Facebook・清水 友邦さん投稿記事 「9月21日は賢治の命日」。
9月21日は宮沢賢治の命日です。
賢治は死にゆく時もきれいな青空と透き通った風を感じていました。
昭和三(1928)年の夏、稲作の指導に尽くしていた賢治は急性肺炎になって豊沢町の実家にもどりました。
咽喉から出血がとまらず「また なまぬるく あたらしい血がわくたび なお ほのじろく わたしはおびえる」と不安に怯えていました。
昭和五年(1930)になって快方に向かい東北砕石工場の技師となりました。
しかし、昭和六(1931)年九月二十一日に再び倒れたのです。
それから二年間は、ずっと病床でした。
昭和八(1933)年九月二十一日午後一時三十分、賢治は三十七歳で亡くなりました。
賢治が亡くなった年は何十年に一度の大豊作で街は人で賑わっていました。
賢治の絶筆は、そのことを喜んでいる詩でした。
方十里稗貫のみかも 稲熟れてみ祭三日 そらはれわたる
病(いたつき)のゆゑにもくちん いのちなり みのりに棄てば うれしからまし
賢治が息絶え絶えになっている時の詩です。
『だめでしょう 止まりませんな がぶがぶ湧いているですからな 夕べから眠らず
血も出続けなもんですから あたりは青くしんしんとして どうも間もなく死にそうです
けれどもなんといい風でしょう もう清明が近いので
あんなに青ぞらがもりあがって湧くやうにきれいな風が来るですな』
(中略)
『あなたの方から見たら ずいぶん惨憺たる景色でしょうが わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青空と 透き通った風ばかりです』(眼にて云ふ)
賢治の身体からは 生ぬるい血があふれる惨憺たる光景ですが、
賢治は「透きとおった風」を感じていました。
暴風雨で荒れ狂う台風でも 中心は穏やかでいつも青空がでています。
海面が暴風雨で荒れ狂っていても 海の底はいつも穏やかで静かです。
心の表層が怒りと恐れと不安に波打つ状態になっても 自己の中心はいつも静寂です。
あらゆる出来事に実体はなく 気づきという無限の広がりの中で 瞬間から瞬間へ体験が生じては去っています。
すべてはかならず過ぎ去ります。
気づくと いつも 生と死を超えて 透明な風が虚空を吹き抜けています。
宮沢賢治の童話「銀河鉄道の夜」のモチーフになった遠野市宮守のめがね橋
「銀河鉄道の夜」ほんとうの考えと、嘘の考え
みんながめいめいじぶんの神さまがほんとうの神さまだというだろう。
けれどもお互いほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう。
それからぼくたちの心がいいとかわるいとか議論するだろう。そして勝負がつかないだろう。
けれどももし、おまえがほんとうに勉強して、実験でちゃんとほんとうの考えと、うその考えを分けてしまえば、その実験の方法さえきまれば、もう信仰も科学と同じようになる。
「銀河鉄道の夜」~ さそりの祈り
「ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、そしてその私が今度いたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命逃げた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしのからだを黙っていたちに呉(く)れてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神様。私の心をごらんください。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸(さいわい)のために私のからだをおつかい下さい。」
農民芸術論などを講義した羅須地人協会の建物
……われらはいっしょにこれから何を論ずるか……
おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらい もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたいわれらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった
近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化するこの方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である
早池峰 笛貫(ふえぬき)の滝
どんぐりと山猫のモデル
一郎がすこし行きますと、そこはもう笛ふきの滝たきでした。笛ふきの滝というのは、まっ白な岩の崖がけのなかほどに、小さな穴があいていて、そこから水が笛のように鳴って飛び出し、すぐ滝になって、ごうごう谷におちているのをいうのでした。
一郎は滝に向いて叫さけびました。
「おいおい、笛ふき、やまねこがここを通らなかったかい。」
滝がぴーぴー答えました。
「やまねこは、さっき、馬車で西の方へ飛んで行きましたよ。」
「おかしいな、西ならぼくのうちの方だ。けれども、まあも少し行ってみよう。ふえふき、ありがとう。」
滝はまたもとのように笛を吹きつづけました
詩『五輪峠』
そこが二番の峠かな
まだ三つなどあるのかなあ
がらんと暗いみぞれのそらの右側に
松が幾本生えてゐる
藪が陰気にこもってゐる
なかにしょんぼり立つものは
まさしく古い五輪の塔だ
苔に蒸された花崗岩の古い五輪の塔だ
あゝこゝは
五輪の塔があるために
五輪峠といふんだな
ぼくはまた
峠がみんなで五っつあって
地輪峠水輪峠空輪峠といふのだらうと
たったいままで思ってゐた
地図ももたずに来たからな
そのまちがった五つの峯が
どこかの遠い雪ぞらに
さめざめ青くひかってゐる
消えやうとしてまたひかる
このわけ方はいゝんだな
物質全部を電子に帰し
電子を真空異相といへば
いまとすこしもかはらない
校本 宮沢賢治全集 第三巻』(筑摩書房)
五輪牧野記念碑
五輪峠と名づけしは 地輪水輪また火風
(巖のむらと雪の松) 峠五つの故ならず
ひかりうづまく黒の雲 ほそぼそめぐる風のみち
苔蒸す塔のかなたにて 大野青々みぞれしぬ
宮澤賢治
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