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美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけるんだ ゴッホ
https://www.greatman-words.com/work/vincent-van-gogh-find-beautiful-things.html 【美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけるんだ】より
「フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホ」の肖像フィンセント・ファン・ゴッホの名言。ポスト印象派の画家が語る「本質を見抜く」方法。
上辺だけを見る人間は、物体を探し求める。
一方、本質を見ようとする人間は、内部にそれを見つけ出そうとする。
フィンセント・ファン・ゴッホの言う"美しい景色"を探すタイプの人間は、いつまでも探し続けてしまう。
しかし、本質に迫る努力をすると、目の前の物事一点を深く見ることができるようになる。
https://tsuputon7.hatenablog.com/entry/2018/02/02/142635 【英語の名言:美しい景色を探すな。景色の中に美を見つけよ。(ゴッホ)】より
フィンセント・ファン・ゴッホは,1853年オランダ生まれの画家です父親は牧師でした
神学部受験に挫折した後,伝道活動している中で画家を志しました
現在東京西新宿にあります『ひまわり』を始め,『夜のカフェテラス』『糸杉と星の見える道』,『星月夜』『カラスのいる麦畑』『種蒔く人』など,日本でもその作品はあまりによく知られています
油絵860点を含め,水彩画,素描,版画など合わせて2,100点以上の作品を残しました
ですが,生前にはほとんど絵は売れませんでした
没後に弟のテオらの尽力により,広く「狂気の画家」として知られるに至りました
本日はこの,ゴッホの名言のいくつかをご紹介したいと思います
まずは,「小さなこと」についてです
Great things are done by a series of small things brought together.
大事は寄せ集められた小事によってなされる また,次のようにも述べています
Great things are not done by impulse,but by a series of small things brought together.
偉業は衝動ではなく,小さなことの積み重ねによって成し遂げられる
これはイチローのことばそのままです!
尋常でない仕事を成し遂げる人物ほど,大きなことを言うのでなく,
目の前の小さなことに謙虚に取り組み,気づけばとんでもないことになっていた,という個人史がある気がします
逆の見方をしますと,小さいことの中に自身の全身全霊を込めていかれる才能,それこそが比類なき業績に繋がる大前提とも言えます
ゴッホの一見大胆で豪快にさえ見えるタッチも,よく観ると独自の点描法の細やかなさばきのあつまりであることが分かります
『糸杉』
続きましては,方法論についてのコメントです
I am always doing what I can’t do yet,in order to learn how to do it.
私はいつもまだ自分ができてないことをする,そのやり方を学ぶために
この貪欲なまでの姿勢は,ピカソのことばを想わせます
私はいつも自分のできないことをしている,そのやり方を学ぶためにほぼほぼ同意です…
お二人ともできることに満足したら終わりだとストイックに自分に言い聞かせ続けることが,自己鍛錬の原理だったのでしょう
ゴッホは日本の浮世絵コレクターでもありました 数々の油絵の背景などに 何故だか浮世絵が飾ってあったりします
I envy the Japanese the extreme clarity in whatever they do.
日本人が何をするにも極めて明確であることが私にはうらやましい
江戸の日本人はこう褒められていたとは!
現代の「曖昧な日本人」のイメージとは正反対です…
洗練されたシンプルな浮世絵の美学が,ゴッホの画面に自然光を取り込む追求心と深くマッチしたと言われています
『エットンの道』
父の様に聖職者になることは断念し,画家一筋を貫いたゴッホの絵を実際に見ていましても,やはりその中に「祈り」すら感じます
I put my heart and my soul into my work,and have lost my mind in the process.
私は,自分の作品に心と魂を込めるそして制作過程では思考を失ってしまう 心と魂を絵に込める そのプロセスでは思考は停止する まさしく「祈り」を定義したかの様です
そんなゴッホが渇望していたものは,何だったのでしょうか
I wish they would only take me as I am.
私はあるがままの自分を 人々が受け入れてくれることだけを望む
売れない絵を生涯延々と描き続けた背景には,ただ生きているありのままの自分を
世の中に知ってほしいという願いがあったのでしょうその「狂気」を支えた気概は…
If you are beaten 99 times,you have only to get up 100 times.
99回倒されても,100回目に立ち上がればよい。七転び八起きの10倍以上のスケールです…
『ルーラン夫人と彼女の子』
では端的に,ゴッホの美学とは?
The more I think about it,the more I realize
there is nothing more artistic than to love others.
考えれば考えるほど,他者を愛すること以上に芸術的なものはないということに気づく
ゴッホの生涯は世間的な意味では,とても幸福なものだったとは思えません
自分の渾身の作品が全く理解されず,それでも自分を貫く生き方しかできない
ゴッホの作品のモチーフの多くは,靴や部屋や花といった,ごくありふれた日常です
このフレーズでゴッホの言っている「他者」とは,人だけでなく環境全てを含む万物だったと考えていいでしょう
『靴』
自分の観るものが自分の心象の投影であることをゴッホほど実感してそれを描き続けようとした画家も,稀なのではないでしょうか
人間が被造物の長であるとするキリスト教的発想ですと,どうしても人間は,人間以外の存在を使う人間中心主義の立場で,他の被造物と共存するという考えには至りづらいです
むしろそれは東洋思想的発想でしょう
ましてや,自分の目の前にある環境の中に自分の心を見出す,唯心論的な立場は,
じつは現代の西洋人でもなかなか馴染めないものかと思われます
そんな中,ゴッホは日本文化に羨望の眼差しを注ぎつつ,東洋的であろうとさえ試みていました
逆の遠近法で言ってよろしければ,西洋に生まれ育ちながらも,西洋的であることに強く違和感を覚え,その自己矛盾を提起しようとしたのでしょう
Don’t seek for the beautiful scenery;find beauty in the scenery.
