https://style.nikkei.com/article/DGXMZO91848550X10C15A9000000/ 【月を見よ、死を想え】より
一条真也の人生の修め方
9月27日の「中秋の名月」、28日の「スーパームーン」、みなさんは月見をされましたか。2015年は「中秋の名月」と「スーパームーン」が2日連続した珍しい年です。
「月狂い」のわたしは大いに月を愛で、大いに飲みました。じつは、わたしは月こそは「あの世」ではないかと思っています。地球上の全人類の慰霊塔を月面に建てるプランを温めたり、地上からレーザー光線で故人の魂を送る「月への送魂」を行ったりしています。なぜ、月が「あの世」なのか、今回はそのお話をしたいと思います。
世界中の古代人たちは、人間が自然の一部であり、かつ宇宙の一部であるという感覚とともに生きており、死後への幸福なロマンを持っていました。その象徴が月です。
彼らは、月を死後の魂のおもむくところと考えました。月は、魂の再生の中継点と考えられてきたのです。多くの民族の神話と儀礼のなかで、月は死、もしくは魂の再生と関わっています。規則的に満ち欠けを繰り返す月が、死と再生のシンボルとされたことはきわめて自然だと言えるでしょう。地球上から見るかぎり、月はつねに死に、そしてよみがえる変幻してやまぬ星なのです。
「葬式仏教」といわれるほど、日本人の葬儀やお墓、そして死と仏教との関わりは深く、今や切っても切り離せませんが、月と仏教の関係もまた非常に深いと言えます。
お釈迦さまことブッダは満月の夜に生まれ、満月の夜に悟りを開き、満月の夜に亡くなったそうです。ブッダは、月の光に影響を受けやすかったのでしょう。言い換えれば、月光の放つ気にとても敏感だったのです。
ミャンマーをはじめとした東南アジアの仏教国では今でも満月の日に祭りや反省の儀式を行います。仏教とは、月の力を利用して意識をコントロールする「月の宗教」だと言えるでしょう。仏教のみならず、神道にしろキリスト教にしろイスラム教にしろ、あらゆる宗教の発生は月と深く関わっています。地球人類にとって普遍的な信仰の対象といえば、なんと言っても太陽と月です。太陽は西の空に沈んでいっても翌朝にはまた東の空から変わらぬ姿を現しますが、月には満ち欠けがあります。つねに不変の太陽は神の生命の象徴であり、死と再生を繰り返す月は人間の生命の象徴なのです。
また、「太陽と死は直視できない」という有名なラ・ロシュフーコーの言葉があるように、人間は太陽を直視することはできません。しかし、月なら夜じっと眺めて瞑想的になることも可能です。
さらに、人類の生命は宇宙から来たと言われています。わたしたちの肉体をつくっている物質の材料は、すべて星のかけらからできています。その材料の供給源は地球だけではありません。はるかかなた昔のビッグバンからはじまるこの宇宙で、数え切れないほどの星々が誕生と死を繰り返してきました。その星々の小さな破片が地球に到達し、空気や水や食べ物を通じてわたしたちの肉体に入り込み、わたしたちは「いのち」を営んでいるのです。
わたしたちの肉体とは星々のかけらの仮の宿であり、入ってきた物質は役目を終えていずれ外に出てゆく、いや、宇宙に還っていくのです。宇宙から来て宇宙に還るわたしたちは、「宇宙の子」なのです。そして、夜空にくっきりと浮かび上がる月は、あたかも輪廻転生の中継ステーションのようです。
もし、月に人類共通のお墓があれば、地球上での墓地不足も解消できますし、世界中どこの夜空にも月は浮かびます。それに向かって合掌すれば、あらゆる場所で死者の供養をすることができます。また、遺体や遺骨を地中に埋めることによって、つまり埋葬によって死後の世界に暗い「地下へのまなざし」を持ち、はからずも地獄を連想してしまった生者に、明るい「天上へのまなざし」を与えることができます。そして、人々は月をあの世に見立てることによって、死者の霊魂が天上の世界に還ってゆくと自然に思い、理想的な死のイメージ・トレーニングが無理なく行なえます。
「葬送」という言葉がありますが、今後は「葬」よりも「送」がクローズアップされるでしょう。「葬」という字には草かんむりがあるように、草の下、つまり地中に死者を埋めるという意味があります。「葬」にはいつでも地獄を連想させる「地下へのまなざし」がまとわりついているのです。一方、「送」は天国に魂を送るという「天上へのまなざし」へと人々を自然に誘います。「月への送魂」によって、葬儀は「送儀」となり、お葬式は「お送式」、葬祭は「送祭」となる。そして「死」は「詩」に変わります。満月の夜、ぜひ月を見上げて、死を想ってみてください。
わたしは「狂」がつくほどの大の月好きです。毎月、満月の夜には宗教哲学者で京都大学こころの未来研究センター教授の鎌田東二先生とWEB上の往復書簡を交わしています。「ムーンサルトレター」というのですが、最近、なんと10周年を迎えました。それを記念して『満月交遊 ムーンサルトレター』上下巻(水曜社)という本を上梓しました。満月の気に誘われて書き上げた世にも不思議な本ですので、よろしければご一読下さい。
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO89229620T10C15A7000000?nra 【俳句ほどすごいものはない!】より
