FacebookShigeru Mitsudaさん投稿記事
シェアがうまく出来ないので、ここに直接コピー&ペースト...
京都の会場はあと2席だそうです。
--------------------------------------------
《 【ヨハネの黙示録】は霊において 内側から強烈な浄化を促す⁉️✨ 》
『ヨハネの黙示録』は、新約聖書の最後に収められているイエス・キリストの愛弟子、ヨハネに託された天啓の書です。
黙示録では7つの教会が出てきます。
7つの教会とは何の象徴でしょうか。
テンプルビューティフル店長、Naokoさんのブログから(2010年)
🌿『「エドガー・ケイシーの黙示録講座」は深かった! 』
https://caycegoods.exblog.jp/13615019/
午後、兄でケイシーセンター会長でもある光田秀を講師に招いての黙示録講座、第1部、第2部をあわせて、びっちり6時間。第1部だけでも、休憩時間をのぞいて4時間。
濃い講座でありました。。。。。
事前のアンケートでも、黙示録どころか、聖書を1度も開いたことがない、という方が圧倒的。ということは、人生初めての聖書体験が、聖書のなかでもクライマックスとも言うべき黙示録だったわけです。
聖書を読み解いていくだけの講座に、厭きてしまう方もいるのでは?という主催者の予想に反して、みなさん、ずっと前のめりで聞かれていらっしゃいました。
それだけケイシーが読み解いた黙示録は目からウロコの連続。
遠い2000年前にヨハネが書いた意味不明の「世紀末の書」だと思っていたら、とんでもない! 21世紀に生きる私たち自身の魂の書だったということに、まずは驚かされた、という感じです。
7つの教会とは7つのチャクラを顕す、ということはなんとなく知ってはいても、黙示録の内容のどの部分が私たちの心や魂や肉体と連動しているのか、よく分からずいましたが、これで、かなりスッキリです。
とはいえ、6時間びっちり聞いても、かなり駆け足で各章を通り抜けたので、まだまだ未消化。あとは日々の生活のなかで、「あ、これが、あの黙示録の中のあの部分のことなのか~!」と、自分の経験のなかで腑に落としていく必要があるのでしょう。
黙示録は内側から強烈に変化を起こします。
🌿『わたしの「黙示録第9章」』
https://caycegoods.exblog.jp/13324641/
2010年当時、黙示録を読み込んでいたNaokoさんはココロの深いところにあったものがぶわぁ~っと浮上してきたようですが、
私はというと、もぅサヨナラしたと思った月のものが復活!w
これ、霊性進化 魂の探究講座Ⅰをスタートさせる時も起こったんです😵
夢でもみて、現実にもなった…😱
強制浄化…がんばります❣️
わたしの「黙示録第9章」
先週、私は、エドガー・ケイシーリーディングで読み解く黙示録セミナーの告知をするのに、黙示録をずっと読み込んでおりました。
そしたら、心のあちこちに隠していた地雷のようなものを踏んづけてしまったようで、先週の週末あたりから、私の心の奥底から突然に、私としては直面するには勇気のいる哀しみとか怒りとか焦燥感とか不安感とか、さまざまなネガティブなエネルギーがグワ~と胸を立ち上ってくるようになってしまいました・・・。
お~、これはまさしく、あのイナゴだ~!でもこれからこれが5ヶ月間続いたら、めっちゃ苦しいぞ、なんとかならんかと思いながらも、今が、自分の魂の奥底に沈めたモノたちを、臓物を引き出すように引き出して直視する時期なのかも・・と、この1週間はひとり、心の中で七転八倒。
といっても、このイナゴや5ヶ月の比喩は、黙示録9章をケイシー流に読み解かないとわからないことなんだけど・・・・。
〔黙示録第9章〕
第五の天使がラッパを吹いた。すると、一つの星が天から地上へ落ちて来るのが見えた。この星に、底なしの淵に通じる穴を開く鍵が与えられ、それが底なしの淵の穴を開くと、大きなかまどから出るような煙が穴から立ち上り、太陽も空も穴からの煙のために暗くなった。
そして、煙の中から、いなごの群れが地上へ出て来た。このいなごには、地に住むさそりが持っているような力が与えられた。いなごは、地の草やどんな青物も、また、どんな木も損なってはならないが、ただ、額に神の刻印を押されていない人には害を加えてもよい、と言い渡された。
殺してはいけないが、五か月の間、苦しめることは許されたのである。
いなごが与える苦痛は、さそりが人を刺したときの苦痛のようであった。この人々は、その期間、死にたいと思っても死ぬことができず、切に死を望んでも、死の方が逃げて行く。
さて、いなごの姿は、出陣の用意を整えた馬に似て、頭には金の冠に似たものを着け、顔は人間の顔のようであった。また、髪は女の髪のようで、歯は獅子の歯のようであった。
また、胸には鉄の胸当てのようなものを着け、その羽の音は、多くの馬に引かれて戦場に急ぐ戦車の響きのようであった。更に、さそりのように、尾と針があって、この尾には、五か月の間、人に害を加える力があった。
これをケイシーのリーディングで解釈すると・・・
●一つの星が天から地上へ落ちて来るのが見えた、とは?
