Facebook・古宮 昇さん投稿記事 親を愛する気持ちが重荷になるとき
どんな子どもも、親の幸せを願っています。たとえ反抗的な子どもでも。親の幸せを願うからこそ、親が不幸だと思うと、「私が・ぼくが親を幸せにしなければいけない」と思います。すると、自分の気持ちもニーズも犠牲にして、親のために生きようとします。
親がしてほしいことをしようとします。
自分を犠牲にしなければならないことへの怒りがたまりますが、そういう子どもは
「私・ぼくは良い子になってお母ちゃん、お父ちゃんを助けなければいけない」と心の底で信じているので、怒りを受け入れることができません。
怒りを自分でも分からないうちに抑圧します。怒りを怖がったり、怒りに罪悪感を感じたりするのです。
怒りは、自分を守るため、自立するために必要で大切な感情ですが、それを怖がって抑圧するため、自分を守ることも自立することもできなくなります。
同時に、親を幸せにできない自分に罪悪感も感じます。
子どもが親に反抗するのは、そんな自分も気持ちが苦しすぎて耐えられないから。
親への愛が苦しみになるときがあるのです。
でもその在り方は深いカウンセリング・心理療法で癒して変えることが可能です。
そのとき、自分を大切にしラクに生きられるようになります。
https://www.naomi.co.jp/magazine/17.09.html 【『いい子』は危ない】より
ナオミのCSR活動である「学び舎 傍楽」では、思春期の子どもとの向き合い方の勉強会を、6月から4回シリーズで開催しています。
この勉強会が始まったきっかけは、去年の12月から始めた、不登校のおはなし会でした。
不登校のおはなし会をやっていくうちに、共感し合える場も大事だけれども、
子育ての勉強会も必要だと思うようになっていきました。
(2016年の12月のメールマガジン 「不登校の会」でも書いています)
なぜなら、実際子どもとどう向き合えばいいのか分からないというお母さんの声が多くあったからです。
ちょうど、そんなことを考えていたときに、勉強会を引き受けてくださる方に出会い、開催する運びとなったことはありがたいことでした。
私も、できれば子どもが生まれたときから子育てを勉強できる場所があったら、どんなに良かっただろうと、ずっと思っていましたのでこの勉強会が始まったときは、本当にうれしかったです。
そういった経緯で始まった勉強会ですが、先日、3回目の講座がありました。テーマは「『いい子』は危ない」です。
私たちが考える『いい子』とは、「お父さんお母さんに、認めてもらいたい」という気持ちから、親の言う通りに行動してしまい、自分の意思を持てなくなってしまうことです。
話の中で、非常に印象的だったのは、『いい子』は「自分の人生に自分がいない」という言葉でした。私もかつて、いい子だったので、その言葉が刺さりました。
子どもは生まれた時は何もできないので、親が全部やってあげます。でも、子どもがどんどん成長していっても、親は小さい時と変わらず、同じように手を出し、口を出し続けていきます。
子どもの『どうしたいか』を聞かずに、勝手に決めたり、自分の子どもは何にもできないからと、失敗させないように、いちいち口を出したりしてしまいます。
そしてそれが、親の役目でもあると思い込んでいます。
小学校や、中学校になって自分の意思がある子どもにさえも、子どもに決めさせることなく、コントロールしようとします。
「それをしたらダメだ」とか、「あなたには無理だから」とか、「意味がない」とか・・・否定的な言葉で、自分の価値観を押し付けます。
また、自分の思い通りにならないと、怒ったり、脅したりします。
そうやってコントロールされて育った子は、自分の意思で決めることができなくなったり、与えられることを待ったり、失敗を極端に恐れたりして、生きる力が育ちません。
