くれなゐと白をむすぶ

くれなゐと白をむすぶや桜の実  五島高資

Red and white

separated and bore

a fruit of cherry


Facebook・清水 友邦さん投稿記事

陰極まれば陽に転じ、陽極まれば陰に転じます。陰の中に陽があり、陽の中に陰があります。陽と陰の関係は常に変化し続けます。どんなに最悪な事態でも最良の事態に転換します。詩人のリルケは失恋の痛手を美しい詩に変えました。

この宇宙に挫折や失敗をやさしく受け止めてくれる大いなる存在があって、詩は感情ではなく経験であるといっています。

宮澤賢治は大正十年から十二年にかけて生涯の作品の6割を三年間で書いています。

父親との葛藤、妹トシの死、親友を失った悲しみ、苦しみを賢治は童話や詩に昇華しました。

「かなしみはちからに、欲(ほ)りはいつくしみに、いかりは智慧にみちびかるべし」賢治(書簡165)

無意識から湧き上がる衝動に気がついたのなら、他人に暴力的になったり自分を傷付けるのではなく、歌や踊り、絵画や詩や文学などの芸術を通して、否定的なエネルギーを変容させて創造的に昇華することができます。

ノーベル文学賞受賞の詩人、作家のヘルマン・ヘッセは社会と折り合いをつけることが苦手で自殺願望やうつ状態の中で何度も挫折を繰り返しました。

ようやく50代をすぎて「地獄をめがけて突進しなさい。地獄は克服できるのです」といえるようになりました。

「健康な人ほどささいな原因で体を壊す。普段から苦しんでいる人は、強い。苦労が人を強くして、鍛えるのだから」ヘッセ

世界はダイナミックに変化しています。

私たちは世界を荒廃させることも、美しい惑星に変えることもできます。

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第6期 呼吸道オンライン講座「めぐりてまわる」

命は眼に見えない世界から眼に見える世界へ現れまた眼に見えない世界へ帰っていきます。

宇宙は回転し循環しています。


https://gakuen.koka.ac.jp/archives/715 【かんじんなことは目に見えないんだよ (サン=テグジュペリ)】 より

このことばは、フランスの作家・飛行士 サン=テグジュペリ作『星の王子さま』の一節にあることばです。この小説は、児童文学でありますが、大人向けのメッセージに満ちあふれていて、人間にとって大切な事柄、真実の教えが随所にちりばめられています。

小説の中で王子は「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」と教えられました。

ただ目に映るものが必ずしも真実とは言えないこと、心の目で見ること、子供のように心の 曇りがなく、純真な目でものごとを見ることが大切であることをこの小説は伝えています。

人は、正しくものを見ているつもりでも、自分にとって損か得かという自己中心的で自分 勝手な見方でしかものごとを見ていないため、何が本当で何が偽りなのかを見極めることができません。

現代社会に生きる私達は、目に見えるものばかりに心を奪われて、数値ばかりを追い求めてきました。その典型が経済至上主義の考え方であると言えるでしょう。その結果、私達は、大切なものを見失い、目に見えない多くのものに支えられていることに気付かなくなってしまったのではないでしょうか。

今こそ、物質の豊かさではなく、心の豊かさ、心の糧を大切にすべき時だと思います。そして、一人ひとりが、ものごとの本質、真実の姿、本当に大切なものを見つけていかなければならないと思います。そのためには、純真な子供の心と真実を見定める智慧の眼が必要であります。

仏教の教えをいただく私達は、大いなる仏の慈悲によって、生かされていることに気付き、その慈悲の中に目に見えないけれども確かにある大きなはたらきに気付くことができるはずです。その見えないけれども確かにあるはたらき(慈悲の光)に照らされて、自分自身とまわりのすべてのものを見ることにより、ものごとの本質・真実を見定めていくことが最も大切なことだと思います。

皆さんにとってかんじんなこと、本当に大切なことは何でしょうか。心の目でしっかりと見つけてください。(宗)


https://gakuen.koka.ac.jp/archives/2977 【コロナと和顔愛語】より

 新型コロナウイルス感染症に悩まされ1年が経過しました。思い起こせば、中国武漢で原因不明の肺炎患者が多数出たという報道から、横浜でのクルーザー問題あたりまでは、まだ海外、もしくは限られた所での問題という少し他人事のような甘い感覚を持っていましたが、3月、4月と感染者数と感染エリアが増加し、4月7日に東京をはじめとした7都道府県に、そして16日に全国を対象とした緊急事態宣言が発出されるにあたり、いよいよ我がこととして大変な事態に直面したという危機感を持ったことを覚えています。                                                              

