波動干渉と波動共鳴

https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/8048471?categoryIds=5803418%E3%80%80      【畳み込みの世界】

あの世とこの世  波動干渉と波動共鳴

目に見えない世界を みなさんはどのように お考えですか?

天外伺朗さんは「般若心経の科学」で「この世を二元世界 あの世を一元世界」と説き「二元性を<取り除いていくことが悟りのプロセスではないか?」と語ります。

二元世界とは目に見える世界、一元世界とは目に見えない世界ということでしょうか?

肉体は細胞でできています。細胞は元素で出来ています。しかも絶えず新陳代謝を繰り返し固定することのない波動です。

波動は絶えず共鳴し合ったり、干渉しあったりまるで大海原の波のように自然のリズムを歌い続けます。

♪  ♪  ♪  ♪  ♪ ♪

一指李承憲@ILCHIjp

自然から愛され、なぐさめられた経験は、誰にでもあると思います。自然からのメッセージは自分の中で鳴り響いている内面の声です。内面の自然と外部の自然、この二つの自然が一つにつながったとき、私たちは自然からのメッセージを聞くことができます。そのとき、私たちは自然と本当の友になるのです。

自分の内にも、外にも自然のリズムがあるのに乗り切れず 私たちは宇宙との一体感を忘れています。この世を彩る五感は あまりにも刺激的で激しい喜怒哀楽が命の実感であるかのような錯覚を生むことさえあります。

五感を通して認識する現実は 幻想であり マトリックスに過ぎません。

どんなレセプター、どんな情報を持つかにより認識内容は変わります。

二元性を取り除くとは 一元世界の一体感を取り戻すこと。

右脳左脳の統合・潜在意識と顕在意識の一致とも言えます。

彼は更に一元世界は 渾然一体となった「たたみこみ」の世界だと表現しています。

たたみこみの世界を走査線とテレビ画面で喩えていますが私には よくわかりません。所謂5次元の世界でしょうか?

ピンと来ない「たたみ込みの世界」を考察してみたいと思います。

一元世界に二元世界は包含されており(たたみ込まれており) 五蘊をとおして 

二元が認識される。 二元はマトリックス。それであれば 死とは五蘊を失うことでしょうか? たたみこみとは「素粒子であり波動である」・「吾(左脳意識)であり宇宙(右脳意識)である」という情報が霊魂の情報として DNAに組み込まれているということでしょうか?(DNAの二重螺旋は 私にはメビウスの輪のように見えます。)

シーターヒーリングでは輪廻転生で受け継がれる情報は 松果体にあるマスターセルの遺伝子情報、ハートにあるマスターセルの魂情報 尾底骨にあるミシャクジ神のマスターセル情報だと 説きます。「霊と魂と観音菩薩(命)」ともとれます。

自転だけだと 落下は振り子になり無限大になると聞きます。公転が加わると 波動になる感じがします。それともたたみこみとは 乖離光線から紫外線、可視光線、赤外線、音波、超音波 脳波、電波、その他様々な波動が 共鳴し合ったり、増幅し合ったり、干渉し合ったり、引き合ったり、反発し合ったりしながら渾然一体となっているということでしょうか?

バーコードを連想させます。

全ては 相似型を成す「ノモスに集約」できるということでしょうか?(ノモスとダルマはどう違うのでしょう? )

宇宙は黄金比で成り立ち1/fのゆらぎを持つと考えていいのでしょうか?

アナロジーで連想するものは

自転公転

原子(核を中心に回る電子):太陽系(恒星を中心に回る惑星) 

人体=小宇宙

 四肢:四季

 五臓六腑:五大陸六海 

 経絡:12月 

 365経穴:一年365日 

 気:風  

 五行:惑星

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1924949727...

まんだらや さんの日記 33・34の秘密(秩父34観音巡礼?

古代の神秘主義では、人の脊柱は33に分かれていてそれが秘伝啓示の33階梯になっているという。

頸椎(7)胸椎(12)腰椎(5)仙椎(5)尾椎(4)=33脊椎はエデンの園のところにある炎の剣を意味しているのであり、この炎の剣は汚れた人間が自分自身を清めるまで、エデンの園に入れないようにしているのである。

この33段階はフリーメーソンの33階級を表していて、イエスの人生33歳は、秘伝の33のシンボルなのである。

また、33の脊柱は天(頭骨に登るシンボルであり、イエスはシャレコウベ=骸骨(ゴルゴダ)の丘で磔刑になったことで、34番目の骨で昇天したのである。

さあ観音巡礼を終えた我々は、果たして淨化を終えることができたのだろうか?