美しい景色を探すな。景色の中に美を見つけよ。
それでは,このへんでごきげんよう!
https://misojioyaji.blog.fc2.com/blog-entry-59.html 【「美しい景色を探すな。
景色の中に美しいものを見つけるんだ」(フィンセント・ファン・ゴッホ 画家)】より
美しい景色を探し求めるのではなく見慣れた景色の中に美しさを見つけることの大切を教えてくれる言葉です。
これを仕事に置き換えると「楽しい(やりがいのある)仕事を探すな。(与えられた)仕事の中に楽しみ(やりがい)を見つけるんだ」というような感じになるでしょうか。
美しい景色ややりがいのある仕事を探し求めることはもちろん大切ですが、どんなところでも美しさややりがいを見つける感性がより大切になってくるのではないかと思います。
そのような感性を育むことで、置かれた場所で咲くことができるようになるはずです。
https://www.galleryparc.com/pages/exhibition/ex_2016/20160719_terawakifumi.html 【「寺脇 扶美:紫水晶からの手紙」 展示風景】より
Statement
写生やデッサンをする過程で見ることに関心を持ち、人の視点や認識、意味付けについて考察し、主に絵画を描いてきました。(温故知新ですね)
写生というあるがままに生を写し取る行為は、私による視点の固定が必要であると同時に多角的な視点も要求され、また我を捨て素直に受け取る器量も必要です。相反するものも含めた、多数の視点が同時に存在することで成り立つものと言えます。これは私にとって、混沌と美しい世界のありのままを理解し、享受するような行為でもあります。
近年モチーフとして扱っている水晶は六角柱状の結晶で複屈折を生じます。異なるベクトルに放たれた光は美しい反面、その実体を掴みにくくします。岩絵具は光に乱反射し、形態把握を難しくします。また、モチーフの描写で色の明彩度などのバランスが崩れると、それと認識しづらくなります。これらは人の感覚を揺さぶると同時に、新たな発見を誘発します。その認識(実体)と認識の揺らぎを、画面に混在させたいと考えています。
そのために、水晶の写生画をもとにエンボス加工と日本画技法を用い、幾つもの工程を経ながら制作しています。工程ごとに分解と構築を繰り返すことで、私自身の「見出す力」を探求し、新しい視点や新鮮な出会いを獲得しようとする試みです。
物事を分節し、意味を見出し構築・享受する。それをまた分節して構築・享受する。止まることのない個人のその行為にこそ、先入観や既成概念に捉われずに新しいステージへ進んでいく力が潜んでいるのかもしれません。作品はそのひとつの結晶であり、より良い世界への私の希望が込められたものでもあるのです。
展覧会について
本展覧会は紫水晶をモチーフに、言葉にならないその声や対話をビジュアルで翻訳する試みです。紫水晶とは水晶の一種で、異方向に光を放つ六角柱状の美しい結晶です。また2月生まれ、私の誕生石でもあります。
私は日常のなかで見つけた美しいものを写生してきました。モチーフを見つめ、向き合う時、彼らは言葉にはならない多くのことを語りかけてくれます。その声を可視化するかのように絵を描いてきました。写生画は、私とモチーフとの貴重な対話の結果です。しかしそれは、あくまでひとつの視点によるひとつの結果に過ぎません。では、私は何を見ていたのでしょうか。また私の視点からこぼれ落ちたものは何だったのでしょうか。そこに端を発し、見ることを考え、近年は自身の「見出す力」を探求するため、写生画をもとに視点の分解と構築を繰り返す絵画、crystalシリーズを制作しています。
今回の展覧会では、そのような絵画展示を中心に構成し、歴史・神話・化学・精神世界など異なる分野からの紫水晶にまつわる視点も取り入れ、資料なども提示します。
様々なパースペクティブから捉えられた紫水晶が同時にそこに存在する。一つの物を見つめることで立ち現れる世界の広がりを見られる機会になればと考えています。
紫水晶の言葉にならない声は、あなたに届くでしょうか。
寺脇 扶美
About
本展は様々なクリエイション活動へのサポートの一環として、広く展覧会企画を公募し、審査により採択された3名(組)のプランを実施するコンペティションGallery PARC Art Competition 2016に応募された56のプランから、平田剛志(京都国立近代美術館研究補佐員)、山本麻友美(京都芸術センタープログラムディレクター)の2名の審査員を交えた厳正な審査を経て採択された湯川 洋康・中安 恵一、寺脇 扶美、嶋 春香の3組による展覧会を実施するものです。
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