鷺の歌

https://harutoshura.livedoor.blog/archives/82654830.html 【「鷺の歌」(『海潮音』39)】より

『海潮音』のつづき。きょうは、「象徴詩」の実作例として発表された1篇です。

  鷺(さぎ)の歌     

      エミイル・ヴェルハアレン

ほのぐらき黄金(こがね)隠沼(こもりぬ)、

骨蓬(かうほね)の白くさけるに、

静かなる鷺の羽風は

徐(おもむろ)に影を落しぬ。

水の面(おも)に影は漂(ただよ)ひ、

広ごりて、ころもに似たり。

天(あめ)なるや、鳥の通路(かよひぢ)、

羽ばたきの音もたえだえ。

漁子(すなどり)のいと賢(さか)しらに

清らなる網をうてども、

空(そら)翔(か)ける奇(く)しき翼の

おとなひをゆめだにしらず。

また知らず日に夜(よ)をつぎて

溝(みぞ)のうち花瓶(はながめ)の底

鬱憂の網に待つもの

久方(ひさかた)の光に飛ぶを。

サギ

ボドレエルにほのめきヴェルレエヌに現はれたる詩風はここに至りて、終(つひ)に象徴詩の新体を成したり。この「鷺の歌」以下、「嗟嘆さたん」に至るまでの詩は多少皆象徴詩の風格を具(そな)ふ。

この詩の後には、訳者によるこのような説明があります(この説明にある「多少」は、多かれ少なかれ、の意です)。

ヴェルハーレン(Émile Verhaeren、1855 - 1916)は、フランス語を用いたベルギーの詩人。高踏派の影響を受け、故郷の素朴で美しい田園を写実的に歌った『フランドルの女たち(Les Flamandes)』 (1883) 、病による苦悩や絶望を歌った『黒い炬火( Les Flambeaux noirs)』 (1890) を発表しました。

その後、社会に目を向けるようになり、自然を破壊する近代化に対する田園の悲哀を歌った『錯覚の村々(Les Villages illusoires )』 (1895) や『触手ある都(Les Villes tentaculaires)』 (1895) を発表しますが、やがて『騒然たる力( Les Forces tumultueuses)』 (1902)や『至上律(Les Rythmes souverains)』 (1910)で人間の行動とエネルギーを賛美するようになり、ホイットマンに比せられました。

「鷺の歌」の初出は『明星』(明治37・1)。ここでは「象徴詩」と付記されて、第2節第1行の「水」を除いてすべて平仮名で書かれていました。原題は「Parabole(比喩)」、詩集『Au Bord de la Route(路傍)』(1891年)に入っています。

上田敏は「象徴詩」の実作例としてはじめてこれを『明星』に発表しました。『海潮音』の序で、次のように、「鷺の歌」を例に象徴詩とその味わい方を解説しています。

象徴の用は、これが助を藉(か)りて詩人の観想に類似したる一の心状を読者に与ふるに在りて、必らずしも同一の概念を伝へむと勉(つと)むるに非ず。されば静に象徴詩を味ふ者は、自己の感興に応じて、詩人も未だ説き及ぼさざる言語道断の妙趣を翫賞(がんしよう)し得可し。故に一篇の詩に対する解釈は人各或は見を異にすべく、要は只類似の心状を喚起するに在りとす。

例へば本書102頁「鷺(さぎ)の歌」を誦するに当(あたり)て読者は種々の解釈を試むべき自由を有す。この詩を広く人生に擬(ぎ)して解せむか、曰(いは)く、凡俗の大衆は眼低し。法利賽(パリサイ)の徒と共に虚偽の生を営みて、醜辱汚穢(おわい)の沼に網うつ、名や財や、はた楽欲(ぎようよく)を漁(あさ)らむとすなり。

唯、縹緲(ひようびよう)たる理想の白鷺は羽風徐(おもむろ)に羽撃(はばた)きて、久方の天に飛び、影は落ちて、骨蓬(かうほね)の白く清らにも漂ふ水の面に映りぬ。これを捉へむとしてえせず、この世のものならざればなりと。されどこれ只一の解釈たるに過ぎず、或は意を狭くして詩に一身の運を寄するも可ならむ。肉体の欲に饜(あ)きて、とこしへに精神の愛に飢ゑたる放縦生活の悲愁ここに湛(たた)へられ、或は空想の泡沫(ほうまつ)に帰するを哀みて、真理の捉へ難きに憧(あこ)がるる哲人の愁思もほのめかさる。

