海底地形

https://shizenjin.net/hokuriku_food/stories/nature/nature_0010.html 【【自然編】日本海が美味い魚を育む】 より

対馬暖流と深層水。二つの層で成り立つ日本海

日本海の中央に位置する北陸の海、そこで獲れる海の幸は日本海の幸であるともいえる。ユーラシア大陸の東端にある日本海は最深部が約3700m。大陸と日本列島に囲まれた浅くて広い海は、まるで洗面器のような形状をしており、表層には黒潮から分かれた対馬暖流が流れ込む。しかし、その入口である対馬海峡は最深部でも水深120mほどと大変浅く、暖かい対馬暖流は日本海の表層を覆うようにして北上する。

一方で、日本海の水深300mより深い海域には「日本海固有水」と呼ばれる水の塊が横たわっている。日本海固有水は「冷たく、清浄で、栄養塩に富む」という大きな特徴があり、その水温は水深300m付近で1~2℃。太平洋岸では水深1000mでも水温が5℃もあることを考えると、日本海固有水がいかに冷たいかがわかる。さらに表層に比べて大腸菌などの菌類が少ないことや、窒素・リン・カリなどの栄養塩が多いことが知られている。富山県ではこの日本海固有水を取水し、海洋深層水としての販売やアワビの養殖などに利用している。

これをイメージするなら、透明なグラスに注いだビールを思い浮かべてもらうと良い。琥珀色の液体の部分が日本海固有水で、その上の白い泡が対馬暖流の影響を受ける部分、そしてその境が水深300mといった感じである。

さらに日本海の中央部には、大和堆(やまとたい)と呼ばれる海底山脈が海中にそびえるように盛り上がっている。一番高いところでは水深が236mしかなく、この周辺は日本海きっての好漁場となっている。

このような日本海の水塊構造や地形が、そこに暮らす生物、つまり「日本海の幸」を決めているといっても過言ではない。

変化に富んだ北陸の海

日本海全体から北陸の沿岸に目を転じると、福井・石川・富山の各県の地形は全く異なっており、とても面白い対比をしている。同じ日本海に面しておりながら、真ん中の石川県には日本海に突き出した能登半島があり、その西にある福井県には、広くて浅い若狭湾が横たわる。一方、東の富山県には、能登半島に抱かれるようにして日本三深湾の一つである富山湾がある。この地理的な違いが、そこに生息する魚介類に与える影響は大きい。

例えば表層の対馬暖流域に生息するヒラメでは、能登半島を境に西と東では「群れ」(系群と呼ぶ)が異なることが知られている。また、サバは一般に秋が旬とされ「嫁に食わすな…」と、その意味が姑の苛めか愛情かで議論のあるところだが、脂の乗った大型のサバは能登半島以西では秋に多く、富山湾では冬に漁獲されることが多い。

一方、秋に姿を現すアオリイカは、富山湾では産卵していないようで、若狭湾や能登半島付近で生まれた稚イカが対馬暖流で運ばれてきているようだ。

生物によって影響は様々だが、若狭湾・能登半島・富山湾の沿岸地形を見ると、その違いが明確になる。全体的に浅い若狭湾は対馬暖流の影響を強く受ける場所が広く、湾奥部にはリアス式海岸が発達しており敦賀湾、小浜湾、舞鶴湾などの支湾が連なって複雑な海岸線を形成している。このような海域は、アジやサバといった回遊魚や、カレイやアマダイ(若狭ぐじ)など、海底付近に生息する魚類の生息に適しているとともに、魚介類の子供たちが育つためには、とても重要な場所となっている。

能登半島は岩礁地帯からなる海岸の割合が高い。対馬暖流が直接当たる外浦は波の強い場所が多く、内浦と呼ばれる富山湾側は比較的波が穏やかである。沿岸性の魚介類が豊富で、磯のサザエやアワビ、ナマコ、イワノリ、そしてマガキや岩ガキが有名である。また、クロダイやスズキ、メバル、アオリイカなどの岩礁性の生物も多く生息しており、外洋水が洗う磯場の魚介類はさわやかな味わいである。

