https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/2969050 【煩悩即菩提・リフレーミング】
https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/6972061 【神話の不思議】
https://ameblo.jp/hannya415/entry-12277395666.html 【神と鬼は何が違う?】より
そもそも、「鬼」とは何ぞや?「神」について語れる人は多くいるだろう。
たとえば宗教学者とか、はたまた、博識の知識人。では、「鬼」についてはどうか?
おそらく、誰もが納得できる説明をできる人はいないのではなかろうか。
少なくとも、森羅万象を司るのは「神」ではなく「天」である。
「神」とは、人にとって都合の良い「善」を前提にして創り出された概念でしかない。
「鬼」はその概念に当てはまらない、もしくは外れる行為や存在として人が創りだした概念である。
つまり、「神」の象徴である「善」で説明しきれない事柄や行為を「鬼」の所業としているにすぎない。
とはいえ、ストイックに一つの道を極めた生き様を「○○の鬼」と表現してみたり、「鬼神」といった相矛盾した言い方をすることもある。
見方によれば、「鬼」に対する畏敬の念を現しており、それは即ち、「鬼」が摩訶不思議な存在であることを示している。
神でもなければ悪魔でもない、説明しようのない存在が「鬼」なのである。
古より、人は「神」の名のもとに殺戮を繰り返してきた。
キリスト教徒はエルサレム奪還という大義で「十字軍」という軍隊を組織し、イスラム教徒との間で長きにわたって戦いを繰り広げた歴史がある。
現在でもイスラムでは「聖戦」という大義で無差別殺人をするテロ行為が行われており、強大な軍事力を持つ大国でさえ阻止することが困難になっている。
これらのテロ行為は「鬼」の所業なのか、はたまた悪魔のなせる所業なのか?
そうではなかろう。
テロ行為には、権力、特に大国の覇権という怪物が生み出した「不条理」に対する鬱積した不満が根底にある。
歴史的に権力側の思惑は大義とされ、民衆の小さな義は理不尽に握りつぶされてきた。
しかし、民衆の小さな義が膨れ上がり大きな力となって権力を掌握すると、新たな怪物が生まれて小さな義が握りつぶされる。
人の心にある光が「神」で闇が「鬼」とするなら、無理やり「鬼」に蓋をした結果が今の世情なのかもしれない。
「鬼」とは、天が人に与えた心の闇である。
「鬼」は闇にあるうちは冷静かつ客観的で道理を弁える。
しかし、一旦光が当たると怪物に変身する。
それ故、「鬼」は闇にあってのみ意味がある。
http://www.office-ten.net/coram/onikamihito.htm 【『鬼と神と人と』】 より
年の瀬が迫ってくると、否応でも翌年の話をするようになる。「来年の話をしたら、鬼が笑う」とよく言うが、そもそも鬼とは、一体何なのだろう。通常、鬼とは邪悪なものとされているが、本当にそうなのだろうか。
一説には、渡来から来た人々が、形相が異なる先住の人々を、山に追い詰め鬼と呼んだ風習が残ったとも聞く。
最近、日本全国を歩くことが多くなり、各地で、鬼と神とは同一の存在として、丁重に迎えられているのを目の当たりにすると、鬼という存在が、もともと何なのかわからなくなってくる。
先日行った秋田県男鹿半島には、全国的に有名な「なまはげ」という習慣がある。
これは、旧正月(現在は、ほとんどの地域で大晦日になった)鬼が各戸を訪問し、怠け者の子どもや嫁を戒めると共に、新年のその家の無病息災と五穀豊穣を祈る神の使いとされ、邪気払いもしてくれると言い伝えられている。
説はいくつかあるそうだが、山外れに住んでいた邪悪な鬼たちが、心を入れ替えて神の使いとなったという説が一般的に伝わっているそうだ。現在も約80の集落で、それぞれに「なまはげ」の習慣は続いている。
また、愛知県奥三河の「花祭り」でも榊鬼が神の使いとして魔よけにやって来るのだが、人々はその登場を今か今かと心待ちにし、拍手喝采で迎えるのだ。
私が参加させていただいた北設楽の「花祭り」では、スサノオ、猿田彦、大国主命といった国津神の神々が、それぞれ鬼として登場した。
奈良の天河神社では、節分前夜に「鬼の宿」と呼ばれるご神事があり、鬼神のために真綿の布団とおむすび、手足を洗う桶を用意する。
翌朝、置かれた桶の砂の有無を慎重に確かめて、入っていれば鬼神がやって来られた証拠として、その年も宮司としての務めが認められるのだ。
ここ何年も、このご神事に参加させて頂いているが、今年、初めて私は桶の砂出しにたち合わせて頂くことができた。
慎重に慎重にサラシに水を出してゆく作業を見守っている時は息が止まりそうだったが、幾粒もの砂がサラシ上に残ったのを見た時には、感動と同時に、目には見えない世界と、目で見せてもらえる世界との境界線にいるような感覚になった。
結局のところ、鬼とは意識の境界線にある存在なのではないだろうか。
鬼子母神の伝説では、500人の子どもを持つ鬼子母神は、我が子を育てる為に、人間の子どもをさらって食べていたそうだ。困った人々から相談を受けたお釈迦様は、鬼子母神の子どもを見えないところに隠したという。我が子がいなくなった鬼子母神は嘆き悲しんでお釈迦様に相談しに行くと、人間の母親も同じ気持ちなのだと叱られた。
