山頭火の日記 ③

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【山頭火の日記(昭和5年10月20日~)】 より

十月廿日 晴、曇、雨、そして晴、妻町行乞、宿は同前(藤屋)

果たして晴れてゐる、風が出て時々ばらばらとやつて来たが、まあ、晴と記すべきお天気である、九時から二時まで行乞、行乞相は今日の私としては相当だつた。新酒、新漬、ほんたうにおいしい、生きることのよろこびを恵んでくれる。歩かない日はさみしい、飲まない日はさみしい、作らない日はさみしい、ひとりでゐることはさみしいけれど、ひとりで歩き、ひとりで飲み、ひとりで作ってゐることはさみしくない。昨日書き落としてゐたが、本庄の宿を立つ時、例の山芋掘りさんがお賽銭として弐銭出して、どうしても受け取らなければ承知しないので、気の毒とは思つたけれど、ありがたく頂戴した、この弐銭はいろいろの意味で意味ふかいものだつた。新酒を飲み過ぎて――貨幣価値で十三銭――とうとう酔つぱらつた、ここまで来るともうぢつとしてはゐられない、宮崎の俳友との第二回会合は明後日あたりの約束だけれど、飛び出して汽車に乗る、列車内でも挿話が二つあつた、一つはとても元気な老人の健康を祝福した事、彼も私もいい機嫌だつたのだ、その二は傲慢な、そのくせ小心な商人を叱つてやつた事。九時近くなつて、闘牛児居を驚かす、いつものヨタ話を三時近くまで続けた、……その間には小さい観音像へ供養の読経までした、数日分の新聞も読んだ。放談、漫談、愚談、等々は我々の安全弁だ。

【歩かない日はさみしい】

この日の日記の中で、「歩かない日はさみしい、飲まない日はさみしい、作らない日はさみしい、ひとりでゐることはさみしいけれど、ひとりで歩き、ひとりで飲み、ひとりで作ってゐることはさみしくない」とあります。山頭火の思いが染み込んでいるような言葉です。ひとり、ということにこだわってはいましたが、結局はそうなりきれないのも山頭火でした。ひとりでいることを忘れさせてくれるのものが、「ひとりで歩き、ひとりで飲み、ひとりで作る」この3つであったというのも真実ではあったのでしょう。そういう山頭火も、闘牛児さんと再会しなかなか楽しく時を過ごした様子です。

十月廿二日 曇、行程三里、福島、富田屋(三〇・上)

おだやかな眼ざめだつた、飲み足り話し足り眠り足つたのである、足り過ぎて、疲れと憂ひとを覚えないでもない、人間といふものは我儘な動物だ。八時出立、途中まで紅闘二兄が送つて下さる、朝酒の酔が少しづつ出てくる、のらりくらり歩いてゐるうちに、だるくなり、ねむくなり、水が飲みたくなり、街道を横ぎらうとして自動車乗りに奴鳴りつけられたりする(彼があまりに意地悪い表情をしたので、詫の言葉が口から出なかつた)、二里ばかり来て、路傍の林の中へ分け入つて一寝入り、それからお辨当を食べる、バツトと朝日とをかはるはるばる喫ふ、みんな紅足馬さんからの贈物である。少しばかり行乞して、この宿の前へ来たので、すぐ泊る、合客は多いけれど、みんな好人物、そして家の人々も好人物、のんきに話し合ひ笑ひ合ふ、今夜は飲まなかつた、さすがに昨夜は飲み足りたのだ。油津で同宿したことのある尺八老とまた同宿になつた、髯のお遍路さんは面白い人だ、この人ぐらい釣好きはめつたにあるまい、修行そつちのけ、餌代まで借りて沙魚釣だ、だいぶ釣つて来たが自分では食べない、みんな人々へくれてやるのである、――ずゐぶん興味のある話を聞いた、沙魚の話、鯉の話、目白飯の話、鹿打失敗談、等、等、等――彼はさらに語る、遍路は職業としては二十年後てゐる、云々、彼はチヤームとか宣伝とか盛んにまた新しい語彙を使ふ。

