http://web.sanin.jp/p/sousen/1/3/2/4/ 【世界の「死者の書」- エジプト】 より
1995.03エジプトの死者の書
古代エジプトの歴史は大きく古王朝の時代(紀元前2750~2213年)、中王朝の時代(紀元前2025~1627年)、新王朝の時代(紀元前1539~1070年)とに分けられる。古王朝の時代には、死後の世界に於ける安楽な生活を送ることができたのは王や王族に限られていた。そのためにピラミッドの玄室壁面に経文(ヒエログリフ)を書き残した。これがピラミッド・テキストと言われるものである。次の中王朝の時代には死後の世界が王族以外の者にも開かれ、柩の底や外側などに経文を書いた。これが「柩文」と呼ばれる。そのあと、新王朝の時代に入って巻物(パピルス)に経文が描かれるようになった。これがいわゆる『死者の書』といわれるもので、死後に迎えるであろうさまざまな障害や審判を乗り越えて、無事楽園に到達するためのガイドブックであった。
死後の世界の生活
古代エジプトでは、誰もが死後の生命を信じていた。死後の世界は、死者の社会的地位によって異なるが、誰もが死後の生活に必要な道具を用意した。これらの道具の大半は家具調度品で、化粧道具、玩具、楽器、武器も墓から出土されている。また死者に対して食物を供え続けることが必要だった。墓によっては、穀物や魚、肉、菓子、果物、ブドヴ酒などの料理が、柩の近くに供えられた。この他に、さまざまな種類の供物品目を記した石碑を墓の中に置くことによって、実際の食物にはない呪力が与えられた。
古代エジプト人は死後も生命を保ち、永遠に生き続けるが、そのためには墓に供物が捧げられる必要があった。そして死者の魂はこれを得るために定期的に墓に戻ってきた。
このように死者が死後も食物を食べられるようになるには、遺体を出来るだけ完全に保存することが必要とされた。これがいわゆるミイラを作る目的であり、葬儀準備に欠かせないものであった。ミイラ作りは、初期の時代には自然乾燥にまかせていたが、建築技術が進んでマスタバといわれるレンガ製の陵が作られると、遺体の乾燥が抑えられて腐敗するようになった。そこでエジプト人は、遺体保存の技術を必要とするようになったのである。
ピラミッドの役割
ピラミッドで最も有名なものは、何といってもギザの大ピラミッドである。ギザの砂漠に斜めに並んでいる3つのピラミッドは、北からクフ王、カフラー王、そしてメンカウラー王のもので、これは第四王朝の時代に建造されたと言われている。
ピラミッドは太陽崇神ラーと関係が深く、王は死後、東の空に昇っていき、太陽神ラーの統治する場所で永遠なる生命を授けられた。そして彼は太陽神と共に聖なる舟に乗り、空を航行するという日々の旅を続けるのである。ピラミッドは、古代エジプト語では「メル」といい、「昇る場所」を意味している。ピラミッドは、王が太陽神に会うために天空に昇っていくための儀式空間と見なされていたのである。
古代エジプトでは、物や人間の模型は、実物と同じ力があると考え、ピラミッドもまた、天空に昇っていくための最新式施設であったのである。ただし王が天へ昇っていくためには、神官が司る埋葬儀礼が不可欠であった。その儀礼の中に、ミイラになった王がその体を永遠に使うための、力を吹き込こむ儀礼が行われた。また、死んだ王を養うために、絶えず供物が捧げられた。ピラミッドにはこうした機能を果たすための幾つかの重要な設備が付属していた。
それぞれのピラミッドに附属する設備は、ピラミッドとナイルの川岸を結ぶように設計されていた。これによって、葬列や供物を運ぶ人々が、この参道を通って、ピラミッドへと進むことができた。川岸にある河岸神殿で、王の遺体はミイラにされ、清めの儀式が行なわれたと言われている。
ピラミッドに隣接する葬祭殿
ミイラが出来上がると、そのミイラに、「開口の儀式」が行なわれた。古代エジプト人は、この儀式により、遺体に再び生命力が宿り、生きている者と同じように活動できるようになると信じていた。儀式では、まず香が焚かれ、水を撒いてから、手斧でミイラあるいは像の口、手、足に触れ、死者の魂が再び体内に入り、供物を取ることができるように呪文が唱えられた。
