Facebook出口光さん投稿記事
皆さん、こんにちは。ジャンプという週刊誌を知っていますよね。
週刊何百万部も売っている化け物雑誌です。なぜそんなに売れているのか。
ドラゴンボールのアニメの脚本家である小山高男先生から、その秘密を聴きました。
それはその編集方針である友情、努力、勝利にあると。
簡単に言うと仲間と一緒に、努力して何かを成し遂げるこれが子供たちが望んでいることなのだ!
日本のアニメや漫画は世界200カ国以上に広がっている。世界の子供たちも大好きなのです!
多くの人たちと繋がって一つの崇高な目的のために皆で努力をする。
こんな目標があれば最高ですね。
Facebook澤江 昌範さん投稿記事【宇宙の法則より〜】<その 5>〜ワンネスの法則〜
あらゆる苦しみの根源は分離感です。私と私でないもの。私のものと他人のもの。
私に属する人々とあなたに属する人々。
私の国とあなたの国、というように分けて認識する意識が働いています。
あらゆるものを分割して認識する結果、他から脅威を感じるようになります。
その恐怖感が戦争、争い、その他いろいろな形の暴力を生み出します。
それでは私たちには救いがないのでしょうか?
本来人間はその深い部分でみんなつながっており、人の心は本質的に温かいものでありお互いがつながりあい支えあうことを喜びとするものだと私は信じます。
人類は今、「分離」から「ワンネス」へと移行する驚くべき時期に来ています。
「ワンネス」とは?ありとあらゆる存在物。生きとし生けるものが自分がいっしょのもの。
ひとつのもの。
すべてはつながりあっていることをハートで感じること。
究極的には、宇宙意識(創造主)とつながることでもあります。
あなたが宇宙意識に目覚めると、関係すること(つながること)の喜びに目覚めることでしょう。
そして生きることそれ自体が関係性(つながり=ご縁)であることがわかるでしょう。
すべての存在が、地球、自然に生かされていると感謝する気持ちをもつこと、これこそ愛なのです。
すべての存在の源(ソース)は創造主(神)です。
人間の存在も神の「分け御霊」であり、魂は永遠に続くものです。
この地球は高い次元の魂も低い次元の魂もいっしょに住める希有な星です。
善と悪、光と闇が入り乱れているのはそういうことです。
魂は高い次元から降りて低いバイブレーションの肉体に宿るとすべてを忘れてしまいます。
私たちはこの地球でしかできない体験をしにきたのです。
個々の人間という「分離」を三次元では体験するのです。
しかし、高次元に還るとすべては一つなのです。
地球のバイブレーション上昇とともに私たちがバイブレーションをあげていくにつれ、私たちは次元を超え、集合意識を拡大していきます。
好き嫌い、貧富、優劣、善悪、上下、正邪などの二元性や分離の世界はやがて消えていきます。
そのことを腹の底から理解することこそが、三次元の世界を超越する、すなわち二元性の罠に陥らない、ブッダもいう中庸(「空」ともいえます)の悟り、すべてが一つである愛を根本とした五次元での新しい生き方です。
新しいゴールデンエイジ(弥勒の世)はワンネスの時代になります。
そこには競争というものはなく協力だけがあります。
それぞれの違いを越えて つながりあい、関わり合い、助け合い、支えあう世界です。
私たち一人一人にはこのような人類の未来を生み出していく役目があるのです。
みんなが幸福で豊かな世界に入るためのゲートが開く時は近づいています。
新しい時代への期待と喜びをもって、宇宙の法則にしたがって日常生活のなかで心魂の浄化を、進めていきましょう。
https://blog.goo.ne.jp/sitateru/e/7b4bf1035407b77889e8b7155c30fb7f 【この世はうつし世】より
覚醒とかワンネス体験とか言われている事態というのは、我々がこの現実世界におけるものとは違う、如何なる概念によっても捉えられない、感覚的なものでしか言い表せないような意識状態にあることを伝えているのです。
従って、そこには各々異なった観方、感じ方というものがあるのは当然のことで、そのこと自体なんら否定されたりする理由は無いと思います。
その大体が相対次元を超えた領域の消息を伝えている訳で、"それは間違ってますi"という決めつけた批判というのは、自体ズレたものと言っていいでしょう。
私がしばしば、そういうズレた、批判めいたようなことを書いたりするのは、そこからこの相対現実に下ろされたところで、"私という個人はいないのですi"などと表明される、決めつけた物言いに対してのものなのです。こうしたことは、言葉をもって伝える上ではどうしても避けて通れない問題でしょう。
ここでその思考を超えた領域について書こうとしていることについても、私の相対的観方、感じ方が投影されることもある、ということをお含みいただければと思っています。
で、このワンネスというものですが、"宇宙と一つになった..."、という感覚を伝えているものが多い中で、私はそこにある有機的集合体というか、内なる共同体とも言うべきものを伝えているものは実に少ないのは、どういう訳なんだろう?といつも感じているのです。
いつも言っている普遍性について、私はそれを目の当たりにした時に実感したのです。
全き自由、それからそう、愛というのもそうです。そういう感覚というものは、"全て一なるものがあるだけ"という消息からは、生まれてこないものでしょう。(それ自体間違ってないですよi)
"そこには葡萄状を感じさせる有機的つながりがある...私は私を生きており、そのつながりにある数多の他己もその生を享受している、そこに何らの障壁も妨げるものもあり得ない..." この否定しようの無い、強烈な実感こそが普遍性、自由、愛というものなのです。
この個々のつながり、一体性というものをもたらしているもの...それがそう、ワンネスというものなのでしょう。
この有機的関係性は、"全一的"としか言い様のないものです。
私はたびたび触れているように、こうした消息のことを、その目の当たりにした時以前から、言い知れない魂の共感を覚えていたのです。
具体的には、小池辰雄先生の霊なるキリストに連なるエクレシア(霊的、原初的教会)の教説、ベルジャーエフの内なる普遍共同体ーソボールノスチーの教説、大調和協会の自他一貫の自然調和世界の教説などとの縁によって、私の内に呼び覚まされたのです。
ここで考えられるのは、私のその普遍的有機体に目覚まされたことには、そこにこれらの先験的なことが投影されていたかもしれないということです。
全然無いとは言い切れませんが、それよりもその時の、"私に共感を呼び起こしたものは、このものだったのだi..."という実感の方が大きかったのです。
いや、もっと言えば、それは私の物心ついた時からこの私を取り巻く社会、人間関係への"しっくりこない感"と裏表にあるものとして、漠然と感じてきたものと言ってもいいでしょう。
そうですi それは全くこの救いようのない縺れ、もたれあい、しがらみ...業苦地獄の裏返しの世界なのですi
先の普遍性、自由、愛の強烈なインパクトが如何なるものか、お分かり頂けるでしょうか?
私はますますこのバカバカしい世の中というものが、彼の普遍調和世界の写し絵である、ということを強く思わざるを得なくなってきました。
我が国でこの世をうつし(顕し)世と言われる通りです。そこには成る程幻想に満ち溢れていて、それに性懲りもなくかかずり続けて、がんじがらめに陥っている私こそは、いつも"バカを見ている見本"みたいなものでしょう。
だが、写し絵というものは、見えない何かが映し出される時、全く別様のものに見えてくるものです。
見たままからは分からない何かが...そのものが顕れ、写し出され裏表が合わさって一つとなるものでしょう。
それは誰しもの内に秘められているもの...隠されているものは必ず表れるのです。
このうつし世は、その見えないものの顕現への我々の呼応によって初めて、世の始めに約束された"我々の世界"となるのでしょう...。
0コメント