鬼子母神は大いに反省し、以後、安産や子育の守り神となったそうだ。
時として魔を除ける存在であり、時として魔そのものと化す「鬼」。それはもしかすると、己と神仏との間に存在する心の持ち様そのものなのかもしれない。
そろそろ年が変わる。
来年に向けて、皆で大いに明るい話題を話をしようではないか。
きっと、鬼神が笑って世の中に渦巻く魔を除けてくれているに違いないから。
https://zenken.agu.ac.jp/zen/lecture/h24.html 【見えない「もののけ」を描く―鬼・妖怪・幽霊をめぐって―】 より
国際日本文化研究センター所長 小松 和彦
私は長い間、民間信仰の勉強をしてきましたが、特に鬼とか妖怪というように、どちらかというと否定される存在に関心を寄せてきました。今日は、そのような見えないものを、日本人がどうやって描いてきたのかということをお話しできればと思います。
信貴山縁起絵巻の中に、命蓮というお坊さんが、醍醐天皇の病気を治す話が出てきます。命蓮は都へ行かず、山で祈祷をするだけなのですが、使者の護法童子が病気の原因である「もののけ」を退治することで、天皇の病気は快癒しました。絵巻には、退治する側の護法童子は描かれていますが、退治される側は描かれていません。「もののけ」はどんな姿なのかと考えたのが、私の関心の始まりです。
私は日本の信仰世界の全体像を、神様と妖怪と人間という三角関係で考えています。神様と妖怪、すなわち「もののけ」の違いは、人間に幸いをもたらすか、災いをもたらすかということと、人間との間で何らかの関係を結んでいるかという点にあります。例えば、カッパは人間に災いをもたらす妖怪ですが、人間が社を作って祀ってあげれば、神様になるのです。
さらに、妖怪について考える際には、三つの段階を設定できると考えています。まず始めに現象があり、次にそれを引き起こす存在があり、最後にその絵が描かれるということです。例えば「山びこ」という現象に対しては、それを引き起こす存在として山に住む「山彦」が考えられ、その姿が想像されて、絵が描かれることになるのです。
そのような妖怪の姿をとらえる方法がいくつかあります。例えば占いです。占いとは「裏」の世界を見ること。その一つが託宣です。託宣とは、「もののけ」が誰かの身体に憑依、すなわち乗り移り、その身体を借りて自分の意思を伝えることを表します。
その他にも、夢の中で「裏」の世界を見るとか、偶然「裏」の世界をのぞいてしまうという方法もあります。たまたま木の下で休んでいたら、姿は見えないけれども、木の上の神様の話し声を聞いてしまったというような話です。
そうした中でも、託宣の場面はいろいろな絵の中で描かれています。ただし、そこに描かれているのは「もののけ」の姿ではなく、「もののけ」に憑かれて狂乱状態になったり、梁の上に座って託宣を行う人間の姿です。こうした異常な事態を描くことで、憑依の状態が描かれるのです。
しかし、これは私たちが見ることのできる、こちら側の世界です。向こう側の世界を見たいという人々の思いから、やがて、それらを描いた様々な絵が現れました。
「もののけ」の絵と言えば、中心になるのは鬼でしょう。筋骨たくましく、頭に角を持つ鬼の姿は、13世紀頃に作られました。その絵を多くの人々が見たために、鬼のイメージはほとんど変化せずに現在まで継承されてきました。
そのような鬼が、病人の身体を金槌のようなもので叩いている絵があります。この鬼を追い払うのが、信貴山縁起絵巻に描かれていたような護法童子とか、陰陽師の使いの式神です。両者の戦いが、向こう側の世界で展開されているのです。その様子をこちら側の世界から見ることはできませんが、それを夢の中でのぞき見て、その様子を絵に描くことになるのです。
ただし、昔の人々が抱いた鬼のイメージは、それだけではありませんでした。痩せ衰えた「餓鬼」もいれば、百鬼夜行と言うように、馬の顔や鳥の顔の鬼がいたり、様々な道具が鬼になることもありました。それらが人間に襲い掛かってくるのです。
そこで、この鬼達を追い払うために、様々な祈祷が行われます。すると、その鬼達が誰かの身体に乗り移り、「自分はこの者に恨みがあるから、命を奪いに来た」ということを語ります。つまり、託宣や占いによって鬼の正体が明かされるのです。自分は誰の生霊であるとか、死んだ誰それの霊であるとか、誰が使っていた道具の霊であるという具合です。そうした人間や動物、あるいは道具の怨霊が、その恨みを晴らすために人間に災いをもたらします。ですから、「鬼」という言葉によって、一般的な鬼の姿を思い浮かべてしまうと、何もわからないことになってしまいます。
反対に、この鬼とか妖怪のイメージがさらに個別化されることで、幽霊が出てきました。江戸時代には、鬼とか「もののけ」という抽象的な存在ではなくて、具体的に「お岩」とか「お菊」という幽霊になって、はっきりした形で絵にも描かれるようになるのです。
ともあれ、鬼のイメージは本来多様なものでした。しかも、「もののけ」とは悪い霊という程度の意味であり、それが祟って災いをもたらすと「鬼」と言い換えられたのですから、鬼と「もののけ」はもとは同じ存在です。その正体を知るために託宣や占いが行われ、それによって見えないものの世界が描かれました。ここに、日本の妖怪文化があると私は考えています。
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