https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1945607067&owner_id=7184021&org_id=1945640524 【山頭火の日記(昭和5年11月27日~)】 より
十一月廿七日 晴、読書と散歩と句と酒と、緑平居滞在。
緑平さんの深切に甘えて滞在することにする、緑平さんは心友だ、私を心から愛してくれる人だ、腹の中を口にすることは下手だが、手に現はして下さる、そこらを歩いて見たり、旅のたよりを書いたりする、奥さんが蓄音機をかけて旅情を慰めて下さる、――ありがたい一日だつた、かういふ一日は一年にも十年にも値する。夜は二人で快い酔にひたりながら笑ひつづけた、話しても話しても話は尽きない、枕を並べて寝ながら話しつづけたことである。
生えたままの芒としてをく(緑平居)
枝をさしのべてゐる冬木( 〃 )
ゆつくり香春も観せていただく( 〃 )
旅の或る日の蓄音機きかせてもらう( 〃 )
風の黄ろい花のいちりん
泥炭車(スキツプ)ひとりできてかへる
泥炭山(ボタやま)ちかく飛行機のうなり
夕日の机で旅のたより書く(緑平居)
けふも暮れてゆく音につつまれる
あんなにちかいひびきをきいてゐる(苦味生君に)
糸田風景のよいところが、だんだん解つてきた、今度で緑平居訪問は四回であるが、昨日と今日とで、今まで知らなかつたよいところを見つけた、といふよりも味はつたと思ふ。
【枝をさしのべてゐる冬木】
この日の日記に、「枝をさしのべてゐる冬木」の句があります。山頭火は、旧烏尾峠を越えるほかにも、折尾、直方を通り汽車で駆けつけることもありました。「歩いてゐるうちに、だんだん憂鬱になつて堪へきれないので、直方からは汽車で緑平居へ驀進(ばくしん)した」と、前日の日記に述べています。緑平夫婦の温かい雰囲気に早く包まれ、安堵したいがために急ぎ汽車に乗ったのです。この日、大好きな緑平宅で、これまた大好きな酒を飲み、読書と散歩を存分に楽しんだ山頭火が詠んだ句が、「枝をさしのべてゐる冬木」です。互いにこの世にあって、それぞれの生を営み、知られることなく、とりたてて役に立つというほどのことなくして、なお存在しつづけ、その営みを不断に行うということ。山頭火は、今、その意味をしいて問おうとはせず、冬木を見つめ、しばらくそこを動こうとはしません。また、山頭火の随筆に「『鉢の子』から『其中庵』まで」があり、次のように述べています。
「一昨年――昭和五年の秋もおわりに近い或る日であった。私は当もないそして果てもない旅のつかれを抱いて、緑平居への坂をのぼっていった。そこにはいつものように桜の老樹がしんかんと並び立っていた。
枝をさしのべてゐる冬木
さしのべている緑平老の手であった。私はその手を握って、道友のあたたかさをしみじみと心の底まで味わった。私は労れていた。死なないから、というよりも死ねないから生きているだけの活力しか持っていなかった。あれほど歩くことそのことを楽しんでいた私だったが、『歩くのが嫌になった』と呟かずにはいられない私となっていた。それほど私の身は労れていたのである。『あんたがほんとに落ちつくつもりなら』緑平老の言葉はあたたかすぎるほどあたたかだった。」
自ら放浪生活を選んだものの孤独な気持ちは晴れず、自暴自棄に陥りがちな山頭火が、心の底から甘えられるのは緑平だけでした。しかし山頭火には、そんな緑平に報いる手立ては何もありません。行乞の途上に書き付けた日記と句が全てでした。緑平もこれを理解し、何かに付けて金を無心しにくる友人を責めることなく受け入れ、惜しみなく行乞の旅を支えました。
十一月廿九日 晴、霜、伊田行乞、緑平居、句会。
大霜だつた、かなり冷たかつた、それだけうららかな日だつた、うららかすぎる一日だつた、ゆつくり伊田まで歩いてゆく、そして三時間ばかり行乞、一週間ぶりの行乞だ、行乞しなくてはならない自分だから、やつぱり毎日かかさず行乞するのが本当だ。行乞は雲のゆく如く、水の流れるやうでなければならない、ちよつとでも滞つたら、すぐ紊れてしまふ、与へられるままで生きる、木の葉の散るやうに、風の吹くやうに、縁があればとどまり縁がなければ去る、そこまで到達しなければ何の行乞ぞやである、やつぱり歩々到着だ。伊田で、八百屋の店頭に松茸が少しばかり並べてあつた、それを見たばかりで私はうれしかつた、松茸を見なかつた食べなかつた物足りなさが紛らされた(その松茸は貧弱なものだつたけれど)。糒川の草原にすわつて、笠の手入れをしたり法衣のほころびを縫ふたりする、ついでに虱狩もした、香春三山がしつとりと水に映つてゐる、朝の香春もよかつたが、夕の香春もよい。河岸には(伊田の街はづれの)サアカスが興業してゐた、若い踊子や象や馬がサーカス気分を十分に発散させてゐた、バカホンド、ルンペン、君たちも私も同じ道を辿るのだね。