I LOVE JAPAN❤️〜世界を融和に〜

Facebook・ごとう 孝二さん投稿記事

「なぜ世界でエンペラー(皇帝)は日本の天皇だけなのか?」

天皇を象徴とした統治形態の凄いところは、単に天皇を起源として、そこからずっと2681年も国と歴史が続いてるっていうだけじゃないんですよね。問題なのはその中身なんです。

かつて日本にも源氏に平氏、織田信長に太閤殿下、徳川幕府に敗戦後の米国と、天皇よりもはるかに巨大な実権を握った勢力は幾らでも出てきたのに、王朝は転覆しませんでした。

世界史の常識からみて、こんなことあり得ないし、この常識に反して未だ王朝が存続し続けてるのはとても珍しいことなんです。

普通は、強い者が全てを掌握すべく滅ぼしてしまうのです。つまり、日本という天皇を中心にした2681年126代も続いてる統治形態の意味する所って、力の行使によって成り立ってきたってことじゃない、って所が重要なんです。

反対に、あれほど繁栄した古代ローマにしても力によって統治しようとした国はそのほとんどが300年以内に滅んでる。

必ず。

力によって統治する者は、力が衰えたとき、結局別の力によって打ち倒される運命にあるのです。

なんで天皇が平和と繁栄の象徴になってるかといえば、武力や権力や圧力によって国内統治してきたからじゃないからなんです。逆説的な言い方をするとそれが天皇の平和的な力なんです。

また、古くからそのお住まいには要壁や要塞もなければ、兵士も武器も持ちません。

小高い山のような敵に攻め込まれにくい場所に御殿が立てられていた訳でもありません。

ずっとそうです。

外部から防御するためのいかつい壁はないし、外からは筒抜けなのですよね。

ってことは、内側からも外の様子が筒抜けなんです。

なんでそうなってるかというと、民の朝時や夕時の台所から立ち上る煙を見て、はじめて陛下もお召しになる、っていう姿勢と、常に国民の幸福と世界平和の祈りをずっと続けて来たからです。

天皇はいつも市民と同じ地平、同じ目線の中にいます天皇は今も生きてる世界最古の統治形態でありながら、武力を捨て去って愛と祈りで世界平和を実現しようとしてる今の私達の最新の姿、でもあるんです。

力によって世界的な影響力を持ってきた米国が、なんで最高敬礼を天皇に示してるかこれで分かりますよね。

2681年も天皇が続いてるという歴史が証明してる通りに力などという世俗的なものとはもう別格の方なのです。

敬礼って、優れたものを畏れ敬うことであって、力の前にひれ伏すことじゃありません。

ウィキペディアの英語版で、天皇(emperor)の定義について調べてみました。

Emperors are generally recognized to be of a higher honour and rank than kings. The Emperor of Japan is the only currently reigning monarch whose title is translated into English as "Emperor".

【訳】

一般的に”エンペラー”(皇帝)は、”国王”よりも高い称号として認識されています。

そして、その”エンペラー”(皇帝)の称号を持っているのは、日本の天皇だけです。

(ウィキぺディア英語版参照)


https://ameblo.jp/shimonose9m/entry-12442917501.html  【漢字を創造したのは天皇陛下の先祖であった】 より

紀元前17世紀から紀元前11世紀末頃(縄文時代に相当する)の中国大陸にあった殷と言う国で、亀卜と言う占い神事があった。神事における亀の甲羅などに刻んだ甲骨文字が漢字のルーツと言われている。この殷の時代の甲骨文字が刻まれた亀甲や獣骨のかけらが発見されたのは1899年、清朝末年のことであり、現代でも中国で解読作業が進められている。

ところが、この亀卜と言う神事を今でも途切れることなく続けている唯一の国があった。それは日本である。中国大陸では殷の次の周と言う国では廃れ、易にとって代わられた。そして、亀卜を行う最も重要な神事は皇位継承に伴う皇室の儀式「大嘗祭」に引き継がれた。この亀卜の神事は大宝律令が制定された西暦701年には行われていたという。

卜骨による占いなら弥生時代から邪馬台国の卑弥呼の時代にも実施しており、殷の文化は殷の滅亡後、速やかに日本列島に伝播していたと考えて良さそうだ。

占いのルールと言うものは自己流に勝手に定めことは出来ない、神聖で権威ある先祖が定めたルールを頑なに守ることで正しい占い結果を得ることが出来る。すなわち、天皇陛下の大嘗祭で行う亀卜の神事を遡れば、中国大陸にあった殷の国の儀式にまで3000年の間、途切れることが無かったことになる。

雑談1

興味を引くことは、大嘗祭で行う亀卜で亀の甲羅に刻む文字は現代の漢字であろうか?それとも、甲骨文字まで頑なに守っているのであろうか?

