牛頭天王さんの痕跡 行基 空海 高野山案

https://ameblo.jp/poch1270/entry-12620720187.html 【牛頭天王さんの痕跡 行基 空海 高野山案】より

牛頭天王(ごずてんのう)について探検しました。

神様とお話しができる方のブログに、牛頭天王がでてきました。

御力が強い神様とのことでしたので、気になり、香川県内の痕跡を調べてみました。

ほぼネット調査で見つかったことを、よく噛んで消化してみました。

牛頭天王は、香川県内だと瀧の宮神社⛩が、重要な所みたいです。

瀧宮神社(牛頭天王社)カッコ書きされてました

綾歌郡綾川町滝宮昔の地名では、瀧宮村大字瀧宮字瀧宮

御祭神素戔嗚命・櫛稲田姫命の夫婦神

八将之王子

かつては素戔嗚命の本地仏である牛頭天王社だったそうです。

本地仏とは?

人間を救済しようとする仏や菩薩がいろいろな姿であらわれた化身,垂迹(すいじやく)身

その根本である仏・菩薩を本地仏という。

これは仏教が渡来して起こった思想で,仏も神も淵源はみな同体であるという考え(本地垂迹説)。つまり、須佐之男命の化身なのね

八将之王子とは?須佐之男命の8の御子神のこと。

もとは仏教を守護する八方位の神だったが、神仏分離によって別の神に変わった。

現在の八将之王子はスサノオと天照大神の誓約で生まれた五男三女神のこと。

天之忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)天之菩卑能命(アメノホヒノミコト)

天津日子根命(アマツヒコネノミコト)活津日子根命(イクツヒコネノミコト)

熊野久須毘命(クマノクスビノミコト)多紀理毘売命(タキリビメノミコト)

市寸島比売命(イチキシマヒメノミコト)多岐都比売命(タキツヒメノミコト)

菅原道真公が讃岐国司として赴任していた仁和2年(886年)~寛平2年(890年)までの4年間は讃岐一国の氏神とされていたそうな

「日本祇園八社」のひとつで、南海道(四国と和歌山県)の総鎮護神とされる由緒ある神社とのこと 凄い神社だったんだね 

随身門 

なかには大きなワラジが 左大臣さま 矢大臣さま 拝殿までがけっこう距離があります

松の枝が目線まで低く垂れ樹がすり寄っているようです。

でも、境内は広く静かで、いかにも神域だと感じられます。立髪が、ギリシャ風

牛頭天王だからか牛が 菅原道真さんも牛だよね 坂出市にその牛が降りてきた伝説の地があるそう

創建は、和銅二年(709年)紀元1369年6月8日 行基さんが、瀧宮に来てとどまった時、

綾川の巌窟の霊妙なるを見て、河中中島の巌上に経を誦し居たるに、巌下の淵より応現し給う。依りて神託のままに川の邊に地を相し、祠を建てて瀧宮牛頭天王と崇む。

※讃岐一宮田村神社と同時期に創建されている御鎮座1300年を越える社とのこと

往昔は「多伎の神社瀧宮大社」と称していたとのこと

綾川に行ってみました 行基さんが「綾川の巌窟の霊妙なるを見て」の様子かな

岩が多いです。綾川の中には、弁天さん

弁天さんの由緒

なにやら空海さんがお祀りしたとの事

さらに、この地より南に高野山を設置するか悩んだとのこと なにげに凄いことを書いてある 確かに、西側に綾川があり、その川底は岩が多い。

709年は、大和朝廷やその支配下に入った地域への帰属や同化を拒否していた集団である蝦夷(えみし)を平定した年だね

タイミング的に行基さんは、大和朝廷と深い関係?

雨乞いの踊りの碑

国の重要無形民族文化財だそうな

本殿 なにげに龍が🐲 ネットには 県外の瀧の宮神社の記載があった

岡山県倉敷市にある「瀧の宮」さんについて調べた方によると、勧請が、香川県東かがわ市とのことから、東かがわ市教育委員会生涯学習課に電話したところ、「たしかに滝の宮という小さなお社があります。今は八坂神社ですが、昔は滝の宮さんでした。

場所は東かがわ市水主(みずし)というところの北部です。水主神社の宮司が兼ねておられます。」とのこと

そこで、水主神社の宮司さんにたずねたら、

「うちの末社になります。元の大川郡誉水村で、最近までは大内町でした。現場に由緒書きが立てられています。当時の大庄屋の大山家が勧請されたものです。」

で、さらに元大庄屋のご子孫だという大山家へも電話して、

「私のところの祖先が明暦元年(1655)7月25日に、所有の山林に綾歌郡の『滝の宮』から分霊して勧請したものです。

代々神職がいましたが、今は水主神社にお願いしています。

祭神は牛頭天王(ごずてんのう)で、大元は京都の祇園大明神(八坂神社)のようです。

8月のお盆すぎ、24、25日にお祭りをしています。牛の神様で、昔はみんな牛を連れておまいりしていました。」とのこと、東かがわ市の神社も瀧宮神社から勧請なんだね

そして、まだブログに書いてないが、水主(みずし)神社といえば、ヤマトトトヒノモモソヒメの伝承があり、御祭神です。

(うつぼ船🚢に乗って来る話しはリアル。ブログに書きたい一つだ)

古い念佛踊りの碑

この先に瀧の宮天満宮があり、瀧の宮神社とつながっています。

伊佐雄神社 御祭神は、わからん

境内社の由賀稲荷社

「よしよしいなり」と読むらしい

私は「ゆうがいなり」からの変化だと思う

ウガヤフキアエズ王朝説の徳島県神山町にも「ゆうがさん」と呼ばれた神社があったらしいので、その関係かと

自分的にまとめると

時は、蝦夷を大和朝廷が平定し、本格的に国を動かそうとしたころだと思う。

牛頭天王は、須佐之男命が菩薩となって人間を救うために現れ、行基が祀った。

各地に神社を建て、神話の時代の先祖霊を神仏信仰により祀り国をまとめようとしたということだろうと想像する。

行基の役割りは、各地で人々の気持ちを大和に束ねて行くことだったんではなかろうか。

後に続いたのが空海かなと

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