夕日は再生のシンボル~闇から光への始まり

http://sugihara-rieko.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-c9f5.html 【夕日は再生のシンボル~闇から光への始まり】より

最近、夕日がきれいですね。

黄金色に染まった空、モーヴピンクに染まった空、鮮やかなオレンジ色の空…。慌てて、カメラを取り出したことが何度もありました。

夕日は“再生”“復活”の象徴だということ、ご存知ですか?

古代ケルトでは、夕日が沈むことは、今日という一日が“終わる”のではなく、新しい一日が“始まる”と考えました。

闇があるからこそ、光ある一日がまた、やって来る、と。

同じように、冬の到来は、冷たく閉ざされた暗黒の季節があるからこそ、あたたかな陽射しあふれる光の季節が必ず訪れる、と考えたのです。2010_0719

人生の途上、闇を漂うような時を過ごすと、人は絶望してしまいがちですが、暗黒の時代のあとには必ず、光輝く自分自身が現れます・・・。

そう思うと、孤独の底で、我を忘れそうになるとき、人生を投げてしまいそうになるとき、ふと自分を見つめ直し、内なる力を蓄える時間へと変えていけるのではないでしょうか。

やがて訪れる光の時に、温存した力を外に向かって解き放つために。


Facebook清水 友邦さん投稿記事

神話の蛇には二つの象徴があります。

一つは脱皮して再生する不死の象徴です。

二つ目は対立するものをすべて超える究極の超越のイメージです。

尽きることのない太陽の光の中で、蛇はすべて焼き尽くされて浄化し、永遠に光り輝くものとなります。

古代のエルサレムの神殿には、青銅のヘビと、その妻の像が祀られていました。

妻は、偉大なる女神アシェラ(asherah)で、青銅のヘビの名はネフシュタン(Nehushtan)です。

紀元前13世紀頃のユダヤは蛇を信仰していました。

エジプトを離れたイスラエルの人々が荒野で飢え 、モーセとその神に不平をこぼしたとき時のことです。

『主はモーセに仰せられた。「貴方は燃える蛇を作り、それを旗竿の上につけよ。 すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる。」 モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗竿の上につけた。 もし、蛇が人をかんでも、その者が青銅の蛇を仰ぎみると、生きた。』(「民数記」21.5-21.9)

毒蛇にかまれてもモーセの青銅の蛇を仰ぎ見ることでユダヤの民は死なずに済みました。

ギリシアの医療の神アスクレピオスが持っていたのは不死の象徴である蛇が巻き付いた杖です。

欧米の医療機関で用いられているヘルメスの杖(ケリュケイオン)は杖に2匹の蛇が絡みついています。

女神アシェラ は二頭の山羊の間に挟まれた木の枝で、その下にライオンがいる絵で表されています。

女神アシェラにはギリシア語で樹木の意味もあり神聖な木の柱として崇拝されました。

木の柱はエデンの園の中央に植えられた知恵の樹(ちえのき)でもありました。

女神アシェラは古代イラン語のashaからきている大地母神アシェラトのヘブル語読みです。

木は知恵(ホクマー )と関係してアシェラは知恵を持った女神でもあったのです。

聖書創世記に蛇が智慧の象徴として出てきます。

『神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。 「決して死ぬことはない。実を食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」』創世記

古代世界で宇宙樹と蛇と知恵は偉大な女神の象徴でした。

フェニキア人が前15世紀に築いたシリア北西部の都市国家ウガリットの遺跡からはエル神の配偶神である女神アシェラト(Asherato)の碑文が発掘されています。

セム語系(アッカド語、バビロニア語、アッシリア語、アラム語、フェニキア語、ヘブライ語、アラビア語)で神を指す言葉はエル(el)で複数形はエロヒム (Elohim) です。

