https://ugaya.jimdofree.com/2019/07/04/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%98%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%81%AF%E4%BB%8F%E6%95%99%E5%BE%92%E3%81%8C%E9%80%A0%E3%81%A3%E3%81%9F/ 【ストーンヘンジは仏教徒が造った?】より
先日、『ストーンヘンジは縄文人が造った?』という記事を発表しました。
それから数日後、何気なくテレビを見ていると、林修先生が広島の厳島神社を紹介しているではないですか。
安芸の宮島のなかでも、とくに「須弥山」が外国人観光客に人気が高いという内容でした。
ぼんやりとその番組を眺めていた私は、そこに一瞬だけチラリと映ったイラストに、目が釘付けとなります。
それが、添付のイラストです。
これは「須弥山を概念的に表現したものである」と、説明されていました。
あらためてネットで検索してみると、それはまるで、「ストーンヘンジ」そのものではありませんか!
なんだって!?
じゃあストーンヘンジとは、
「仏教的世界観に基づく須弥山を、石で再現した精密モデルである!!」
ということになります!
そもそも「須弥山」とは何か?
「須弥山(しゅみせん)」とは、仏教の世界観で、この世界の成り立ちを概念的に表現した「山」のことです。
恥ずかしながら、お寺の坊主を先祖に持つ私でさえ、全く知りませんでした。
とにかく仏教の世界は奥が深すぎるので、超カンタンに解説すると・・・・
◆中心にある塔が「須弥山」というお山で、ここが世界の中心となります。
⇒なお、三蔵法師がこれを「妙高山」と呼んだので、新潟の妙高山はこれにあやかっています。
◆その上空には、「帝釈天」ら偉い神様・仏様が住むとされる「善見城」があり、ここがいわゆる極楽浄土ですね。
⇒ちなみに、スピリチュアル系の宗教で「第〇〇次元の頂点」などと教えているのがここのことです。
⇒ここには甘露の雨が降り注いでいるので、その住民は食事をする必要がありません。
◆そのちょっと手前に「有頂天」という次元があり、ここで悟りを開くことができたと思い込んで浮かれていると、また低次元に滑り落ちてしまいます。
だから「有頂天になるな!」ということなのですね。
◆この「須弥山」を中心に東西南北4つの方角があり、それぞれに国または大陸があります。
東には半月形の毘提訶洲・・・・南北アメリカ大陸のこと?
南に三角形の贍部洲・・・・インド亜大陸のこと?
西に満月形の牛貨洲・・・・ヨーロッパ大陸のこと?
北に方座形の倶盧洲・・・・ユーラシア大陸のこと?
◆ただし、仏教の世界では「フラクタル(相似形)」という考え方を採っていますので、この須弥山が世界の中心を指していることもあり、あるいは日本の中心を指していることもあります。
⇒日本列島が世界地図の相似形になっているとする説はこちら。
http://gakkenmu.jp/column/14449/
⇒フラクタルとは何か? を分かりやすく解説しているサイトはこちら。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%AB
http://kamakura.ryoma.co.jp/aoki/paradigm/furactal.htm
⇒このフラクタルは無限に続くので、大宇宙を表すこともあり、また人間の体を表すこともあります。
◆なぜか大地の下には「金輪(こんりん)」という層があり、人間が行けるのはここまで。
だから、さらに下の層との境界線を「金輪際(こんりんざい)」といいます。
⇒落語に出てくる江戸っ子が「金輪際のコンコンチキ」と言っているのは、「もう限界だ!無理だ!」といっているのですね。
◆ちなみに、その下にある層が「水輪」で、さらにその下に「風輪」という層があります。
⇒もしかしたら『地球空洞説』はここから来ているかもしれません。なぜならこの須弥山の概念図を上下逆さまにしたものが地球となるからです。
以上、超かんたんとはいいながら、大変に奥深い教えなので、これを説明しているだけで私の人生が終わってしまいます。
さらに、興味のある方は、下記のサイトで勉強してください。
【Wikipedia】https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%88%E5%BC%A5%E5%B1%B1
【参考サイト】http://tobifudo.jp/newmon/betusekai/uchu.html
これをストーンヘンジと比較してみると
まず、2枚の写真をじっくりと眺めて、比べてみてください。
左が「ストーンヘンジを上空から見た配置図」、右が仏教の教える「須弥山の概念図」。
そうです、ほぼ同じと断定してもよいと思います。
ただし、よーく見ると、たったひとつだけ違いがあります。
それは、須弥山の山頂に乗っかっているテーブル状の岩、これを「とう利天」といいますが、この岩が無いのです。
【参考】https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A8%E3%81%86%E5%88%A9%E5%A4%A9
先日、このストーンヘンジを造ったとされる「ブリトン人」のお墓は「支石墓(ドルメン)」であると書きましたが、彼らは自分たちお墓さえも須弥山の形に似せていたということであり、どのお墓にもテーブル状の石が乗っています。
ところが、肝心のストーンヘンジには、このテーブル状の石が乗っかっていない!!
