https://www.mag2.com/p/news/160820 【美しいだけじゃない。「桜」が日本の象徴とされている本当の理由】より
桜が日本の国花であることはご存知だと思いますが、世界的に見ても、ひとつの花が咲くのを国中でここまで待ち焦がれることはあまり例がないのだとか。無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』では、平安時代から現代まで続く、桜に魅了され続けて来た日本人の心に迫ります。
桜とともに生きてきた日本人
桜は、古来から様々な名歌に詠まれ、民衆の間で愛唱されてきた。
「世中(よのなか)にたえて桜のなかりせば春のこころはのどけからまし」(在原業平、825-880年)
「世の中に桜などなければ、春は心のどかに過ごせるだろうに」という反語的な表現で、桜のことで落ち着かない心持ちを現している。
造幣局の通り抜けも開催期間はわずか1週間、それも満開の時期を選ぶために直前になるまで決まらない。「次の日曜日なら行けるが、天気はどうだろうか」などと、やきもきする心持ちは平安時代も同じだったのである。
「久かたのひかりのどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ」(紀友則、850-904年)
陽がのどかに射している春の日に桜が咲いている美しい光景が目に浮かぶが、その桜の花は「しづ心なく」散っていく。「しづ心」は「静心」で「静かに落ち着いた心」を意味するそうだ。自分は、のんびりと静かに桜を見ていたいのに、そんな気持ちも理解せずに、桜の方はなぜ散り急いでいくのか、という口惜しい心持ちを詠んでいる。
のどかな春の日に咲き、しかしあっという間に散ってしまう桜は、日本人にとって人間の生と死の象徴であった。
「ねがわくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月(もちづき)のころ」
平安末期から鎌倉初期に生きた西行法師(1118ー1190年)の有名な歌である。「願わくば桜の下で春に死にたいものだ。釈迦が入滅した、旧暦2月15日の満月の頃に」という意味である。
西行法師は桜を愛し、約230首もの桜を詠った歌を詠んでいる。その桜の下で死にたい、という望みを果たすかのように、実際に2月16日に亡くなり、世の人々はその不思議に驚いた。そして西行法師を弔うべく、墓の周囲に桜を植え、山全体を1,500本もの桜で覆った。
桜の咲く前から、今か今かと心待ちにし、天気はどうかとやきもきし、咲いては喜び、散っては惜しむ。さらには桜の木の下で死にたいとまで願う。日本人は昔から桜の花とともに生きてきたのである。
桜と武士道
武士の世になって、咲いてはすぐに散る桜は、現世に執着せず、義のために命を捧げる武士の生き方の象徴とされた。「花は桜木、人は武士」とは、この理想を謳っている。
ここで思い起こされるのは、アメリカ映画『ラスト・サムライ』の結末シーンである。渡辺謙扮する「勝元」(西郷隆盛を思わせる大将)が戦いに負け、切腹する際に頭上から舞ってくる桜の花びらを見て、「Perfect! It’s all perfect(見事だ)」ともらす。勝った官軍側はみな、勝元の切腹に、ひざまづき、ひれ伏す。日本の武士道に対する深い敬意の籠もったシーンである。
『ラスト・サムライ』の原作者は、おそらく英語で武士道を紹介してベストセラーとなった新渡戸稲造の『Bushido』を読んでいただろう。『Bushido』の原著では、緑色の表紙にタイトルとともに、次の本居宣長の歌が朱色に刻まれているという。
「しきしまのやまとごころを人とはば朝日ににほう山ざくらばな」
そして、著者は本文の冒頭で「武士道とは、日本の象徴である桜花にまさるとも劣らないい、日本固有の華である」と述べている。この歌の「やまとごころ」、すなわち大和魂こそ、武士の精神であり、その大和魂は桜に象徴されると考えていたのである。日本の国花が桜になったのも、この宣長の歌に基づくと伝えられている。
武士道を記した古典、山本常朝の『葉隠れ』には「武士道とは死ぬことと見つけたり」という有名な一句がある。主君のためにはいつでも生命を投げ出すのが武士道であり、桜の潔く散る様こそ、その象徴だと見なされた。
「例のうるさきいつはり」
しかし宣長の歌には武士道につながるような意味があるのだろうか?