・・・「人生に外的な要因で何かが起きる。災難が起こる」
●底なしの淵に通じる穴を開く鍵が与えられ・・・、とは?
・・・その予期せぬ災難がきっかけとなり、自分の内に溜め込んでいた、様々な感情が引き出されてくる。例えば、誰かにされた不愉快な出来事がきっかけに、心の奥底に押し込んでいた、過去の別の不愉快な感情が次々わき上がっててしまう。
●煙から出てくるイナゴの姿(馬に似て、頭には冠、人間のような顔、髪は女性のよう、は何を象徴しているのか・・・?
・・・これは私たちの内に渦巻くネガティブな思いを象徴する。抑圧してしまった欲望、過去の様々な怒りは、1つずつ別々に存在するのではなく、磁石のように同じような体験を引き寄せグチャグチャに混在し、まるで不気味な姿をした1匹のイナゴのような状態で存在している。
悪感情というものは単独でそれだけで、沸き上がってくるのではなく、過去の様々なネガティブな思い、様々な不愉快な体験も一緒にカオス状態で出てくる。
●太陽と空は煙のために暗くなってしまった、とは?
・・・それまであった希望、良く見えたものは、内側からわき上がってくるそのネガティブな思いで、あっさりと隠されてしまう、見失ってしまう。
●ただ、額に神の刻印を押されていない人には害を加えてもよい、と言い渡された。殺してはいけないが、五か月の間、苦しめることは許されたのである、とは?
・・・そのイナゴは、額に神の刻印を押された人、つまり、霊的に目覚めた人には苦しみを与えられない。ただし、霊的な道を歩み始めた当初は、それまで溜めていた様々なネガティブな思いが引き出されてくるので、誰もが苦しむことになる。でもその苦しみもせいぜい5ヶ月くらいである。
昼間は人に会ったり、仕事をしたりと、表面上は普段どおりにすごしているものの、これまでだったら、心の地雷を踏んでもそのまますぐに自分の心のゴミ箱に入れて通り過ぎることができたのに、どうもこの1週間は、かつて隠した地雷が、いつのまにか、巨大化して戻ってきた感じ。そして、それが一人になると胸の中を上がってくる・・・
比喩を使ってしか説明できないけど、実際にはあったのに、あたかも無いがごとくに扱ってきた哀しみとか痛みとかをまとめて見させられるのは、めっちゃ苦しい。
私の額に神の刻印があるのかないのか・・・(つまり、霊的理想に基づいて生きてきたのか、無いのか)も含め、自分の小ささや至らなさ、いい加減さもすべてひっくるめて目の前に引き出されてくるし、心中はぐわんぐわんの1週間でありました。
よかった。来週から冬休みで・・・・。
冬休みは、屋久島に行く予定にしているので、屋久島の森のなかで泣いてこよっと。
これは、私の世紀末。浄化のスタートやわ・・・。
第11章は、こんな感じ。
〔黙示録第11章〕
それから、わたしは杖のような物差しを与えられて、こう告げられた。
「立って神の神殿と祭壇とを測り、また、そこで礼拝している者たちを数えよ。しかし、神殿の外の庭はそのままにしておけ。測ってはいけない。そこは異邦人に与えられたからである。
黙示録の文章は、あまりに不可思議な情景が多いので、私はこの第11章を読んだとき、「ようやく意味が通じる文章が出てきた~」と、そのままスラスラと読み進んでしまいました。
それに、特に、どうってことない文章のようにいっけん思えます。
「ヨハネは、神殿と祭壇のサイズと礼拝者の数を数えなさいと、神様から言われたわけね」 だからそれがどうした?と、特別、重要なメッセージがここに含まれているようには思えません・・・・。
ところが、ケイシーによると、この「神殿のサイズを測る」ということの奥に、とても深い意味が込められているんです。
つまり・・・
神殿の大きさを測る、とは