自分がどうしたいかを聞いてもらったり、受け入れてもらったりした経験が少ないので、自分の思ったことを正直に言うことができなくなってしまいます。
他人がどう思うか、他人にどう思われるかが軸になり、自分の人生でありながら、自分が居ない感覚になっていくのです。
そして、自分はただ生きているだけで、価値があるとは全く思えず、勉強ができないといけない、人とうまくやっていかないといけない、素直でやさしい子でいないといけないと、出来ない自分を責め、ありのままの自分から、どんどん遠ざかってしまいます。
条件付きの自分にしか価値が無いと感じてしまい、『いい子』でいなくてはと、どこまでも自分を追い込んでいきます。
でも、そんなことをずっと続けると、どこかで限界が来ます。
ウツや過食症、拒食症など、体も心も壊していく子もいます。
「親の期待に添わないと見捨てられる、親の言うことを聞かないと愛されない」という、
子どもの生き延びるための防衛反応が、そうさせているようです。
子どもは、弱者です。
生きていくためには本当の自分ではない、『いい子』を演じるしか無くなっていきます。
そうなると、一生懸命無理をして、自分をだまして、生きていくしかなくなります。
『いい子』に育てることは、下手すれば命にもかかわることになるほど危ないことです。
親が本当にやらなければならないことは、子どもの生きる力を育てることです。
生きる力を育てるには、自分で決めて、失敗しても自分で責任を取る生き方を子どもにさせていくことが必要です。親のできることは、自分の子どもを信じ、見守り、子どもの話に耳を傾けることなんだと思います。
「あなたの人生は、あなたが主人公だから、あなたの好きなように生きていけばいいし、本当に困ったことがあったらいつでも助けに行くよ。だから自分を信じて生きて行きなさい。
あなたならきっと大丈夫。どんなときも応援しているよ。」と言ってあげることだと思います。
きっと子どもは、その言葉に力をもらって自分を信じ、いろんな困難があっても乗り越えていける強さを身につけていくものだと思います。
それには、親の覚悟が必要です。
「絶対に自分の子どもは大丈夫」と信じることだと思います。
自分の人生に、自分がちゃんといる。
そんな人生を、子どもに送らせてあげたいですよね。
勉強会は、お母さんたちに大きな気づきを与えてくれました。
「いい子」を輩出しないためにも、子どもを持つお母さん、お父さんはぜひ子育ての勉強をして欲しいと思います。
それは、子どもとの良い関係性を作るために、1人の人間として子どもと付き合うことができるように、とても必要なことだと思います。
https://ameblo.jp/towara530/entry-11841684944.html 【★良い子、素直な子は危ない!~子供は親のSTATUS?~】 より
子供が素直で真面目で勉強がよく出来る。これはある意味親の理想の子供像であり、親のSTATUSでもある。しかしスグルは最近「この手の良い子は実は危ない」と私に進言。
世の中を震撼させた事件で多くの人の記憶に未だにあるのが宗教のオウム。
この事件を起こした人達は、高学歴で真面目で優秀な人達であったことも同時に人々を驚かせた事の一つであった。
今から30年前、非行少年の主だった家庭環境の背景には家庭環境が劣悪というものが多かった。親自身が経済的に困窮し子供にさえ関心を持たないという環境。
その結果、子供には家庭にも学校にも居場所が無いということがほとんど。事件を起こす人の背景を知る時、同情を誘う事も多かったように思う。
しかし、あのオウム事件以来、その流れは変わった。
オウム事件を起こした犯人達は、オウムに入るまでは、ある意味親の理想とも言える
子供達だった事に人々は驚いたとも言えるだろう。
では親からみて良い子の特長とはどんなものか?
