山頭火の日記 ⑭

https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1945854606&owner_id=7184021&org_id=1945882787 【山頭火の日記(昭和7年4月1日~)】より

四月一日 晴、まつたく春、滞在、よい宿だと思ふ。

生活を一新せよ、いや、生活気分を一新せよ。朝、大きな蚤がとんできた、逃げてしまつた、もう虱のシーズンが去つて蚤のシーズンですね。朝起きてすぐお水(お初水?)をくむ、ありがたしともありがたし。九時から二時まで行乞、そして平戸といふところは、人の心までもうつくしいと思つた、平戸ガールのサービスがよいかわるいかは知らない、また知らうとも思はない、しかし平戸はよいところ、何だか港小唄でもつくりたくなつた。しかし、しかし、しかし、行乞中運悪く二度も巡査に咎められた、そこで一句、――

 巡査が威張る春風が吹く

「絵のやうな」といふ形容語がそのままこのあたりの風景を形容する、日本は世界の公園だといふ、平戸は日本の公園である、公園の中を発動船が走る、県道が通る、あらゆるものが風景を成り立たせてゐる。もし不幸にして嬉野に落ちつけなかつたら、私はここで落ちつかう、ここなら落ち着ける(海を好かない私でも)。美しすぎる――と思ふほど、今日の平戸附近はうららかで、ほがらかで、よかつた。今日、途上で巡査に何をしてゐるかと問はれて、行乞をしてると答へたが、無能無産なる禅坊主の私は、死なないかぎり、かうして余生をむさぼる外ないではないか、ああ。平戸町内ではあるが、一里ばかり離れて田助浦といふ、もつとうつくしい短汀曲浦がある、そこに作江工兵伍長の生家があつた、人にあまり知られないやうに回向して、――

 弔旗へんぽんとしてうららか

島! さすがに椿が多い、花はもうすがれたが、けふはじめて鶯の笹鳴をきいた。鰯船がついてゐた、鰯だらけだ、一尾三厘位、こんなにうまくて、こんなにやすい、もつたいないね。平戸にはかなり名勝旧蹟が多い、――オランダ井、オランダ塀、イギリス館の阯、鄭成功の……

【海嫌いの山頭火】

山頭火は、たしかに海を嫌っていますが、これらの記述をみてみると、山頭火の海嫌いの記述が、昭和5年9月30日から昭和7年4月1日までのごく短い期間であることがわかります。また、この時期の山頭火は、私生活においてちょうど定住を試み、失敗するのに重なっています。

四月三日 雨かと心配したが晴、しかし腹工合はよくない。

寝てばかりもゐられないので三時間ばかり町を行乞する、行乞相は満点に近かつた、それはしぼり腹のおかげだ、不健康の賜物だ、春秋の筆法でいへば、シヨウチユウ、サントウカヲタダシウスだ。湯に入つて、髯を剃つて、そして公園へ登つた(亀岡城阯)、サクラはまだ蕾だが人間は満開だ、そこでもここでも酒盛だ、三味が鳴つて盃が飛ぶ、お辨当のないのは私だけだ。昨日も今日もノン アルコール デー、さびしいではありませんか、お察し申します。春風シユウシユウといふ感じがした、歩いてをれば。

 平戸よいとこ旅路ぢやけれど

     旅にあるよな気がしない

同宿二人、一人は例の印肉屋老人、一人は老遍路さん、此人酒はのまないけれど女好き(一円位で助平後家はありますまいかなどとといふ、人事ではないが)。(know thyself!)

