎるパワースポット?

何処の神社にも必ず鎮座している左右一対の狛犬ですが、聖神社は狛犬の周辺にも神聖な空気が漂っているようで、おろそかにしてはなりません。

狛犬は高麗犬から来たと言われており、犬とも獣ともつかぬ形相をしています。「どうも日本の犬とは顔が違うので外国の犬だろう」ということで高麗犬ということになり、字も狛犬と変わったのだということです。そしてその形相から魔除けとして神社の入口で神様を守る役目についたのです。

小鳥のさえずりを聞きながら歩く細い山道は、爽やかですがすがしい霊気の流れる道で、5mにおよぶ和同開珎のモニュメント、そして銅採掘跡へ続く道です。

足元はそれほど悪くありませんが、山道ですので小石や隠れ石が点在しています。歩きやすい靴でお出かけください。間違ってもハイヒールなどは禁物です。

和同の採掘跡へ行く途中に、毛並みのふっくらしたインスタ映えのする猫がいます。「おいで」と呼ぶとしばらくは後を付いてくるのですが、途中の分かれ道まで来るとまた元いた小川に架かる橋の欄干の上に戻り、次にくる見学者を待ち受ける姿勢になるのです。とてもおとなしい猫で人になついており、採掘跡までのは細い山道昇ってきた人たちの気持ちを和らげてくれる役目を果たしてくれております。

細い山道ですがあたりの景色を愛で、爽やかな空気を胸いっぱいに吸い込んで、ゆったりとした気分で楽しんで下さい。


http://chichibu-yuho.com/entry/hijirijinja.html 【聖神社と和銅遺跡【和同開珎・銭神様】】より

聖(ひじり)神社は、「和同開珎」ゆかりの神社です。蓑山(簑山/美の山)の麓、秩父市黒谷にあります。聖神社は「銭神様」とも呼ばれ、金運上昇のグッズなども販売されています。

近くには、和銅が採掘された露天掘り跡「和銅遺跡」があります。また、和銅採掘にまつわる言い伝えや地名が残されており、一帯はパワースポットとしても注目されています。

国道140号線から100m弱、秩父線の和銅黒谷(わどうくろや)駅からも徒歩約5分とアクセスしやすい場所に聖神社はあります。

道路左手に駐車スペースがあり、その脇が入口です。階段上の鳥居を過ぎ、さらに手水舎の先の階段を登ると社殿前になります。

社殿は秩父市中町の今宮神社から昭和39年(1964年)に移築されたもので、建築は江戸時代中期。秩父市の有形文化財に指定されています。旧社殿は、現在の社殿の左側にある和銅出雲神社です。

境内にはたくさんの絵馬が掛けられています。「和同開珎」の円形のものもあります。

歴史

和銅の献上

今から約1300年前、慶雲5年(708年)1月11日、秩父地方から和銅が朝廷に献上されました。元明天皇はこれを祝い、「慶雲」から「和銅」に改元されています。(『続日本紀』巻第四)

和銅の「和」(にぎ・にき)は、「荒」(あら)と対になる言葉で、やわらかい・細かい・穏やか・ととのったなどの意味になります。「自然作成和銅」と記されており、純度の高い自然銅だったようです。(にきあかがね)

聖神社の創建

和銅献上の際、近くの「祝山」に金山彦命(かなやまひこのみこと。鉱山の神様)が祀られ、朝廷からも勅使が派遣されて祝祭がおこなわれました。そして、和銅元年(708年)2月13日に現社地に遷され、聖神社が創建されたと伝えられています。

聖神社では、金山彦命、国常立命(くにのとこたちのみこと)、大日孁貴命(おおひるめむちのみこと=天照大神)、神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと=神武天皇)が創建時より祀られました。

養老6年(722年)11月13日には、元明天皇も元明金命(げんみょうこがねのみこと)として合祀されています。

また、和銅石と、元明天皇が下賜された雌雄一対の銅製の蜈蚣(むかで=百足)が御神宝となっています。

和同開珎

和銅の献上をきっかけに、皇朝十二銭の最初である「和同開珎」(銀銭と銅銭。翌年8月に銀銭は廃止)が発行されました。

唐の開元通宝(621年発行)をお手本にして作られたといわれ、時計回りに和同開珎の文字があります。近畿地方を中心に流通し、全国各地また海外の遺跡からも発見されています。

なお「和同開珎」の発行前から「無文銀銭」や「富本銭」が存在していました。今のところ、それらが通貨として広く使われていたかは明らかになっていないようです。「和同開珎」の登場により、本格的に貨幣が流通しはじめました。

和銅遺跡

聖神社の先には、和銅の露天掘り跡があります。神社前から坂道の車道を400mほど行くと右側が入口です。

入口からは階段の歩道を下りていきます。沢沿いまで下りたら左へ。林の中の道を歩いていくと、和銅遺跡の広場に到着です。

ここには「和同開珎」の大きなモニュメントが建てられています。高さは5mほどで、隣を小川「銅洗堀」が流れます。小川の向こうには露天掘り跡の表示があります。

この場所は、秩父盆地と東側の外秩父山地との境となる「出牛-黒谷断層」(出牛は皆野町金沢の地名)が走っています。広場の橋を渡り山道を進めば、露出した断層を見ることができます。

そのほか

和銅黒谷駅は、和銅奉献1300年を記念して2008年に「黒谷駅」から改称されました。木造駅舎の趣のある駅です。ホームにも「和同開珎」のモニュメントがあります。

聖神社や和銅遺跡の周辺には、和銅採掘に関連した言い伝えや地名が残されており、解説板で案内されています。古に思いを馳せながら、和銅の里を歩いてみませんか。

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