花@lilacblueblue
10月28日の花:ムラサキルーシャン
花言葉:満足キク科セントラセルム属別名:リンゴアザミ
葉はリンゴのような香り花はアザミに似ている事から花期:8~11月
ソクラテス:古代ギリシアの哲学者BC469年~399年
「満足」は自然の与える富である 贅沢は人間の与える貧困である
Facebook山地 弘純 さん投稿記事
本日、久斗山の村中の山中にある荒神様の開眼を行いました。
荒神様は、文字の如く荒ぶる神であり、人が手をつけてはいけないところにお祀りされるものです。
真言はオンケンバヤケンバヤソワカ。
ケンバヤとはサンスクリット語における地震の波を表すそうです。
人間のエゴが自然を食い尽くしていく中、このような荒ぶる神の存在を感じ、それを鎮めることは大切だと思います。
神を鎮めるためには自分の心を鎮める必要があります。
つまり人の三毒(貪瞋痴-とんじんち)といわれる、貪り、瞋り、愚かさを鎮めるということです。
むさぼりつくす心。
恨みに任せて怒りつくす心。
自らに因があると気づかない愚かな心。
これらの悪業が輪廻しているのがこの世界です。
我々はそれに気づき、自らを省みながら、人と自然の調和した世界を守っていきたいものです。
皆と共に改めてそれを誓った、素晴らしい開眼の日でした。
皆と共に般若心経3巻を繰り返している中、曇っていた空から眩しいくらいの日差しが降り注ぎ、祝福してくれたような気がしました。
https://en-park.net/words/7561 【護摩の意味(護摩とは)】より
護摩とは、密教における修法の代表的なもののひとつです。
サンスクリット語のホーマから来た言葉で、焚焼や祀火の意味があります。
バラモン教やヒンドゥー教の儀礼で、供物を燃して出た煙を天上の神にささげて、祈願とする祭式です。
火は如来の真実の智慧の標示で火の中は清浄の場であると考え、供物は煩悩にたとえられています。火で焼くことでお浄めとし、無病息災を願い、悟りを開かんとします。
護摩の実際
護摩には、実際に火の中に供物と護摩木を投げ入れて祈願する外護摩と自分の心の中の煩悩や業に火をつけて焼き払う内護摩があります。
災いを除く息災法、幸福を倍増させる増益法、悪を屈服させる調伏法、家族の平安を願う敬愛法、諸尊、善神、愛する者を召し集めるための鉤召法とがあり、それぞれ壇の形や作法が異なります。
護摩木は、やわらかい木材を使用し、先祖の供養のために行うものと、願い事を書く祈願の護摩木との2種類があります。
毎年2月11日には、阿含宗主催の「炎の祭典・阿含の星まつり・神仏両界大柴燈護摩供」が行われます。京都市山科区北花山大峰の阿含宗本山境内地で開催する護摩法要で、京都の冬の風物詩にもなっています。
Facebook兼井 浩さん投稿記事 ■森失うのは 文明の自滅
~行動が生んだ思想 尊敬~ 音楽家 坂本龍一さん
足尾鉱毒事件被害民救済のため、生涯をささげた田中正造。政治家、社会運動家としてだけではなく、エコロジストであり人権思想の持ち主であり、非戦論者の顔も併せ持つ。正造の思想を現代にどう生かすか。正造を「尊敬する人物」に挙げ、自ら森林保全や脱原発の活動をする音楽家坂本龍一さんに聞いた。
-東京電力福島第1原発事故後、坂本さんが正造の「真の文明は山を荒らさず 川を荒らさず 村を破らず 人を殺さざるべし」という言葉を発信して、正造やこの言葉が脚光を浴びました。正造に興味を持ったきっかけは。
「ずいぶん前、環境問題に関心を持って本を読んだりするうちに。『真の文明は…』というあの言葉がとても強烈で。よく考えると、人類文明でそういう、環境破壊していない文明はまだない。必ず森を失って終わっている。地球大に広がった今の文明ではさらに急速です。森を失うのは文明の自滅です。正造は『これは本当の文明じゃない』と言っているわけです」
-坂本さんはどんな思いを込めてこの言葉を発したのですか。
「悲観的に言うと文明の絶滅が近づいているのだから、ぐずぐずしていられない。早くたくさんの人が目覚めて行動しないと難しい状態になる。なのに、福島のような過酷な事故を経験しても目覚めたくない人がいる。そういう危機感の象徴として正造の言葉があると思うんです」
-日々の活動ではその思いをどんな風に反映させていますか。
「個々に、というよりはもっと大きな、環境問題への危機感として。正造は具体的にどうしろと言っていない。こっちが本当の文明だと用意されているのでもない。あの言葉を思い出す度、不断に僕たちは努力しないといけないと思いますね」
「文明とか人のことはどうでもよくて自分たちさえもうければいい、世界支配したいという黒々とした、負の欲望というのは、多かれ少なかれ近代科学技術には付いて回っている。実際、科学技術が発達している国が戦争に勝つわけです。そういう人間性のところから変えなければならないということも、正造の言葉は示唆していると思うんですね」