富山湾のノロゲンゲ

富山湾は若狭湾に比べると面積は小さいが、岸近くから急激に深くなっており最大水深は約1250mもある。そのため、表層では暖かい対馬暖流の生物を産し、300m以深では冷たい日本海固有水の生物が漁獲されるという日本海の一部を切り取ったような状況で、ブリやホタルイカのような回遊魚とともに、ノロゲンゲなどの冷水性生物が岸近くで漁獲されている。


https://news.yahoo.co.jp/byline/nyomurayo/20160805-00060702/ 【大和堆、春風堆、武蔵堆、膠州堆そして満州海淵 海底地形につけられた船の名前】 より

饒村曜 | 気象予報士 神戸の海洋気象台(昭和初期の絵葉書より)

地上にある山や谷などの地形に名前がついているように、海底地形にも名前がついています。浅くなっている堆と非常に深くなっている海淵

海底地形の一つに、周囲より高くなっている「堆(たい)」と呼ばれる場所があります。ここは、プランクトンがよく発生するので、良い漁場となります。

北海道の礼文島南西の日本海には武蔵堆が、日本海中央部の隠岐島沖には大和堆、その北側に北大和堆(春風堆)、和歌山県潮岬沖の太平洋に膠州堆があります。

また、グアム島の南西には非常に深くなっている満州海淵があります。

これらの名前は、いずれも観測した船の名前からきています。

武蔵と大和

武蔵と大和は、太平洋戦争で有名なった戦艦ではありません。

日本海軍草創期の明治20年(1887年)に神戸にあった小野浜造船所で作られた大和、明治21年に横須賀造船所で作られた武蔵で、ともに鉄骨木皮の船です(全長61メートル)。ともに日清戦争後、特務艦となり、日本周辺の海の測量をしていました。

また、膠州は、第一次世界大戦で戦利品として獲得したドイツ商船を特務艦としたもので、全長77メートルでした。さらに、満州は、日露戦争で戦利品として捕獲したロシアの豪華客船「マンチュリア号」を特務艦にしたもので、全長103メートルでした。

これらの船を使い、日本海軍水路部(現在の海上保安庁海洋情報部)では、大正時代末期から日本近海の海底地形を詳しく調べています。

そして、命名したのが大和堆、武蔵堆、膠州堆、満州海淵です。

マリアナ海溝の調査をした満州

満州は、最新の海洋測器がとりつけられ、測量だけでなく、海洋物理や生物など、海の総合的な観測を行っています。そして、世界でトップクラスの測量艦・海洋観測艦として多くの海洋学者を育てています。

昭和2年(1927年)12月に行ったグアム島南西の海上で深さ9818メートルという深所を発見し、満州海淵と命名していますが、今でもマリアナ海溝の中の海淵の一つとして有名です。

北大和堆と春風堆

大和堆を最初に発見したのは水産講習所(現在の東京海洋大学)の天おう(區+鳥)丸で、深さが307メートルという浅瀬の値を得ていますが、その後、昭和元年に大和が精査し、深さが286メートルという浅瀬の観測値を得て、大和堆と命名しています。

そして、昭和6年に大和堆の北にある海を測量し、深さが418メートルという値を得て、北大和堆と命名しています。

図1 春風丸が春風堆を発見した測量

この北大和堆は、昭和5年に神戸にあった海洋気象台(現在の神戸地方気象台)の観測船「春風丸」が発見し、春風堆と名付けていたものでした。

図2 春風丸のイラスト

神戸の海洋気象台が、小さいとはいえ観測設備は一応整えてあった春風丸(125トン、全長27メートル)を持ったのは、昭和2年3月です。三菱造船所神戸で建造された日本初の海洋観測の専用船です。最初の3年間の総航海走距離が約3万キロメートル、総航海日数が539日という、125トンの船としては酷使されています。そして、北はサハリンから南は宮古島まで、ほぼ全国の周辺海域を観測し、日本近海の海洋学発展の基礎となる成果を次々と発表すると同時に、春風丸も多くの優れた海洋学者を育てています。

春風丸は昭和3年より、夏の静穏な時期を選んで日本海の観測を行っていましたが、昭和5年の第3次観測では日本海中部にある大和堆の北西に、大和堆とは別の浅瀬があるのを発見し春風堆と命名しています。一時期、日本海には、春風堆と呼ばれる浅瀬があったのです。


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