つまり、最後の最後になって、まだ完成しないうちに、このブリテン島を去ってしまったということになります。
原因は2つ考えられます。
(1) 侵略者であるビーカー人たちに邪魔されて、完成させることができなかった。
もしそうだとしたら、ビーカー人たちがストーンヘンジを破壊しようとした破片が周囲から発見されるハズですが、そのような痕跡はありません。
あるいは・・・・
(2) このブリテン島の地では、仏教の布教は難しいと判断して、未完成のまま旅立った。
多分、私は(2)のほうが近いと考えます。
だから、彼らは仏教布教の聖地として、次なる候補地・ネパールを目指したのです。
もしも私の推測が正しいとするならば、このストーンヘンジの上に、巨大なテーブル状の石「とう利天」を乗せてみれば分かるはずです。
きっと、とんでもないことが起きるに違いありません!!
猿田彦は仏教徒か?
先日の記事では、紀元前2500年頃、日本を目指してやってきたブリトン人の末裔こそ「猿田彦」であると書きましたが、そうすると猿田彦は仏教徒であることになります。
はたして、この推測は正しいのでしょうか?
ここで私自身も今ひとつ決定的な証拠が見つけ出せないのですが、猿田彦と山王様はそっくりであるということです。
多分、猿田彦と山王様はかなり高い確率で同一神です。
百歩譲ったとしても、おそらく山王様は猿田彦の子孫であり、ともにブリトン人の末裔です。
大分県豊後大野市三重町に伝わる『真名野長者伝説』、そこには『内山山王宮縁起』という別冊があり、「日本に仏教を伝えたのは、三千年間修行した猿が成仏して神様となった山王様である」と書かれているのです。
さらに、もともと比叡山には山王様が祀られており、ここから比叡山が仏教の本拠地となったと説く「山王神道」という流派もあります。
これが天台宗の起源だとする説です。
【参考】https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%8E%8B%E7%A5%9E%E9%81%93
そういえば、猿田彦も猿のような顔をした神様であり、「見ザル、言わザル、聞かザル」をご神体として祀られていることが多いのです。
ちなみに、猿田彦を祀る石碑を「道祖神」といい、山王様を祀る石碑を「庚申塚」といいます。
この事実も『内山山王宮縁起』から判明しました。
つまり、猿田彦と山王神が同一神であるとすると仮定すると、日本に仏教を導入したのは、これらの神々であることになります。
猿田彦はシュメール人か?
さらに、もうひとつ確認しておきたいことがあります。
この「須弥山」ですが、実はインド神話では「スメール山」とも呼ばれ、サンスクリットの原語では「シュメール Sumeru」と発音します。
つまり、高い(su)+山(meru)。
【参考】https://chicchic8.exblog.jp/27345742/
どうやら、「スメラミコト」もここから来ていると考えている人が多いようです。
えっ、それじゃあ「シュメール人」とは仏教徒であることになります。
そういえば、『シークレット・ドクトリン』を書いたブラヴァツキー夫人も、「全ての宗教の根源には仏教の思想がある」と説いているそうですが、私はまだ読んでいません。
だから、彼女の教え=神智学に傾倒したヒットラーも、ナチスのマークにお寺の卍の裏返しを使っているのでしょうか?
