https://1000ya.isis.ne.jp/0362.html 【金子兜太・あらきみほ 小学生の俳句歳時記
蝸牛新社 2001】 より
昔、「がっがっが鬼のげんこつ汽車がいく」という小学生の俳句に腰を抜かしたことがある。教えてくれたのは初音中学の国語の藤原猛先生だった。難聴の藤原先生は「がっがっが」と大きな声でどなり、「どうや、こういうのが俳句なんや」と言った。
トンボを手づかみするように、桃をほおばるように、子供は言葉を五七五にしてしまうのだ。本書にもそういう句がいっぱいある。腰を抜かしたものもある。この本と同じ版元で同じ金子兜太監修の『子ども俳句歳時記』という有名な本があって、そこにもびっくりする句が多かったが、この本の句もすごい。あらきみほのナビゲーションも絶妙である。
ともかくも、以下の句をゆっくり味わってほしい。すぐに俳句をつくりたくなったらしめたものだが、おそらくそれは無理だろう。あまりの出来に降参するというより、しばし絶句するというか、放心するにちがいない。とくに理由はないが、季節の順や年齢の順をシャッフルしておいた。
あいうえおかきくけこであそんでる(小二女)
★最初からドカン! これはね、レイモン・クノーか井上ひさしですよ。
ぼんおどり大好きな子の後につく(小六女)
★トレンディドラマの青春ものなんて、これを超えてない。
まいおちる木の葉に風がまたあたる(小五男)
★とても素直だが、こういう詠み方にこそ斎藤茂吉が萌芽するんです。
ねこの耳ときどきうごく虫の夜(小四女)
★「ときどきうごく」と「虫の夜」がエントレインメントしています。
くりごはんおしゃべりまぜて食べている(小三女)
★ぼくのスタッフでこんな昼食の句をつくれる奴はいない。
あきばれやぼくのおりづるとびたがる(小一男)
★おい一年生、おまえは山村暮鳥か、それとも大手拓次なのか。
座禅会むねの中までせみの声(小六男)
★座禅もして、蝉しぐれを胸で受けるなんて、なんとまあ。胸中の山水だ。
かいすいよくすなやまかいがらすいかわり(小一女)
★単語だけのタンゴ。漢字にすると、海水浴砂山貝殻西瓜割。
風鈴に風がことばをおしえてる(小四女)
★あれっ、これは渋めの草田男か、日野草城にさえなっている。
ドングリや千年前は歩いてた(小五男)
★縄文学の小林達雄センセイに教えたくなるような悠久の名句でした。
海の夏ぼくのドラマはぼくが書く(小二男)
★おいおい、ミスチルやスマップよりずっと男らしいぞ。
ぶらんこを一人でこいでいる残暑(小六男)
★ふーっ、てっきり種田山頭火か黒澤明かとおもってしまった。
春風にやめた先生のかおりする(小四女)
★うーん、まいったなあ。中勘助あるいは川上弘美ですねえ、これは。
ガリバーのくつあとみたいななつのくも(小一女)
★雲を凹型で見ている。空に押し付けた雲だなんて、すごい。
なつみかんすっぱいあせをかいちゃった(小一男)
★「なっちゃん」なんて商品でごまかしている場合じゃないか。
なのはなが月のでんきをつけました(小一女)
★これは未来派のカルロ・カッラかイナガキタルホだ。今回の最高傑作。
せんぷうき兄と私に風分ける(小五女)
★扇風機は羽根のついたおじさんなのです。
転校の島に大きな天の川(小四男)
★まるでボグダノヴィッチや新藤兼人が撮りそうな風景でした。
つりばしがゆれてわたしはチョウになる(小三女)
★「あなたに抱かれて私は蝶になる」なんて歌、こうなるとはずかしい。
水まくらキュッキュッキュッとなる氷(小五女)
★知ってますね、「水枕ガバリと寒い海がある」西東三鬼。
そらをとぶバイクみたいなはちがくる(小一男)
★見立てもここまで音と速度が入ると、立派な編集術だ。
しかられたみたいにあさのバラがちる(小二女)
★朝の薔薇が散る。そこに着目するとは、利休? 中井英夫?
かっこうがないてどうわの森になる(小三女)
★「桃色吐息」なんて小学三年生でもつくれるんだねえ。
星を見る目から涼しくなってくる(小四男)
★マックス・エルンストが「星の涼風を目に入れる」と書いていた。
いなごとりだんだんねこになるわたし(小一女)
★「だんだんねこ」→「段々猫」→「だんだらねえ子」だね。
夏の日の国語辞典に指のあと(小五女)
★完璧です。推敲の余地なし。辞典も引かなくなった大人は反省しなさい。
墓まいり私のごせんぞセミのから(小四女)
★おお、虫姫様の戸川純だよ。まいった、参った、詣りたい。
あかとんぼいまとばないとさむくなる(小一男)
★飛ばない蜻蛉。小学校一年でウツロヒの哲人?
青りんご大人になるにはおこらなきゃ(小六女)
★よくも青りんごを持ち出した。大人になんかならなくていいよ。
あきまつりうまになまえがついていた(小二女)
★この句はかなりすごい。談林派の句風がこういうものなのだ。
あじさいの庭まで泣きにいきました(小六女)
★こういう子を引き取って、ぼくは育ててあげたいなあ。
天国はもう秋ですかお父さん(小五女)
★いやはや。何も言うことはありません。そう、もう秋ですよ。
台風が海をねじってやって来た(小六女)
★ちょっとちょっと、このスケール、この地球規模の捩率感覚!
話してる文字が出そうな白い息(小六男)
★はい、寺山修司でした。イシス編集部に雇いたいくらいだ。
えんぴつが短くならない夏休み(小六女)
★鉛筆も思索も短くならない夏休みを大人は送っています。
秋の風本のページがかわってる(小二女)
★石田波郷か、ピーター・グリーナウェイだ。風の書物の到来ですね。
どうだろう? そこいらの俳人や詩人も顔負けだ。われわれはときに小学一年生の感性に向かってバネに弾かれるごとく戻るべきだとさえ思わせられる。もっとも、大人も負けてばかりはいられない。ヘタうまには逃げず、その気になって子供のような句をあえて詠むときもある。
無邪気とはいいがたいけれど、たとえば「去年今年貫く棒のごときもの」(虚子)、「春の夜や都踊はよういやさ」(草城)、「買物のやたらかさばるみぞれかな」(万太郎)というふうに。なかには「さくらんぼ鬼が影曳くかくれんぼ」の坪内稔典のようなこの手の句の達人もいる。また、多田道太郎の『おひるね歳時記』(筑摩書房)がそうなのだが、軽い句を集成して遊んだ本もある。そもそも西脇順三郎にして、この手の名人芸を発揮した。「大人だって負けていられぬ季語遊び」。
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