筑紫磐井

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%91%E7%B4%AB%E7%A3%90%E4%BA%95 【筑紫磐井】より

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曖昧さ回避 筑紫国造磐井や筑紫君磐井として知られる「磐井 (古代豪族)」とは異なります。

筑紫 磐井(つくし ばんせい、1950年1月14日 - )は東京都出身の俳人、評論家、文部科学官僚。俳誌「豈」発行人。本名は國谷実。

来歴

東京都豊島区生まれ。私立獨協中学校・高等学校を経て、一橋大学法学部に入学。大学在学中の1971年「馬酔木」に投句し、1973年「沖」に入会、能村登四郎に師事。1974年に大学卒業した後は科学技術庁に入庁、官僚として勤めながら俳人、俳句評論家として活動する(職歴参照)。1990年「豈」に入会、1991年より同誌編集人、2001年より同発行人を務める。

諧謔味の強い句風で、第一句集『野干』は「女狐に賜る位・扇かな」「みちのくに戀ゆゑ細る瀧もがな」といった、王朝文学の世界を素材とした擬古典的な句を収め、第二句集『婆伽梵』では同じ路線で万葉時代から昭和戦中期までの世界を表現している。これらは師の登四郎からよりもむしろ攝津幸彦、加藤郁乎といった前衛派の俳人から評価された。『筑紫磐井集』に書き下ろすかたちで発表された第三句集『花鳥諷詠』中には「もりソバのおつゆが足りぬ高濱家」「俳諧はほとんどことばすこし虚子」など近代俳句史をパロディ化したような一連の句を収めている。以上の句集と未発表作をおさめた『筑紫磐井集』で2004年加美俳句大賞スウェーデン賞を受賞。2014年の『わが時代』では、団塊の世代と呼ばれた自身の世代感覚を作品化した一連の句を収めた。

俳句評論家としては、1994年に『飯田龍太の彼方へ』で俳人協会評論賞新人賞、2001年に『定型詩学の原理』で加藤郁乎賞、2004年に『伝統の探求〈題詠文学論〉』で俳人協会評論賞を受賞。俳句表現をラディカルな視線で問い直す論考を多く発表している。

(略)

http://ooikomon.blogspot.com/2018/09/vol1.html 【金子兜太「河より掛け声さすらいの終るその日」(「兜太」VOL.1より)・・】より

 「兜太」VOL,1(藤原書店・年2回刊)、本日の午後は朝日ホールで「兜太」創刊イベントが行われたが、愚生は「豈」61号の出張校正と重なり、失礼した。たぶん盛会だったと確信している。その「兜太」創刊号の創刊のことばは、黒田杏子(編集主幹)、筑紫磐井(編集長).創刊に寄せては、編集顧問の瀬戸内寂聴、ドナルド・キーン、芳賀徹、藤原作弥。藤原作弥は、ほかにも、エッセイ「日銀と金子兜太」を書いている。さすがに金子兜太の勤務先であった日銀元副総裁だけあって、愚生の知らない兜太像が描かれていて、面白い。他の論も力作ぞろいで興味は尽きないが、愚生の思うに、筑紫磐井の「誰にも見えなかった近・現代俳句史ー虚子の時代と兜太の時代」は、およそ教科書で語られてきた近・現代俳句史(俳壇史)ではない筑紫磐井による卓見がいくつも披歴されている。しかも説得力のある納得できる内容であった。出色の論というべきだろう(贔屓でなくそう思う)。またコラムには、金子兜太の後を襲った朝日俳壇新選者の高山れおなが早速「火星と国土と野糞ー金子兜太三句鑑賞」を寄稿していて、これも彼の独特な眼差しが感じられるものであった。その結びを引用すると、

  流離(さすら)うや太行山脈の嶺嶺(みね)に糞(まり)し

『金子兜太集』で初めて読んだ『詩経國風』にはいたく感銘したものの、じつはその後、筆者の中での評価は下がってしまったところがある。というのも、筆者自身が兜太及び一茶に倣い、詩経の俳句化を試み、その過程で兜太作品と詩経原典をつき合わせ、分析的に読んでしまったためだ。そうするとどうしても詩経の方が良いじゃないかということになってしまうのは仕方がない。そうした興覚めな分析の網にかからない傑作がこの太行山脈の句だ。詩経からの直接の詩句のとりこみがない一方で、体感的に捉えられた詩経的空間が、そのまま金子兜太的主人公のみごとな背景となって間然するところがない。兜太の数ある糞尿俳句の中でも、壮大悲壮の点で随一としてよいのではあるまいか。

 と冷静に述べている。本書にはいろいろ引用したい論があるが(橋本榮治「詞に寄せてー井昔紅、そして兜太」、井口時男「三本のマッチー前衛・兜太」など)、ここでは筑紫磐井にととどめる。興味のある向きは直接本誌に当たられたい。一例を以下に挙げる。

 最もその差がはっきり現れるのは前衛と伝統だ。従来の俳句史の見方は、近現代俳句を伝統俳句と前衛俳句(あるいは反伝統俳句)にわけ、「伝統派」の名の下に虚子の花鳥諷詠と草田男の人間探求派を括って対立させていたのであるが、(中略)

 実はそうではない歴史観を提示した点である。反伝統の下に人間探求派も新興俳句も前衛俳句も括って、虚子の花鳥諷詠の伝統に対峙させてしまったということなのである。季語の有無のような枝葉末節の問題ではなく、表現態度(風詠対表現)で俳句史を描いてみようというまっとうな態度であった。

