花笠まつり

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%8A%E3%82%AE%E3%83%8F%E3%83%8A%E3%82%AC%E3%82%B5  【花笠まつり】より

花笠まつり(はながさまつり)は、スゲ笠に赤い花飾りをつけた花笠を手にし、「花笠音頭」にあわせて街を踊り練りあるく日本の祭である。山形県内など数か所で開催されているが、例年8月に山形市で行なわれる「山形花笠まつり」が広く知られている。戦前から行われている東北三大祭りに戦後から始まり広まった「山形花笠まつり」を加えた4つの祭りを東北四大祭りと呼ぶ事もある。

起源

花笠まつりで歌われる「花笠音頭」の起源は諸説あるが、大正中期に尾花沢で土木作業時の調子あわせに歌われた土突き歌が起源といわれており[1]、昭和初期にこれが民謡化され「花笠音頭」(またの名を「花笠踊り唄」といわれる)となった。また、1963年(昭和38年)パレード用に振り付け、蔵王夏祭りとして始める。

また踊りについては、菅で編んだ笠に赤く染めた紙で花飾りをつけたものを景気づけに振ったり回したりしたのが発祥といわれている。

踊りの種類

花笠まつりの振り付けは、山形県内の各地域別に約10種類の振り付けが存在していた。

1963年(昭和38年)、それらの振り付けが一本化され「正調花笠踊り -薫風最上川-」が制定された。以降、これが標準的な振り付けとされたが、紅花摘みの作業唄からとったとされる、その楚々とした踊りの動作のため、主に女性が踊り手の中心となった。

1999年(平成11年)、「正調花笠踊り -蔵王山暁光-」が、「薫風最上川」に並ぶ標準振り付けとして制定された。豪快な動作を取り込んでいるところが特徴であり、これにより男性の踊り手の増加に寄与したと言われる。

また、「おばなざわ花笠まつり」で踊られているいわゆる「笠回し」で参加する団体も多い。笠回しには5つの流派がある。

花笠踊りが行われる主な祭り

(略)


https://ii-nippon.net/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%A5%AD/246.html 【山形花笠まつりの歴史とは?花笠音頭や花笠踊りの由来は?】より

冬は雪に閉ざされる東北の地。

待ちこがれた新緑の春が過ぎ、あじさいに彩られる梅雨の時期が終わると、一気に夏を迎えます。

8月ともなればあちらこちらで夏祭りが開催され、そこには冬の静けさとは打って変わった賑わいがあります。

東北の夏祭といえば、青森「ねぶた祭り」・秋田「竿灯祭り」・仙台(宮城)「七夕祭り」は、東北3大祭りとして有名ですからご存知の方も多いのではないでしょうか。

近年、そこにもう1つ!別の祭りが加わって、東北4大祭りと呼ばれるようになっています。

ここでクイズです!加わったのはどこの何というお祭りでしょうか?

答えは・・・山形の花笠まつりです。

まさか知らないなんていうことは・・・(汗;

もし、どんなお祭り?と思ったら動画をご覧ください♪

いかがでしたでしょうか。

いい機会ですから、山形花笠まつりの歴史や花笠音頭・花笠踊りの由来にも触れてみませんか?

山形花笠まつりは、まだまだ歴史の浅いお祭りです。

元をたどると、昭和38(1963)年、蔵王の観光開発とPRを目的に開催された「蔵王夏祭り」にたどり着きます。

このお祭りの中でいくつか開催されたイベントの1つに、「花笠音頭パレード」がありました。

それが昭和40(1965)年に「山形花笠まつり」<として独立し、パレードを行う現在の形になりました。

「はーぁ やっしょぉまかしょ シャンシャンシャン それ!」

という掛け声とともに、お囃子と太鼓に合わせて踊り進む花笠まつり。

第1回目が開催されてからしばらくは、参加グループすべてが、同じ踊り(正調といわれている踊り)を踊っていました。

グループごとに同じ衣装で統一され、花笠を持って踊る一糸乱れぬ集団美は、とても見事なものでした。

そんな花笠祭りに変化が訪れたのは、平成5(1933)年のことです。

この年から、より市民参加型のお祭りを目指しての変革が始まりました。

踊りそのものも、従来の正調(女踊りともいいます)だけでなく、男踊りや笠回し(尾花沢地方に伝わる踊り方)や創作ダンスも加わって、見ごたえのあるお祭りに変わっていきました。

また、踊りの列の最後尾には飛び入り参加の列が設けられ、見ているうちに踊ってみたくなった人はなら誰でも気軽に参加することができるようになりました。

※花笠まつりにまつわるこぼれ話?