枯草の上で、老遍路さんとしみじみ話し合つた、何と人なつかしい彼だつたらう、彼は人情に餓えてゐた、彼は老眼をしばたたいてお天気のよいこと、人の恋しいこと、生きてゐることのうれしさとくるしさとを話しつづけた(果して私はよい聞手だつたらうか)。夜は緑平居で句会、門司から源三郎さん、後藤寺から次郎さん、四人の心はしつくり融け合つた、句を評し生活を語り自然を説いた。真面目すぎる次郎さん、温情の持主ともいひたい源三郎さん、主人公緑平さんは今更いふまでもない人格者である。源三郎さんと枕をならべて寝る、君のねむりはやすらかで、私の夢はまどかでない、しばしば眼ざめて読書した。日が落ちるまへのボタ山のながめは、埃及風景のやうだつた、とでもいはうか、ボタ山かピラミツドか、ガラ炭のけむり、たそがれる空。オコリ炭、ガラ炭、ボタ炭、ビフン炭(本当のタドン)、等、等、どれも私の創作慾をそそる、句もだいぶ出来た、あまり自信はないけれど。
けふは逢へる霜をふんで(源三郎さんに)
落葉拾ふてはひとり遊んでゐる
ボタ山もほがらかな飛行機がくる
枯草に寝て物を思ふのか
背中の夕日が物を思はせる
ただずめばおちてきた葉
かうして土くれとなるまでの
橋を渡つてから乞ひはじめる
鶏が来て鉢のお米をついばもうとする
いつも動いてゐる象のからだへ日がさす(サーカス所見)
口あけてゐる象には藷の一きれ( 〃 )
日向の餅が売り切れた
何か食べつつ急いでゐる
枯草の日向で虱とらう
乞ふことをやめて山を観る
香春見あげては虱とつてゐる
いつまでいきる蜻蛉かよ
ボタ山の下で子のない夫婦で住んでゐる
逢ひたいボタ山が見えだした
法衣の草の実の払ひきれない
枯草の牛は親子づれ
ほほけすすきもそよいでゐる
即きすぎるすすきの方へ歩みよる
落ちる陽のいろの香春をまとも
鳴きやまない鶏を持てあましてる
ボタ山のまうへの月となつた
もう一度よびとめる落葉
みんなで尿する蓮枯れてゐる
夕空のアンテナをめあてにきた
【逢ひたいボタ山が見えだした】
この日の日記に、「逢ひたいボタ山が見えだした」の句があります。この句と木村緑平の句「雀生まれてゐる花の下を掃く」の句が並んだ句碑が、糸田町の泊林寺にあります。
https://www.youtube.com/watch?v=3uziSM8Aj8c
十一月卅日 雨、歓談句作、後藤寺町、次良居(なつかしさいつぱい)
果して雨だつた、あんなにうららかな日がつづくものぢやない、主人公と源三郎さんと私と三人で一日話し合ひ笑ひ合つた、気障な言葉だけれど、恵まれた一日だつたことに間違はない。夕方、わかれわかれになつて、私はここへきた、そして次郎さんのふところの中で寝せてもらつた、昨夜約束した通りに。飲みつづけ話しつづけだ、坐敷へあがると、そこの大机には豆腐と春菊と密柑と煙草とが並べてあつた、酒の事はいふだけ野暮、殊に私は緑平さんからの一本を提げてきた、重かつたけれど苦にはならなかつた、飲むほどに話すほどに、二人の心は一つとなつた、酒は無論うまいが、湯豆腐はたいへんおいしかつた。
あんな月が雨となつた音に眼ざめてゐる
ほどよい雨の冬空であります
ボタ山のただしぐれてゐる
ふとんふかぶかとあんたの顔
いくにち影つけた法衣ひつかける
ふりかへれば香春があつた
ボタ山もとうとう見えなくなつてしまつた
冬雨の橋が長い
びつしより濡れてる草の赤さよ
音を出てまた音の中
重いもの提げてきた冬の雨
水にそうて下ればあんたの家がある
笠も漏りだしたか(自嘲)
おわかれの言葉いつまでもいつまでも
炭坑町はガラ焚くことの夕暮
あの木がある家と教へられた戸をたたく
ひとりのあんたをひとり私が冬の雨
逢うてまだ降つてゐる
次郎さんはほんたうに真面目すぎる、あまりつきつめて考へては生きてゐられない、もつとゆつたりと人間を観たい、自然を味はひたい、などと忠告したが、それは私自身への苦言ではなかつたか!
【笠も漏りだしたか】
この日の日記に、「自嘲」の前書きのある「笠も漏りだしたか」の句があります。福岡県の後藤寺町の近藤次良居での作。ここにあるのは、重ねて感じられる時の流れ、自分の老いゆく悲しさ、自分の境遇への諦観です。つまり人生の黄昏。また、山頭火の随筆に「『鉢の子』から『其中庵』まで」があり、次のように述べています。
「こうして其中庵の第一石は置かれたけれど、じっとしていられる身ではない。私はひとまず熊本へ帰ることにした(実をいえば、私には行く方向はあっても帰る場所はないのである)。冬雨の降る夕であった。私はさんざん濡れて歩いていた。川が一すじ私といっしょに流れていた。ぽとり、そしてまたぽとり、私は冷たい頬を撫でた。笠が漏りだしたのだ。
笠も漏りだしたか
この網代笠は旅に出てから三度目のそれである。雨も風も雪も、そして或る夜は霜もふせいでくれた。世の人のあざけりからも隠してくれた。自棄の危険をも守ってくれた。――その笠が漏りだしたのである。――私はしばらく土手の枯草にたたずんで、涸れてゆく水に見入った。」
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