而してこの詩の喚起する心状に至りては皆相似たり。125頁「花冠」は詩人が黄昏たそがれの途上に佇(たたず)みて、「活動」、「楽欲」、「驕慢(きようまん)」の邦(くに)に漂遊して、今や帰り来(きた)れる幾多の「想」と相語るに擬したり。彼等黙然として頭俛(た)れ、齎(もた)らす処只幻惑の悲音のみ。孤(ひと)りこれ等の姉妹と道を異にしたるか、終に帰り来らざる「理想」は法苑林(ほうおんりん)の樹間に「愛」と相睦(むつ)み語らふならむといふに在りて、冷艶(れいえん)素香の美、今の仏詩壇に冠たる詩なり。

「ほのぐらき黄金隠沼」は、原詩では、薄暗い黄金の池、という意。隠沼(こもりぬ)は、草などにおおわれて上からは見えない、隠れた沼。隠れの沼。こもりぬ。万葉集(巻2・201)に「埴安(はにやす)の池の堤(つつみ)の隠沼の行方を知らに舎人はまとふ(埴安の池の堤にかこまれた隠沼の水のように、どこへ流れていいのかも知らず舎人たちは迷っています)」

「黄金隠沼」というような言葉を使ったことについて、高村光太郎は『岩波講座世界文学』の「ヴェルハアラン」(昭和8・8)の中で、次のように指摘しています。

日本の象徴主義運動の有力な一契機であった訳詩集『於母影』の中にもヴェルハアレンの詩集「路のほとりに」の中の「たとへ」(Parahole)の一詩が翻訳されてゐる。それが「黄金隠沼」といふやうな、いかにも気取った言葉で書かれてゐる。ところが此の詩は題名の示す通りの比喩詩であつてマラルメ等の意味する象徴詩では決してない。

空飛ぶ鳥の翼の沼にうつる影に綱うつ人の空しさを歌ひ、人間のはかない努力を嘆じた寓話に過ぎない。言葉の表面的な意味を抹殺して、その音性と原始性とによる不限定な、しかもその故に緊迫した詩情の組立てを宗とする性質は此所にない」

たしかに「鷺の歌」がマラルメ的な象徴詩でないことは、光太郎のいう通りなのでしょう。上田敏の象徴詩に対しる理解は、今から見れば確かに十分とは言えなかった。しかし、当時はまだフランス本国でも象徴詩が十分に把握されていたとはいえない状態だったことを頭に入れておく必要がありそうです。

「骨蓬の白くさけるに」は原詩では、白い睡蓮の間に、の意。「骨蓬」は、ヒツジグサ科の多年生草本で、7、8月ごろ、水面に花を開きます。

「静かなる鷺の羽風は/徐に影を落しぬ」は、ゆっくりと飛ぶ鷺の一群が影を落としている、という意。

「天なるや、鳥の通路、/羽ばたきの音もたえだえ」は、そしてゆるやかに羽ばたく翼、鳥の通路は空高く定めがたい、の意。

「漁子のいと賢しらに」は、初出では「すなどりのひと、かしこげに」。原詩は、ひとりの謹厳で理論的な漁夫が、の意です。

「清らなる網をうてども」は、影に向かって透いた網を投げる、という意。「清ら」は、清らかなことです。

「空翔ける奇しき翼の/おとなひをゆめだにしらず」は、影が空中で大きな夢のような翼をはばたいているのを見ようともせずに、の意。

「日に夜をつぎて」は、昼も夜も。

「溝のうち花瓶の底」は、原詩は「下で、穴の底の、泥土の中で」の意で、誤訳と見られています。原文では「En bas,dans les vases,au fond d'un trou」で、「les vases」は複数形です。ところが、男性名詞「le vase」は花瓶の意で、女性名詞「la vase」は水底の泥の意です。上田敏は英語の連想からか、女性名詞の複数形ととるべきところを、男性名詞ととったと考えられています。

「鬱憂の網に待つもの」は、初出では「つれづれのあみまつもの」。「鬱憂の網に待つもの/久方の光に飛ぶを」は、アンニュイの網で押えようとねらっているものが、光の中をとらえがたく狂気じみて通り過ぎるのを見ようともせずに、の意味です。

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