 ふりかへらない道をいそぐ

 吠える犬吠えない犬の間を通る

 何となくおちつけない顔を洗ふ

 草の中の犬ころはもう死んでゐる

 落葉しいて寝て樹洩れ日のしづか

 山に寝そべれば山の蚊が

 草鞋かろく別れの言葉もかろく

 そのおべんたうをかみしめてあなたがたのこと

 いただいたハガキにこまごま書いておくる

【ふりかへらない道をいそぐ】

この日の日記に、「ふりかへらない道をいそぐ」の句があります。一夜の歓待を受け、見送られての旅たちに、山頭火はけっして振り返ることはなかったといいます。振り返らないでも、見送る人の視線を山頭火は痛いほど感じていたはずです。むしろ、それへの思いを振り切らんがために道を急いだのです。振り返れば、別れの心の崩れるのを知っていたのです。

【吠える犬吠えない犬の間を通る】

続いて、「吠える犬吠えない犬の間を通る」の句もあります。山頭火らしい表現です。

十月廿五日 晴曇、行程三里、高鍋町、川崎屋(三五・中上)

晴れたり曇つたり、かはりやすい秋空だつた、七時過ぎ出発する、二日二夜を共にした七人に再会と幸福を祈りつつ、別れ別れになつてゆく。私はひとり北へ、途中行乞しつつ高鍋まで、一時過ぎに着く、二時間ばかり行乞、此宿をたづねて厄介になる、聞いた通りに、気安い、気持よい宿である。

 山風澄みわたる笠をぬぐ

 蓮の葉に雨の音ある旅の夕ぐれ

今日は酒を慎しんだ、酒は飲むだけ不幸で、飲まないだけ幸福だ、一合の幸福は兎角一升の不幸となりがちだ。今夜は相客がたつた一人、それもおとなしい爺さんで、隣室へひつこんでしまつたので、一室一人、一燈を分けあつて読む、そして宿のおばあさんがとても人柄で、坊主枕の安らかさもうれしかつた。世間師がいふ晩の極楽飯、朝の地獄飯は面白い、晩はゆつくり食べたり飲んだり話したりして寝る楽しみに恵まれてるが、朝はいそがしく食べて嫌がられる労働をくりかへさなければならないのである、いねいねと人にいはれつ年の暮(路通)のみじめさを毎日味ははなければならないのである。修行者の集つたところでは、その話題はいつもきまつてゐる、曰く宿のよしあし、手の内のよしあし、そしてお天気のよしあし、また世間師の享楽もきまつてゐる、寝る事と食べる事、少し甲斐性のあるのが、飲む事、景気のいいのが、買ふ事打つ事。

【山風澄みわたる笠をぬぐ】

この日の日記に、「山風澄みわたる笠をぬぐ」の句があります。また山頭火の句に「山しづかなれば笠をぬぐ」があります。朝、宿を立って、夕べ宿に入るまで、山頭火はほとんど笠をぬぐことはありませんでした。しかし、時にはそれをぬぐのです。心ゆくまで、その場の状況にひたりたい時、山頭火は笠をぬいでいます。

十月廿六日 晴、行程四里、都濃町、さつま屋(三〇・中上)