①親や教師、いわゆる周りの大人から見て、勉強、スポーツ、その他の習い事を、
少なくとも一生懸命頑張って、それなりの成績がある子。
②性格的にも素直で真面目で、大人の言うことをよく聞いて、そのように行動している子。
③本人も一生懸命、家の中でも学校の中でも、大人の期待に応えて、一見、一生懸命に頑張っている子。
どれを見ても羨ましい条件を揃えている子供に見える。
しかしスグル曰く、これらの子供は要するに「親から見て良い子なのであって、良い子にさせられているというべきなんだよな。
いい子というのは、親が喜ぶもの、大人が喜ぶものを察してやれる子、自分の自我を殺して、親が喜ぶものがすべてだと思って育っている子が多い。」
「だら、反抗期が無い子は 危ないって言われているんだよ。」
考えてみれば、私も含めて、教育ママと呼ばれる人達は、生まれ落ちた時からもう子供の教育環境を整えていた。
小学校も中学も私立。遊びも友達も親が選び管理するという環境を。
私立を選ぶ環境というのは、周りに同じ学校に行く子供が少ないという事で近隣の子供達と群れて遊ぶという事はほとんど皆無。
学校で同じような家庭環境の子供達と遊ぶのがせいぜいであり、学校が終われば、塾や習い事に直行させられる。
すべてこれらは親の管理下におかれ、自分自身で何かをするという選択肢が極めて少ない環境で育つ。
この様な子供達は得てして、男の子でも大人しく、素直で、あえて穿った見方をすれば覇気がない。
親自身も教育熱心だから、褒められるべき事はあってもけなされる要素は無い。
しかしスグル曰く「無表情の子は一番心配。逆に親の言う事も聞かずに自己主張出来る子供は自分を表現出来るから素晴らしい事なんだよ。だからこそ、親離れの思春期に 反抗期が無いことは危ないのさ。」思春期というのは親を否定して自分づくりをする時期。自分は親の思いどうりになどならないという時でもあり同時に自分の自我に向き合う時期でもある。
しかし良い子というのは、直接親にまともに向かって行かないし行けない事が問題なのだとはスグル。
子供は親に見放される事が一番の恐怖なのだから。「ずっと成績が維持できる間は多分悩まない。でも親の言うとうりにはなれないと思ってしまった時に問題が出てくるのさ。
そういう時に本心を話せる親がいないと。
その点、パパは、教育パパじゃなかったから、ママの言う事は聞くなって言ってくれていたから良かったよなぁ~。」
我が家の夫は企業戦士であったことが大きいが、子供の教育には口を挟まずむしろ、子供の逃げ道役を買っていたタイプ。
結構役得で、悪役は母の私で、いいとこ取りをしていたタイプだろう。しかしこれが良かったとはスグル。二人とも教育熱心であったら、子供として逃げ場がなかったと。
夫はスグルに、自分は社会と関わって一生懸命やっているという姿を見せながらも自分は若い時は失敗も結構して、今こういうことをやっているんだと、率直に言う人であった。
子供には自分の弱いところも結構オープンにする。
しかし自分の弱みをみせられる人というのは、自分に自信がある証拠だと私は思っている。
だからといって、子供に迎合せず、悪いことははっきりと悪いと子供に言い放ち父として毅然と立ち向かうタイプでもあった。
だからこそ、スグルが医学科を目指し浪人中は、夫の表に出る頑固さとスグルの内に秘めた頑固さがぶつかり合った戦いが繰り広げられた時期でもあったのだ。
教育熱心な親が危ないのは、子供が出来ない事を受け入れられずに否定してしまう事。
何かが出来なければ、オレの子じゃないと言い、結果が出せればやっぱり我が子となる。
親が自分の期待や願いを子供に託すのは、実は自分が出来なかったことを子供に成就させてほしいという側面があることにはたしてどれだけの親が気がついているだろうか?
スグルが高校生の頃よく私に言ったのは「オレは親の言いなりになんかならない。」
今思えば親の代役の人生なんてまっぴらだと言いたかったのだろう。
教育熱心は、一見子どものためと言いながら、実は親のためでもあるというのが隠れた心理。
今子供の教育をほぼ終えて、優秀児の母になる夢が粉々に砕け散り、一時、スグルはもうこのまま医者になるなどという見果てぬ夢をみつづけ社会からとりのこされてしまうのではないかという恐怖に怯えたあの日があるからこそ見えてきた事がある。
自称教育ママとは言いながらも教育ママ失格な私が子供達から学んだこと。
「子供は親の代役ではないしステータスじゃない!」家族がそれぞれの道を歩み始めて
今更ながら実感している日々・・・
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