宣長は「漢心(からごころ)」を清く除いて、人間の生まれながらの真心(まごころ)こそ、人の生きる道とした。その「真心」とは何か、『玉勝間』でこう説いている。
うまき物くわまほしく、よき家にすままほしく、たからえまほしく、人にたふとまれほしく、いのちながからまほしくするは、みな人の真心也。
(旨いものを食べたい、よい家に住みたい、財産を得たい、人には尊敬されたい、長生きしたいとするのは、みな人の真心である)
然(しか)るにこれを皆よからぬ事にし、ねがはざるをいみじきことにして、すべてほしがらず、ねがはぬかほをするものの、よにおほかるは、例のうるさきいつはりなり。
(しかるに、これら皆よくない事として、願ったりしないことが大事だとして、すべて欲しがらず、願わない顔をする者が世に多いのは、例のうるさい偽りである)
「例のうるさきいつはり」とは儒教の道徳論のことで、人間の素直な心を偽った中国風の「漢心」だと言うのである。
これに続けて、月花を見ては「あはれ」と愛でながら、美人には目もくれない顔をして通りすぎる「先生」なども、「いつはり」だと論断する。
この「漢心」という嘘偽りを捨て去って、人間の真心そのままに生きることこそ、日本人が古来から大切にしてきた「やまと心」だと、宣長は考えた。
「武士として、主君のためならば喜んで命を投げ出せ」などと説く声を宣長が聞いたら、それこそ人間の真心を偽る「漢心」だと言うだろう。
「朝日ににほう山ざくらばな」の真意
それでは、この宣長の歌はどう解釈すればよいのか。文芸評論家の小林秀雄はこう解説している。
大和ごころっていうことばを使っているけどね、あの歌はそう理屈っぽく大和ごころを説明しているんじゃないんだよ。もっともっとすなおな歌なんだよ。
宣長は、とてもさくらの花がすきだった。遺言状に、墓はそまつな墓にしろ、うしろに山ざくらをうえろ、それもよくぎんみしていちばんいい木をうえて、かれたらとりかえろ、と書いたぐらいだからね。
だからあの歌は、さくらを愛するあまり、さくらの美しさを、愛情をこめてほめた、すなおな歌だと思えばいいんだ。「しきしまのやまとごころを人とわば」っていうのは、ただ「わたしは」という意味にとって、この歌は「さくらはいい花だ、実にいい花だと思う」という素直な歌だととればいいんだよ。
この歌が時代を超えて愛唱されてきたのは、「やまと心」を説いた理屈ではなく、「朝日ににほう山ざくらばな」という情景が、人々の「やまとごころ」に直接訴えてきたからだろう。
「やまと心」と武士道
とするなら、新渡戸稲造が『Bushido』で、宣長の歌を武士道に結びつけるたは、勝手な牽強付会なのだろうか?
「長生きしたい」というような人間の素直な「やまと心」からすれば、いざとなれば潔く命を散らす武士道は「例のうるさきいつはり」なのか?
新渡戸は武士道の最初の徳目として「義」を上げている。たとえば、困っている人々を見て、なんとか救いたいと願うのは、人間の自然な情だろう。
東日本大震災で仙台市では35万世帯の都市ガス供給がストップしたが、その復旧のために、全国30ほどの業者から約3,000人の技術者が集まり、ガス管の損傷確認と1軒毎の開栓作業にあたった。
「お客さんのガスを止めるというのは、ガス業者として断腸の思い。同業の仲間として放っておけない」と関係者は語る。また新潟柏崎市から8時間もかけて車で駆けつけた技術者は「中越沖(地震)の際には仙台市にも助けてもらった。やっと恩返しができる」と語る。
この3,000人の人々は、人間としてのごく自然な「やまと心」で立ち上がったのである。
「義をなす勇」と「やまと心」
新渡戸稲造は「義を見てせざるは勇なきなり」と説いた。「勇」とは、「義」をなすための勇気であって、被災者を助けたいという「義」から、ガス漏れしているかもしれない危険な地にあえて赴いたのが「勇」である。
逆に「義なき勇」は、「蛮勇」「匹夫の勇」として戒められた。当時の菅直人首相は用もないのに危機の最中の第1原発を訪れるというスタンドプレーをしたが、これは「匹夫の勇」そのものである。「匹夫の勇」で死ぬことを「犬死に」という。武士道はこういう所行を厳に戒めている。
自らの人気取りのために、吉田所長以下の懸命の作業を妨害した「不義」の所行に多くの国民が怒った。これが「義憤」である。
全国から被災地に集まった約3,000人のガス技術者たちは、危険な地に行く恐れも当然あったであろう。万一の場合にはガス爆発で命を落とすかも知れない。
その恐れを乗り越えて、「お客さんのガスを止めるというのは、ガス業者として断腸の思い」として赴いた。これは「義をなす勇」である。「武士道とは死ぬことと見つけたり」とは、死を恐れずに「義をなす勇」が、良く生きる道であることを逆説的に説いている。
そして、その「義」を感じとり、「勇」を発憤させるのも、人間の持つ「やまとごころ」の働きである。「朝日ににほう山ざくらばな」を愛でるのも、被災者たちを救いたいと願うのも、素直な「やまとごころ」の自然な働きである。こう考えれば、新渡戸稲造が『Bushido』の表紙に宣長の歌を飾ったのも、牽強付会とは言えまい。
国花・桜
現代日本において、造幣局の通り抜けを埋め尽くす人々は桜を愛でる「やまとごころ」の持ち主である。在原業平が「世中にたえて桜のなかりせば春のこころはのどけからまし」と詠ったように、開花はいつか、天気はどうか、と一喜一憂する。
散り初めには、紀友則が「久かたのひかりのどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ」と詠ったように、花の散りゆく様を惜しむ。日本人の桜を愛でる「やまと心」は千年前と変わっていない。
のどかな春の日には桜を愛でる日本人が、一朝事あれば「義のための勇」を奮い起こして立ち上がるのも、その「やまと心」のゆえである。「漢心」では、桜を愛でることも知らず、「不義」も平気で見逃す国になってしまう。
国花の桜は文武両面で、見事に我が国の国柄を象徴しているのである。
文責:伊勢雅臣
0コメント