Facebook郷右近丸彦さん投稿記事《ほんたうのパラレルワールド⑥》
このシリーズもいよいよ大詰めになってきました。これからアフターコロナの世の中がどう変わっていくのか?進化と衰退はどんな違いで起きるのか?それはすべて「意識」の違いで
現実が変わっていくのですがその意識の違いとは何かをこのシリーズではていねいに
わかりやすく伝えています。まだ最初から読んでいない人はぜひ最初の①までさかのぼって
読んでみてくださいね。
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今年から「大転換」の時がすでに始まっています。その前哨戦が新型コロナだったのです。
これから進化する世界と人間のエゴによって崩壊していく世界とに別れていくのですが
その世界は二つではなく微細な違いによって三千もの世界に別れていくのだということを
今までお伝えしてきました。
善と悪とに分けて互いを断定するのはまちがった捉え方なのだということを説明しましたが
今日はその先の話をします。
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「オセロ」というゲームを知っていますよね。白と黒が表裏一体になったコマでそのコマを
ひっくり返しながら進めるゲームです。
このゲームのコマは牛乳びんの蓋のサイズだと知ってましたか?けっこう大きいですよね。
今は牛乳びんというものがなくなってきましたがつくられた当初は実際に牛乳びんの蓋を
二枚貼り合わせてコマをつくったのです。つまり「オセロ」とは日本で産まれたゲームなんですよ。なぜ「オセロ」という名前がついたのかというとシェイクスピアの戯曲「オセロ」から採った名前です。
この戯曲の中の主人公は白人と黒人の夫婦なのですが権力を争って二転三転するというストーリーのものなのです。世界で流行してもらいたいという意図からカードゲームやチェスなどのテーブルで行うゲームの本場であるイギリスで受け入れられるようにあえてネーミングしたものなのです。
トランプや数々のボードゲームのほとんどはイギリスで生まれたものです。
王侯貴族がヒマな時間を持て余しその時間をどうたのしく使うかという目的のために生み出された「遊び」だったんです。
つまりゲームのルールをつくるのは支配する権力をもったものがつくる権利があるという暗黙の了解がありました。
でもほとんどの遊びのルールは出尽くしていて何百年も新しいゲームのルールは出てこなかったんです。その中で登場したのがオセロでした。
はっきり言ってヨーロッパでは驚愕だったんです。
いったん白か黒か決まっている存在がなんどもなんども裏返るというルールは彼らのルールの中には考えられなかったことだからです。しかもこのゲームの考案者は日本の一般人です。その原型は大東亜戦争が終わって間もない1945年の頃に日本で生まれたとされています。これもヨーロッパの人たちの常識では考えられないことだったんです。
戦争で負けてどん底の生活の中で苦しんでいるはずの一般人が「遊び」を創造する??
ヨーロッパ人には理解不能の領域でした。
だからこそヨーロッバ人は日本の底力を封印することを決めたのです。
その一つが神道のほんたうの力を封印することでした。このことを正確に理解をすること。
ここにこれからの未来を創造する鍵があります。
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日本には「貧乏神が福の神に変わる」という言い伝えの物語があります。
かんたんに言うとこんな話です。
あるびんぼうな老夫婦が二人で住んでいました。お正月になる前の大晦日二人はほとんど何もお祝いするたべものもないけれど家を掃除をしてお正月を迎えようとします。
ほとんど何も家財はない家ですが家中の埃をはたき拭き掃除をして家を綺麗にしようとしていました。そしたらおばぁさんが素っ頓狂な声をあげて叫ぶのです。
おじぃさんおじぃさんたいへんだ !! この扉の向こうに貧乏神がいるだ !!
扉の中を覗くと薄暗〜いジメジメした中にそれはそれは貧相な貧乏神がうずくまっていました。こんな悪い奴がいるからうちは貧乏だったんだ !
