https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/7373368 【俳句療法・プロダクティブな気持ちを持って生きるようになる】より
http://www.sapporo-ohta.or.jp/www/AB/haiku.a-0.htm 【「俳句」開設に当たって】より
【1】「俳句」をプログラムに加える意義:
俳句は最も身近な文芸であり、紙と鉛筆があればできることから、多くの人が趣味として行なっている。人は俳句によって、日常生活をする中で感じた感動、喜び、悲しみ、切なさ、果かなさ、怒りなど様々な感情を表現することができるう。俳句はプロでない限り、文学的、芸術的なものを目指す必要はなく、最低限5・7・5の形式を守り季語が入っていさえすればよい(季語は場合により不用なこともある)。そうしたルールの中で、自らの感情を書きとめ形として残すこと自体に意義が認められる。俳句には5・7・5という構造と文芸作品という枠組みがあり、それが句を作る者に安全性と保護性を保証し、自由な感情表現を可能とさせているのである。
感情表現は人間の精神的健康を維持する上で必要なものである。そして作った句を通して他者と感情や体験を共有すれば、孤独感が消失したり、連帯感を覚えたりすることができ、好ましい精神状態が得られる。また過去を想起したり言語を使うことで頭脳の活性化がはかられる、という利点も見逃すことはできない。デイケアにはいま現在、言語における感情表出を意図したプログラムはない。それを補う存在として「俳句」を設定することには意義があると思われる。
ところで太田病院では内観療法を治療の中軸に据えている。「してもらったこと」「してあげたこと」「迷惑、心配かけたこと」の3問を調べることで、被愛体験や罪責感を経て精神的自立がはかられ、向社会的行動への動機付けがなされる。つまり自分の過去を調べて得たものを、現在の生活の中に生かそうと意図するのが内観療法である。俳句も、自分の過去を調べる、という点では内観と同じである。しかしそこには内観3問のようなテーマはない。自分の過去の中から印象的な出来事や感情体験を自由に見つけて言葉にしていくのが俳句である。ただ句を作ることで過去を再体験し、感動を味わったり、あるいは抑圧していたものを表出したりすることは、内観療法にも認められる体験である。両者にはこのような共通項がある。よって俳句をプログラムとして運営していくことは、内観療法を中心とする当院の治療方針に沿うものであり、自然なことと思われるのである。
【2】「俳句」の位置付け:
俳句は上のような治療的効果がある以上、ただのレクリエーションとしてではなく、芸術療法のひとつ、俳句療法として行なう。ただプログラム名を「俳句療法」とすると、「療法」という言葉に抵抗を感じる者が出てくるかもしれない。だから名称は「俳句」とする。しかし実質的な内容はあくまでも俳句療法である。参加者は複数いると思われ、よって集団精神療法の形式をとることになる。つまりある1人がつくった句を皆で鑑賞し、感想を述べ合い、交流を図れるような場作りをしなくてはならない。
【3】「俳句」の進め方:
☆用意するもの:紙、鉛筆、歳時記のコピー、黒板
☆場所:ケアルームⅢ
☆曜日・時間:木曜日の午後1時から2時まで(予定)
☆兼題の提示:皆が席についたら始まりの挨拶をした後、俳句の兼題を黒板に書く。兼題は3種類用意する。
1つ「全く自由な題材で作ってもらう」
2つ「参加者の好きな季語で作ってもらう」
3つ「秋の暮れ、成人式、のように特定の季語をこちらが与える」