次に王の遺体は、川岸神殿と葬祭殿とを結ぶ屋根のある参道を運ばれていった。この通路は完全に周囲が塞がれており、ピラミッド複合体の中に入ると、葬列に参加できるのは、神官たちと高位の役人だけであった。それは埋葬儀礼そのものが密儀に属しており、俗人には見ることが許されていなかったからである。
葬儀の最後の段階は、ピラミッドに隣接した葬祭殿で行なわれた。入口の広間、屋根のない中庭、像を納める5つの壁龕、供物や道具を納める倉庫があった。葬祭殿には供物を捧げる礼拝所があり、そこで王の葬儀式が行われた。神官は死亡した王の為に、ここにある祭壇に日々の供物を捧げたのである。そのあと遺体はピラミッドの内部の埋葬室に運び込まれた。
死後も生き続ける人間
ミイラは肉体の腐敗を防ぎ、死者の生前と同じ姿に保つようにしたばかりではなく、魔法の呪文や建築上の配慮により、墓や副葬品の略奪を防いだ。またミイラが破損した場合でも、魂を維持するための呪文が用意された。
人間は誰しも名前を持っていたが、その名前を残すことによって、彼の親類縁者が彼のことを忘れることがあっても、彼自身は名前とともに永遠に存続するのである。このように、名前には神秘的な働きがあると考えられたのである。そこで、遺体や像にはその人の名前が記され、個人の記憶を永遠のものにしたが、これは葬送儀礼の一部をなすものであった。
古代エジプトでは、人間を構成する要素に3種類あった。その1つは「カー」(生命体)で、死後肉体から分離して自由となり、霊界を行き来する力を得たが、同時にこの世との結びつきを保つ上で重要な役割を果たし続けた。通常、それは両手を挙げた人の姿か、あるいは高く掲げた2本の腕として表現され、墓の中の肉体に依存しているため、捧げられた供物を取りに肉体に戻ることで、その力を維持することができるとされていた。
2つ目の人間の構成要素は「バー」(魂)であった。人の頭を持った鳥の姿で描かれるパーは、肉体を離れ、墓の外へ出て行き、死者が生前楽しい時を過ごした、さまざまな場所を訪れることができる活発な存在であった。このようにして死者は、その死後も地上との結びつきを持ち続けることができたのである。そして最後に、もう1つの要素である「アク」があったが、これは、死後の人々を助けることができる超自然の力であった。
死者に生命を付与する儀礼
死後も生命を継続させることができるかどうかは、葬送儀礼が正しく執り行なわれたか、また、必要な副葬品が用意されているかどうかにかかっていた。
葬祭殿において王のために行なわれた「開口の儀式」は、貴族に対しても行なわれるようになり、ついには、葬儀を行なう財力のある者なら誰でも行なわれるようになった。
墓に食べ物や飲み物などの供物を供えることは、死者の後継者、および子孫の義務であったが、幾世代もたつと、この義務を行うことは次第に困難になっていった。そして、しばしば、墓は放置されて、生命力(カー)は飢餓に脅かされたのである。生命力(カー)は供物が途絶えればついには餓死してしまうのである。そこで供物を捧げるために次の方法が考えられた。
それは墓の礼拝所の中の祭壇に、供物を供え儀式を司る神官が雇われるという慣習が始められたのである。死者の土地が神官に委託され、その土地で収穫された作物が墓に捧げられるようになった。しかし2世代もたつと、神官もその義務を怠るようになり、あらためて供物を捧げるための方法を考案しなければならなかった。
王は天でその永遠の時を享受すると考えられていたが、貴族の場合には、死後この地上で過ごすものと考えていた。この世での楽しい生活を死後も続けるため、所有物がたやすく手に入る墓で、過ごしたいと考えたのである。この死後の生活は、危険や病気、心配事から解放されるように考えられており、古代エジプト人は、死者が利用できるようにさまざまな副葬品を基の中に納めたのである。しかし、古王国時代になると、貴族の墓に納められた品々ばかりでなく、墓の内部の装飾も死者の望む死後の世界をもたらすように考えられたのである。
葬送の儀式、特に「開口の儀式」は、死者だけでなく、墓の中の全ての像や模型、壁に描かれた絵画に生命を与え、死者が必要とする品々を与えることが出来ると信じられた。生きているときに一緒に暮らした家族や、家屋、多くの召使いのいる領地、狩り、魚釣り、宴会の様子などの場面が至る所に描かれたのである。