エルとアシェラ(アシェラト)からバアル・ヤム・モトといった神々が生まれています。

エルシャダイ(EL SHADDAI)は全能なる神として創世記に出て来ます。

エルの神格は取り込まれて 古代イスラエルでヤハウェとなりました。

1970 年代に入って 紀元前9世紀と8世紀の複数の遺跡からヤハウェの妻としてアシェラの名が書かれた碑文が発見されました。

ウガリット文書カナンの地にヤハウェ信仰が登場する前に、セム語で「神」を意味するエルを主神とする多神教があり女神アシェラはエルと夫婦関係にあったことからヤハウェと夫婦関係にあったと見られています。

古代イスラエルではアシェラというヤハウェの妻がいたのです。

古代オリエント世界で大地母神は神々の頂点に立つ最高神でした。

鉄器時代になると女神アシェラの名は旧約聖書に「切り倒す」「壊す」の動詞とともに40回ほど登場します。 「アシェラ像を切り倒し、モーセの造った青銅の蛇を打ち砕いた。」(列王下18:4-5)

ヒゼキア王(紀元前719-691年)の時代になると蛇とアシェラの像は打ち砕かれてしまいました。 紀元前1250年頃から鉄器時代が始まると荒ぶる男神を崇拝する戦士の部族が大地母神の肥沃な土地に侵入してきました。

最高神だった女神の神格は降格になり侵略者の神の妻にされました。

青銅器から鉄器時代にかけての神話の男性神は大母地神の夫にして息子です。

紀元前7000年頃、古ヨーロッパ文明では母系社会を築き小麦や大麦を栽培し羊・牛・豚の家畜化が始まっていました

メソポタミアでは男性原理が優位になったシュメール、アッカド、バビロニア、ヒッタイト、アッシリアと文明の興亡が繰り返されました。

女性原理は包み込み融合し、男性原理は分離敵対します。

男性原理の遊牧民が女性原理の民族を征服すると、女神を悪魔と呼び地母神の神話的格下げを行いました。

石器時代の万物を産み育てる偉大な女神は鉄器時代になると憎悪の対象となったのです。

紀元前1200年頃に男性原理が強いイスラエルの人々が歴史の舞台に登場すと女神アシェラのイメージは、200年間ほど時代が下がる間に生命の木に女神という要素がなくなりアシェラの神格の豊穣の要素はヤハウェに取り込まれてしまいます。そして紀元前9世紀ぐらいになると生命の木というシンボル自体も偶像崇拝と見做され排除されました。

男性原理が優位になるとヤハウェ以外の神々は全て粛清されてしまいました。

ユダヤの神ヤハウェは妻アシェラと離婚しさらに結婚自体をないことにしたのです。

日本でも鉄の時代になると凄惨な戦いが起きて蛇は鉄によって退治されました。

性器と肛門の中間に位置する第一のチャクラ・ムーラーダーラ(mūlādhāra- cakra)にはクンダリニーという蛇女神が眠っています。

螺旋を意味する形容詞のkundalinにiがついたのが蛇を意味する女性名詞クンダリニーです。蛇はエネルギーの象徴です。

第一チャクラのムーラーダーラの基本的な機能は性の衝動です。

性エネルギーを物質的な次元である肉体に囚われると病的になります。すべての思考と行動が性と言う目的を達成する手段となり、すべてが性を思い出させ、性に囚われ、性から逃れられず苦しむ事になります。

刑務所に入っている性犯罪の囚人はなんらかの挫折感や欲求不満を抱いています。性の衝動に焦点をあわせると、抑圧したエネルギーが性の衝動となって暴走します。性の衝動に興奮し熱中して妄想を物質的世界で表現しようとして、暴力やレイプという行動をとってしまうのです。

ムーラーダーラで蛇は昏睡して深く眠っています。物質世界で頑固にしがみついて動こうとしません。

蛇はエネルギーの象徴です。

ヨガはこの蛇女神クンダリニーを目覚めさせることにあります。探求者の困難はこの性衝動と戦い抑圧してしまうことです。

性の衝動を抑圧していたら分離が起きて霊的変容は起きません。

かといって自然の命ずるままに単に性欲を満たしているだけならば、物質的な次元にとどまり精神性を開花させることはできません。

ではどうすれば良いのか?