この3種類の兼題を、どのように提示するのが最良なのかは、実際に始めてみないことには分からない。皆に同じ兼題を提示するのか、各個人に3つの中から1つを選んで句作してもらうのか、あるいはその他の方法がいいのか。兼題の提示方法は回を追うごとに最も良いものに定まっていくだろう。いずれにしても、皆が作った句を黒板に書き、進行役が簡単に感想を述べたあと、皆にも感想を言ってもらうというスタイルは保持したい。そうやって交流の場を作るのである。この場合、参加者は自分で作った句の感想を自分で言うことになるが、自分の句をどうとらえているか、ということは当人の心理を考える上で貴重な情報となリ、有益となりうる。
☆注意事項:
① 参加者には、技巧や芸術性にこだわらず、素直に自分の思いを表現してください、と教示する。
② 皆の俳句を黒板に書く時、作者の名前は挙げないこととする。挙げると皆の関心が俳句を離れて作者の個人的事情や内面に向いてしまう恐れがあるからである。
③ 皆の俳句を紹介し終えたら、一人ずつ、自分の俳句を声に出して読んでもらう。それは自らの心が発する声を自らの体を通じて聴く機会となる。ただ、皆の前で読むことに抵抗を覚える者もいるかもしれない。これも「俳句」をはじめないとわからない事柄であり、今のところ決定事項ではない。
④ 感想を述べる際、好意的な言い方をするように指導する。批判、中傷、罵詈雑言を言うような参加者は、どうしてそういう言い方をするのか理由を聞き、再発を防ぐ。
⑤ 「俳句」プログラムを終わらせるときは、「今日はお疲れ様でした」と言って、一斉に終わらせる。途中で帰らせることは禁止する。一斉に終わることで参加者全体の好ましい一体感が得られるからである。
https://note.com/imaoemiko/n/nb1ae8fc290e5 【心の声に耳を澄ませる ~認知行動療法と俳句、そして鰻~】より
ここ1か月くらい、認知行動療法の考え方を学びながら、アプリを使って日々の気分を記録している。認知行動療法とは、心理療法の1つで、まずは自分の「感情」を捉え、それがどのような「思考」から来ているのか、その思考の癖を自覚したり変えたりすることで、うまくストレスと付き合っていくというもの(らしい)。
1日2回、アプリに「気分」を入力するその瞬間、自分の心に耳を澄ませる。嬉しい、楽しい、悲しい、寂しい、怖い、イライラ、ムカムカ、感謝、不安、安心・・。自分の気分の揺れ動きを認知するだけでも、一定の効果があるという。それは、体感としても納得するところがある。
そして、この心理療法として有効らしき「心の声に耳を澄ませる」という行為。俳句を作る時に似ている、と思った。
先週、八ヶ岳で鰻をいただいた。芳しい香りとともに重箱が運ばれてくる。ひと呼吸おいて蓋を開ける。密かな歓声を上げる。
そこで、ふと思う。自分は何に感動しているのだろう?
蓋を開けた瞬間に目に飛び込んでくる、その姿。ツヤツヤした重箱に負けない照り。四角の中にぎっしりと詰められた、その迫力。大きなお皿の上に、大きな余白を残して盛りつけられたフランス料理とは真逆の世界観。
自分の心の中の、歓声の発生源を探しにゆく。
重箱を押し広げたる鰻かな
俳句の「伝える力」
これが意外と好評で(本当に意外だった‥)、俳人の方々から、たくさんの講評をいただいた。
〇鰻重の蓋を取ると鰻がたくさん入っているのだ。この存在感を「押し広げる」と表現している。羨ましいかぎりだ。
◎ごはんを鰻が圧倒しています。また鰻が生き生きしています。惜しみなく鰻が差し出され、主役の座を不動のものにしています。ボリューム感もあり、食欲をそそられます。
◎何という贅沢な鰻重でしょうか。重箱に鰻がぎっしり詰まっている様子を「押し広げたる」と表現なさったところがお見事です。ああ、食べたい!
