旅を栖(すみか)とす

https://suumo.jp/journal/2012/10/12/30662/ 【旅する俳人、松尾芭蕉。彼の終の住処は一体どこだったのか?】より

旅する俳人、松尾芭蕉。彼の終の住処は一体どこだったのか?

10月12日は、松尾芭蕉の命日。「古池や 蛙飛び込む 水の音」などの作品でも知られる、江戸時代の俳諧師だ。

松尾芭蕉は1644年、松尾与左衛門と妻の梅の次男として、現在の三重県伊賀市に生まれた。彼が幼少期を過ごしたとされる家は、現在も『芭蕉翁生家』の名で伊賀市上野赤坂町に残されている。しかし、正確な彼の誕生地については、赤坂で生まれたとする説と、同市内の柘植で生まれたとする二つの説が。『日本歴史巡り』というサイトの記述によると、

「松尾家は芭蕉の出生前後に柘植から赤坂に引越しをしているので、芭蕉が伊賀の柘植で生まれているのか赤坂で生まれているのか分かっていません」

とのこと。その後芭蕉は江戸に出て、1680年、隅田川のほとりに『深川芭蕉庵』という名の居を構えた。ちなみに、当時の隅田川といえば、美しく澄みきった水が流れる名所。風光明媚な場所に建てられたこの家は、芭蕉の長年の住居となった。

ところが、この芭蕉庵に家人がいることはあまりなかったよう。なぜなら、松尾芭蕉は1684年から没するまでの約10年間、日本各地のさまざまな場所を探訪し続けた、旅人でもあったからだ。その足取りは、『野ざらし紀行』や『笈の小文』、『更科紀行』などの書物に詳しく記されている。

なかでも有名なのは、日光、平泉、金沢、大垣などを巡る1689年から約一年間の旅の様子と、その道程で生まれた歌を綴った『おくのほそ道』だろう。この長期の旅を終えた芭蕉は、翌年の1690年4月6日から7月23日の約4カ月間、その疲れを癒やすように、滋賀県大津市にある『幻住庵』に隠棲した。この小庵については、滋賀県の公式観光サイト『滋賀県観光情報』に詳しい説明がある。

「江戸時代に松尾芭蕉(1644-94)が4カ月間暮らした草庵。京阪電鉄石山寺駅の西にある国分山東斜面の近津尾(ちかつお)神社にあります。芭蕉が、ここでの生活を『幻住庵記(げんじゅうあんき)』に記したことはあまりにも有名です。幻住庵は、芭蕉の門人の1人であった菅沼曲翠(1659-1717)が義仲寺で生活していた芭蕉の隠棲地として、伯父幻住老人の旧庵に手を加えて、提供したものです。芭蕉は、ここからの眺望やここでの生活を心から愛しました。幻住庵の名は、曲翠の伯父幻住老人の名に由来しています」

そんな放浪の俳人、松尾芭蕉が息を引き取ったのは、この幻住庵ではなく、やはり旅行中の地だった。Wikipediaによると、

「その最期も旅の途中であり、大坂御堂筋の旅宿・花屋仁左衛門方で「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」の句を残して客死した。(中略)享年51。生前の『(墓は)木曾殿の隣に』という遺言により、大津膳所(ぜぜ)の義仲寺(ぎちゅうじ)にある木曾義仲の墓の隣に葬られた」

とある。彼は最後の最後まで、“詠む旅人”だったわけだ。

日本の各地を巡り、多くの感動や旅愁を表現した松尾芭蕉。彼の感性が捉えたたくさんの景色を、今一度俳句の中に眺めてみては?


https://www2.nhk.or.jp/school/movie/bangumi.cgi?das_id=D0005150085_00000  【おくのほそ道(松尾芭蕉)】より

月日は百代の過客にして…「月日は百代(はくたい)の過客(くわかく)にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟(ふね)の上に生涯(しょうがい)をうかべ、馬の口とらへて老(お)いをむかふるものは、日々旅にして、旅を栖(すみか)とす」――「月日というものは、永遠(えいえん)の時間を旅する旅人みたいなもので、やって来ては去っていく年月も、やはり旅人のようなものなのだ。舟の上で一生はたらく船頭(せんどう)さんも、馬をひいて年をとっていく馬方(うまかた)さんも、毎日の生活そのものが旅なわけで、旅を自分の家にしているようなものなのである」。


https://nodule.jp/info/20170503/ 【「旅を栖とす族」の日常 vol.53/ 夏井いつき】


https://soraironokaze.exblog.jp/239369537  【旅をすみかとす】 より

「月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり。」

松尾芭蕉のあまりにも有名な「奥の細道」の序文だ。

中学の国語の授業で初めて読んだ時、その表現の巧みさにこころを掴まれた。

月日は終わることのない旅をしている旅人のようなもので、去ってはまたやってくる年もまた旅人だ。

なんて名言なんだと思った。

「片雲の風に誘われて、漂泊の思ひやまず」

ちぎれ雲が風に誘われて行くように、さまよい歩きたいという気持ちがおさまらず

判る~!!その気持ち!!と思った。

中学生で、こんな風に思っていたのだから、ませたというかふけた中学生だったのかなとも思う。 

何故、奥の細道を思い出したのかと言うと、『旅に出ます』と言うお友だちの投稿に、「いいなぁ!わたしもそんなふうに言って旅に出てみたい」とコメントしたら、『あなたは、いつも旅に出ていますよ。』というお返事をいただいたからだった。

そうかぁ…遠くへ行くだけが旅じゃないよね。

「船の上に生涯を浮かべ、馬の口とらえて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖とす。」

わたしも日々の暮らしの中に旅をしていると思ってもらえたのならしあわせだと思う。

日々旅にして旅をすみかとす。


コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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