雑談2

伊勢神宮に神代文字のアヒル草文字が残っているが、このアヒル草文字は殷の甲骨文字の一部に対応している。このアヒル草文字は天皇の先祖が殷の時代から受け継いで伊勢神宮にもたらしたと考えられる。

雑談3

日本の皇祖神の天照大神が太陽神とされるが、殷にも太陽信仰があった(参考)。

雑談4

殷の貨幣は貝の一種のタカラガイであったが、同時代の縄文人もタカラガイを装飾品として珍重して、台湾・沖縄あたりから輸入していた(参考)。

雑談5

漆の文化は縄文時代の日本から殷に伝わった(参考)。

参考

① 古代の占い:亀ト(きぼく)

兵庫県立武庫荘総合高等学校(参考)

古代国家において占いとは、政治的に必要な行事として重要視されてきました。古墳時代以前の日本では、鹿の肩甲骨を焼いてひびの入り方によって吉凶を占う方法が行われていました。これを太占(ふとまに)といいます。

しかし、律令期に入るとウミガメの甲羅を用いて占うようになります。亀の甲羅を焼いて占うことを「亀卜」といいます。これまでは、亀の甲羅を火であぶりながら焼くと考えられてきましたが、最近になってそのやり方が間違っていたことが大江先生の研究で明らかになってきました。

律令期での占いは、国家の行く末を導くものとして重要視され、特に神祇官が管轄をしていました。その職業集団を卜部(うらべ)といいます。平安時代になると、他の占いを行う職業集団(陰陽寮=おんみょうりょう)である陰陽師が活躍します。このなかで有名な人として安倍晴明がいますが、晴明などの陰陽師を管轄していたのは、太政官の中の八省の一つである中務省(なかつかさしょう)がおこなっていました。これらのことから考えると、陰陽師が占うことよりも、格式が上である卜部が亀卜で占う方が国家にとってより重要であることが分かります。亀卜での占いは、天皇の病気に関することや政治のために行うものです。そこで、伊豆・壱岐・対馬などで専門の卜部に命じて占いが行われていたようです。

② き‐ぼく【亀×卜】(コトバンクより)

②-1 亀の甲を焼き、そのひび割れの入り方で吉凶を占う卜占術。中国では竜山文化時代から殷(いん)時代にかけて盛行。日本には奈良時代に伝来し、卜部(うらべ)が担当した。かめうら。

②-2 古代中国で行われた占いの方法。亀の甲に錐(きり)で穴をあけ,そこに焼けた棒を差し込み,その時生ずるひび割れによって吉凶を占う。殷代には占いのなかで最も重要な位置を占めたが,周代に入って易に取って代わられた。日本にも伝わり,神奈川県三浦市の間口洞穴より5世紀の遺物が出土しているのをはじめ,平安時代には重大事に際して用いられた。

③ 対馬の卜部と嶽の神

対馬のビックリ箱(2016.9.23、参考)

神々の降臨した嶽と大平

対馬市厳原町豆酘では旧暦1月3日、集落北端の雷神社でサンゾーロー祭が開かれます。

卜部の子孫である岩佐氏が亀卜神事で吉凶を占いました。伝統行事の亀卜は古代に中国から伝来したとされ、亀甲に火を当てて亀裂の形状をデーターと照合して占います。

雷神社にはいくつかの謎があります。江戸期に編纂された『対州神社誌』には社名は「嶽之神大明神」です。そして当時は神山に社殿は無く、御神体は岩となっています。周囲には槻の雑木があるとしているので嶽の頂が神域だったのです。嶽の神です。

嶽の神祭は同町安神でも行われており神職や氏子総代らが山頂で祭祀をします。美津島町でも嶽祭はあり、氏子総代らが山頂まで登って神事を行うのです。豆酘のサンゾーロー祭も本来は山頂で祭祀があったとみています。また神主は岩佐甚吉となっているので現在も亀卜の奥義を継承している岩佐氏の御先祖でしょう。岩佐氏は卜部の家系でもあります。『延喜式』に朝廷に登用された卜部は対馬十人、壱岐五人、伊豆五人とあります。

古代には対馬の卜部は山頂の嶽之大明神で祭祀をし卜占したのでしょう。山の頂で神事を行う意味は天空の神に少しでも接近して祈願した方が効験あると考えたと推理しています。そして頂に神様の降臨する祠を設け山海の珍味を奉納します。神様に祈願する内容は航海安全だったでしょう。北部九州と朝鮮半島を往来する当時の船は小さく荒天時には海難事故が起きます。これは船乗りの家族の問題であるばかりでなく船を派遣する朝廷や権力者にとっても重大な関心事でした。

そのため卜術に優れた卜部を対馬、壱岐、伊豆に置いたのでしょう。これらの地は古代における海上航路の要衝でした。卜部たちは山頂から気象、海象を司るとされる天空の神様に航海安全を祈祷し出港日時などを占っていたのかも知れません。

島内では山頂付近の祭祀場を大平とか高平とか呼んでいます。大平山もあります。全国には平塚を冠する平塚古墳が多いのですが、このヒラ(平)は平らな塚の意味ではなく、祭祀する塚と考える方に合理性がありそうに思えます。

④ 奈良・纒向遺跡、占いの獣骨「卜骨」出土

日経新聞(2015.1.29、参考)

邪馬台国のあった場所として有力とみられている奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、3世紀後半~4世紀初頭に占いに使われた獣骨「卜骨(ぼっこつ)」が出土し、調査した同市教育委員会が29日発表した。同遺跡では祭祀(さいし)に関連した様々な遺構や遺物が見つかっているが、卜骨の発見は初めて。

魏志倭人伝は3世紀の日本の習俗として「物事を始めたり旅をしたりする際、骨を焼いて吉凶を占う」と記述している。

見つかった卜骨はイノシシの右肩甲骨で長さ約17センチ、幅約7センチ。一部を平らに薄く削り、火の付いた棒を押し当てるなどしたとみられる痕跡が少なくとも3カ所あった。

獣骨を加熱し、ひび割れの形で占う卜骨は亀の甲羅を使う卜甲(ぼっこう)と共に古代東アジアで広く見られる。日本では弥生時代以降、シカやイノシシなどの骨を使った例が各地で出土している。

⑤ 占い儀式のカメ甲羅確保…宮内庁、大嘗祭へ準備

読売新聞(2018.11.01、参考)

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000