追はざれば振り返る猫漱石忌

追はざれば振り返る猫漱石忌

https://www.asahi.com/articles/ASJ2B6FQ6J2BUCLV00S.html 【夏目漱石「吾輩は猫である」1】より

 吾輩は猫である。名前はまだない。

 どこで生れたか頓(とん)と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪(どうあく)な種族であったそうだ。この書生というのは時々我々を捕(つかま)えて煮て食うという話である。しかしその当時は何という考(かんがえ)もなかったから別段恐しいとも思わなかった。ただ彼の掌(てのひら)に載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったばかりである。掌の上で少し落ち付いて書生の顔を見たのがいわゆる人間というものの見始(みはじめ)であろう。この時妙なものだと思った感じが今でも残っている。第一毛を以て装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるで薬缶(やかん)だ。その後猫にも大分逢(あ)ったがこんな片輪には一度も出会(でく)わした事がない。のみならず顔の真中が余りに突起している。そうしてその穴の中から時々ぷうぷうと烟(けむり)を吹く。どうも咽(む)せぽくて実に弱った。これが人間の飲む烟草(タバコ)というものである事は漸(ようや)くこの頃(ごろ)知った。

特集「夏目漱石」

 この書生の掌の裏(うち)でしばらくはよい心持に坐っておったが、暫(しばら)くすると非常な速力で運転し始めた。書生が動くのか自分だけが動くのか分らないがむやみに眼(め)が廻(まわ)る。胸が悪くなる。到底助からないと思っていると、どさりと音がして眼から火が出た。それまでは記憶しているがあとは何の事やらいくら考え出そうとしても分らない。

 ふと気が付いて見ると書生はいない。沢山おった兄弟が一疋(ぴき)も見えぬ。肝心の母親さえ姿を隠してしまった。その上今までの所とは違ってむやみに明るい。眼を明いていられぬ位だ。果てな何でも容子が可笑(おかし)いと、のそのそ這(は)い出して見ると非常に痛い。吾輩は藁(わら)の上から急に笹原(ささはら)の中へ棄(す)てられたのである。

 漸(ようや)くの思いで笹原を這い出すと向うに大きな池がある。吾輩は池の前に坐ってどうしたらよかろうと考えて見た。別にこれという分別も出ない。暫(しばら)くして泣いたら書生がまた迎(むかい)に来てくれるかと考え付いた。ニャー、ニャーと試みにやって見たが誰も来ない。その内池の上をさらさらと風が渡って日が暮れかかる。腹が非常に減って来た。泣きたくても声が出ない。仕方がない、何でもよいから食物(くいもの)のある所まであるこうと決心をしてそろりそろりと池を左りに廻り始めた。どうも非常に苦しい。そこを我慢して無理やりに這って行くと漸くの事で何となく人間臭い所へ出た。此所(ここ)へ這入(はい)ったら、どうにかなると思って竹垣(たけがき)の崩(くず)れた穴から、とある邸内にもぐり込んだ。縁は不思議なもので、もしこの竹垣が破れていなかったなら、吾輩は遂(つい)に路傍に餓死したかも知れんのである。一樹の蔭(かげ)とはよくいったものだ。この垣根の穴は今日(こんにち)に至るまで吾輩が隣家(となり)の三毛(みけ)を訪問する時の通路になっている。さて邸(やしき)へは忍び込んだもののこれから先どうして善(い)いか分らない。その内に暗くなる、腹は減る、寒さは寒し、雨が降って来るという始末でもう一刻も猶予が出来なくなった。仕方がないからとにかく明るくて暖かそうな方へ方へとあるいて行く。今から考えるとその時は既に家の内に這入っておったのだ。ここで吾輩はかの書生以外の人間を再び見るべき機会に遭遇したのである。第一に逢ったのがおさんである。これは前の書生より一層乱暴な方で吾輩を見るや否やいきなり頸筋(くびすじ)をつかんで表へ抛(ほう)り出した。いやこれは駄目だと思ったから眼をねぶって運を天に任せていた。しかしひもじいのと寒いのにはどうしても我慢が出来ん。吾輩は再びおさんの隙(すき)を見て台所へ這い上った。すると間もなくまた投げ出された。吾輩は投げ出されては這い上り、這い上っては投げ出され、何でも同じ事を四、五遍繰り返したのを記憶している。その時におさんという者はつくづくいやになった。この間おさんの三馬(さんま)を偸(ぬす)んでこの返報をしてやってから、やっと胸の痞(つかえ)が下(お)りた。

     ◇

 【書生】当時の学生の総称。多くは地方から上京し、下宿や間借り生活をしながら学問をした。【大きな池】イギリス留学から帰国した漱石が、しばらく住んだ本郷区(現、文京区)駒込千駄木町57番地の借家の近くにあった太田ノ原の古池がモデルと推定される。鬱蒼(うっそう)とした椎(しい)の大木が生い茂り、蛇と藪蚊(やぶか)で有名であったとされている。【おさん】お手伝いさんの総称。おさんどん。本作品ではおさん、御三、お三と表記されている。


https://ameblo.jp/kawaokaameba/entry-12719135824.html 【桑本栄太郎さんの【永田満徳氏著第二句集『肥後の城』一句鑑賞】(5) ⑯〜⑳】より

桑本栄太郎さんの【永田満徳氏著第二句集『肥後の城』一句鑑賞】(5) ⑯〜⑳

桑本栄太郎さんという方がフェイスブックに、永田満徳さんの第二句集『肥後の城』の中の俳句を【一句鑑賞】という形で随時、その句評を投稿されています。

※【一句鑑賞】➀〜⑮は↓

https://ameblo.jp/kawaokaameba/entry-12710840921.html

https://ameblo.jp/kawaokaameba/entry-12711225821.html

https://ameblo.jp/kawaokaameba/entry-12713136434.html

https://ameblo.jp/kawaokaameba/entry-12719135594.html

https://ameblo.jp/kawaokaameba/entry-12719135824.html

⑯落葉踏む音に消えゆく我が身かな(城下町より)