古王国時代を通じて、墓の壁面には死者が楽しみたいと望む事柄が描かれた。これらの場面には、死者に恵みをもたらす呪文が刻されて、危険から守る役割をも果たした。こうした光景の中で最も重要なものは、食糧の生産や供給に関するものであり、収穫や屠殺、ビール作り、あるいはパン作りなどの様子が描かれていた。
また、供物される品目も細かく記されたが、それによって死後も豊かな食糧が約束されたのである。供物品目の横には、食べ物の積まれたテーブルの前に座る死者の姿が描かれたが、こうした場面を描くことで、古代エジプト人は、その呪力により、被葬者に十分な食糧が確保され、遺族や神官に対して供物を依存しなくて済むようにと考えていたのである。
『死者の書』
『死者の書』は、1842年ドイツのエジプト学者レプシウスが「ツリン・パピルス」という165章のパピルス文書を『エジプト人の死者の書』と名付けて出版したのが始まりである。この『死者の書』はパピルスの巻物に描かれ、柩の中やミイラの両足の間の包帯の中に収められた。各章は死者の告白、懇願、祈りなどが一人称によって語られている。本来は、葬儀の際に神官によって唱えられる呪文であったが、死者自らも唱えることが出来るように、死者と一緒に埋葬されたのである。こうした『死者の書』は特定の個人のために作られた品ばかりでなく、買い手の名前を書き入れる場所が用意された販売用のものも用意されていたようである。このパピルスの所有者である死者は、冥界を支配するオシリス神の前で無罪とされ、やがてオシリス神となることが出来たのである。
この残された『死者の書』のうち、どれ一つとして190章全部を包含しているものはない。そのなかで書記官アニのパピルスが最も有名であるが、それは1888年にテーベで発見され、製作されたのは第18王朝の中頃(紀元前1450~1400年頃)とされており、現在大英博物館に収められている。
船での葬列
葬儀の日、会葬者たちはナイル河の東岸に集まる。そこには葬送船が待っており、白の喪服に包まれた近親者たちに引かれてきた葬柩は、船内に運ばれ、太陽の沈む方角である西岸に渡る。柩は花に飾られ、船の中央に位置する天蓋の下に安置される。船の舳先で神官が香をたき、供物を捧げ、呪文を誦える。舷則では死者の縁故者の女性たちが嘆き悲しんでいる。
バッジの翻訳した『死者の書』には、2枚の扉絵がかかげられ、1枚は墓場へ行く葬列と、もう1枚はそこでの儀式を描いたものである。
死者のミイラを収めた葬柩は舟形のそりにのせられ、王候の場合は4頭、その他は2頭の牡牛に出かれて墓場へと進んで行く。柩の側で死者の妻がひざまずいている。そのあとにミイラの内臓を入れた壷を納めた厨子のそりが続く。柩の前には豹の皮をまとった神官が香油を撒いて参道をきよめながら行き、その次に近親の女たちが行く。またそのあとには、歌い手、踊り子、それにやとわれた泣き女たちの群が続く。女たちは衣を引きちぎり、髪をふり乱し、胸をたたき、悲しみの叫びをあげながら進んで行く。後部にアヌビスの神像を乗せた小型の葬柩を曳いて行く召使いたちが続き、その後には、副葬される死者のいろいろな遺品、家具什器、葬儀に必要な供物などを担いだ召使いや従者の群がしたがう。犠牲にされる牝牛を追って行く奴隷もみられる。
2枚目の扉絵は葬列が墓場に到着したときの場面で、天秤で花龍を担いだ者と香油の壷を運ぶ者とが最後に続いてくる。
その前には頭には何もかぶらず、上半身をあらわにした泣き女の群が、自らの頭や顔を叩きながら行く。その直ぐ側に立っているのは葬儀の饗宴のため屠殺さるべき雄牛である。その側のテーブルには野菜や果物などの供物が山と積まれている。
こうして葬列が葬場に到着すると、死者のミイラは厨子から取り出されて、墓前に直立させられ、「開口の儀式」や「開眼の儀式」が行われる。それは死者に冥界での生活を保証するためである。墓の入口には犬の頭をした死者の神アヌビスが立って、死者のミイラを支え、ミイラの前には死者の妻が泣きながらミイラとの最後の別れをしている。豹の毛皮をまとった神官は、その手に神酒の瓶と香炉を持ち、他の1人は右手に牡羊の頭をした蛇の呪具を、左手には手斧の形をした呪具を持っている。この儀式は豹の毛皮をまとった神官が呪具を用いて行うが、場合によっては、死者の長子が豹の毛皮を着てこれを行う場合がある。