印肉屋老人は自称八十八才、赤い襦袢を着てゐる、酒のために助からない人間の一人だ、ありがたうございました(これはこれ蚯蚓の散歩なり)。もう一人の老遍路さんは、□□者のカンシヤク持、どうしても雰囲気にはあはないといふ、まつたくさうだらうと思ふ、そのくせ彼はケチンボウのスケベイだ、しかし彼には好感が持てた、野宿常習遍路にして、飲むのは二円の茶! 印肉老人また出かけて酔うて来て踊つた、踊つた、夜の白むまで踊つた、だまつて、ひとりでおとなしく――ああ、かなしい、さみしい。また雨、ふるならふりやがれ! 晴れて寝、曇つて歩く、善哉々々。

 酔ひどれも踊りつかれてぬくい雨

 ふるさと遠い雨の音がする

けふの道はよかつた、汗ばんで歩いた、綿入二枚だもの、しかし、咲いてゐたのは、すみれ、たんぽぽ、げんげ、なのはな、白蓮、李、そしてさくら。……これだけの労働、これだけの報酬。酒代は惜しくないけれど酒は惜しい、物そのものを愛する、酒呑心理。人間はあまりたつしやだと横着になる。□□を、愛する夢を見た。とうとう一睡もしなかつた、とろとろするかと思へば夢、悪夢、斬られたり、突かれたり、だまされたり、すかされたり、七転八倒、さよなら!

――(これから改正)――

時として感じる、日本の風景は余り美しすぎる。花ちらし――村総出のピクニツク――味取の総墓供養。

【酔ひどれも踊りつかれてぬくい雨】

この日の日記に、「酔ひどれも踊りつかれてぬくい雨」の句があります。平戸の亀岡公園で賑わう花見客を見て、その夜は雨模様の宿で、木村屋に同宿した老人の様子を詠んだものだそうで、亀岡公園にこの句碑があります。「平戸よいとこ旅路ぢやけれど 旅にあるよな気がしない」と日記にあるように、山頭火は平戸を愛したようで、平戸のいろいろなところに句碑があります。

四月四日 雨、曇、晴、行程三里、御厨、とうふや(三〇・中)

ぽつりぽつり歩いてきた、腹がしくしく痛むのである、それでも三時間あまりは行乞した。腹工合は悪かつたが行乞相は良かつた。留置郵便を受取る、うれしかつた、すぐそれぞれへハガキをだす、ハガキでも今の私にはたいへんである。此宿はよい、電燈を惜むのが玉に疵だ(メートルだから)。ゆつくり飲んだ、わざわざ新酒を買つて来て、そして酔つぱらつてしまつた、新酒一合銅貨九銭の追加が酔線を突破させたのである、酔中書いたのが前頁の通り、記念のために残しておかう、気持がよくないけれど(五日朝、記)。アルコールのおかげでグツスリ寝ることが出来た、昨夜の分までとりかへした、ナム アルコール ボーサー。

 草餅のふるさとの香をいただく

 休み石、それをめぐつて草萌える

 よい湯からよい月へ出た

 はや芽ぶく樹で啼いてゐる

 笠へぽつとり椿だつた

 はなれて水音の薊いちりん

 石をまつり緋桃白桃

 みんな芽ぶいた空へあゆむ

【笠へぽつとり椿】

この日の山頭火は腹痛をおして行乞三時間あまり、句に「笠へぽつとり椿だつた」があり、ふっと死の影がよぎっていったのかもしれません。山頭火にとって、冬は寒く重く冷たく体や心の芯から凍えさせるものであり、年を重ねるごとに死の恐怖に嘖まれるものでした。それだからこそ、春の訪れの喜びはひとしおのものでありました。椿は花ごと潔く落ちてゆくものとして知られます。彼が後半生で心より願って止まなかった「ころり往生」に、なんと似合う花であると思われます。

四月五日 花曇り、だんだん晴れてくる、心も重く足も重い、やうやく二里ほど歩いて二時間

       ばかり行乞する、そしてあんまり早いけれどここに泊る、松原の一軒家だ、屋号も

       松原屋、まだ電燈もついてゐない、しかし何となく野性的な親しみがある(二五・上)

   自省一句か、自嘲一句か

 もう飲むまいカタミの酒杯を撫でてゐる(改作)