性の衝動にはひとつになりたいという欲求が含まれています。

そこで物質的な粗い領域からより微細な領域へ昇華させるのです。

男性と女性の物質的な肉体の出会いは永遠のものではないので束の間の出会いで終わります。

そのために真に一つになれない恋人たちはかならず欲求不満に陥ります。

真実の愛を求めて、出会いと別れを繰り返して外側の世界を彷徨います。

関係性で問題を抱えている人は自分自身としっかり出会っていません。

未完了の問題を内面に抱えている人が多いのです。

健全な関係性を取り戻す為には自分自身の内面と全面的に出会う必要があります。

永遠の愛を求めて外側の世界を探しても見つからないことがわかると探求者は物質界から離れて微細な旅に出ます。

ムーラーダーラは微細な旅の始まりです。

ムーラーダーラの図を見ると中央に四つの大地を象徴する黄色い四角形があってヒンドゥー教ビシュヌ派の聖典「ヴィシュヌ・プラーナ」に出てくるヴェーダの神々の王インドラの乗り物である白い像アイラーヴァタが描かれています。

7本の鼻をゆすって立っているアイラーヴァタは空を飛ぶことができるのですが、ここでは大地の上を力強く踏みしめるように定められています。

もし物質界から解放されれば白い象は天上に昇って行くでしょう。

ゾウの背中には女神の子宮と生殖器を象徴する赤い逆三角が乗っていて男性原理シヴァの聖なる男根がそびえています。

そのシヴァの男根(シバリンガム)に白い蛇女神クンダリニーが3回り半巻きついて眠っています。

ムーラーダーラの図に姿を見せている主宰神はブラフマ神とサヴィトリ女神です。

神話によるとプシュカルで開かれた神々の儀式にサヴィトリ女神が現れなかったのでブラフマ神は怒り代わりにガヤトリ女神を妻にして儀式をしました。

するとサヴィトリ女神は激怒してブラフマーを老人にし、プシュカル以外の場所で崇拝されることがないように呪いの言葉をかけてしまいました。

これがヴィシュヌ神とシヴァ神を祀る寺院はインドに数多く存在するのに世界を創造したブラフマー神を祀る寺院がない理由とされています。

男性は女神を怒らせてはいけませんね。

恐ろしい事になります。

その後、サヴィトリ女神はガヤトリ女神と和解してサラスバティー女神と共にブラフマ神の配偶神として落ち着きました。

プシュカルから南西2kmに離れた山上にサヴィトリ寺院が立っていてプシュカル湖畔のブラフマー寺院に対応しています。

ヴェーダ聖典のなかでもっとも神聖な聖句とされるガーヤトリー讃歌(Gayatri Mantra)は、太陽光の神サヴィトリ神にささげられています。

ヴェーダの時代からヒンドゥーの時代になるとサヴィトリ神は太陽神スーリヤの神格として習合しました。

サヴィトリ神は陰と陽、太陽と月、男性性と女性性に分かれて物質界と微細界の境界のムーラーダーラから螺旋状に上昇して何回も出会いを繰り返します。

最後の第七のチャクラで一つに結ばれます。

一つになる喜びを得るには分離している必要がありました。

離れていなければ出会えなかったのです。

Gayatri Mantra

ガヤトリーマントラ

  清水友邦訳

OM

オーム

(宇宙の始まりと終わり)

Bhur   Bhuva  Suaha

ブール  ブワッ  スワハー

(粗大世界 微細世界 元因世界に満ちている)

Tat   Savitur      Varenyam

タッ サヴィトゥール ヴァレーンニャム

(至高の サーヴィトリー女神を 讃えます)

Bhargo   Devasya    Dheemahi

バルゴー デーヴァッシャ ディーマヒー

(光り輝く(サーヴィトリー女神の)叡智に気づきます)

Dhiyo   Yonah   Prachodayat

ディヨー ヨー ナッ プラチョーダヤート

(叡智により 光り輝き 私たちも永遠の存在である虚空に融合します)

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000