ほんとうに秋空一碧だ、万物のうつくしさはどうだ、秋、秋、秋のよさが身心に徹する。八時から十一時まで高鍋町本通り行乞、そして行乞しながら歩く、今日の道は松並木つづき、見遙かす山なみもよかつた、四時過ぎて都濃町の此宿に草鞋をぬぐ、教へられた屋号は「かごしまや」だつたが、招牌には「さつまや」とあつた、隣は湯屋、前は酒屋、その湯にはいつて、その酒屋へ寄つて新聞を読ませて貰つた。此宿もわるくない(昨日の宿は五銭高い以上のものがあつたが)、掃除の行き届いてゐるのが何よりも気持がよい、軒先きを流れる小川の音がさうさうとして聞えるのもよい。米の安さ、野菜の安さはどうだ、米一升十八銭では敷島一個ぢやないか、見事な大根一本が五厘にも値しない、菜葉一把が一厘か二厘だ、私なども困るが――修業者はとてもやつてゆけまい――農村のみじめさは見てゐられない。行乞相はよかつたりわるかつたり、恥づかしいけれどそれが実相が仕方がない、持寂定ならばそれは聖境だ、私は右したり左したり、上つたり下つたり、倒れたり起きたり、いつも流転顛動だ。たまたま鏡を見る、――何といふ醜い黒い顔だらう、この顔を是認するほど私の心地はまだ開けてゐない、可憐々々。途上、店頭で柚子を見つけて一つ買つた、一銭也、宿で味噌を分けて貰つて柚子味噌にする、代二銭也。

 まつたく雲がない笠をぬぎ

 よいお天気の草鞋がかろい

 警察署の芙蓉二つ三つ咲いて

 秋空、一点の飛行機をゑがく

 見あぐればまうへ飛行機の空

 けふのべんとうは橋の下にて

 旅の法衣で蠅めがつるむ

 刈田の青草ぐいぐい伸びろ

 大石小石かれがれの水となり

 もぎのこされた柿の実のいよいよ赤く

早く寝たが、蚤がなかなか寝せない、虱はまだゐないらしい、寝られないままに、同宿の人々の話を聞く、競馬の話だ、賭博本能が飲酒本能と同様に人生そのものに根ざしてゐることを知る(勿論、色、食の二本能以外に)。

【まつたく雲がない笠をぬぎ】

この日の日記に、「まつたく雲がない笠をぬぎ」の句があります。昭和4年11月2日、阿蘇内牧温泉で九州層雲同人たちの句会がありました。そのときの作で、この日の句は再録になります。師の井泉水はこの日の山頭火を見て、「思いのほか老いてゐた」と評しています。大阪市住吉区の光明寺に、井泉水・放哉の句十句と共にこの句碑があります。また、山口市小郡駅新幹線南口広場に、この句碑があります。

十月廿七日 晴、行程三里、美々津町、いけべや(三○、中)

いいお天気である。午前中は都濃村行乞、それからぽつぽつ歩いて二時間過ぎ美々津町行乞、或る家で法事の餅をよばれる。もっと行乞しなければ都合が悪いのだが、嫌になったので、丁度出くわした鮮人の飴売さんに教へられて此宿に泊る。予期したよりもよかつた。けさはまづ水の音で眼がさめた、その水で顔を洗つた、流るる水よいものだ、何もかも流れる、流れることは何といつてもよろしい。同宿者の一人、老いかけやさんは異色があつた、縞のズボンに黒の上衣、時計の鎖をだらりと下げてゐる、金さへあれば飲むらしい、彼もまた『忘れえぬ人々』の一人たるを失はない。途上、がくねんとして我にかへる――母を憶ひ弟を憶ひ、更に父を憶ひ祖母を憶ひ姉を憶ひ、更にまた伯父を憶ひ伯母を憶ひ――何のための出家ぞ、何のための行脚ぞ、法衣に対して恥づかしくないか、袈裟に対して恐れ多くはないか、江湖万人の布施に対して何を酬ゐるか――自己革命のなさざるべからざるを考へざるを得なかつた(この事実については、もつと、もつと、書き残しておかなければならない)。

村の共同浴場、一銭風呂といふのを宿のおばさんに教へられて、行つてみたが駄目だつた、まだ沸いてゐなかつた、それにしても丘をのぼり、墓場を抜け、農家の間を抜けて、風呂場へ行くとは面白いではないか。今日も此宿で、修行遍路ではやつてゆけない実例と同宿した、こんなに不景気で、そしてこんなに米価安では誰だつて困る、私があまり困らないですむのは、袈裟の功徳と、そして若し附け加へることを許されるならば、行乞の技巧とのためである。入浴、そして一杯ひつかける、――これで今日の命の終り!