自戒三章もなかなか実行出来ないものであるが、ちつとも実行出来ないといふことはない、或る時は菩薩、或る時は鬼畜、それが畢竟人間だ。今日歩いて、日本の風景――春はやつぱり美しすぎると感じた、木の芽も花も、空も海も。……風呂が沸いたといふので一番湯を貰ふ、小川の傍に杭を五六本打込んでその間へ長州釜を狭んである、蓋なんかありやしない、藁筵が被せてある、――まつたく野風呂である、空の下で湯の中にをる感じ、なかなかよかつた、はいらうと思つたつてめつたにはいれない一浴だつた。同宿二人、男は鮮人の飴屋さん(彼はなかなか深切だつた、私に飴の一塊をくれたほど)、女は珍重に値する中年の醜女、しかも二人は真昼間隣室の寝床の中でふざけちらしてゐる、彼等にも春は来たのだ、恋があるのだ、彼等に祝福あれ。今夜もたびたび厠へいつた、しぼり腹を持ち歩いてゐるやうなものだ、二三日断食絶酒して、水を飲んで寝てゐると快くなるのだが、それがなかなか出来ない! 層雲四月号所載、井師が扉の言葉『落ちる』を読んで思ひついたが――落ちるがままに落ちるのにも三種ある、一はナゲヤリ(捨鉢気分) 二はアキラメ(消極的安心) 三はサトリ(自性徹見)である。世間師には、ただ食べて寝るだけの人生しかない!

 岩を掘り下げる音の春日影

 植ゑられてもう芽ぐんでゐる

 明日はひらかう桜もある宿です(木賃宿)

 酒がやめられない木の芽草の芽

 旅の法衣に蟻が一匹

 まツぱだかを太陽にのぞかれる(野風呂)

 旅やけの手のさきまで酒がめぐつた

 梅干、病めば長い長い旅

 ここに住みたい水をのんで去る(添作)

 あすもあたたかう歩かせる星が出てゐる

 ふんどしは洗へるぬくいせせらぎがあり(木賃宿)

 春夜のふとんから大きな足だ

 枯草の風景に身を投げ入れる(改作)

【落ちるがままに落ちる】

この日の日記に、「落ちるがままに落ちるのにも三種ある、一はナゲヤリ(捨鉢気分) 二はアキラメ(消極的安心) 三はサトリ(自性徹見)である。世間師には、ただ食べて寝るだけの人生しかない!」とあります。山頭火も、わが身を落ちるがままに落ちた世間師たちと同列の立場で、九州平戸あたりの木賃宿でこの日記を書いています。

【自戒三章】

また、「自戒三章もなかなか実行出来ないものであるが、ちつとも実行出来ないといふことはない、或る時は菩薩、或る時は鬼畜、それが畢竟人間だ」ともあります。この自戒三章とは、この年の正月の日記に書かれた「自戒三則―― 一、腹を立てないこと 二、嘘をいはないこと 三、物を無駄にしないこと(酒を粗末にするなかれ!)」のことをいっていると思われます。

四月十日 曇后晴、行程八里、唐津市、梅屋(三〇・上)

八時から六時まで歩きつづけた、黒川と波多津とで行乞、海岸路山間路、高低曲折の八里を歩いて来たのだから、山頭火いまだ老いず矣(但し途中キツケ水注入)。伊万里は勿論、途上、空家貸家売家がよく目につく、不景気は深刻である。今日の道はよかつた、自動車どころか行人もあまり見受けなかつた、しづかでうれしかつたが、同時に、道をまちがへてだいぶ無駄足をふんだ(訊ねる家も人もないやうなところで)。さすがに田舎は気持がよい、手掴みで米を出すやうな人もなく、逢ふ人はみな会釈する、こちらが恥づかしくなるほどだ。御大典記念の時計台がこしらへてある、いい思ひつきだけれど、あんなところにこしらへたのが、さて、どのくらゐ役立つだらうかとも考へられる。今日、はじめて蟇を聞き蛇を見た。やつぱり南国の風景は美しすぎる、築山のやうな山、泉水のやうな海、――まるで箱庭である。山ざくらはもう葉ざくらとなつてゐた。山村のお百姓さんはほんたうによく働らいてゐる、もつたいないと思つた、すまないと思つた。同宿四人、二人は夫婦、仲のよいことである。今夜の酒はうまかつた、酒そのものはあまりよくないのに。