・・・「自身の霊的な志の高さ、生き方の志の高さを測りなさい」ということ。
礼拝の人数を数える、とは
・・・「その志に対し、私たちが日々、どれだけ努力をしているのか、霊性を高めるために自分が実際に行っている、その努力の程をはかりなさい」ということ。
神殿の外の庭はそのままにしておけ、測ってはいけない、とは
・・・「それ以外のこと(霊的なこと以外)は測る必要はない。つまり、金銭的な豊かさや物質的な豊かさを生きる主目的にしてはいけない。物質的な豊かさを測るのは異邦人/霊的な理想のない人たちのすることである」
という驚くべき解釈が出てくるのです~。
黙示録は、ケイシーによると
「地球の終わりについて書かれた預言の書ではなく、私たちの霊的成長の過程、それにともなう心や肉体の浄化や再生、新生について書かれたものである」
とのこと。
もっと、ケイシー流の黙示録をちゃんと聞きたいという方は、MP3版聖書講座全33回分でじっくり聞いてください。
私は自宅に戻って、ケイシーが、黙示録を読むならこれを横に置いて読みなさいと指定した「グレイの解剖学」をさっそく注文してしまいました。私も、ケイシーオタクですからね~。
↑
ついでに、大好きなアメリカのテレビシリーズ「Gray's Anatomy グレイズアナトミー」(外科医をめざす医者の卵たちのドラマ)が、この「グレイの解剖学」(英語でグレイズアナトミー)から来ていることを初めて知った! これだけでも、うれぴい。
ちょっとですが、今日の参加者の声です。
めちゃくちゃ面白い。黙示録という険しい山を登る道案内をしていただいた気がする。
それは同時に黙示録という山がどんなに魅力的な山であるかを知らされることでもあった。
今回の続きのレクチャーを是非お願いしたい。 U様(男性)
今まで聖書は全く興味がなく、読んだこともないのに、なぜか来たくなって参加しました。
わざわざ高速バスを使って、宿泊費を払って、なぜ聖書の、しかもタイトルしか知らない黙示録のセミナーなどに行くのだろう?と思っていましたが、来てみてわかりました。
本当に参加して良かったです。
とっても楽しかったです!
またこの続きがあったら是非参加させていただきます。よろしくお願いします。(K.M様)
と~っても面白かったです。
こんな面白いものを知らずに一生を過ごすのは本当に損をしていると思いました。
知ることができて、良かったです。
早速、天袋にある聖書をひっぱりだして、まずは通読してみたいと思います。
本当に面白いので、まずは家族に話します。 Y.H様 (女性)
聖書など、読んだこともなかったのですが、とても面白かったです。
宗教は苦手でしたが、今日、聞いたことはすべて納得できました。
帰りに聖書を買って帰り、これから読んでみようと思います。 C.M様(女性)
🕊
リーディングで黙示録が登場したのは、重篤な神経過敏症を患っていた女性へのフィジカルリーディングの中で、初めて指摘されます。
ジフテリアの予防接種(ワクチン)が原因だったと。
そして、ドクターが黙示録を理解することが重要であると示唆します。
その後、解読チームが組まれ、約10年かけてリーディングを取りながら解釈を深められました。
ケイシー先生によると、黙示録は単なる予言書にあらず、霊的トレーニングのテキストであるといわれます。
人間が霊的成長を求めて修練した時に経験することになる、生理学的、心理的、霊的プロセスを具体的に解説している書であることを見出してくれる。
黙示録が秘める霊的トレーニングを積むことで数年後には分泌するホルモンが切り替わり
さらに数年後、変身、変容を遂げると!
講座の最後は、光田先生の誘導で皆さまと共に『主の祈り』の瞑想を実施します。
黙示録の講座を締めくくる素晴らしい時間となります。
0コメント