https://www.coco-h.com/blog/kenjiro/346.html 【「赤とんぼ」に込められた深い意味】より
童謡「赤とんぼ」の歌には、深~い意味があるのです。
夕焼け小焼けの赤とんぼ おわれてみたのはいつの日か
山の畑の桑の実を 小かごに摘んだはまぼろしか
十五で姐(ねえ)やは嫁にいき お里の便りも絶えはてた
夕焼け小焼けの赤とんぼ とまっているよ竿の先
作詞家三木露風によって「赤とんぼ」が作詞されたのですが(大正10年に発表・作曲は山田耕作)、詞の内容は露風自身の幼少時代の実体験を素に書いたものと言われています。
露風は5歳の時両親が離婚することになり、以降母親とは生き別れで祖父に養育されることになったのですが、実際は子守り奉公の姐やに育てられ、そのときの印象を歌にしたものです。
だから詞の第一節の「おわれてみたのは」を漢字で書けば「追われてみたのは」ではなく、「(背)負われて見たのは」であり、姐やの背中におんぶされて肩越しに見た赤い夕焼けという意味なのです。
姐やは数えの15歳で嫁に行ったのですから、当時の農家は赤貧のため口べらしもあっての子守り奉公をし、その次に若くして嫁いでいったわけですが、嫁入り先も農業の労働力として、働きづめの一生を送ったのでしょうね。
また、「お里の便りも絶えはてた」の意味は、お母さんは離婚し実家に出戻るのですが、そのお母さんが息子を不憫に思い、実家の近くの娘を子守り奉公に出すように図り、彼はお母さんには会えないのですが、時々実家に帰る姐やを通じてお母さんの消息を聞くことが出来、お母さんも姐やを通じて息子の消息を知ることが出来たのですが、姐やが嫁に行くことになって、もうお母さんの消息も途絶えてしまったという悲しい意味なのです。
詞や文章の力は、その裏にある実情をくわしく知らなくても、書き手の気持ちがそれとなく伝わる不思議な力を持っています。
「赤とんぼ」の歌に物悲しさと切なさを感じるのは、作詞家の万感の思いがそこに込められていたからであり、その悲しさは「日本の心」そのものだからこそ、この歌は国民唱歌として時代を超えて歌われるのではないかと思っています。
http://rinnou.net/cont_04/myoshin/2010_09a.html 【夕焼け小焼け】より 皆様方におかれましては、お盆の行事もおわり、無事にご先祖様を極楽へお見送りされたことと存じます。まだまだ残暑厳しい日が続いていますが、そんな夏もいつまでも続くわけではありません。やがて、秋の気配が感じられる頃になってまいります。そんな折り、夕方になると思い出す、一曲の歌があります。
夕焼け小焼けで日が暮れて 山のお寺の鐘が鳴る お手々つないで皆帰ろう
烏と一緒に帰りましょう
中村雨虹作詞、草川信作曲の、大正8年に発表された「夕焼け小焼け」です。童謡としては最も有名なものの一曲といえます。
ところで、宗教学者の山折哲雄氏は、この「夕焼け小焼け」の歌詞の背景には、仏教の真髄、とりわけ『般若心経』の真言が訳されているとしています。
般若心経の最後の部分は
ぎゃーてい ぎゃーてい はーらーぎゃーてい はらそうぎゃーてい ぼーじーそわか
です。この部分が般若心経の一番大事な部分だと言われています。そこにはどんな意味が隠されているのでしょうか。昭和の名僧と呼ばれた山田無文老師はこの部分を、
着いた、着いた、彼岸へ着いた。みんな彼岸へ着いた。ここがお浄土だった。
と訳されています。みんな同じなんだと。人はみんな同じところへ帰っていく。偉大なる母のふところへ、おおいなる命へ帰って行く。だからみんなひとりぼっちじゃない。寂しくなんてない。人もからすも、みんなで手をつないで一緒に帰りましょう。ここが帰るべき場所だったんだ。そしてみんな帰っていなくなったその後は、大きなお月様が、星が輝きはじめます。
子供が帰った 後からは まるい大きな お月さま
小鳥が夢を 見るころは 空にはきらきら 金の星
丸い月や明星は、執著を離れた悟りの境地を示すと言われます。「夕焼け小焼け」にはそんな深い意味がこめられているんだ、そう思うと、あらためて童謡の深い味わいに気付きます。「めざす場所はここだった」と、思いも新たに、口ずさんでみてはいかがでしょうか。
https://japanknowledge.com/articles/blognihongo/entry.html?entryid=292 【第275回「夕焼け小焼け」の「小焼け」って何?】より
『夕焼け小焼け』(詞:中村雨紅)という童謡は、ほとんどの方がご存じであろう。だが、タイトルにもある「小焼け」っていったいどういう意味なのかと疑問に思ったことはないだろうか。
「小焼け」だから、夕焼けになりかかった状態のことだろう、などと想像した方もいらっしゃるかもしれない。それなら国語辞典に「小焼け」が載っていてもよさそうなものだが、ほとんどの辞典に「小焼け」は載っていない。
『日本国語大辞典』(以下『日国』)には「夕焼小焼」の形で見出し語がある。それには、(「こやけ」は、語調を整えるために添えたもの)「ゆうやけ(夕焼)」に同じ。
と説明されている。つまり「小焼け」はそれ自体あまり意味をもたない語だというのである。さらに北原白秋の「お祭」という童謡が初出例として引用されている。
「真赤だ、真赤だ。夕焼小焼(ゆうやけこやけ)だ」
この童謡の発表は1918年である。中村雨紅の『夕焼け小焼け』はその5年後の1923年であるから、「夕焼け小焼け」は北原白秋の造語だった可能性もある。
童謡詩人で童謡の研究家でもあった藤田圭雄(たまお)(1905~99)は『童謡の散歩道』という著書の中で、この「小焼け」は、「日本語のような音数律の詩の場合、リズムを整えるために、意味のない枕言葉だとか対語が使われます」と述べて、わらべうたの中にも「大寒小寒」「大雪小雪」など例句はたくさんあると指摘している。また、北原白秋にも「栗鼠栗鼠小栗鼠(りすりすこりす)」「涼風小風(すずかぜこかぜ)」「仲よし小よし」など同様の例がたくさんあると述べている。
揚げ足を取るつもりはないのだが、これらのわらべうたや白秋の例は語調を整えるということでは共通しているが、成り立ち自体はかなり異なる気がする。たとえば「大寒小寒」だが、この「大」はもともとは感動詞の「おお」だったという説もある。「おお!寒い!」というわけだ。この「おお」が「大」になり、「大」に対する「小」がついて「大寒小寒」になったという説明もできるのである。
また、白秋の例の「涼風小風(すずかぜこかぜ)」だが、「涼風」はもちろんすずしい風のことだが、「小風」も意味のない語ではない。そよ風のことなのである。つまり白秋はすずしい風とそよ風をリズムよく並べたことになる。
「仲よし小よし」だけは「小よし」には意味がないので、成り立ち的には「夕焼け小焼け」に一番近いかもしれない。
ところで、「小焼け」は「夕焼け」につくのだから「朝焼け」にもつけられるだろうと考えた童謡詩人がいた。金子みすゞ(1903~30)である。皆さんもよくご存じの「朝焼小焼だ 大漁だ」で始まる『大漁』(1924年)という詩がそれである。
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