 学校も役場もお寺もさいたさいた

 朝ざくらまぶしく石をきざむや

 うたつてもおどつてもさくらひらかない

 石がころんでくる道は遠い

 馬に春田を耕すことを教へてゐる

 しづかな道となりどくだみの芽

 どつさり腰をすえたら芽

 けふのおせつたいはたにしあへで

さつそく留置郵便をうけとる、どれもありがたかつたが、ことに緑平老のそれはありがたかつた。私は何も持つてゐない、ただ友を持つてゐる、よい友をこんなに持つてゐることは、私のよろこびあり、ほこりでもある。緑平老のたよりによれば、朱鱗洞居士は無縁仏になつてしまつてゐるといふ、南無朱鱗洞居士、それでもよいではないか、君の位牌は墓石は心は、自由俳句のなかに、自由俳人の胸のうちにある。此宿の便所は第一等だ、ヤキ(木賃宿)には勿体ない、武雄のそれに匹敵するものだ。人間に対して行乞せずに、自然に向つて行乞したい、いひかへれば、木の実草の実を食べてゐたい。

【野村朱鱗洞】

この日の日記に、「緑平老のたよりによれば、朱鱗洞居士は無縁仏になつてしまつてゐるといふ、南無朱鱗洞居士、それでもよいではないか、君の位牌は墓石は心は、自由俳句のなかに、自由俳人の胸のうちにある」とあります。松山は自由律俳句では、大正7年24歳で亡くなった野村朱鱗洞が活躍した土地です。朱鱗洞の墓については長く所在がわかりませんでしたが、昭和13年10月6日、市内小坂町の阿扶持共同墓地にあることが判明しました。この日、山頭火は事前に墓参を済ませてそのまま四国遍路に出発しました。

四月十三日 晴、行程二里、前原町、東屋(二五・ )

からりと晴れ、みんなそれぞれの道へゆく、私は一路東へ、加布里、前原を五時間あまり行乞、純然たる肉体労働だ、泊銭、米代、煙草銭、キス代は頂戴した。今朝はおかしかつた、といふのは朝魔羅が立つてゐるのである、山頭火老いてますます壮なり、か! 浜窪海岸、箱島あたりはすぐれた風景である、今日は高貴の方がお成になるといふので、消防夫と巡査とで固めてゐる、私は巡査に追はれ消防夫に追はれて、或る農家に身を潜めた、さてもみじめな身の上、きゆうくつな世の中である、でも行乞を全然とめられなかつたのはよかつた。初めて土筆を見た、若い母と可愛い女の子とが摘んでゐた。店のゴム人形がクルクルまはる、私は読経しつづける。犬ころが三つ、コロコロころげてきた、キツスしたいほどだつた。孕める女をよく見うける、やつぱり春らしい。日々好日に違ひないが、今日はたしかに好日だつた。

 春あをあをとあつい風呂

此宿は見かけよりもよかつた、町はづれで、裏坐敷からのながめがよかつた、遠山の姿もよい、いちめんの花菜田、それを点綴する麦田(此地方は麦よりも菜種を多く作る)その間を流れてくる川一すぢ、晴れわたつた空、吹くともなく吹く風、馬、人、犬、――すべてがうつくしい春のあらはれだつた。ただ不便なのは酒屋が遠いことだ、三里はないけれど十丁位はある、それをわざわざ一合買ひに行くのだから、ほんたうに酒飲は浮ばれない(もつとも此場合の酒は古機械にさす油みたいなものだが)。酒については、昨日、或る友にこんな手紙を書いた。――

