https://enkieden.exblog.jp/21739654/ 【ユダヤ人のY染色体遺伝子】 より
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の祖であるアブラハム(4,000年ほど前の人)はメソポタミア(現イラク)の遊牧民(ヘブル)であった。
アブラハムの家族はメソポタミアのウルを出発し、ヨルダン川西岸(カナン)に移住した。
アブラハムの墓はヨルダン川西岸地区のヘブロンにあり聖地となっているが、当地はイスラエルとパレスティナの紛争が絶えない。
モーゼ率いる出エジプトのユダヤ人は、紀元前1,000年頃にユダ族のダビデをイスラエル統一王国の王とする。紀元前922年に分裂してイスラエル王国(10族)とユダ王国(2族、ユダ族とベニヤミン族)に分かれる。
紀元前722年にイスラエル王国はアッシリアのサルゴン王に滅ぼされ、放浪民となる。
紀元前586年にユダ王国はバビロニアのネブカドネザル王に滅ぼされる。バビロン捕囚後、紀元前538年にイスラエルに戻るが、ローマ帝国時代の2世紀に独立戦争が失敗し神殿も破壊され、追放されて放浪民となる。
以後、20世紀になるまでユダヤ人(ユダヤ教徒)は国家を持っていなかった。
ユダヤ教徒の男子は生後8日目に割礼を受ける。日本の皇室の男子も生後8日目に割礼を受けると非公式に云われている。これは15代応神天皇の時代(在位390年~403年)に弓月君(秦氏)が渡来したことと関連性があるのかもしれない。
秦氏の土木技術により5世紀の河内国に巨大な前方後円墳ができるようになった。秦氏の遺伝子がユダヤと結びつくのか調べる必要がある。
日本の伝統文化、神道、皇室の儀式などにイスラエルの影響が大きい。日本語とヘブライ語の単語の共通性もかなり多い(3,000語ほど)。日本とイスラエルの共通性については、欧米人、イスラエル人の多くの研究者が述べている。
イスラエルの祖ヤコブには12人の子がいるが、レビは祭司なので別、ヨセフは兄弟に騙されてエジプトに売られるがエジプトの宰相にまでなったので別とし、ヨセフの二人の子・マナセとエフライムを入れて、イスラエルの12支族が構成されている。
中国の五胡十六国の時代に氐族(てい、チベット族)が351年に秦(前秦)を建国し、394年に滅んだ。羌族(きょう、チベット族)が384年に後秦を建国し、417年に滅んだ。
このチベット族の末裔が列島に渡来した秦氏一族であるという説がある。イスラエルの調査機関アミシャブのDNA調査により、羌族は代表的なマナセ族の末裔である。イスラエルのマナセ族の末裔である秦氏の渡来で、縄文人のY染色体遺伝子D2に加えて、マナセ族の遺伝子のDが列島古代人に増えていった。マナセ族とエフライム族以外のイスラエルの民には遺伝子Dは存在しない。
マナセ族とエフライム族は、ヨセフとアセナテのエジプト時代にY染色体遺伝子Dに挿入型突然変異をしたのか。秦氏の子孫と判明している人が多く存在するのでDNAを調べると出自が分かります。
日本におけるイスラエルのDNA、文化、言語、神道、皇室への影響はありますが、「日ユ同祖論」には賛成できません。日本人には多くの系統が混在していますから。
Y染色体遺伝子のD2は日本に存在し、チベットにはD1とD3が存在する。中近東には僅かしか存在しない。
秦氏一族は渡来人のうちで最大の豪族であり、29代欽明天皇の時(6世紀中頃)に7053戸(3~4万人か)にも増え、大部族になったが先住民の中に溶け込んでしまった。
2014年6月29日投稿の「応神天皇の時、秦氏一族が渡来」をご参照ください。
紀元前3世紀の秦の徐福(じょふく)がイスラエルのヨセフ(ジョセフ)ではないかという説があるが、信じ難い。
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