古代史最大の戦い 磐井の乱

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 邪馬台国時代には、筑紫平野の山門の地に、女酋長「土蜘蛛」という豪族がいました。これは筑後川下流域が天然の水田適地だった理由から、強力な敵対勢力が現れた事を示唆しています。

 同じように時代を下って六世紀には、筑紫磐井という豪族が出現しています。これは山門の隣の「八女」を本拠地とした豪族です。

 今回は「八女」エリアの弥生時代を考察する前に、古墳時代に存在の確実な磐井氏に焦点を当てて行きます。

 この地図は、筑紫平野の有明海沿岸地域です。弥生時代の海岸線は久留米付近まで達していました。現代の筑後川下流域は、三角州のような湿地帯と中州が混在している状態でした。

 この地域は、湿地帯が干上がった水田適地でしたので、古代の豪族が出現する土壌がありました。

 前回の動画で紹介しました熊襲征伐に登場する山門の女酋長・土蜘蛛、そして隣の八女には「筑紫磐井」という強力な豪族が出現しています。

 山門の土蜘蛛は神功皇后の時代ですので、三世紀~四世紀頃と推測されます。一方、八女の磐井勢力は五世紀~六世紀です。また、土蜘蛛は記紀の記載に留まり実在性・信憑性に乏しいのですが、磐井勢力は記紀だけでなく筑後国風土記逸文にも記述があります。その中では磐井の墓があるとする場所の記載もあり、実際に古墳が発見されています。

 この八女の地を中心とする磐井一族は、北部九州全域を支配していた強力な豪族で、考古学的にも存在が立証されている貴重な存在です。

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八女エリア

 磐井の乱は日本書紀に書かれています。根拠の希薄な古文書ではありまが、ここでは引用します。

 越前の大王・継体天皇が奈良盆地を完全に征服したのは526年。その翌年の527年に反乱が起こりました。朝鮮半島南部へ出兵しようとした近江毛野率いるヤマト王権軍の進軍を筑紫国造・磐井がはばみ、翌528年、物部麁鹿火(もののべのあらかび)によって鎮圧された反乱、とされています。 この反乱の原因については、様々な説が提唱されています。

たとえば、

・ヤマト王権による朝鮮出兵が再三に渡ったため九州地方に負担が重なり、その不満が具現化したとする説

・ヤマト王権・百済の間で成立した連合に対し、磐井が新羅との連合を通じて独立を図ったとする説

・磐井の乱を継体天皇の動揺の表れとする説

・継体天皇による地方支配の強化とする説

などです。研究者の間でも、磐井の乱に対する見方は必ずしも一致していません。

 私は、継体天皇という謎の大王の即位が引き金になったと見ています。

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磐井の乱の原因

 磐井の乱は、越前の大王・継体天皇が、奈良盆地を完全に征服したのが526年、その次の年527年に起こっています。この点が最も重要だと考えます。

 邪馬台国の時代には、日本海沿岸地域である北部九州や出雲は越前の支配下にありました。それから250年後の、継体天皇による近畿征服という大事件は、北部九州や出雲も加勢して行われたと、容易に想像がつきます。

 ところが、協力して革命を起こしたにも関わらず、重要な役割を担っていた北部九州勢力は何の恩恵にもあずかりませんでした。そんな中で、磐井一族の反乱という形で、不満が爆発したのでしょう。

 これは、明治時代に起こった西南戦争とよく似ています。明治政府を樹立した九州勢力でしたが、その後、薩摩藩士たちの不満が爆発して反乱が起こりました。これと重なります。

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九州勢の不満

 磐井の墓についてです。福岡県八女市には、磐井氏の古墳が実在します。岩戸山古墳です。形状は前方後円墳で、北部九州では最大規模の古墳です。

 筑後国風土記逸文には、この岩戸山古墳の状況や位置が記されています。

磐井は生前から墓を作っていましたが、戦に敗れ放棄したとされています。

 文献から被葬者と築造時期を推定できる日本で数少ない古墳の1つです。

 邪馬台国時代よりも250年~300年後の時代ですが、筑紫・磐井一族という強力な豪族の存在は、この地が豊潤な農耕地帯だった事を窺わせます。

 山門地域の女酋長・土蜘蛛というのも、実は磐井一族の先祖なのかも知れません。

有明海沿岸という天然の水田適地には、文献史学上の重要な登場人物が現れて然るべき下地があったと言えます。

 邪馬台国・八女説を唱える研究者も存在しますが、それも一理ありかな、と思います。

 次回は、八女の隣の「久留米」に入ります。

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