   ……酒はつつしんでをりますが、さて、つつしんでも、つつしんでもつつしみきれないのが酒

   ですね、酒はやつぱり溜息ですよ(青年時代には涙ですが、年をとれば)、しかし、ひそかに

   洩らす溜息だから、御心配には及びません。……

【酒好き】

この日の日記に、「酒はつつしんでをりますが、さて、つつしんでも、つつしんでもつつしみきれないのが酒ですね、酒はやつぱり溜息ですよ(青年時代には涙ですが、年をとれば)、しかし、ひそかに洩らす溜息だから、御心配には及びません」とあります。酒は溜息とは、さすが年とった山頭火のことばです。

四月十五日 夜来の雨が晴れを残していつた、行程二里、福岡へ予定の通り入つた、

         出来町、高瀬屋(□・中)

この町――出来町――はヤキとヤキを得意とする店ばかりだ(久留米の六軒屋と共に九州のボクチン代表街だ)。朝早く起きて松原を散歩した、かういふ旅にかういふ楽がある。午前中の行乞相はよくなかつたが、午後のそれはよかつた、行乞もなかなかむつかしいものである。山吹、連翹、さつき、石楠花、――ことしはじめて見る花が売られてゐた。博多名物――博多織ぢやない、キツプ売(電車とバス)、禁札(押売、物貰、強請は警察へ)、と白地に赤抜で要領よく出来てゐる(西新町のそれはあくどかつた、字と絵とがクドすぎる)。西公園を見物した、花ざかりで人でいつぱいだ、花と酒と、そして、――不景気はどこに、あつた、あつた、それはお茶屋の姐さんの顔に、彼女は欠伸してゐる。街を通る、橋を渡る、ビラをまいてゐる、しかし私にはくれない、ビラも貰へない身の上だ、よろしい、よろしい。酒壺洞君を搾取した、君は今、不幸つづきである、君に消災妙吉祥。……さくら餅といふ名はいい、餅そのものはまづくとも。

 松風のゆきたいところへゆく

 洗へばよう肥えとるサカナ

 松風すずしく人も食べ馬も食べ

 遍路さみしくさくらさいて

 さくらさくらさくさくらちるさくら

 いちにち働らいた塵をあつめてゐる(市役所風景)

 鈴(ベル)がなるよう働らいた今日のをはりの

此宿はよい、何となくよい(満員なので、私は自分から進んで店に陣取つた、明るくて、かへつて静かでよろしい)、同宿は十余人、その中の六人組は曲搗の粟餅屋さんである、そしてその老親方は、五六年前、山陰で一夜同宿会談したことがある、江戸ツ児で面白い肌合だ(私が彼を覚えてゐたやうに、彼もまた私を覚えてゐた)。今日もよい日だつた、ほんたうにほどよい日だつた、ほどよく酔ひ、ほどよく眠つた。よい食慾とよい睡眠、これから人生の幸福が生れる。

【さくらさくらさくさくらちるさくら】

この日の日記に、「さくらさくらさくさくらちるさくら」の句があります。愛媛県西予市の野福峠(野福公園)に、この句と「遍路さみしくさくらさいて」の句碑があります。

四月廿九日 晴、後藤寺町行乞、伊田、筑後屋(三〇・中) 

すつかり晴れた、誰もが喜んでゐる、世間師は勿論、道端の樹までがうれしさうにそよいでゐる。やつぱり行乞したくない、したくないけれどしなければならない、やつと食べるだけ泊るだけいただく(ずゐぶんハヂカれた、いやいやでやるんだから、それがあたりまへだらう)。歯が痛む、春愁とでもいふのか、近くまた二本ぬけるだらう。後藤寺町の丸山公園はよろしい、葉桜がよろしい、それにしても次良さんをおもひださずにはゐられない、一昨年はあんなに楽しく語りあつたのに、今は東西山河をへだてて、音信不通に近い。白髪を剃り落してさつぱりした(床屋の職人、多分鮮人だらうが、乱暴に取扱つた)。

 逢ふまへの坊主頭としておく

香春岳にはいつも心をひかれる、一の岳、二の岳、三の岳、それがくつきりと特殊な色彩と形態とを持つて峙えてゐる、よい山である、忘れられない山である。此宿も悪くない、五銭奮発して上客なんだから、部屋もよく夜具もよかつたが、夜おそく、夫婦者が泊つたので大きい部屋へ移されたのは残念だつた、折角、一室一燈一人で、読書してゐたのに。