 ひとりきりの湯で思ふこともない

 旅のからだでぽりぽり掻く

【美々津】

日南から、志布志、都城を経由して北上して来た山頭火は、石並川のほとりに近い旅館「池部屋」に宿泊しています。美々津には、山頭火が師事した荻原井泉水と親しい宮崎市の杉田作郎の門下で、句集『波おと』などを残した黒木紅足馬(本名末四郎)がいました。

https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1945484522&owner_id=7184021&org_id=1945513084 【山頭火の日記(昭和5年10月28日~)】より

十月廿八日 曇、雨、行程三里、富高町、成美屋(特二五・上)

おぼつかない空模様である、そしてだいぶ冷える、もう単衣ではやりきれなくなつた、君がなさけの袷を着ましよ! 行乞には早すぎるので(四国ではなんぼ早くてもかまはない、早くなければいただけない、同行が多いから)、紅足馬さんから貰つてきた名家俳句集を読む、惟然坊句集も面白くないことはないけれど、隠者型にはまつてゐるのが鼻につく、やつぱり良寛和尚の方がより親しめる。八時から十一時まで美々津町行乞、とうとう降りだした、濡れて峠を越える、三度も四度も雨やどりして、此宿についたのが四時、お客さんでいつぱいなので裏の隠宅――といへば名はいいがその実はバラツク小屋――に泊めてもらう、相客は老遍路さん一人、かへつて遠慮がなくてよろしい。今日の行乞相は、現在の私としては、まあ満点に近い方だつた、我といふものがなかつたとはいへないが、ないに近い方だつた、そして泊つて食べる(その上に酒一本代)だけは頂戴することが出来た。

 墓がならんでそこまで波がおしよせて

 いざり火ちらちらして旅はやるせない

 やるせない夢のうちから鐘が鳴りだした

 朽ちてまいにち綻びる旅の法衣だ

 眼がさめたら小さくなつて寝ころんでゐた

 覗いてる豚の顔にも秋風

 けふのべんたうも草のうへにて

 波の音しぐれて暗し

 食べてゐるおべんたうもしぐれて

 朝寒夜寒物みななつかし

 しぐるるやみんな濡れてゐる

 さんざしぐれの山越えてまた山

ずゐぶん降つた、どしや降りだ、雷鳴さへ加はつて電燈も消えてしまつた、幸にして同宿の老遍路さんが好人物だつたので、いろいろの事を話しつづけた、同行の話といふものは(或る意味に於て)面白い。夜長ゆうゆうとして煙管をみがく――といふやうなものが出来た、これは句でもない、句でないこともない、事実としては、同行の煙管掃除の金棒を借りて煙管掃除をしたのである。

【墓がならんでそこまで波がおしよせて】

この日はしぐれの中、美々津を発っています。美々津の神武東遷の船出伝説が残る石並海岸には、トイレと駐車場が設けられ、山頭火の句碑と説明碑があります。山頭火がおとずれた当時、波に洗われそうな海岸に沿って墓地がありました。「墓がならんでそこまで波がおしよせて」の句は、その様子を詠んだものです。

十月三十日 雨、滞在、休養。

また雨だ、世間師泣かせの雨である、詮方なしに休養する、一日寝てゐた、一刻も早く延岡で留置郵便物を受け取りたい心を抑へつけて、――しかし読んだり書いたりすることが出来たので悪くなかつた、頭が何となく重い、胃腸もよろしくない、昨夜久しぶりに過した焼酎のたたりだらう、いや、それにきまつてゐる、自分といふ者について考へさせられる。