参加グループが同じ踊りを踊っていた頃のこと・・・

もう数十年前の話です。

当時の若者にしたら(もしかしたら今もかもしれません)「花笠まつりに行ってくる!」は、飲みに行くいい口実でもありました。

だって、お祭りを見に行くと言えば「ダメ」という親はまずいませんからwww

それにねっ!大勢の人が同じ踊りをするのは確かに見事なものだったのですが、ずーっと見ていると飽きるんです(爆!

1回見たら、暫く見なくともいいや・・・そんな空気が流れていたことは確かです。

囲みの話を引き継いでになりますが、「同じ踊りばっかりで退屈」「見ていて飽きるしつまらない」これでは観客離れが進むことは言わずともなわけで、市民参加型を目指して様々な踊りで参加できるようにしたことは、とてもいい方向転換だったと思います。

実際、同じ踊りだけの頃よりも、今の花笠まつりの方が見ごたえがあることは確かです。あくまで個人的な意見ですが・・・。

花笠音頭の由来

山形花笠まつりで歌われる「花笠音頭」は、別名「花笠踊り唄」とも呼ばれています。

元唄は、明治・大正の頃に山形県村山地方で歌われていた「土搗きどんつき唄」です。

大正8年に徳良湖の灌漑用水池工事が行われた時、作業の調子を合せるために歌われていた土搗き唄に、渡り土方が歌う船形節や八木節が合わさって新しく生まれた土搗き唄が、今に伝わる「花笠音頭」だとされています。

現在のように、賑やかなお囃子が付き、民謡として知られるようになったのは、昭和初期になってからのことです。

そして「やっしょぉまかしょ・・・」の掛け声は、「土搗き唄の掛け声」から生まれたと言われていますが、「酒田舟方節にある掛け声を取り入れた」という説もあり、どちらがどうというところは定かではありません。

さらに花笠音頭の歌詞なのですが、公認されているものは15番までとなっています。

これでも十分長いのですが、実際は150種類の歌詞があるということを知った時には、かなりビックリさせられました。

もう・・・どんだけぇ~っ!!ですwww

花笠踊りの由来

花笠踊りは、田植え踊りを元に、菅笠に紅色に染めた紙を結びつけて花笠を作り、振ったりまわしたりして景気をつけたのが始まりといわれています。

踊り方は地域によって異なり、10種類余りのさまざまな踊り方がありましたが、昭和38(1963)年に誰でも踊ることができるようにと、新しい振り付けの「正調花笠踊り~薫風くんぷう最上川~」(女踊り)が誕生しました。

男踊りといわれる「正調花笠踊り~蔵王暁光ざおうぎょうこう~」が誕生したのは、平成10年でずっと新しい踊りになります。

正調は、山形市内などで、多く見られる踊り方です。

また、尾花沢地方に伝わる、俗に「笠回し」と言われる踊り方は、先に書いている徳良湖の灌漑用水池工事の際に、土搗き作業の後ろで行われた笠をあおいで風を送るしぐさが原型とされています。

以下に、現在まで伝わっている5つの流派をご紹介します。

上町流

(かみまちりゅう) 力強く笠を持ち、キレのある体と笠の動きが特徴的で男性的な踊りです。

寺町流

(てらまちりゅう) クルクル笠が舞っている様な、スピード感と華麗さがある踊りです。

安久戸流

(あくとりゅう) 派手さはありませんが、最も原型を伝承していると言われる踊りです。

原田流

(はらだりゅう) 小さく流れるような笠廻しと、上町流とは対照的にしなやかな女性的な踊りです。

名木沢流

(なぎさわりゅう) 笠廻しがやわらかく、工夫たちの仕事の様子が感じられる踊りです。

スクロールできます

最後に・・・尾花沢市にある徳良湖畔には、平成18年5月27日に徳良湖築堤85周年を記念して「花笠音頭、花笠祭り発祥の碑」が建立されたということを申し添えて、この記事を閉じさせていただきます。

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