-事故を経験し、多くの国民はそれまでの生活の在り方が果たして正しかったのか真剣に問い直しました。ただ、その思いは徐々に風化している気がします。
「僕は職業柄、全然小さくならないですね。あのとき受けたショックをそしゃくし、どう表現として出すか、ほぼ毎日考えている。ただ、そしゃくするのは難しい。真の文明を1人で考えて探しに行けば見つかるわけではないから難しい。みんなと一緒にやらなければならない」
-正造を尊敬していると聞きました。
「正造は足尾鉱毒を目の前にして、村人を助けようと一生懸命活動する中でエコロジカルな認識に到達してしまった。机上の空論で得たのではないところが偉いなあと。とことんやっていく中で、大局的に考えたから、100年後も通じる強い認識が出てきたんでしょうね」
-100年も前の言葉なのに、まだ答えが見つかりません。
「100年前と比べると何十倍も悪くなっているでしょ。ぼくとかは21世紀になるころ、これでやっと、戦争とか大量の廃棄物とか、20世紀の巨大な負の遺産を片付ける、クリーンな方向に向かうと希望を感じていたのですよ。それが21世紀の初めに『9・11』でガツーンと打ち砕かれた。10年ちょっとたって今度は自分の国で『3・11』。結構めげますよね」
-よくなるどころか悪くなりました。
「足尾鉱毒事件は近代化の必然で起こった。近代化って、利潤を求めること。富国強兵のため、軍事のためというのが錦の御旗になって、市民や自然の多少の被害は目をつぶれと。明治以前はもう少し違ったのかなという気もします」
-でも江戸時代の生活には絶対戻れません。電気を使うのはやめましょうとはいきません。
「電気を作る方法なんていくらでもある。江戸時代に戻れ、電気を使うなというのは荒唐無稽だけど、もっとクリーンでスマートな方法で作ればいいだけのこと。ちょっと関心を持てば、自分の近くに小さな発電所を作って普及させようとしている人や市民グループはあると思います」
「もう一歩ですよね。僕が住んでいるニューヨークとかは、クリーニング屋を替えるくらい簡単に、化石燃料から風力とかの総合的な自然エネルギーの発電所に契約を替えられる。そういう環境にならなければおかしい。エネルギーの民主主義っていうんだけど、やろうと思えばできるんだよね」
source:下野新聞
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■百年を経て蘇る田中正造の伝言
★真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし
True civilization is not to despoil mountains, not to ruin rivers, not to destroy villages, and not to kill people.
---Shozo Tanaka
足尾銅山の繁栄は、渡良瀬川流域を死の川とし、村の自治を破壊し、鉱毒により田畑を荒らし、人の命をも奪った。これが本当の文明であろうかと正造は問うた。私たちは同じ構図を福島で目の当たりにしたのだ。
★天の監督を仰がざれば凡人堕落-国民-監督を怠れば-治者盗を為す
政治家が、正義とか道徳があることを忘れて政治を行えば、民衆は本質を失い堕落する。そうさせないために国民は、政治家を絶えず監視しなければならない。また、その監視を怠れば政治家は国民を騙し、盗みをするというものである。
★真人無為而多事(シンジンムイニシテ シカシテ タジ)
まことの人は、さりげなく世の不正を見逃さず、さりげなくそして敢然と闘っていて、そして大変忙しい。
★何事もあきれてものふ(を)云わぬとも 云わねバならぬ今のありさま
明治政府のやっていることは呆れるばかりだが、そうしてもいられない。何か云って応えなければならない。
★デンキ開ケテ世見(セケン)暗夜となれり
社会が物質的な発展のみを追い求めていたら、人間社会は暗黒になってしまう、天然自然のエネルギーを活用し精神的な発展を先行していく文明を追及していくべきである。
★少しだも人のいのちに害ありて 少しくらいハよいというなよ
鉱毒に汚染された米や麦を知らずに食べている様を毒食(どくじき)というが、少しくらいだから食べても良いという理由にはならない。少しくらいが溜まり溜まって大きな害になる。今でいう放射能の溜まり方に似ている。
★水は自由に高きより低きに行かんのみ-水は法律理屈の下に屈服せぬ
正造の治水観。水は自然の理に則して流れる。だから高い所から低い所に流れる。たとえ国会で決めても法律理屈威信と威張っても、水の流れは法律に左右されるものではない。
source:渡良瀬通信「田中正造がキーワードになる時代」
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田中 正造(たなか しょうぞう)
天保12年11月3日(1841年12月15日 - 1913年(大正2年)9月4日)
日本の幕末から明治時代にかけての村名主、政治家。