 この新型コロナウイルス感染症が猛威を振るった1年間を振り返り感じることは、人々の心の疲れです。「デモクラシーは我々に毎朝新聞を読む義務を課するに至った」という哲学者の言葉がありますが、コロナ禍が続いたこの1年で「私たちは毎日の感染状況の確認を習慣づけられてしまった」と思います。実際、新聞やニュースではコロナに多くの紙面や時間を割いていましたし、情報番組では、どのチャンネルをつけてもコロナの話題が流され、コロナ対策への批判、今後の厳しい見通しを指摘される方が多く登場していたと思います。私も当初はそうした情報を見聞きし、コロナ対策をいろいろと思案していたのですが、見てもさらに不安が高まり、またさまざまなことに対する批判的な意見を聴き続けることにもウンザリし、途中からあまり見ないようにしました。不安に感じる情報、制限された生活、先の見通しのつかない生活が長くなるにつけ、人々の心のストレスも知らず知らずのうちに膨れ、やり場のない気持ちのはけ口として、批判的な言動が多くなってしまうのはやむを得ないことと思いますが、こうした状況だからこそお互いが和らぎ合える「和」の大切さを改めて感じたところです。                                                            

 仏教では「和」を非常に大切にします。聖徳太子の十七条憲法の第一条に「和を以て貴しとなす」とありますが、「皆が和らぎ合って話し合いまとめていく」ことは、皆の願いではないでしょうか。しかし、実際はそうならず、先ほども述べた通り、自分の意見を主張し続け、その場を荒々しいものとしたり、また、自分の意見は言わず表面上は同調したそぶりを見せるのですが、心の中には常に不平不満や不安を抱えたりといったことが多いのも現実だと思います。このように、「和」を大切にしたいという願いがある一方、「和らぎ合う」ことがなかなか難しい私たち。その原因は「心の平静」を持てるかどうかにあると思います。大無量寿経というお経に「和顔愛語」という言葉があります。皆さんもお聞きになったことがあろうかと思いますが、「和顔愛語」という言葉がまさに相応しい人とお出会いすると、その人のお顔から発せられる慈悲の雰囲気と、お人柄が感じられる温かい言葉に触れ、自然と頭が下がります。そういう人と接するにつけ、おだやかな顔つきも優しい言葉も、「心が和やかで平静」であってのものだと気づかされ、自らとの違いに恥ずかしくなるばかりです。「和顔愛語」とはお浄土の姿を比喩した言葉です。「あなたは和顔愛語でありなさい」と説いているものではありません。ですがその言葉がまさに相応しい人と出会えば出会うほど、うわべだけ「和顔愛語」になろうとしている自分の至らなさに気づかされ、できるだけ自分の我をはらず、努めて怒らないようにし、少しでも愚痴を言わないようにしたいものだと考えさせられます。                                                           蓮如上人御一代記聞書に「信をえたらば、同行にあらく物も申すまじきなり、心和らぐべきなり。・・・また信なければ、我になりて詞もあらく、諍ひもかならず出でくるものなり・・・」という言葉があります。Withコロナと言われる生活はまだまだ続きそうです。私たちの日常生活への制限などによりストレスを抱えてしまい、寛容さをやや欠いた気持ちになってしまうこともあろうかと思います。だからこそ、自分を励まし、そのような気持ちになってしまっている自分の心のあり方をよく見つめていきたいと思います。(宗教部)


Facebook・近藤裕子さん投稿記事

《風は見えねど風はある》

私たちは 様々な[風]を起こして生きて今す。

喜び も 悲しみ も 苦しみ も 全て[空(くう)]であり[風]であるという [禅]の世界観です。

私たちは見えない実体の中で生きています。

目の前の 物体も 命も 全ていつかは [空]に帰って行きます。

だからこそ [いま]とうまく付き合って

それぞれが[人を幸せにする よき風でありたいと思います。]

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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