【香春岳】

この日の日記に、「香春岳にはいつも心をひかれる、一の岳、二の岳、三の岳、それがくつきりと特殊な色彩と形態とを持つて峙えてゐる、よい山である、忘れられない山である」とあります。山頭火は、ときには川べりに座り込み、笠の手入れや法衣のほころびを縫ったりしながら、いつまでもこの山の姿を楽しんだといいます。一の岳の石灰岩の採掘によって、山頭火が愛した香春岳の山容は今では面影もありませんが、香春岳が当時も今も香春町のシンボルであることに変わりはないようです。

五月一日 まつたく五月だ、緑平居の温情に浸つてゐる。

熱があるとみえて歯がうづくには困つたが、洗濯したり読書したり、散歩したり談笑したり。彼女からの小包が届いてゐた、破れた綿入を脱ぎ捨てて袷に更へることが出来た、かういふ場合には私とても彼女に対して合掌の気持になる。廃坑を散歩した、アカシヤの若葉がうつくしい、月草を摘んできて机上の壺に して置く。放哉書簡集を読む、放哉坊が死生を無視(敢て超越とはいはない、彼はむしろ死に急ぎすぎてゐた)してゐたのは羨ましい、私はこれまで二度も三度も自殺をはかつたけれど、その場合でも生の執着がなかつたとはいひきれない(未遂にをはつたがその証拠の一つだ)。筍を、肉を、すべてのものをやはらかく料理して下さる奥さんの心づくしが身にしみた(私の歯痛を思ひやつて下さつて)。緑平老は、あやにく宿直が断りきれないので、晩餐後、私もいつしよに病院へ行く、ネロ(その名にふさはしくない飼犬)もついてくる。緑平居に多いのは、そら豆、蕗、金盞花である、主人公も奥さんも物事に拘泥しない性質だから、庭やら畑やら草も野菜も共存共栄だ、それが私にはほんたうにうれしい。

 廃坑の月草を摘んで戻る

 廃坑、若葉してゐるはアカシヤ

 ここにも畑があつて葱坊主

 へたくそな鶯も啼いてくれる

 夕空、犬がくしやめした

 ひとりものに犬がじやれつく

 香春晴れざまへ鳥がとぶ

 何が何やらみんな咲いてゐる(緑平居)

【香春晴れざまへ鳥がとぶ】

この日の日記に、「香春晴れざまへ鳥がとぶ」の句があります。山頭火は、昭和5年から7年にかけて香春町の緑平居に何度か立ち寄っています。山頭火は、いつもふらりと緑平を訪ねましたが、炭鉱病院の医師であった緑平は、そうそう山頭火の相手をしていられるわけもありません。緑平が留守の時は、妻のツネが山頭火を迎え、当たり前のように「これでよい句を拾っていらっしゃい」と、お金を持たせたといわれます。緑平宅の居心地のよさは、このツネの人柄に負うところも少なくありませんでした。山頭火はそんな夫婦の温情を懐に、よく香春町を遊山(ゆさん)しました。この日に詠まれたこの句も、そんな緑平宅を訪れた直後の句です。「ふりかえれば香春があつた」「香春をまともに乞ひ歩く」など、山頭火にとって好きな香春岳を近くから眺められるこの町は、句をひねり出すのにちょうどよい場所でした。香春町の金辺(きべ)川沿いには、この句と「そこもここも岩の上には仏さま」「あるけばきんぽうげすわればきんぽうげ」「ふりかえれば香春があつた」「香春をまともに乞ひ歩く」「鳴きかわしては寄りそう家鴨(あひる)」など9基の句碑があり、香春ゆかりの句が刻まれています。心地よい川風を受けながら、山頭火の句碑めぐりが楽しめます。また、「そこもここも岩の上には仏さま」の句碑は、香春町にある高座石寺(こうそうじ)の十六羅漢の石仏の傍らにもあります。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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