神官はこの呪具でミイラの口と目にまさにさわらんとし、あとの呪具で口にふれようとしている。彼らのそばに「開口の儀式」に用いる呪具がある。「開口の儀式」とは死者の口を開き、死者が来世においても食べたり飲んだり話したりする能力を与える儀式である。
神官の背後に立っているのが、「統帥」と呼ばれる神官で、彼はパピルスの巻物を開き、送葬文を読み上げている。神官が呪文を読み終えると、最後にミイラにすがって別れをつげる妻の嘆きのうちに柩は地下の墓室に収められて式は終了する。
心臓を秤にかける章
『死者の書』をエジプト学者バッジは190章に分けているが、その第125章には、死者 の審判が扱われている。
死者である書記生のアニは、妻ツツの後に従ってマーアトの広間に入る。広間の中に入ると、彼の良心を表す心臓が、秤にかけられている。法と真実の象徴である羽毛は心臓と重さを比べられ、2つが等しくなかったら有罪の宣告を受けるのである。
この広間の上段には審判者として12柱の神々が、杖を携えて椅子に腰掛けており、彼らの前には果物や花が供えられている。
正義の秤は広間の中央に置かれ、秤の前には犬の顔をした係員(アヌビス)が目盛が動くのを見守っている。秤をはさんで係員の反対側にアニの守護霊が立ち、その頭上にはアニのへその緒が入った箱が描かれている。
この守護霊の後には、アニの誕生と教育を司った2柱の女神が立っている。へその緒の箱の後には、鳥の形をしたアニの魂(バー)が墓の門の上に留っている。
秤の右手の方には、筆記用具を持ったトスが控えて、審判の記録を書き留めようと待ち構えている。トスの後には怪獣が控えており、審判で有罪になった死者をただちに食べるために体勢を調えている。
●アニの祈り
ここで死者であるアニは、心臓によって針が動かないように祈りのことばを捧げる。
「私の母なる心臓よ、審判にあたって、私にいじわるすることがないように。そなたは私の生命力(カー)にして、四肢を結び付けるものである。どうか幸福の国にともに来らんことを。どうか神の面前で私に対して何ら偽りを述べないようお願いします。」
これに対して審判者のトスは、霊界の王であるオシリスに次のように説明する。「判定を聞いて下さい。秤にある心臓は真実であり、汚れのないことが証明されました。彼は神殿への捧げものを盗んだり、悪い行いに手を染めなかったようです。」
神々はトスに答えて、「今言われたことは真実であると証明されました。書記生アニは、聖かつ義人である。彼は罪を犯さず、我等神々に対しても罪は犯していません。」
審判を無事終えた書記生アニは、オシリスの御前に到着する。
「私は偽りを語ったりことはありません。私の言葉は真実です。
●42の否定告白
死者のアニは、広間に入りオシリス神と共に審判席に座せる42神の名称を知っていること、ならびに42柱の神々の前で以下の38の悪い行いを現世で行わなかったことを告白するのである。
人を傷つけなかった。
家族を害さなかった。
聖地で悪事を働かなかった。
悪友をもたなかった。
悪事をしなかった。
召使いを酷使しなかった。
名誉を追求しなかった。
従者を手荒に扱わなかった。
神を侮辱しなかった。
他人の財産を奪わなかった。
神々を憎まなかった。
主人に彼の従者を誹謗しなかった。
他人に苦痛を与えなかった。
他人を飢えさせなかった。
他人を泣かさなかった。
殺人を犯さなかった。
殺人をそそのかさなかった。
傷害を行わなかった。
神殿の供物を奪わなかった。
聖なるパンを奪わなかった。
精霊へのパンを奪わなかった。
姦通を行わなかった。
市神の神殿で自らを汚さなかった。
計量をごまかさなかった。
土地を詐取しなかった。
他人の土地を侵害しなかった。
売り手を騙さなかった。
買い手を計量で騙さなかった。
子供のミルクを奪わなかった。
家畜を奪取しなかった。
聖なる鳥を罠で捕らえなかった。
魚を同種の魚の餌で捕らえなかった。
水の流れを止めなかった。
運河の堤を破壊しなかった。
燃やすべき火を消さなかった。
神々への供物の肉をだまし取らなかった。
聖なる家畜を奪わなかった。
神の御心を否認しなかった。
以上である。
死者の楽園
普通の一般市民も、オシリス法廷で無罪となると、永遠なる生命を得られ、楽園へ行くことが出来た。どんなに貧しい者も、立派な墓や副葬品を用意できない者でも入ることができるとされた。その楽園は、百の地平線の下とか、あるいは幾つかの島々の上の緑豊かな土地にあるとされていた。この楽園については『死者の書』第110章に描かれている。