日本初の公害事件と言われる足尾鉱毒事件の重鎮であり、明治天皇に直訴しようとしたことで有名。
没年月日: 1913年9月4日(71歳没)
衆議院議員選挙に当選6回。
http://seneca21st.eco.coocan.jp/working/ishizaka/01.html 【1. 古代文明と環境問題 ―環境問題で滅びた古代文明の物語るもの】より
古代文明の盛衰も環境問題と関わるものがある。
シュメール、インダス、イースター文明の3つを取り上げ、その盛衰と環境問題の関わりを見てみよう。
(1)メソポタミアのシュメール文明
シュメール文明は、世界最古の文明の一つである。メソポタミア南部のチグリス・ユーフラテス河流域に、紀元前4300-3500年頃には治水灌漑農業が成立した。紀元前2800-2700年頃に気候の乾燥化が起こり、灌漑のための大規模な土木工事が必要となって、組織化された社会が生まれる。そして、紀元前2700年頃には、メソポタミア南部のウルに大規模な都市が成立した。
気候の乾燥化する中で灌漑農業が続けられ、灌漑用水に含まれる塩類が次第に土壌に蓄積し、作物は塩類に弱い小麦から大麦に変わってゆくが、紀元前2400年頃には、現在のアメリカやカナダの収穫量に匹敵するヘクタール当たり平均約2500リットルの大麦の収穫があったとされる。
しかし、その後、塩類の集積が進み、また、上流は都市化に伴う森林の伐採もあって土壌の侵食が進み、河川に流入した土が下流に堆積、灌漑用水路の閉塞を齎したほか、沈泥には塩類が含まれ、これがまた塩害を加速した。
こうしたことから紀元前2100年前後には、大麦の収穫量は最盛時の40パーセント程度まで落ち、紀元前2000年頃には、シュメール帝国は崩壊、やがて文明の中心は、北方のバビロニアに移っていった。
主食の大麦の余剰が都市に生きる人々の生存を支えていたが、塩害による生産の減退で主食の余剰がなくなったことがシュメール文明の衰退の一因と考えられる。
(2)インダス文明
インダス文明は、紀元前2500年頃、モヘンジョダロを中心にインダス河流域に成立した都市文明である。
文明を支えたのは氾濫灌漑農業で、インダス河がゆっくりと幅を広げるようにして氾濫することに応じて弱い土手を作り、水が引いたとき沈泥が溜まるようにして、そこで農業を営んだとされる。紀元前1800年頃から衰退期に入り、紀元前1500年頃滅亡する。
滅亡の原因については、アーリア人の侵入、大洪水、河道遷移など諸説あるが、気候変化によるとする説は次のようなものである。
5000年前以降、気候が寒冷化し西ヒマラヤ一帯の積雪量が増加した。
これとともにインダス河中下流域は乾燥化し、人々は水を求めてインダス河畔に集まった。ヒマラヤから流れ出る河川は積雪量の増大により、春先の流水量を増加させ氾濫、氾濫灌漑農業の発展を可能にし、都市文明が形成された。
文明の衰退期にはユーラシア大陸は再び温暖期に入ったと考えられ、積雪量が減り、春先の流水量が減少し、それに依存した農耕社会に打撃を与え、それがインダス文明衰退の一因をなしたと考えられる。
(3)イースター文明
イースター島は面積120平方キロの太平洋の孤島である。人が初めて住み着いたのは5世紀頃と言われる。
当時、種類は少ないとはいえ高木を含む植生が島を覆っていたとされる。火山島で、年間を通して流れる川はなく、火口湖以外に湖もなく、哺乳類は生息せず、土地の排水も悪かったが、人々は、栽培可能なイモと鶏を食料にして生活していた。
人口は徐々に増え、生活に伴う森林伐採が行われたが、もっとも大きな木材需要は何故か行われた巨大な石像建設のためであった。
石像建設のため巨大な石を運ぶ必要があり、人力しかない島内では木を切り、木をコロにして運ぶしかなかった。島内の300を超える祭祀所に1-15体の石像が建てられたが、そのための森林伐採が続いた。そして島の森林減少は進み、終には木製のカヌーも作れなくなる。また、裸地の増加による土壌流亡で作物の収量も低下し、1550年頃に7000人にも達した人口を支えることが出来なくなる。枯渇する資源を巡り恒常的戦乱となり、文明は崩壊した。1774年にジェームス・クックがこの島を調べた時には、600-700人の人々が原始的な生活をしていたという。
※―以上(1)-(3)の記述は1995年版環境白書による-
(4)古代文明と環境問題との関係につては他にも数々の例があるが、
・灌漑技術の展開によりその成果を享受するが、灌漑が因で衰亡したシュメール文明
・気候変動で衰亡したインダス文明
・森林資源を失うことによる悲劇を見通せなかったのか、或は気づいていても石像建設という時の勢を止めることは出来なかったのか、森林資源喪失で衰亡したイースター文明
ここに取り上げた3つの例だけでも、我々に大いなる教訓を残している。
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