〇:入選≒いいね ◎:特選≒超いいね
すごいのは、彼らはこの映像を見ていないから、17音の文字情報だけで、それぞれの脳内に(もちろん同じではないものの)映像が鮮やかに再現されたところだと思う。感動の根っこの先っぽが伝わると、そこを起点に映像がわっと広がる。
俳句の、自分の心の声に耳を澄ませる、いわば内省的な行為を促す力に加えて、それを人に伝えるコミュニケーション力の偉大さに触れると、いつも心が震える。実際は、受け手の力に依存することが大きいのだけれど。
コロナ時代の旅
今はほとんどの時間を家で過ごしているから、数か月ぶりに大きな自然に触れて、いつもと違う心の声がした。そんな小さな声に耳を澄ませて作った、あと2つ。
どちらも、自分の頭の中には実際に見た風景があって、それを見たときの感動があった。それらが17音を介して、どう伝わるのか。それぞれを、(風景を見ていない)先生の講評とともに。
渋滞を抜け出してより青田風
◎車で走っていると急に渋滞から脱け出ることがよくある。そういうときの爽やかな風を青田風と言っているのは、爽やかさが感じられ、それと共にあたりの風景も描き出せている。
夏霧や山辺の木々の深呼吸
◎夏霧の立ち籠めた中にある木々を見ていると、存分に夏霧を吸い込んでいるように思えるのだ。状景も良く感じられる。
芭蕉は、感覚を極限まで研ぎ澄ませるために旅をつづけた。俳句は、旅を友とする。だから自由に旅ができない今は、だんだんと身体感覚は鈍くなり、心の声は聞こえづらくなっていく。でも、だからこそ、細りゆく声に耳を澄ましつづけることが大事なのかもしれない。そして、電車にも飛行機にも乗らない日常の中に「旅」をつづけることが必要なのかもしれない。
https://blog.goo.ne.jp/sekinonozii/e/5e2e5d395aee4df87d3f22dadba18846 【診察室の壁にかかった色紙の俳句嬉しくて】 より
階段から滑落打撲して治療を続けて約一ヶ月になります。足の治療は割りと早くよくなっていたんですけど、たいした痛みも無かった左腕に痛みと腫れが出来なかなかとれず苦しんでいたところ左腕の眼に見えないところが深く化膿していることが分かり軽い切開手術と抗生物質の服薬で10日ほど、ようやくはれも引いて痛みも軽くなりました。先生は完治するまでもう少しがんばりましょうといってくださいました。
今日も優しい先生の治療と看護師の方の丁寧な包帯を終えて診察室を出ると出口の壁にこんな美しい文字で書かれた俳句の色紙が額に納められてかけられていました。
心打つ色紙の俳句に感動し、看護師さんに「この俳句先生のおつくりになった俳句ですか」とたずねました。すると先生がそれを聞いて診察室からでてこられて「これは93歳の女の患者さんの書なんです」とおっしゃいました。なるほど色紙の左下に小さな字で花蓑の句とあって朱印が押されています。93歳の女の方が俳人鈴木花蓑さんの句を色紙に書かれたものだったんですね。
私が、この美しい文字で書かれた俳句に心打たれてしばらく眺めていると、先生は83歳の女の方はこんな俳句を詠んでいるんですと3枚の短冊の入った額を見せてくださいました。
わたしより2年も先輩の女の方がこんなすばらしい俳句を詠んでいらっしゃる、私は嬉しくなってしまいました。なんとなく額に入っている鈴木花蓑さんの俳句に感じが似ているなとも思いました。
正直教養もなく、感性もにぶい私で俳句にはまったく興味もなかった私がこの書と俳句に感動出来ましたた。今日は私にとってすばらしくいい日でした。嬉しい日でした。
そして帰りのcoopのお店で数年ぶりに昔のお師匠さん(私はわが町の南方熊楠と尊敬しているお方です)の元気なお姿にお会いし言葉を交わすことが出来ました。ほんと嬉しくなりました。そして私がお師匠さんとお話してる間にもうひとつ私の老いの心を潤す嬉しいこともありました。今日は三つも嬉しいことがありました。左腕の痛みと腫れが薄れたことを含めると四つの喜びなんですよ。ほんとほんと今日は嬉しくいい日でした。
俳句療法 改訂版
「俳句・連句療法」(飯森他、1990)は俳句療法の特徴として次の三点を挙げる。①五七五の構造が保護的に作用するので、安心して表現できる。②俳句を通して日常的なコミュニケーションをはかれる。③句作や俳句鑑賞を通して、患者の希薄になった外的世界への関心を高め、無機的になっていた身の周りの事物との生きた触れ合いの回復がはかれる。
筆者もまた精神病院のデイケアで長年俳句療法に携わり、俳句の持つ治療的効果を十分に認識しているつもりである。俳句療法に必要なものは一定の広さの場所とホワイトボード一つだけであり、特別な施設を要しない。それでいて治療効果も大きく、しかも皆の句を集めた「俳句集」の刊行という発展性も有する。一つの優れた心理療法、芸術療法と言うべきものであるが、管見の限り、俳句療法を導入している医療機関は非常に少ない。こうした現状を残念に思い、本書を執筆した。本書で述べるのは精神科デイケアにおける俳句会の方法論や効果であるが、精神科病棟、老人ホーム、知的障碍者更生施設等でも応用は可能である。レクリエーションとして俳句を導入するのもよいが、心理学的な理論に基づいたほうが、より効果的に俳句会が運営できる。
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