こんな縁起の悪い奴は追い出してやらなくてはなんねぇだ !とおばぁさんは言います。
けれどもおじいさんはこう言います。貧乏神さまでも神さまは神さまだぞ。
私たちの心構えが善くなかったからこうして嫌な思いをさせていたのかもしれないよ。
ごめんなさい。許してください。この扉の中を拭き掃除をして氣持ち善い空間で
貧乏神さまもお正月を迎えていただきましょう。そうして丁寧に拭き掃除をして扉を閉めました。明くる朝 お正月に貧乏神さまのいる扉を開けて あけましておめでとうございます
と挨拶をしたところ 貧乏神さまは福の神さまに変身していたのです。
しかも金銀財宝がざっくざっくと扉の中にあって光輝いていました。
私を丁寧に扱ってきれてありがとう。これは私からのお礼だよ。この話はまだ続くのですが
今日はここまで。
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つまりね。悪は悪のままではないということなのです。
ところが逆もあります。今までイイ人に思えていた人が悪に転じることもあるのです。
これが世の中の実態なんです。
だから善と悪の二つに分けて断じてしまうのはまちがった解釈であるということなんです。
二元論の限界はここにあります。
どんな人間でも悪から善に変われることがあるし今まで善い人だったとしても努力を怠れば
善人でも悪人に変わることがあるということです。それを私は自分の人生で経験をしたのです。飛ぶ鳥落とす勢いの花形コンサルタントが自分の能力を過信してある時に一氣に地獄のどん底に落ちました。それが今から12年前のことです。
それから私は何が悪かったのだろう?と自問自答をしながらすべてを白紙に戻しあらためて教えを請いました。その時に私を救ってくれたのが「神道」だったのです。
神道では「祓いにはじり祓いで終わる」という教えがあります。
私の凝り固まった不遜な心を祓ってください。私を優しい人にしてください。泣きながら毎日祈りました。私が一番手に入れたかったのは優しい心になることでした。
たくさんお金を得ることでもなく 偉い先生だと あがめられるのではなく ただただ
優しい人になりたいと 真剣に願いました。 このことを毎日毎日祈りました。
私が地獄に落ちたのは俺は普通の人より偉いコンサルタントなんだおまえらとは違うんだ
という驕り高ぶった氣持ちがあったからなのです。それを徹底的に祓いました。
でもなんどもなんども払ったつもりでいたのにまだまだおごった氣持ちは残っていたようで
次から次へとトラブルが起きるのです。
なんでこんなに自分のいたらなさを反省しているのになんで神さまはこんなことをなさるのですか?もう勘弁してください !!と、なんどもなんども天をあおぎ泣きながらお願いをしました。
そしてそれを克服するのはとにかく徹底的に浄化をするしかないのだということを
私自らの体験を通して知ることができました。
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いいですか。なぜ二元論がまちがっているかというとすべてのものごとは常に変化をし続けていて同じところにとどまることはないというのが天と地の実相だからです。
世の中が変化をしている時に自分自身が変わることがなければ世の変化の濁流に飲まれて
流されていなくなるだけです。
だから自らを進化させることの努力が必要なのです。
そのことの違いはかなり事細かな違いがあるのです。
わかっていると思っていても実はまだまだ微細な違いをわかりきっていない人がほとんどだろうと思います。
私はすでに分かっていると思うのはもしかしたら思いたかぶっているのかもしれませんよ。
そのことを私は今まで「天地彌榮塾」で教えてきました。
ここでは神道とは何か 日本の本質とは何かを教えてきました。
しかし いよいよ満を持して次なる ステージに進みます。
それが9月から高天原村で開校をする「ほんたうのこと学校」です。
こちらは神道や神社のことを中心に教えるのではなく世の中のすべてに通じる「ほんたうのこと」を教える学校です。
何がほんたうで何がほんたうではないのかを徹底的に教えていきます。
このことについては来週にでもインフォメーションさせていただきます。
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今日もとても長い話におつきあいいただきありがとうございます。
私はできるだけ多くの方が「ほんたうのこと」に氣づき明るく希望に満ちた
未来へと進んでいただきたいと心から思っています。
どうぞ感想などありましたらコメントをしてくださいね。
この世の中が善循環の世の中になるために たくさんの人にこの真実を伝えたいと思います。シェアしていただけたらたいへん嬉しいです。
今日も一日あなたとあなたの大切な人が「ほんたうの幸ひ」でありますように。
《世の中を変えよう ! 参政党は有りか無しか?》
7月10日の参議院選挙はこれからの日本の命運を左右する大きな転換点となりそうです。
ぜひあなたも選挙に参加してくださいね。
今、話題の「参政党」についてまるさんはどう思っているのか? をYouTubeで詳しく話しています。かなり氣持ちを込めて投稿しました。
ぜひ観てくださいね。そして、共感していただいた方はぜひお友達にも教えてくださいね。
コメント大歓迎です。シェアもよろしくお願いいたします。
https://youtu.be/6CUkivo466Q
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