「平和の野原」と呼ばれたこの楽園は、周囲を清流が巡り、豊かな実りが約束されていた。ここで死者は、何の痛みも苦しみもなく、生前と同じように楽しく毎日を過ごすことができた。
「おゝ食料の神々よ。私は神饌を受けるためにここに到来せり。願わくば私を神の元に参らせたまえ。そして神に捧げられた数々の供物、菓子、牛肉、パンを我にもまた分かちあたえんことを」(『ネブセニのパピルス』)このように、死者は楽園に至っても食料の心配のないように、願いを実現させる呪文を記しておいたのである。
中王国時代に芽生えた、王たちの天上における死後の世界、墓の内部における生命の永続、そして、「平和の野原」で土地を耕して暮らす永遠の生活、こうした死後観は共通の部分を持つと同時に、古代エジプト社会における各階層の願望を反映していた。富裕な者たちは、豪華な墓とその副葬品を用意し、オシリス神の王国における農作業を免れようとした。墓の中には、死者の代わりに手仕事を行なうために小さな人形を入れた。
この『死者の書』はエジプトがローマ帝国に侵略されたあとも、庶民に信仰され、およそ4千年の長い生命を保ってきたのである。
(資料)
1.石上玄一郎『エジプトの死者の書』人文書院
2.矢島文夫『死者の書』社会思想社
3.R・ディビッド『古代エジプト人』筑摩書房
4.ローエル『ピラミッド学入門』法政大学出版局
5.J・スペンサー『死の考古学』法政大学出版局
6.比屋根安定『埃及宗教文化史』春秋社
7.『埃及死者之書』世界聖典全集刊行会
8.BUDGE『THE BOOK OF THE DEAD』BELL PUB
http://www.gregorius.jp/presentation/page_41.html 【死者の書】 より
■死者の書
『死者の書』は、古代エジプトで死者とともに埋葬されたパピルスの巻き物です。おもに、絵とヒエログリフという神聖文字で構成されています。死者の霊魂が肉体を離れてから冥府の国に入るまでの過程を描いています。
■死者の裁判
死者は、裁判にかけられます。秤には真実の羽根と死者の心臓がそれぞれ乗っており、魂が罪で重いと、秤が傾きます。秤の目盛りを見つめるのはアヌビス神です。死者が真実を語れば、ホルスによってオシリスの治める死後の国へ導かれます。嘘偽りであれば、アメミットという魂を食らう鰐に似た怪物に食べられます。
■アヌビス
アヌビスは、セトの妻であり妹でもあるネフティスが、兄のオシリスとの不倫によって身篭もった子です。犬またはジャッカルの頭部を持つ半獣の姿で描かれます。
オシリスがセトに殺された時、アヌビスがオシリスの遺体をミイラにしました。オシリスが冥界の王となった後、アヌビスはオシリスを補佐し、天秤を用いて死者の罪を量る役目を担います。
■アメミット
アメミットは、冥界の転生の裁判において、天秤にかけられた真実の羽よりも重かった死者の心臓を貪り喰らいます。喰われた魂は、二度と転生できません。それは、永遠の破滅を意味します。
アメミットのモデルは、大鰐であるとされます。古代エジプトでは、鰐を神獣として大切に飼っていたという記録が残っています。鰐は、最高級の肉を食べさせられ、ワインまで与えられていました。
■ホルス
ホルスは、オシリスとイシスの間に生まれた子です。叔父に当たるセトと激しい戦いを繰り広げ、父オシリスの仇討ちを果たします。ホルスは、オシリスから地上の王権を譲位されます。
ホルスは、隼の頭をした男性として表現されます。『死者の書』では、真実を語った死者をオシリスの治める死後の国へ導く役目を担います。
■オシリス
オシリスは、生産の神として、またエジプトの王として君臨していましたが、弟のセトに謀殺されました。遺体はばらばらにされて、ナイル川に投げ込まれましたが、妻であり妹でもあるイシスによって拾い集められ、ミイラとして復活します。以後は、冥界の王として君臨し、死者を裁くことになります。
神の死と復活のモチーフは、冬の植物の枯死と春の新たな芽生えを象徴しており、オシリスにも植物神もしくは農耕神としての面があるとされます。
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