療法の真義ドーリル博士 (病気治療と健康幸福への道より抜粋

東大の臨床医矢作医師は「人は死なない」と主張します。空海も「人は死なない」と言います。日本人は古来「あま(あの世)」と「うつしよ(この世)」を想定し 二つの世界をつなぐ「ま」を大事にしてきました。

「ま」をつり合わせる「まつり」は神事として祀られてきました。

祀り・祭り・奉り・政りとは、感謝や祈り、慰霊のために神仏および祖先をまつる行為(儀式)であると言われます。

祭のお囃子、太鼓や鈴の音。神輿や踊りや香り。祭に預かるものは いつしか変性意識になり潜在意識とコンタクトする=神からの啓示=ご神託を受けとることになります。

「ま」つりを行えば「うつしよ」に居ながらにして「天」と交信できるともいえます。

「命」は「人が一を叩く」と私が解釈したことに対し、本来命という字は「令と口に分けられます。この口は祭器を表し、礼服をつけて 跪いて神の啓示を待つもの。ゆえに神の啓示を意味します。」との指摘を受けました。

然し「神の啓示を受け取れるもの」は「ひとつを体験できるもの」だと思うのですが如何でしょう?

「あま」と「うつしよ」の関係は キリスト教の直線的な時間感覚に類似しています。

あの世の中にこの世が内包され(これが五次元、形成磁場の概念なのでしょうか?)

永遠の中に今が内包されている。

永遠の象徴である「円」は 「直線」の集合であり、直線は 位置を示すことのみができる

「点=0」の集合です。永遠はゼロの集合でありそれは即ちゼロであることになります。

円は永遠の今を表していることなのでしょうか?

私はキリスト教の時間観は直線的と錯覚していたのでしょうか?

ヨベルの年、最後の審判の概念が時を直線に見せていましたが円=ゼロであり無限であれば時は循環することになります。

死に対するイメージは様々       

葬儀に参列する時 黒装束を着用するのは 常識でしょうか?死に対して 白装束で祝う国があると聞きます。死に対するイメージは様々です。

以下の二つの引用文をお読みください。

 http://www.sougisoudan.com/minijiten/tabizitaku/index.html

昔、我々の先祖は、自分自身や家族の最期の帷子(かたびら)/晴着を密かに用意していました。

人生の最期を飾るお祝衣・・最期の瞬間、天から戴いた絹に包まれ、天国へ上って行くことが出来たらどんなに幸せでしょうか?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E6%9D%91%E3%83%AB%E3%83%84%E5%AD%90

愛娘ルツ子を亡くした 内村鑑三は「ルツ子の葬式ではなく、結婚式です」と述べた。

雑司ヶ谷の墓地に埋葬される時に、鑑三は一握りの土をつかみ、その手を高く上げ、甲高い声で「ルツ子さん万歳」と大声で叫んだ。友人の本間俊平が秋吉の大理石を採掘して墓石を

寄贈し、鑑三が「また会う日まで」と刻んだ。

死は誰にでも訪れる余りにも身近な出来事なのに タブー視する傾向は無いでしょうか?

命は命をいただくことで 存続します。絶えず循環し 日々新たです。

死と復活、死と再生はセットです。死を問うことは生を問うこと。

真昼の光に照らし出される自分の影は等身大そのものです。

然し夜の明かりに映し出される影は 異常に大きくなります。

死を遠い出来事として見過ごさないで 向き合ってみませんか。 

【7つのテーマでのグループトーク】

1.リラックスし、幼いころの自分を思い出す。 どんなことを恐れていましたか?

 どんなことに喜びを感じていましたか?

2. 最も死に近づいた瞬間         

今までであなたが最も死に近づいたと思うのはどんな時でしたか?

3. これからの計画            

:1年先までに私がやり遂げたい計画   5年先までにやり遂げたい計画  

 80歳になったら

 4. 年をとることの意味           

 :否定的に思えること・肯定的に思えること

 5.あと一カ月の命            

:身体もだいぶ衰弱し、食事も殆ど入らなくなりました。この様子では 後一か月くらいかと、なんとなく予感が働きます。 

残された時間に是非やっておきたいことは何でしょうか?

 6. 死の恐れ               

 :例えば 肉体が滅びる、愛する人たちと離れなければならない、忘れ去られる、

  大事なものを手放すなど

 7. わたしの墓碑銘             

 :あなたの墓に刻む墓碑銘を考えてみてください。

どんな言葉が、あなたの人生にふさわしいでしょうか?

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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