ここから、ニューエイジ系の宗教思想が生まれたことはご存知のとおりです。
とにかく、仏教の教えは奥が深すぎるのでこれくらいにしておきますが、日本の天皇家の祖先がシュメール人だったとしたら、代々の天皇家が熱心に仏教を保護してきた理由も納得できます。
そういえば、天照大神が教えた「フトマニ」の基本となる「モトアケ」も、この「須弥山」を平面的に展開したものだと見ることもできます。
さらに、肉食するなと教えているのは天照大神なので、もしかしたらアマテラスも元々は仏教徒だったのかもしれません。
【参考】以前の記事はこちら。
日本への仏教の伝来に関する仮説
もし、以上の私の推論が正しいとすると、下記のとおり、全く新しい古代史観が誕生します。
◆紀元前3800年ごろ、メソポタミヤの地に突然シュメール人が出現する。
彼らは農耕民族であり、仏教徒だった。
⇒ただし、アッカド人が征服した先住民をシュメール人と呼んだので、本来はウバイド人と自称していたとする説もある。(落合学説など)
◆メソポタミヤの地を追われたシュメール人は、イギリスのブリテン島に移住して、ここで仏教遺跡の「須弥山」ことストーンヘンジを造る。
◆紀元前2500年ごろ、ビーカー人の侵略によりブリテン島を追われたシュメール人は、ネパールにたどりつき、ここで仏教の教えを開花させる。
◆紀元前600年ごろ、ネパールの地に釈迦が誕生して仏教は完成をみる。
同時に古代仏教思想のテキスト化が進められ、経典として大成する。
◆しかし、釈迦の晩年期、隣国コーサラ国の毘瑠璃王に攻められて、シュメール人の釈迦族はこの地を離れて再び世界中に散ってゆく。
◆釈迦の弟子の一人であった猿田彦は、ネパールから日本を目指し、長崎あたりに定住する。(支石墓の発掘状況から)
◆紀元前660年ごろ、シュメール族の王様であった猿田彦は、どこか?別の場所からやってきたニニギの命の一行(天孫族)を迎え入れて、その協力者になるという選択をする。
これが「天孫降臨伝説」である。
⇒私見だが、天孫族とは竜宮城を出身地とする海洋民族の可能性が高い。
⇒だから、山幸彦(シュメール人)と海幸彦(海洋民族)との間で皇位継承問題が生じた。
◆ただし、猿田彦とアメノウズメが結婚したため(ウエツフミの記述から)、シュメール人と天孫族との間に新しいハイブリッド人類が誕生し、これが弥生人と呼ばれた。
◆弥生時代とは猿田彦が持ち込んだ仏教的思想が支配する時代であったが(例えば肉食禁止)、その後、崇神天皇らの登場により、日本は専制君主が奴隷を支配する「古墳時代」へと突入してしまう。
◆仁徳天皇7年(319年)7月(山王縁起による)、猿田彦一族の末裔である山王神が、百済国を経由して大分県の三重町に到着する。
祖先の猿田彦が教えた仏教が滅びかかっていることを嘆いて、150年後に自分の子孫である真名野長者を遣わすことを村人に約束する。
◆継体天皇(508年)、真名野長者誕生。
この真名野長者の財力により、蘇我氏一族や聖徳太子、推古天皇らが中心となって、日本への仏教(経典と仏像)の正式な導入がやっと実現する。
⇒なお伝説によると、真名野長者は「天竺の祇園精舎を臼杵の深田の里に移した」とある。(敏達2年、573年)つまり、このときから仏教の聖地は大分県となった。
◆欽明天皇(552年)、蘇我稲目が仏像を拝み始めたとされ、これが日本への仏教導入の通説となっている。
⇒だから私は、真名野長者と蘇我稲目は同一人物だと主張している。
⇒詳しくは、こちら。
つまり、ブリテン島の先住民である猿田彦一族が、ストーンヘンジを放棄してからちょうど3000年後、日本において仏教の教えが花開いたことになります。
猿田彦神話に残された問題点
さてさて、私の推測が正しいとすると、ストーンヘンジ=段の柱はあと3つ存在していることになります。
なぜなら、猿田彦自身がお神楽のなかで、そう発言しているからです。
西の牛貨洲にある「段の柱」が「ストーンヘンジ」だとしたら、あと3つは、南のインド亜大陸に一つ、北のユーラシア大陸に一つ、東の南北アメリカ大陸に一つ、これから発見されるかもしれません。
もっと大切なことは、猿田彦はどこを起点に東西南北と言っているのか?ということです。
もちろん、日本ですよねえ!
なぜなら、日本列島が世界地図の相似形になっていることは前に述べたとおりだからです。
日本が世界の中心であり、そこに日本の須弥山があるのだとしたら、それは一体どこなのでしょうか?
◆先にも書いた新潟県の「妙高山」?
◆日本一の名山「富士山」?
◆世界一の大カルデラ「阿蘇山」?
◆仏教思想の本拠地「比叡山」?
◆甘露の雨が降り注ぐ「祖母山」?
候補はいろいろとあり、とても絞りきれません。
多分、紀元前3世紀に日本に渡来したとされる徐福の一行も、「蓬莱山」こと「須弥山」を探して歩いたのでしょうね。必死になって・・・・
私の結論は、どこでも構わないということです。
つまり、この須弥山モデルが教えている究極の教えとは、現実の世界と精神の世界は全てフラクタルにつながっているということなのです。
つまり、原子分子のレベル⇒個人のレベル⇒社会のレベル⇒国家のレベル⇒地球のレベル⇒惑星のレベル⇒宇宙空間のレベル⇒精神のレベルへと・・・・全ては相似形でつながっている。
多分、仏教はそう教えているのではないか?と思うのですが、この議論は宗教人にお任せすることにします。
大切なことは、仏教思想を広めようとした人たちは、世界中を転々として、最後に日本国に辿り着いて、そこで大乗仏教が開花したということなのです。
それが「猿田彦神話」として残っており、さらに「山王神伝説」として伝わっているのです。
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