鑑眞和上に捧ぐ
血汐いま衣に凪いで御座しけり 五島高資
Dedicated to the priest Ganjin
Waves of blood
calmed in the monk's robe
as he sat Takatoshi Goto
Facebook・西尾仁さん投稿記事【宇宙服(=肉体)の死は通過点にしか過ぎない。】
・
宇宙に死はふさわしくない、なぜふさわしくないのでしょうか?。
・
それは、宇宙からドラマを消し去ってしまうからです。
ドラマの無い宇宙に、どんな意味があるというのでしょうか?。
・
死は人間(=肉体)を自分と信ずる者にだけあるのであって、
・
生命(いのち=魂)を自分と信ずる者には無いのです。
・
あるとすれば、ただ変化があるだけです。
・
物質は、個体・液体・気体の三態に変化します。
どんな物質も、液体を通して必ず気体に戻るのです。
昇華という言葉がありますが、物質(個体)から直接(気体)に昇華することはありません。
昇華しているように見えるナフタリンも、瞬間的に液体となり気体となっているのです。
・
私達の宇宙服(=肉体)も、命(いのち=魂)が抜けると液体となり気体となり宇宙空間にバラ撒かれますが、
それは形(=肉体)が無くなっただけで、本質(=魂)は無くなっていないのです。
・
いつか必ず縁に触れ、再び形(=肉体)を取るのです。
変化したのは形(=肉体)のみで、本質も生命核(魂)も不変不動なのです。
・
では宇宙服(=肉体)から生命核(魂)が抜けたら、どのような変化が起きるのでしょうか?。
・
理解度によって定まる幻(=現実)の世界。
・
人間の宇宙服が、どのような構造になっているか大まかに説明しますと、
・
①まず中心に絶対原子(生命核=いのち=魂)があります。
②中間に反原子体があります。
③そして外側に原子体があります。
・
③宇宙服から①生命核(=いのち=魂)が抜けると、③宇宙服は水を通して気体に帰ります。良く土に帰るといいますが、元素に帰ることを土に帰るといっているのです。
・
人間は③宇宙服下に、②反原子体という③宇宙服とそっくりな体を持っており、死ぬとしばらくは②その体をまとったまま地上近くをさ迷っています。
・
殆どの人は死んだら①意識が無くなると思っていますが、③宇宙服を脱ぎ捨てても何ら変わらぬ意識状態を保って生きているのです。
・
②反原子体と③宇宙服とは、何も違わないのです。
姿形も同じ、柔らかさも同じ、温かさも同じ、脈も打っていますし、呼吸だってしています。だから、死んでもまだ生きていると錯覚している人達がいるわけです。
・
この②反原子体は③宇宙服の下着のようなもので、通常の場合③宇宙服の余韻を残したエーテル体は、数日から数年で消えて無くなります。
(あくまでも思いの強さによる)
・
その間に①意識の調整が行われ、その人のメンタルが描いた世界へ旅立って行くのです。落ち着く先は、自分と同じ理解度を持った人達の集まった世界です。そこで似通った精神状態の人達が、集落を成し生活しています。
・
このメンタルな世界は生命(いのち=魂)の理解度によって、
上は光の体を持った階層から、
下は動物さながらの階層から
人間臭い階層まで無数の世界に分かれており、
・
ここでも自然の法則(因果の法則、類は類を呼ぶ法則、慣性の法則、循環の法則)が働いております。
・
ただ思いの世界は、思った瞬間結果が現れるので、物質世界のように誤魔化しがきかないのです。
例えば、人を憎んだ瞬間般若の面相になり、
愛を与えたいと思えば即座に仏の顔になるといった具合に、
思いと行いは同じですから、少しも悪いことは思えないのです。
だから、上辺を飾って生きるしかないのです。
・
またこの世界は、似通った者同士が生活していますので、
「人の振り見て我が振り直せ」といった相対的体験があまりできません。
・
さらに生きる苦しみが無いので努力する心が生まれない、
我慢する心が生まれない、要するに厳しさが無いので向上心がわかないのです。だからこの世界では、あまり成長できないのです。
・
苦しみの無いところに進歩はありません。そんな生活が長期間続くと嫌気がさしてきます。そこで厳しい世界へ降りて行って欠点を修正したいと思うようになり、再び宇宙服を持って生まれてくるというわけです。
・
人の本性は生命(いのち=魂)ですから、本能的に本当の自分を知りたがっているのです。ですから、いつまでも生温い世界にはいられないのです。
Facebook・西尾仁さん投稿記事
「色即是空」「空即是色」が分かり、
超微細の世界から観ると、
現実と脳が認識している世界は、
実は自分の魂も肉体も全て振動しているエネルギーでしかないことが分かります。
本当はモノ(金銀財宝や土地、家、車など)に執着して、
得ることで幸福感を感じても、それは人間が作った価値観を幸せと思い込んでいるだけだということがわかります。
これを拡張すると、食欲、睡眠欲、性欲、など人間が定義した動物としての存在欲も本来必要な量だけ有ればいいと言うことになります。(人間も自然界の動物とほぼ同じです。)
人間だけが必要以上に執着し、ビジネスにして過剰に生産し、
過剰に消費に結びつけているのが分かります。
そして、その満足感や幸福感はあの世に持って行けない肉体が、
大雑把な五感で感じるものなのです。
執着を手放し、生きとし生けるものの調和を考えて活動するように、
人間にはイマジネーション能力
(想ったモノを現実化する能力=神の意志と同じ実現力)
を与えられています。
従って執着を手放さないで、
自分のことだけ考えて生きるのなら「芋虫」も同じ
ということになります。
だから『執着を手放す』魂の修行をしましょうという事を
ブッダも2400年前から言っています。
0コメント