 こうして、「『詞』の詩学と『辞』の詩学」による分析にすすみ、(辞の詩学)に高浜虚子、石田波郷、高柳重信、阿部完市を挙げ、一方(詞の詩学)に正岡子規、山口誓子、中村草田男、金子兜太を挙げているのである。そして、結論を、ただ、兜太が虚子と違うのは、晩年に虚子の影響力がもはや俳壇や文芸の世界に全く及ばなかったのに対し、兜太はその最晩年に完全に復活したことである。それは他の文芸ジャンルからみても、伝統俳句が(芸だけは十分に持っても)良心を持たない偏狭な文学となっていると見なされていたのに対し、兜太のみは良心を持つ文学と考えられたからである。

 と示している.。また、本文中に幾葉も挟まれたモノクロの市毛實の写真は見ごたえがあった。ともあれ、本誌より、アトランダムに歌句を拾って紹介しておこう。

    湾曲し火傷し爆心地のマラソン『金子兜太句集』

  春の日を兜太と竜太がのぼりゆく被曝十三年の長崎の坂 佐佐木幸綱 

  大花火金子兜太と名付けたり             下重暁子

  花札(はな)を賭(う)つ畳にふくの燗ざまし     藤原作弥

  兜太先生春を吐き尽して笑う            夏井いつき


http://ooikomon.blogspot.com/2019/02/3_26.html 【筑紫磐井「無駄なほどの水で君等を無害にす」(「俳句界」3月号より)・・】より

 「俳句界」3月号(文學の森)、第20回山本健吉評論賞受賞作・宇井十間「スンマ・ポエティカー造型論における世界観の問題」全文掲載。特集は「『読み』の深さ・重さ」、論考は青木亮人、その一句鑑賞に宇多喜代子・黒田杏子・山﨑十生・岸本尚毅・上田日差子などだが、何と言っても指を屈するのは筑紫磐井特別作品50句「虚子の非戦」だろう。ブログタイトルにした「無駄なほどの水で君等を無害にする」の句の君等は原発のことをアナロジーしていると言っていいかもしれない。しかし、原発だけではない、当然、君等は僕等である。先行する「僕等」を詠んだ句、高山れおな「無能無害の僕らはみんな年鑑に」のパロディ―であるかもしれない。時代を遡れば、かの社会性俳句時代に多くの君等や僕等が詠まれた。連帯や絆がまだ信じられていた時代のことだ。佐藤鬼房「友ら護岸の岩組む午前スターリン死す」。平成の終り近くに、まさに平成を代表する句群、それも他の俳人の誰にも似ない磐井文体を佇立させての、その圧巻の50句から以下にいくつかを挙げておこう。

  古典乙1 せんじゆといへるところでふね    磐井

  不図(はからずも)医者に呼び止められて死す

  常に誰もいびつな顔で戦争す

  買ふたびに妻は高価なものとおもふ

  駄句おほく評論あふれ健吉忌

  眠りては醒めない妻を冀(こひねが)ふ

  子規 国を憂ふるときに詩がうまれ

  信念は大河にも似た大革命

  性懲りない この道を行く 帰れない

  投票をボイコットしに行く日なり

  医師一人患者一人に死者一人

  また戦争 視力まつたき老人が

  角膜に浮かぶ原爆第3号

★閑話休題・・『WEP俳句年鑑2019』「俳句の〈現在〉について」・・・

 筑紫磐井つながり・・『WEP 俳句年鑑2019』(ウエッブ)で筑紫磐井は「兜太・なかはられいこ・『オルガン』ー社会性を再び考える時を迎えて」を執筆している。その中に、

  ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ  (なかはられいこ) 

            (WE  ARE!三号 二〇〇一年一二月)

 この予想外の内容(見て分かるようにメッセージなどはない)、表記、韻律は、明らかに社会性を持ちながらも社会性を超えた文学となっている。定型、季語、季題を破壊しなければ作者の思いが伝わらないのである。(中略)

 川柳が、こと社会性に関して、優柔不断であった伝統俳句を超えた一瞬ではないか。

 と記している。また、他にも西池冬扇、坪内稔典、岸本尚毅、角谷昌子、酒井弘司など多くの論者がそれぞれ持論を展開しているが、「俳句の〈現在〉について」、平成の終りに、その俳句の見取り図を明確に、具体的に描いていたのは林桂だった。以下に抄録しておこう。

 昭和の社会性や前衛の兜太と過渡の詩の坪内、平成の存在者や天人合一、アニミズムの兜太と口誦性、片言性の坪内は、私などからは遠くで軌を一にした軌跡に見える。兜太は主に書く内容に拘だる変遷であり、坪内は俳句形式の認識に拘って変遷である。この二人の俳句観の変遷を追うことは、昭和俳句と平成俳句の変遷を追うとともに、その本質を考える今後の課題となり得るだろう。

 そして、また、角谷昌子が「ユネスコ無形文化遺産登録についても各協会が一緒に協力してゆく必要があるだろう」と晴朗に述べているが、この問題についても林桂は、

 二〇一一年に、T・トランストロンメルが俳句詩でノーベル文学賞を受賞している。ある意味、俳句は世界文学として認知済みである。俳句は日本語の属性だと考えるのならばともかく、多様な言語の中に俳句の可能性が残されているとするならば、日本の俳人が受賞でいるように、質の高い翻訳テキストを充実させる方がよのではないかと思う。そこで俳句を洗い直すことも可能だろう。

とまっとうに述べている。

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