 〜つい先日まで散策の度に眼を楽しませて呉れていた身ほとりの紅葉、黄葉もほぼ落葉となり、日毎に枯木立の景色が増えて来ている。真っ青な空に葉を落とした枯木立を下より見上げれば、驚くほど美しいものの、時には肌寒さも覚える冬独特の光景となりつつある昨日である。

 今年は初冬から仲冬にかけ、あちこちの銀杏並木を眺める為に出掛け、時にはバスに乗ってまで出掛けた事もあった。今ではすっかり葉を落とした銀杏並木の銀杏落葉を踏みながら歩けば、そのふかふかと感ずる足裏に、我ながらまるで哲学者となったような高尚な雰囲気を覚え、銀杏落葉を踏み行く事は飽きが来る事は無いようである。

 揚句の「音に消えゆく我が身」との措辞に、あらためてその時の光景と感触を想い出すのである。

⑰悴みておのれに執すばかりなる(城下町より)

 〜当地の今日の天気予報は最低2℃、最高でも7℃と、ここ数日の半分以下の予想気温である。朝より吹雪が舞い、いつもよりかなり冷え込みが激しく起きて、即ストーブに点火するほどであった。暫くして昼前には明るくなり晴れて来たものの、日差しの中にも雪が時々舞い寒さはこの上無い程である。

 急激な冷え込みとなれば、生物の中でも特に人間はストレスにより抵抗力を失い、病気に罹る事が多くなると云われている。インフルエンザや、今流行の新型コロナウイルスは気温が低いほど伝染力が強くなるとも云われている。そして急激な冷え込みにより、人は動作も緩慢・億劫になり心情もネガティブになり易いようである。手足が悴むほどの寒さになれば、これらの事により自己を守る為に防衛本能が働き、自身の身の回りのみに執着するようである。

 今朝の急激な冷え込みに、とても共感の一句ではある。

⑱母のあと追ふごと銀杏落葉散る(城下町より)

 〜今年も十二月中旬を過ぎ、残すところ十日あまりとなった。身ほとりの山野や街中の黄葉・紅葉もすっかり葉を落とし、寒々とした枯木の、冬景色の様相となった。

 揚句の銀杏落葉の句に、嘗て驚くほど感動の上その場より立ち竦んでしまった経験が一瞬にして想い出されるのだ。数年前の12月初め彦根城まで紅葉見物に出掛け、石垣や天守閣を見物して回り、その後、井伊直弼の居宅跡と庭を見学する機会があった。思いの外、ちまちまとこじんまりとした部屋の佇まいに意外に質素な暮らしがぶりが想われた。暫くして庭に目をやれば、銀杏の大木より銀杏黄葉が風も無いのにばたばたと一斉に降るように落葉している光景が目撃された。その一瞬、自然界の大きな営みに感動を覚え「呆然と立ち竦んでしまった」のである。

 落葉広葉樹は、冬の寒さと太陽光が少なくなれば葉の炭酸同化作用の働きが弱くなり、風雨によるのみならず、ある時季が来れば自ら葉を切り離し、裸木となって長い冬を凌ぐのである。その銀杏の落葉の自然界の営みの瞬間に立ち会い、非日常の光景に出会えた事は生涯にわたって初めての経験であった。

 「母のあとを追ふ」との措辞に、朽ちて母なる大地へ還る銀杏落葉の哀しいまでの詩情が深く想われる。

⑲手袋の片方はづし道示す(花の城より)

 〜今朝の当地は北風が強くて寒く、毎朝出掛ける散歩ウオーキングの時も手袋を着けて出掛けた。勿論、ネックウオーマーもつけ、厚手のジャンパーの下に何枚も着込み、ふくら雀の様相である事は言うまでもない。首筋、両手などを被い、外気より保護を行えばとても暖かく、歩いて行くうちにじっと汗ばむ程の暖かさとなり、北風の寒さも気になる事はない。いつも住まいのある街並みを抜け、15分も歩けば洛西の田園地帯に出て、田道を歩くコースが多いようである。何度も通るうちに、あの道をどう抜ければ何処に出て、春の犬ふぐり、秋の彼岸花を見物する為には、何処へ行けば良いかなども分かって来たようである。当地の地域は散策コースも多く、遠方より訪れる人も多くて、よく道案内を行う事がある。

 揚句のように、冬場であれば手袋を外し、丁寧に案内を行えば、道を尋ねる人も案内を行う人も、ほっこり暖かい心情になるである。情けは人の為ならずとも云われ、丁寧に親切に応対を行えば、冬の寒さの中でもお互いに心楽しく、暖かく暮らせるのである。

⑳追はざれば振り返る猫漱石忌(花の城より)

 〜12月9日は、俳句も嗜んだ明治の文豪夏目漱石の忌日である。俳人正岡子規とも親交があり、句会の時は松山の下宿先の名前「愚陀仏庵」より俳号を採り、愚陀仏と称していた。文学作品では、「吾輩は猫である」「坊ちゃん」「こころ」などが特に有名である。

 忌日俳句の作句の場合、その人の業績、作品、評判などに因み詠む事が定石であり、揚句は即、「吾輩は猫である」との漱石の作品を連想させ、また猫科の動物の生態を如実に物語って居ると云える。追いかければ逃げ、そして時々後ろを振り返り状況を確認するかのような仕種を見せるのだ。 人間も人生に於いて時々振り返り、自身の状況を確認する事も必要な事を示唆しているのではないだろうか。




コズミックホリステック医療・現代靈氣

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