一条真也の人生の修め方
前回、高齢者にふさわしい老成と老熟の文化があるとして、それを「グランドカルチャー」と名づけました。短歌は若者向けの文化という側面がありますが、俳句はグランドカルチャーを代表する文化です。私は、つねづね「俳句ほど、すごいものはない」と思っています。今回は、そのお話をしましょう。
徘徊老人が問題になっていますが、徘徊とは歩き回ることです。そもそも歩くという行為は、人間にとってどんな意味があるのでしょうか。
「スローライフ」の仕掛人の一人である辻信一氏によれば、スローライフへの入り口の一つに「歩く」ということがあるそうです。歩くということは2種類あって、ひとつはA地点からB地点への移動。もうひとつは散歩です。
散歩の「散」はまるで目的が散ってしまっていることを示しているかのようです。あえて言えば、歩くというただそのことに満足している状態であり、そこは何でもありの世界になります。道草、横道、脇道、寄り道、回り道、遠回り、ブラブラ……。立ち止まってもよし、引き返してもよし、迷ってもよし。これが散歩ということであり、徘徊とまったく意味が同じであることがわかります。目的なく歩きまわる徘徊とは、基本的に散歩であり、自由な精神の行為なのです。
歩く一つ一つの道が違い、同じ道でも昨日と今日とでは違う。雨と晴れでは違うし、冬と夏では違うし、ツツジとアジサイでは違う。そんな季節の移り変わりを散歩の途中で感じたとき、人の心には詩情が浮かびます。五七五という極小の形で季節を表現する詩歌は俳句と呼ばれ、俳句・連句、ひいては俳文学全体の総称を「俳諧」といいます。なんと、ともに人間の自由な精神と季節との出合いを本質とすることから、「徘徊」という一見ネガティブな行為は「俳諧」という風雅の世界に転じてしまうのです。歩き回って季節を感じる力という点において、徘徊力とは俳諧力なのです!
これは、ダジャレでも言葉遊びでも何でもありません。「俳聖」と呼ばれた芭蕉は、とにかく歩いた人でした。江戸時代においては立派な老人であった46歳のときに、有名な「奥の細道」の旅に出ました。
この旅で芭蕉は、江戸から奥羽・北陸をめぐって大垣に到着、そこから伊勢に旅立とうとするまで、150日、600里をとにかく歩きに歩きまわりました。600里とは実に約2400キロメートルですが、病身な芭蕉はこの長大な距離をひたすら歩き、人跡まれな辺鄙(へんぴ)な地方に苦しい旅をつづけたのです。この旅のあいだに自己の詩魂を深めきたえることができ、「不易流行」の論や、「さび」「しをり」「ほそみ」といった芸術観はこの旅のうちに確立したといいます。
また、芭蕉はこの旅で多くの俳句を残しましたが、紀行の地の文と発句(ほっく)とが見事に詩的に構成されており、『奥の細道』は俳諧における最高傑作になっています。老いて病んだ芭蕉の風狂の徘徊力が、彼の俳諧力を最大限に引き出したのではないかと私は思います。そして、『奥の細道』のなかには、「道祖神のまねきにあひて、取(とる)もの手につかず」という一文がありますが、この芭蕉の心を落ち着かなくさせて旅へと誘い出した「道祖神のまねき」は、現代の多くの徘徊老人の心のなかでも旅への勧誘活動を続けているのではないでしょうか。
そして、徘徊は人生に「ゆとり」を生み出しています。ブラブラと散歩するときのような、移動という目的・手段の関係から解放された何でもありの空間や時間を、現代の日本人はどれだけ持っているでしょうか。効率性や生産性といった経済のものさしによって、こんなにも貴重な自由が無駄という一言で片付けられようとしているのです。散歩を取り戻すことはスローライフの第一歩でしょう。そして、それは「ゆとり」ある人生、大いなるグランドライフへの第一歩でもあります。俳句という自由な心の遊びにおいても、まったく同じことが言えるのです。
何より、わたしがすごいと思っているのは、俳句をつくるのに何も道具がいらないことです。筆もいらない、紙もいらない。あるに越したことはないが、別になくても頭のなかだけでいくらでも俳句はつくれる。場所はどこであれ、俳句をつくることは理論的に可能なのです! そう考えてみると、俳句とは最も軽やかで自由な遊びであることがわかってきます。究極のローリスク・ハイリターンであり、これに勝てるのはもはや瞑想ぐらいでしょう。
俳句に季語があるように、人生にも春夏秋冬のさまざまな想い出のステージがあります。俳句はそれらに潤いを与えてくれます。さらには、辞世の句というものが「死ぬ覚悟」さえも与えてくれる。俳句ほど、すごいものはないのです。日本人なら、辞世の句の一つも残して旅立ってゆきたいものです。
一条真也(いちじょう・しんや)本名・佐久間庸和(さくま・つねかず) 1963年北九州市生まれ。88年早稲田大学政経学部卒、東急エージェンシーを経て、89年、父が経営する冠婚葬祭チェーンのサンレーに入社。2001年から社長。大学卒業時に書いた「ハートフルに遊ぶ」がベストセラーに。「老福論~人は老いるほど豊かになる」「決定版 終活入門~あなたの残りの人生を輝かせるための方策」など著書多数。全国冠婚葬祭互助会連盟会長。九州国際大学客員教授。12年孔子文化賞受賞。
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