 今日一日、腹を立てない事

 今日一日、嘘をいはない事

 今日一日、物を無駄にしない事

これが私の三誓願である、腹を立てない事は或る程度まで実践してゐるが、嘘をいはない事はなかなか出来ない、口で嘘をいはないばかりでなく、心でも嘘をいはないやうにならなければならない、口で嘘をいはない事は出来ないこともあるまいが、体でも嘘をいはないようにしなければならない、行持が水の流れるやうに、また風の吹くやうにならなければならないのである。行乞しつつ腹を立てるやうなことがあつては所詮救はれない、断られた時は、或は黙過された時は自分自身を省みよ、自分は大体供養をうける資格を持ってゐないではないか、応供は羅漢果を得てゐるものにして初めてその資格を与へられるのである、私は近来しみじみ物貰ひとも托鉢とも何とも要領を得ない現在の境涯を恥ぢ且つ悲しんでゐる。そして物を無駄にしない事は一通りはやれないことはない、しかししんじつ物を無駄にしない事、いひかへれば物を活かして使ふことは難中の難だ、酒を飲むのも好きでやめられないなら仕方ないが、さて飲んだ酒がどれだけの功徳(その人にとつては)を発揮するか、酒に飲まれて酒の奴隷となるのでは助からない。……今日は菊の節句である、家を持たない私には節句も正月もないが、雨のおかげでゆつくり休んだ。

降る雨は、人間が祈らうが祈るまいが、降るだけは降る、その事はよく知つてゐて、しかも、空を見上げて霽れてくれるやうにと祈り望むのが人間の心だ、心といふよりも性だ、ここに人間味といつたやうなものがある。

 いつも十二時の時計の下で寝かされる

 いちにち雨ふり故郷のこと考へてゐた

 夕闇の猫がからだをすりよせる

 牛がなけば猫もなく遍路宿で

 飢えて鳴きよる猫に与へるものがない

 どうやら霽れるらしい旅空

 尿するそこのみそはぎ花ざかり

けふまでまとまらなかつたものがこれだけまとまつた、これも雨で休んだためである、雨を憎んだり愛したり、煩悩即菩提だ、といへないこともあるまいよ。 同宿の老遍路さんが耄碌してゐると思つたのは間違だつた、彼は持病の喘息の薬だといふので、アンポンタン(いが茄子の方語)を飲んだためだつた、その非常識、その非常識の効験は気の毒でもあり、また滑稽でもあつた、――いづれにしても悲喜劇の一齣たるを免れないものだつた。此宿には猫が三匹ゐる、どれも醜い猫だが、そのうちの一匹はほんたうによく鳴く、いつもミヤアミヤア鳴いてゐる、牝猫ださうなが、まさか、夫を慕ひ子を慕うて鳴くのでもなからう。今晩のお菜は姫鮫のぬた、おいしかつた、シヨウチユウ一本なかるべからざる次第である。一日降りつづけて風さへ加はつた、明日の天候も覚束ない、ままよどうなるものか、降るだけ降れ、吹くだけ吹け。

【三誓願】

この日の日記にある山頭火の「三誓願」ですが、「腹を立てない事」「嘘をいはない事」「物を無駄にしない事」、これらはとても難しいことです。とくに、嘘をいわないということがいかに難しいことか。自分にさえ嘘をつかない人生など、本当に理想に過ぎないのでは。山頭火は日記の中で、「嘘をいはない事はなかなか出来ない、口で嘘をいはないばかりでなく、心でも嘘をいはないやうにならなければならない、口で嘘をいはない事は出来ないこともあるまいが、体でも嘘をいはないようにしなければならない、行持が水の流れるやうに、また風の吹くやうにならなければならないのである。」といっています。

【降る雨は、人間が祈らうが祈るまいが、降るだけは降る】

また日記には、「降る雨は、人間が祈らうが祈るまいが、降るだけは降る、その事はよく知つてゐて、しかも、空を見上げて霽れてくれるやうにと祈り望むのが人間の心だ、心といふよりも性だ、ここに人間味といつたやうなものがある」とあります。この文の中には、運というものに翻弄されながらも、それをまず受けとめて、その中で最善を目指そうとする意志があります。「人事を尽くし天命を待つ」といえばそれまでですが、常に出口を求めて彷徨するのが人間の存在意義です。それを、山頭火は「人間味」という柔らかな言葉に置き換えています。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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