常識や観念を打ち破る

https://storymaker.click/%E5%B0%8F%E8%AA%AC/4135/ 【【誰も教えてくれない】起承転結の本当の意味】より

起承転結とは。ストーリーとか文章を作るときによく出てくる言葉です。多くの方が聞いたことくらいはあると思います。この言葉は、物語の「構成の方法」についての言葉なのですが、実は世間一般の認識は間違っている、って知っていますか?

実は間違っている起承転結の意味

よくある説明としては、

起   物語が始まり、

承   その話が展開し

転   ドンデン返しが起こり

結   その結果どうなったか

簡単に言うと、大体このような内容だと認識されていますね。

学校教育でも登場することがあるこの概念、実はまったく「無意味」だと知っていましたか?

「無意味」というのは役に立たないとか、そういうことではなく文字通り、「意味がない」ということです。

起承転結の由来に原因が!

このことを理解するには起承転結の由来を知る必要があります。

起承転結は中国の詩の「漢詩」の「絶句」という形式に由来します。

この「絶句」は、日本で言えば俳句のようなもので、決められた形式がある詩です。

俳句はご存じのとおり5、7、5の文字数ということはみなさんご存知ですね。

さみだれを あつめてはやし もがみがわ 作者は松尾芭蕉。奥の細道で有名ですね。

学校以外であまり目にすることのない「俳句」。思い出しましたか?

そして絶句は以下のような形式です。

江碧鳥逾白  

山青花欲燃

今春看又過

何日是帰年

作者は杜甫。漢詩界?ではとても有名です。ご覧のとおり、4行でできているのがわかります。この4行の名前が

「起句」

「承句」

「転句」

「結句」

というのです。つまり、1の句、2の句、3の句、4の句に名前がついているだけなのです。

俺の起承転結

このように起承転結は本来単なる句のパーツの名前なのですが、色々な人たちが、このパーツではこうしたほうがいい、あーしたほうがいいと色々なことを言っています。

それが、たとえば

起は、事実を述べる

承は、起で述べたことについて述べる

転は、起承とは関係ない事を持ちだす

結は、全体を関連付けて締めくくる

とか

起は、主人公の置かれている状況を説明する

承は、その状況で事件が起こり、展開する

転は、ヤマ場で結末に続く転換をする

結は、事件が終わってどのように変化したか

とか、

色々なことが言われます。

起、何でもできる

承、穏健にすべき

転、読者を驚かす

結 フェードアウトする

なんてものもあります。

上記はどれも有名な方の説をわかりやすく書いたものです。

その説明も大体は同じようなことを言っているのですが、単なるアドバイスレベルのものもあれば、構造的なアプローチもあり、実にさまざまです。

人によって説明の仕方が違うんですね。

それもそのはず、みんな「俺の起承転結」を説明しているんですから。この辺りが混乱を生む要因になっているんですね。

まとめ

つまり、今ある色々な説明は色々な人の意見であり、決まったものがない、というのが本当のところなのです。ですので、深く考えずに参考程度に考えて行くのがいいかもしれないですね。もしくは、クリエイターならば「俺の起承転結」を作るのが一番いいでしょう。


http://metrius.blogspot.com/2010/02/blog-post_5873.html 【よろしくない俳句・短歌】より

そうなんだ、逆なんだと思ってもつい忘れる、忘れないために、ここにも書いておこう。

■よろしくない俳句

◆古臭さ・常識・独善はいけない(第12週)

 俳句の対象として、以下は駄目。

1。たいへん古臭い対象に目を向けたもの

 神社、仏閣、神、仏、田の神 (例:おびんづる様、水子地蔵、読経、木魚、

 月の影酒杯にうかべ花の宿)

2。幼稚なことや、常識きわまりないこと(俗情)を詠んだものこれらは詩にならない。

 (例:子、孫、夫婦などの愛情、常識(俗情)) 

3。観念的、独善的なフレーズをふりまわしているもの

  作者が対象に接して、ハッと感動したものではない。感動を素直にフレーズにしていな
  い。途中で相当に歪めていいとこ見せようというよこしまな気持ちが働いている。作者
  の純粋な素直な態度が必要。(例:万緑と対話〜 朝顔われに微笑みて 
  風を育てる木  犀の香もとどけくる)

◆悪い句の見本(第14週)

以下の句に魅力を感じたらお前もやばい。

蝉鳴くやこの世に命のある限り   決まり文句。虫酸のはしるような陳腐さとうすっぺら
                 な感情

風化せぬ悲しみあらた終戦日    同上

蓑虫に似たるさだめか母老いぬ   同上 

毛糸編夕日をひそと編み込めぬ   小細工 感動のかけらもない してやったりとほくそ
                 えむ顔

薔薇咲いて恥じらい我に教えけり  同上 教訓めいたもの手に負えない

小さき庭小さい秋の風生まる    同上

俳句の体をなさなくなるので詠む対象にするな。

道徳観、倫理観、教訓、理屈、分別臭、風流ぶり、気取り、低劣な擬人法、俗悪な浪花節的人情  こういう句を詠む人は、新聞、雑誌の投句者にごまんといる。5年10年の作句歴の者にもいる。頭の中であれこれひねくりまわしている。おそらく生涯、こんな似て非なる俳句を作って終わるだろう。

型を無視して作ろうとすると、かの俗悪句の誘惑に負けてしまうおそれがあるぞ。

引用文献:藤田湘子『新20週俳句入門』

■よろしくない短歌

吉野秀雄は歌論集『短歌とは何か』で、

  雲を出し月の右弦の薄くあり吾にはすでに感傷はなし

などの歌をあげて、「これらの歌の欠陥として、小主観による不自然さが目立つが、頭の中のはからひや、小手先のひねくりこねくりがいかにはかなくもまたくだらぬものであるか、その反対に、まともに正直に、素朴に端的に、しんみりと謙虚に、観て感じてそれをそのままわかりやすい言葉に言ひ現はすことがいかに高く深く尊いか。。。」 と述べた。(ネットの記事から引用)

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